月蝕


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おまけ
人のものをとったらどろぼう!【ハロウィン企画2020】
※トウヤ17歳、グレン20歳(19歳かも……)







「戻れ、ヘルガー!」
 グレンが開閉スイッチを押し込み、上下に割れたボールから赤い光線が伸びてくる。目に眩い光はココウスタジアム赤サイドのライン外からまっすぐフィールド中央へと伸びて――そこに突っ立っている緑色を、赤色で瞬く間に塗り替えた。
「は?」
 心の声をそのまま呈するのは緑サイドに立つトウヤ。
 濃い緑の被り傘が、棘が、それより淡い黄緑の体が、陰に輝く月色の瞳が。あっという間に光の中に飲み込まれて、消えた。ノクタスのハリをひとのみにした光は音も立てずに元来た場所へとんぼ返りして、ぱしゅん、と小気味良い音を立てグレンの手のひらの中に収まる。ボールが蓋を閉じた。沈黙。
「……どうして君がハリのボールを持ってるんだ」
「お? ああ、間違えた」
 大男は質問には答えず、腰に二重に巻いたベルトから別のボールを取り外して、フィールド中央で伸びているヘルガーを今度こそ収納した。
 トウヤは眉根を寄せた。
 それから自分の右腰を見た。
 ベルトにいつもひとつだけくっついている、赤と白のモンスターボール。
「……おい、これ僕のボールじゃないぞ」
「どうして分かる」
「そのくらい分かるさ、握りで分かる」腰からそのボールを取り外して右手に弄んで確信した、そうでなくても見た目で分かるが、明らかに新品のボールだ。ハリのボールは八歳のときに赤ん坊の彼女を収納したときのもので、あれからもう八、九年の付き合いになるが、丹念に手入れしているので動作不良等で入れ替えたことも一度もない。細かな傷こそあるがその分手にはよく馴染んだ。「なんで君が持ってる。返せよ」
 グレンはトウヤが何を言っているのか分からないとでも言いたげに憎たらしいい顏で首を傾げた。仰ぎ見れば、スタンド前方で観戦していたスタジアムの輩たちも、揃いも揃ってニヤニヤしている。
 なんだか分からないが嵌められているらしい。
「こりゃあ俺のボールだぞ?」
「嘘をつけ」
「じゃあどこに俺とお前のボールを入れ替えられるタイミングがあったんだ」
「それは」分からないけれども。
「あーあ、今日は俺の負けだ、だが次は負けんぞ! 俺はヘルガーを回復させんといかんから、このへんで」
「え」
 踵を返し、グレンがすたすたと歩き去ろうとする。待て待て、と追いかけようとすると、グレンの取り巻き(トウヤの知り合いとも言う)が飛び入って、おうトウヤ、次の相手は俺だぞ! と腕を引いてきた。馴れ馴れしく触るな。だが今はココウスタジアム名物の連戦賭けバトルの最中なので、途中棄権するのも惜しい。いやでも手持ちがハリ一匹の自分にハリ無しで一体どう勝てと――
「人のものをとったらどろぼうだぞ!」
 取り巻きに羽交い締めされながらやっと叫んだ。
 グレンは振り向き、嘲るように笑う。
「ハリはお前の所有物じゃないだろ」
 そうして右手のボールの開閉スイッチを押し込む。ぽん、という軽い音と光とともに、グレンの横にハリが再び現れた。
 被り傘の下の月色が、主人であるトウヤを一瞥する。
 一瞥だけして、興味なさげに目を逸らした。そして、そのままグレンの背を追ってフィールドの外へ歩き去っていった。
 ……トウヤは呆然とそれを見送ってから、自分の腰にひっついているボールの開閉スイッチを押して投げてみた。ボールがかぱりと口を開け、かぱりと口を開けたまま間抜けな面をして地面に墜落した。空だった。





 ハリは今朝から拗ねていた。スタジアムに入る前、くだらない小競り合いをしたのである。
 進化したときは、目つきが悪くなったくらいであまり性格が変わらなくて助かったなと思っていたが、このところ小生意気さが目立ってきた――ような、気がする。サボネア時代から若干生意気ではあったが、ノクタスに進化して図体がでかくなった影響で顕在化してきたという感じかもしれない。というか、サボネア時代には、ハリがトウヤを咎めようとしても体格差でトウヤが我を通せていたのが、ノクタス相手にはそうもいかなくなったというのが正しい。……こう書くとわがまま放題するトウヤの世話を焼こうと奮闘するハリといった趣になってしまうが、実際そうだった。そうであるのは認める。だがハリにも誰に似たのか頑固すぎるきらいがある。
 発端はグレンが買ってきた菓子だった。
 イッシュだかガラルだか忘れたが、どこか異国の地の、けばけばしい色をしたポケモン用の焼き菓子だと言う。たくさん貰ったからハリにも食わせてやろうと言うので、トウヤはそれを断ったのだった。見るからに体に悪そうな色をしているし、ハリにはいつも中級の決まったポケモンフードを与えている。生物的な成長にもバトルパフォーマンスにも申し分ない栄養は取らせているし、そこに変なものを混ぜ込むのは嫌だ。怪しいを食わせたくないというのは本心だったし、グレンに施しを受けるのもなんだか癪だったし、彼がその異国の菓子のことを大層自慢げに語るのがまた小癪なのだった。
