月蝕
1−7
 「ココウ」と呼ばれる貧民の町は、辺りを囲んでいた森が一夜にして死滅したあの日から、砂漠のオアシスと呼ばれるほど旅人に重宝がられるようになった。奇怪な夜の出来事を調査しようとやってくる偉そうな連中もまた、食料や薬を求める旅人達と同様に、人々の財布を潤した。周囲の自然が破滅したことによって皮肉にも活気を取り戻したココウは、路上に捨てられる子供が減ったのも事実であったし、浮かれる人々の心の隙に付け入るように、酒や怪しい薬を売り歩く商人が立ち入るようになったのもまた事実であった。
 町の大きな変貌に一時は戸惑った人々も、どこからかやってきては金を落としていく旅人たちに満たされて、次第に商店街を賑わせるようになった。回復の兆しを見せない森のことなど、とうに忘れてしまっていた。

 その商店街の人ごみの中を、紺色のマフラーで顔の下半分を覆ったトウヤが、コートを頭から被って金色の髪を隠そうとしているミソラの背中を押しながら、早足で歩いていた。
 その肌と目の色だけ取っても浮世離れしているし、長い髪の毛もところかしこからはみ出して揺れているというのに、ミソラは興味深々といった様子でせわしく首を動かすから、その姿は目立って仕方がない。交通の要所と化しているココウにおいても、金髪の人間はよほど珍しいらしく、ミソラを見つけた人々は目を丸くする。それから、その背中を押すトウヤにまでおかしなものを見る目を向ける。トウヤは包帯の巻かれた左手を回して、ミソラの頭を半ば押さえつけながら進みつづけた。ひそひそという噂話がところかしこで展開されたが、それはトウヤには聞こえてもミソラの耳には届かないようだった。
 二人が普通の民家とさして変わらないなりの大衆酒場に逃げ込んだ時には、日は空の天辺まで昇りつめていた。
 ドアに取り付けられたベルががらんがらんと鳴り響いて、奥のカウンターで皿を洗っていた女店主がいらっしゃいと顔を上げ、それからあっと叫んだ。
「おやまあ、あんたその子、外人さんじゃないの! 一体どこから連れて来たって言うんだい、え」
「好んで外の子供なんか連れたりしません」
 見回すと、真っ昼間のがらんどうの酒場には、熊のような狸のような背中をしたポケモンが一匹だけ、人間用の席を二つ分陣取ってカウンターに突っ伏している。トウヤはマフラーを外して、眠っているポケモンのでっぷりとした横腹をわしわしと撫でた。
「ただいま、ヴェル」
 『ヴェル』と呼ばれたそのビーダルは薄目を開けてトウヤを見やると、またすぐに顔を伏せ、イスから垂れ下がった太い尻尾をめんどくさそうに揺らした。
 おやおや、まあ、と繰り返しながらカウンターから女店主が飛び出してくる間に、ミソラはトウヤの許しを得てからコートを脱いで頭を振った。大きく踊った金髪は、ハガネールの件で埃にまみれて汚れている。女店主は二人を交互に見やり、様々な感嘆符を並べながら金色の頭をはたいた。
「ミソラといいます。草原の外で野良に襲われているのを拾いました」
「拾ったって、ミソラちゃん、あんた親は」
「どうも記憶がないらしくて」
「記憶がないだって?」
 トウヤの返答に女店主はいぶかしがって、ミソラの青く透き通った瞳を覗き込んだ。ミソラは怯えるでも、会釈をするでもなく、どこか獣のような獰猛さを秘めた瞳で睨み返すように彼女を見て、
「私は男です」
 そうとだけ返した。
「あらまあ、そうなの」
「そういうわけで、預かり手が……いや、しばらく僕の部屋に置いていても構いませんか」
 トウヤは言いながら、落ち着きなくあちこちへと視線を向けるミソラの顔をちらと窺った。女店主はトウヤの言葉に少し驚いた様子だったが、すぐにえぇと頷いた。
「それは構わないけれど」
 その時、ドアが開け放たれる音、続いて踊り狂うベルの音が店内に響き渡り、遅れて高らかな子供の声が飛び込んだ。
「美人でスリムで優しくて世界一――」
 店のドアを勢いよく引いて飛び込もうとした小汚い格好の少年は、長い金髪を揺らしながら強ばった顔で振り向いたミソラを見て、あんぐりと口を開けたまま恍惚とした顔で固まった。それから、その後ろで怪訝とした顔を浮かべている男を見るなり、げっと言って逃げ帰ってしまった。
 その少年と立ち代わりに、これまた小汚い作業着の男が二人入ってきて、一瞬の出来事に呆然としている彼らを見、おっ、と声を上げた。
「トウヤじゃないか、なんだいその人形みたいなお嬢ちゃんは」
「男です!」
 それがポケモンならば牙でも向いているかのような表情で怒ったミソラを制して、トウヤは彼らに肩を竦めて見せた。それからミソラを引っ張って、そそくさと二階へ上がってしまった。


とらと ( 2011/05/28(土) 22:45 )