ゼッタイダヨ。
タブンネを殺してはいけない。絶対だよ。
目の前にピンクの肉塊が転がっていた。ほんの少し前までは生きていた。私はただ呆然と、それを見下ろしていた。
「嘘でしょ」
草むらから飛び出してきたから、これはチャンスだと思って、手持ちの子に攻撃させた。タブンネはあっけなくやられて、動かなくなった。予想以上にレベル差があったのだ。
事故だよ、事故。私は自分に言い聞かせる。事故だ。野生ポケモンを追い払おうとして攻撃して、当たりどころが悪かったという不幸な事故は、珍しいものじゃない。とりあえず、十字を切って、タブンネの遺体を草むらの奥に押し込んだ。そして、何食わぬ顔で、早足で、町に戻る。すれ違う人々が私を見ている気がする。違う。私は心の中で叫ぶ。あれは事故だ。不幸な事故だったんだ。
タブンネ、ヒヤリングポケモン。優しいポケモンで、戦う相手にバトルのコツを教えてくれる。並外れた感覚でポケモンの体調をよく捉えるから、ポケモンセンターでも助手ポケモンとして多く飼われている。そんな優しいポケモンだけど、一つだけやってはいけないことがある。タブンネを、どんな理由であっても、殺してはならない。殺したら、大変なことになる。
他のポケモンなら、シキジカやバッフロンなら食肉として利用されるかもしれない。暴れて被害を出して、駆除されるポケモンだっているだろう。でも、タブンネは、タブンネだけは、いかなる理由があっても殺してはならない。旅に出てから、先輩トレーナーたちに口を酸っぱくして言われたことだった。
そんなの、都市伝説よ。私は思う。学校や家庭で、そんなこと聞いたことない。言ってるのは、バトルトレーナーと言われる専業のトレーナーたちだけ。きっと都市伝説。手持ちのポケモンたちの経験の為にタブンネを“狩る”彼らなりの良心の現れ。
それに、あれは事故。ノーカウント。きっと、大変なことになんてならない。
私は無意識に、ポケモンセンターに足を向けていた。トレーナーが町に着いた時、真っ先に向かうのがポケモンセンター。きっとその習性が出た。すれ違う人々が私を見ている気がする。違うの、私は何も悪いことなんてしていない。服の袖を鼻に近づける。嫌な臭いがする。気付かれただろうか。町を歩くあの人もこの人も、知っているのだろうか。ほら、タブンネ殺しが来た。
違う、違う。私は脳内に勝手に湧き出る声を必死に打ち消しながら、ポケモンセンターに向かう。ポケモンセンター、そこは私たちトレーナーにとっての日常。どこの町でもポケモンセンターの内装は同じ。それは安心感を与えてくれる。どこの町のどのポケモンセンターでも、困ったら、ポケモンセンターに行ったら、ちゃんと解決してくれる。そんな安心感。きっと、さっきの事故も、ポケモンセンターに行ったら解決してくれる。私は足を速める。
自動ドアをくぐった。
私は真正面にあるカウンターに向かう。
「すいません」
タブンネ? ピンク色の生物がこっちを見て、私はドキリとする。違う違う、この子は別の個体。無関係。
「誰かいる?」
タブンネ。
タブンネは短い手を私に差し出した。ちょいちょい、と指を動かす。私が反応に困っていると、タブンネはカウンターの下からトレーを出してきた。穴ぼこが六つ空いた金属製のトレー。ポケモンを回復機械にかける時に、モンスターボールをセットするのに使うやつだ。
タブンネ。
タブンネはトレーを私に差し出した。どうやら、ポケモンを回復に来たと思われたらしい。このタブンネでは話にならない。
「ねえ、人を呼んで」
しかし、タブンネは引かない。私は仕方なくトレーに六つのボール全部をセットして、タブンネに渡した。タブンネは奥のドアをくぐって姿を消す。カウンターの中に回復機械があるのに。奥に行く時は混んでる時だけのはずなのに。今はとても空いているのに。
戻ってきたタブンネの手に、トレーはなかった。大したバトルをした覚えはないが、体調が悪かったのだろうか。タブンネはタブンネ、と言って私に鍵を渡した。キーホルダーに数字が刻印されている。ポケモンセンターの宿泊部屋の番号。
「ねえ、私のポケモンは?」
