月蝕



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○○○なんかだいっきらい!【エイプリルフール番外2022】
5.ウラミの嘘【四月一日 リューエル本部にて】
5.ウラミの嘘【四月一日 リューエル本部にて】

 最近発見したことだが、リューエル実務部第一部隊長キノシタは、どうも家庭に問題を抱えているらしい。
 出世のために彼の腰巾着に精を出している身として、第一部副隊長ウラミは上司の観察に余念がない。キノシタが自分の執務席にウラミを呼びつけるのは、@憂さ晴らしをしたい、A悪いことを企んでいる、B厄介ごとを押し付けたいの三パターンで基本的にはBなのであるが、どのパターンに当てはまるのかは顔を一目見れば判別できる。面倒なのは@のときで、キノシタが何に腹を立てているのか理解したうえで相手しなければ、こちらまで火の粉を被る羽目になる。
 第一部隊の任務がうまく運ばなかったときや、別部隊の失態の尻拭いをさせられたときなどは分かりやすい。厄介なのは業務上特に問題点が見当たらない場合だ。そういった場合のキノシタの言動や行動をサンプリングして分析した結果、どうも彼の家庭、つまり奥方と八歳の一人息子を連想させるものが多い傾向が見えてきた。
「ウラミよ。ポケモンとは実に愚かな生き物だと思わないか」
「ええ、まさに」
 自席でふんぞり返るのに忙しい隊長の代わりに中間管理業に走り回る部下を呼びつけ、勿体ぶって切り出された話が二言目でしょうもないと分かる内容だったとしても、恭しく頭を垂れる準備はできている。最近経費で買い替えた一脚十三万もする椅子をくるりと回して、キノシタは高慢に顎を上げた。それはまるで、悪の組織の大ボスが世界の真実を語りはじめるような趣だ。
「例えば、ポケモンたちは敵の『嘘泣き』を見ただけで特殊防御力を下げてしまう。『嘘泣き』だと見抜けぬどころか油断を犯すなど、愚の骨頂」
 笑ったりキレたりしないのはウラミの優秀さゆえである。
「ほう……おっしゃる通りです。隊長、流石の着眼点」
「私は『嘘泣き』などには惑わされない。欺瞞と計略の茨道を歩みこの席に到達した私に、嘘など通じんわ、フン」
 奥方かご令息に泣かれでもしたのだろう。よほどショックだったのか、それを嘘だと思いたいらしい。歴代実務部第一部隊長の中でも極めて人の心がないと言われる男にも、多少は愛されポイントがあるものだ。
「キノシタ隊長のご慧眼の前には、嘘を突き通すなど不可能でしょう」
「無論だ。私を『嘘泣き』で出し抜こうなど、片腹痛いわ」
 機嫌よく背もたれに身を預けたキノシタの表情が、はたと立ち止まる。軽く上げた右手の下に、彼のボールホルダーと、六つのモンスターボールが並んでいる。彼はそれらを見て少し黙した。それから、次は経理課に赴いて特殊捕獲器具メーカーの接待予算を取り付けなければと考えていたウラミへと、おもむろに視線を戻した。
「ところでウラミ」
「はい、なんでしょう」
「どんなに心身共に鍛え上げたポケモンでも、『嘘泣き』の技を目にすると特殊防御力が下がると言われている。なぜだ」
 し。
 頬が引き攣りそうになる。危ない危ない。俺は常にパーフェクトな腰巾着だ。
 ……知らん。ていうか知るか。
「相手が泣いているのを目にすることで起こる不安や罪悪感といった精神的な作用が、特殊防御力に影響するのでは」
「『甘える』が油断を誘うことで攻撃力を大幅に低下させると言われているのと何が違う」 
 知らん。
「タイプ特性が絡んでいるのかも知れません。『甘える』はフェアリー技なのに対し、『嘘泣き』は悪タイプ」
「もっと核心的な話は出来んのか。泣かれる程度のことで攻撃力や防御力を下げられていては困るのだ」
 マジで知らん。俺に言うな。
 これまで誰にも思い至らなかった素晴らしい問題提起に興味津々の風を装いながら、ウラミは面倒になってこう提案した。
「実際に技を見てみれば、何か分かるやもしれません」
 キノシタは頷く。
「なるほどな」
 浮いていた右手が、ボールを一つ手に取って放る。
 キョトン顔のクチートが、巨大凶器を手持ち無沙汰に現れる。
「クチート、ここで『嘘泣き』をしてみよ」
 キノシタが命じる。
 ウラミはうっかり頬が引き攣る。
 クチートは小首を傾げたあと、頷いて、スウッと大きく息を吸い込む。

 ーーああああああああああああん!
 
 クチートは小さい方の口から咆哮した。
 小さな両手で両目を抑え、抑えた手の裏からボロボロと大粒の雫をこぼしながら、床に身を投げて足をバタつかせた。

 びああああああああああああああああ!
 んぎゃあああああああああああああああああ!
 ぴぎいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!

 顎も手足も振り回して、顔を梅干しのように真っ赤にしわくちゃにして涙を流して、駄々っ子のように床をグルグル回転している。

 ぶわああああああああああああああああああああああああ!
 んぶべええええええええええええええええええええええええええ!
 あばああああああああああああああああああああああああああああああ!

 スーパーマーケットでたまに見る。望みの品を買ってもらえず、駄菓子コーナーで泣きわめいている子供。
 クチートの『嘘泣き』を、キノシタとウラミは、並んで黙って見下ろした。……そして彼らの心のうちに誘引された精神作用は、例えば、油断とか不安とか罪悪感、庇護欲とか、そういう愛の部類のものではなくて——なんだろう、己の常識の型の中には到底はめられないものを見たときの、言いようもない、困惑。そして疲労感。
「……もういい、戻れ」
 暴れ狂うクチートがボール内に収容されると、突然戻ってきた静寂に耳の奥がツーンとした。ホルダーにボールを戻し、キノシタは額を擦り、さも深刻げにため息をついた。何かを思い出したらしかった。


とらと ( 2022/03/31(木) 21:31 )