 ――悪いが余計なものをやらないでくれ。
 頑として断って突き返してから、明らかにハリが機嫌を損ねた。
 どうせすぐ戻ってくる。腹を括って帰宅して待っていたが普通に日が暮れて夜が来た。
 酒場の手伝いにこき使われながら晩飯をつまみ噂の早い酔っ払いにハリに捨てられたと弄り回されクタクタで自室へ戻ってきて、グレンの言葉がふと頭に浮かんだ。ハリはお前の所有物じゃない。でしょうね、と思った。ハリは僕の所有物じゃないし僕もハリの所有物じゃないのだ。だからお前の思う通りになんかならない。トウヤも十分拗ねていた。
 ハリがいなくとも、最近の自室にはかわいい同居人がいる。サボテンだった。小さな丸サボテンは先日花屋の前を通りかかったときに偶然見つけたもので、砂漠地帯と言えど植物のサボテンをあまり見かけることのないものだからついテンションが上がってしまった。連れて帰って自室の日当たりの良い場所に置き、毎日眺めては霧吹きをかけている。植物の育て方に詳しくないので霧吹きをかけるのが正しいのか分からないが、サボテンは乾燥地帯にいる植物なので、毎日毎日水をやるのはおそらく正しくはなかろう。けれど小さな水滴をアクセサリーのように纏っているサボテンはとても嬉しそうに見えるので、ついつい構ってしまっている。トウヤが疲れて戻っても、サボテンはトウヤの期待通りにいつも同じ場所で待っているので、かわいいものだ。これは確かに僕の所有物だとトウヤは思った。思い通りになるので、かわいい。
 水をやろうと霧吹きを取ると空だった。一階へ降りて水を入れる。既に眠っていたヴェルが迷惑げな顏でこちらを見ている。ヴェルもトウヤの所有物ではないのでそうやってトウヤを鬱陶しがるのだった。でも僕にはサボテンがいるんだぞ、と誰にでもなく威嚇をしながら、これからきらきらのアクセサリーになる霧吹き片手に揚々と階段をのぼっていく。
 果たしてサボテンは消えていた。
 す、と頭のスイッチが無意識に切り替わるのを、意識的に認識する。閉めていたはずの窓が開いて冷たい夜風が吹き込んでいる。後ろ手に戸を閉め、何食わぬ顔で室内へ歩み入り、窓のある方向へ、一歩、二歩――右手に動いた見えない気配へ、予備動作なく綺麗に蹴りを飛ばした、
 はずだった。
 掠めもしなかった。右足は完全に空を切り、トウヤは自分の足が空を切っていく様をまるでスローモーションのように捉えていた。スローモーションのように流れていく足の向かうかなり先を謎めいた透明な物体(その場所だけ景色が若干歪んで見えるのでそうだと分かる)が跳ね、それはトウヤが視線を動かすのが追いつかない程度のものすごい速さで、部屋の壁へ飛びついてそれを蹴り、向かいの壁面へ飛ぼうとしてそこにあった本棚へぶち当たり、本へしがみつこうとしているのか何冊もひっちゃかめっちゃに引っぱり出したあと、ベッドの上へ転げ落ちて、慌てて窓辺へ向かおうとした。
 トウヤはそれに掴みかかろうとした。だが手を伸ばした瞬間、見えない何かはテレポーテーションかというほど突如猛烈な加速をして、夜のココウヘ飛び出していってしまった。圧倒的に早かった。
 窓から身を乗り出す。謎の物体は姿は見えなかったが足音は聞こえた、生憎トウヤは耳だけは良かった。慌てた足取りで大通りを北へ向かっていく、ようである。この夜闇では到底追いつけもしないか。とも思いながらも、諸々のことで最初からむしゃくしゃしていたトウヤだったので、気付けば窓の桟に足をかけ、身を返して屋根の縁を掴んでいた。
 一旦屋根に登り、西側の通用路に積んであるビールケースと配管を足場にして降りる、いつもの脱走ルート。二階からまともに家を出ようとすると必ず叔母の寝室の前を通らなければならないからこれが最善策なのである。すっかり夜も更けて閑散としたココウ大通りを北へ走りはじめる。相手の目的が何にしろ、正体が何にしろ、家に侵入されたのだ、おばさんに迷惑をかける前に適当に懲らしめておかなければ。
 右手を右腰に伸ばしたところで気がついた。
 どうやって懲らしめるつもりなのか。
 そもそも。なんだ、あれ。ポケモンか? 夜の街を駆けながら、闇に溶けかける敵影へ目を細める。ポケモンかすら判然としない相手を初手で丸腰で蹴りつけようと試みた自分の頭の悪さには今更ながら恐れ入った。しかしポケモンだとしたら、目には見えない、霊、ゴーストタイプか? ゴーストタイプに相性のいい、例えば悪タイプのまともに戦えるポケモンなんて、ココウにはハリ以外だとグレンの手持ちくらいしかあてがいない。ここからグレンの家へ向かうには……、
 ……。
 ……?
