11.ミヅキの嘘【四月一日 リューエル本部にて】
11.ミヅキの嘘【四月一日 リューエル本部にて】
夜のバトルコートには、春霞ってやつだろうか、かすかにもやがかかっていて、ナイター照明のカクテル光線で全体が淡白く浮いている。
「月って嘘つきなんだよなぁー、えーいこの嘘つきー」
殴るように伸ばされた手が空に届くはずもない。酔っ払いかよ、とゼンは彼女に苦笑いをする。
炎が舞っていた熱気の余波が、まだ空気中を漂っている。リューエル実務部棟と宿舎の間にある訓練場の、併設の屋外バトルコート。大勢の観客に囲まれた白熱のスタジアムも悪くないが、こういった集中できる試合場も好きだ。白線が引かれただけの簡素なバトルコートの、向こうのトレーナーボックスにペタンと座り込んで胡座をかいて。もう十五分も座り込みをして、ミヅキは霞んだ夜空を見上げている。
一戦終えた彼女が日付が変わる直前になっても帰ろうとしない。気分転換にでもなればとエイプリルフールのことを教えてやったら、ガキみたいな不貞腐れに拍車をかけた。
「なんか見てると腹立ってくるな。ありがたがられてるけど自分で光ってないし、太陽光を反射して光ってるように見せてるだけだし。ホントは丸いのに、半分に見えたりとか、細長く見えたりとか。あんなにペカペカ光ってるけど、恒星じゃないし、近づいてみたらクレーターがあって思春期のニキビ跡みたいにボコボコ」
「俺のことボコボコにした癖に、機嫌悪いのやめてもらえます?」
月の名前を持ってる彼女が月を悪者呼ばわりすることにどんな心理状態が働いているのか、ゼンは一応分かっているつもりだ。彼女の外面に似合わぬ自己否定をやめろなんて言わないから、『イバサマ』コンボを決めようとして攻撃力の上昇したバクフーンに上から殴り続けられて抵抗する間もなく敗北した無様な俺が、勝者の機嫌取りをしてやってる気持ちも、ちょっとくらいは分かってほしい。
「その点、ゼンはあれだよね。バトル中に何か企んでる時のゼンなんて、特にすっごい分かりやすい。なんも考えずにパワー技連発してるときの方が強いよ、君」
「お世辞としても成立してないぞ」
不機嫌ヅラで、じっ、とこちらを睨みあげていたミヅキが、不意にくしゃりと表情を崩した。
「ほんっと、バカで癒しだわ」
ミヅキが苛立っているのは、この度の人事発令で副隊長に上がれなかったからだ。
彼女はまだ二十三で、そんな年齢で副隊長に昇進した者は過去におらず、もっと言えば女性で副隊長になれた隊員も例がない。アサギと一緒に鬼の如く活躍していた元第一部隊員のミヅキの母親も、実質的には隊長クラスの腕前を持ちながら、肩書きは平隊員のままだった。ただ、前例のない勢いで上げまくっているミヅキの戦績が、並の副隊長を軽々上回っていることもまた事実だ。
だが、どうせこの世なんて、嘘みたいなことばっかりだ。
年だけ取ったような中年男性隊員が複数昇進している社報を目にして、八つ当たりを引き受けてやろうと思い至った。バトルは楽しい。スカッとする。目の前の戦いに夢中になっていると、他のすべてを忘れていられる。
「よし、もう一戦するぞ、ミヅキ」
「マジ? まーだ戦えるポケモン持ってるの」
「当たり前だろ、俺だぞ」
肩を揺らして笑って、跳ねるように軽やかに、彼女は立ち上がった。
「私たち手加減下手だから、負けてあげられないけど、いい?」
黙っていれば美しい顔で、に、と野蛮に口の端を上げる。
それで気が済むなら上等だ。そういうお前を負かせるなら、そりゃ、もっと上等だが。
……ミヅキの背後に黙って突っ立っていた亡霊のようなバクフーンのアサギが、ぽん、とその肩に手を乗せる。へ、と上げられたミヅキの顔を、仏頂面がじ、と覗き込む。沈黙。俺をボコボコにしてはいるが、アサギは既に俺のポケモンを六匹沈黙させているのである。
「……ごめーん、アサギ疲れたって。明日も早いしそろそろ帰るわ」
「明日は第三部隊は遠征か」
「そそ、ウソッキー属の大量発生の対処だってさ。岩のくせに畑に生えて大変なんだってー」
そう言うと、四足歩行になったアサギの背に、よっこらせとまたがった。
「……へー、どこで?」
「えーと確かケチエンってとこ。ウソッキー興味あるの? 手持ちに入れる?」
「大量発生してるなら、強い個体もいるかもしれないからな」
そっか、いい子捕まえたら見せてねーとヒラヒラ手を振って、疑いもなく去っていった。霞の向こうに一人と一匹が見えなくなるまで、俺は一人見届ける。……さて、部隊は半壊状態だが、仕方ない。控えから水と草タイプのポケモンを掻き集めて、夜中のうちにテレポートで移動してほとんどの個体を追い払っちまえば、任務は中止になるだろう。
夜間照明設備の煌々とした光の向こうの、ぼんやりとした月を俺は見上げた。
それに背を向け、テレポート要員のボールを手に取り、そこで足音に気がついた。
ーーミヅキを乗せたアサギが、どすどすとこちらへ戻ってくる。
「ゼーン、言い忘れたー」
「なんだよ、忙しないな」
急ブレーキしたアサギの足裏がずざざあと砂埃を立てる。ミヅキは彼の背に乗ったままこちらへ顔だけ向けて、
「憂さ晴らし付き合ってくれてありがと」
いつもの粗雑さの内側に、甘えの匂いを内包させる。そういう塩梅がこいつは巧い。
「好きだよ、ゼン」
突っ立ってる俺は、いつも無抵抗に、翻弄されまくっているばかりだ。
「なんちゃってー。あはは顔ウケる。うそうそ、ウソハチウソッキー」
そしてアサギを促して、またあっという間に去っていった。呆然とその背を見送ること数十秒。
「……なんなんだよ、アイツらは……」
誰にともなく呟いた。多少の愚痴も言いたくなる。