聞いてみるが、タブンネはタブンネ、と言って奥に引っ込んでしまった。あのタブンネでは話が通じない。人を探したいところだけれど、関係者以外立入禁止の多いポケモンセンターをうろうろするのは気が進まない。仕方ない、鍵も貰ったことだし、一旦部屋で休むことにしよう。窓の外を見ると、もう日も沈んでいた。それに気付くとどっと疲れた。今日はもう休もう。明日また出直して、人を探せばいい。
大丈夫、明日になれば答えは見つかる。ここはポケモンセンターなんだから。
私は番号の合う部屋に入り、着替えだけ済ませてベッドに倒れ込む。すぐに眠りに落ちたが、心地良い眠りとは言いがたかった。
夢の中で私は逃げ続けていた。何から逃げているかも分からず、逃げていた。逃げ道などどこにもないと分かっているのに。途中、何度も目が覚めたり、夢に戻ったりした。夢でも現でも逃げ続けているような感じがした。
目が覚めた。目覚まし時計のアラームが鳴っていた。いつもと同じ六時。けれど、外はまだ暗い。今日はお日様と一緒に起きることにしよう。私は布団を被り直して、二度寝を決め込むことにした。夢見が悪くて寝不足だったのか、今度もするりと眠りに落ちた。けれど、嫌な夢は見なかった。
次に起きる。十時。びっくりして飛び起きた。しかし、外はまだ暗い。おかしい。いくらなんでも、もう日が昇っているはず。曇っているのだろうか。空を見上げようとしたけれど、嵌め殺しの窓の向こうには隣のビル壁が迫っていて、空を見ようにも見られなかった。天気の確認は諦めよう。
私は荷物をまとめてポケモンセンターのロビーに向かった。いくらなんでも、もうポケモンたちの回復は終わっているはずだ。鍵をカウンターの上に置いて、その場に陣取って、しばし待つ。タブンネが出てきた。
「ねえ、昨日預けたポケモンたちを受け取りたいんだけど」
タブンネ。
「回復、もう済んでるでしょ?」
タブンネ。
「それとも、なにか具合でも悪かった?」
タブンネ。
「ああもう、あなたじゃ話にならないから、人を呼んでくれる?」
タブンネ、タブンネ。
目の前のタブンネは、笑っているだけ。
しびれを切らした私は、手を口の横に当てて叫んだ。「誰かいませんか」返ってきたのは静寂。そしてタブンネの笑い声。
「誰もいないの? まさか」
そのまさか。私ははっとしてロビーを見回す。誰もいない。受付の人はおろか、ポケモントレーナーさえ、町の人さえ、人っ子一人いないロビー。
町の中心のポケモンセンターのロビーに私一人しかいないなんてことが、あるだろうか。あるとして、それは天文学的に低い確率だと私の脳が弾き出す。ここにいるのは私とタブンネだけ。タブンネだけ。
タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ。
カウンターを振り返った私は悲鳴を上げた。誰か、はいた。ポケモンセンターの奥の関係者以外立入禁止の向こうからやってきた。ピンクの丸こい体つきのポケモン、タブンネが、タブンネだけが、大量に。
自分の鼓膜が引き破かれそうな悲鳴を上げて、私は出口へ走った。自動ドアは開かない。手を掛ける。力を込める。自動ドアは今度は閉じる方向に意志を定めたかのように動かなかった。踏ん張る私の足ばかり滑る。
タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ。
タブンネたちがやってきた。私は悲鳴を上げる。恥も外聞もなく、謝罪らしき言葉を吐きながら、自動ドアに手を掛ける。
タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ。
ピンク色の肉の塊が迫ってくる。ごめんなさい。私は叫ぶ。あれは事故だったの。殺すつもりなんてなかったの、分かって――
タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ、タブンネ。
衝撃。タブンネと自動ドアに挟まれての衝突。突撃系の技を食らったらしいと気付くも遅く。肉塊で押しつぶされた私の意識に嫌な臭いが入り込んだ。
今日未明、町の外の草むらで、旅装のトレーナーが遺体で発見された。タブンネ。
遺体の状況から、バトル中、外れたポケモンの技が直撃したものと思われる。タブンネ。
このようなバトル中の不幸な事故は、決して珍しくない。タブンネ。
バトルする皆々様は注意されたし。特にタブンネ狩りが好きな皆々様は。ゼッタイダヨ。