 思考が戦闘モードに完全に切り替わり、体が温まるにつれ冷静に返って、トウヤは走るのをやめた。
 ゆっくり歩きはじめた。
 ゆっくり歩いていると、すぐに謎の物体に追いついた。
 謎の物体が慌てて距離を離そうとすると、更にのろのろと歩いた。するとやはりすぐに追いつけた。
「もしかして、カクレオンか? 珍しい。初めて見たな」見えないけどな、と、いまや横を並んで歩いているポケモンへ――ひいてはどこかでニヤニヤしてるんだろうそれを従えている人間へ、トウヤは皮肉交じりに吐いた。「トリックルームを掛けられたのも初めてだ。感動すら覚えるよ」
「そうだろう? 羨ましいだろ、いいだろ、やらんぞ」
 先の隘路から、例の大男がひょっと顔を出し、予想通りのしたり顔を披露した。
「『トリックルーム』に加えて『トリック』も習得してるんだコイツ、貰ったんだがな、可愛いやつだろ? 俺のバトルスタイルにはなかなか組み込みづらい技だが、面白い使い方がないかと模索してたんだ」
「ボールを『トリック』するのが面白いんだな、君にとっては」
「いちいち鼻に付く言い方をするな。そんなんだから嫌われるんだぞ」
 グレンの背後から、ひょっ、と次は案山子草が顔を見せる。闇夜にらんらんと輝く月の色。やはり若干目つきが悪い。
「何がしたいんだよ、盗人のようなことをして」
「人聞きが悪いなあ。俺はハリの心を代弁してやっただけだ」
 手を出せ、と言われ、さっさと解放されたいので大人しく出したら、小さな包みを乗っけられた。
 今朝の外国の菓子だった。
「トリック・オア・トリート?」
 睨んでいると言っていいほどじっとトウヤを見据えるハリの肩を、ぼんと叩きつつ、グレンが悪い顔で笑う。
 なるほど、そんな時期だったか。
「……した後で言うのはどうなんだ?」
 包みを破き、ハリの虚のように空いた口の真ん中へ放り込んでやる。七つ並んだ落とし穴のような真っ暗な口の形が、もち、もち、もち、と動いた。かわいかった。
「ポケモンがお前の所有物だと思ったら大間違いだぜ」
 日中と同じことを繰り返し、怯えているらしき透明なカクレオンが太ももにしがみついているのを引き剥がして肩に担いで、ガハハと近所迷惑な笑い声を響かせながらグレンは歩き去っていった。なんだ、あいつ。呆れ以外の感情が湧いてこない。息を吐きつつ相棒を見やると、まだ口をもにょもにょとさせながら、半月のようにエッジの効いていた目つきが心なしか丸くなっているような気がする。
「……」
 妙な気まずさがこみあげて、トウヤも若干唇をもにょもにょとさせた。
 夜風が吹き抜ける。人の気も知らない十月が過ぎ去ろうとする夜半。
「……食いたいなら食いたいって言ってくれ」
 言い捨てて、 僕はとんだ甲斐性なしだぞと内心で恥じて、思わずトウヤは背を向けた。背を丸め早足に帰路へつこうとして、あ、と振り向く。
「お前、僕のサボテンは?」
 丸くなりかけていた月の瞳が三日月にまで逆戻りした。
 月というより、最早槍に近いかもしれない。
 ずんずんずん、と寄ってくる迫力に負けてトウヤは思わず身を引いた。トウヤが道を譲ったので、ハリは主人を抜かし、さっさと家へ帰りはじめた。「やれやれ」感が背中から滲み出している。やれやれはこっちだよ、ちっとも思い通りになんてなってくれやしないのだから。まあ、そういうところもかわいいんだけどな、と思いつつ、こんなのの機嫌をとらなきゃなんだからサボテンの世話どころじゃないな、と思って、トウヤもやれやれと帰路に着いた。
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■筆者メッセージ
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とらと ( 2020/10/29(木) 01:45 )