月蝕
1−6
「ポケモントレーナーというのは、単にポケモンを飼っている者の総称である場合と、それを捕まえ育成し戦わせることを職業とする者のことだけを表す場合と、二種類ある」
「お師匠様は後者ですか」
「僕のバトルで金なんか稼げない。だから違う」
 足元で鳴ったジャリ、という音に、二人の後ろをついて歩いていたガバイトのハヤテはふと足を止めた。視線を下げると、そこには白い岩しかない。ごつごつとした岩肌に含まれる無数の粒子が、日光によってきらきらと輝くのは、どこか金属の光沢を思わせる。
 注がれた声に顔を上げると、岩の幾重にも折り重なるのを登っていくトウヤとミソラが、立ち止まったハヤテを見下ろしていた。
「何をしてるんだ。早く行くぞ」
 ギャッと一声返事をして岩を駆け上がりながら感じた違和感に、ハヤテはもう一度元いた場所を振り向いた。そしてそこに、眼下の眩しい照り返しの中、小石の影がいくつか転がり落ちるのを見た。
 ハヤテは首を傾げはしたが、どんどんと遠のいていく主ともう一人の背中に、自分が蹴り落としたんだろうと適当に結論付けて、さっさと主を追いかけはじめた。
 太陽が真上まで登りつめても、やはり気候は穏やかで、かく汗も不快とまでは感じない。山のような岩々の頂上から臨むと、目指す町はさほど遠くではなかった。ただミソラが驚いたのは、あの場所からは一面の岩石砂漠の中に溶け込んでいるようにしか見えなかった茶色の町並みが、ここからは若緑色の水溜りに浮かぶ枯葉のようにしか見えないのである。
「町の近くは、植物がなくならなかったんですね」
「ああ。妙な光景だろう」
「はい、えっと……あの町が、お師匠様の故郷ですか」
「故郷とは違うな。でも似ている」
 降りよう、と一歩足を踏み出したところで、今度はトウヤが足を止めた。
「……ん?」
 白い眼下を、いくつかの小石が我先にと駆け下りていく。
 そして地面が揺れた。驚いて足を引いたトウヤは、視界の右端で何かが動き出すのを見た。
 今まで歩いて来、この足場まで続いてきた岩山が、次々と軋み隆起し弾き上がり、絡まった糸が手繰り寄せられるように連なって、重力に逆らった方向へ飛んでいく。
 トウヤは目を見開くことしか、ミソラは短く悲鳴を上げることしか叶わなかった。足元が躍動した。二人と一匹は地面から突かれるように吹き飛ばされた。かすかに光沢のある小石が自由落下する全身をとめどなく叩いた。轟音と、立ち上がる岩のつながりと崩れ落ちる瓦礫の中で、十数メートル下の地表へと一瞬目を向けたトウヤは、自分の右腕を掴んだ青い腕に咄嗟に叫んだ。
「ミソラを!」
 返事は地鳴りにかき消されて聞こえなかった。気配を消したハヤテと、一瞬前に背中だけ目に留めたミソラがどうなったのかなど知る由もなかったが、トウヤは腰の三つ並んだボールの三つ目を掴んで即座に開放した。
「メグミ、飛べ!」
 その瞬間、軋むような衝撃が彼を襲った。暴走する飛行艇に振り回されるような眩暈を感じながら、トウヤの体は粉塵と瓦礫の雪崩の中をぬって、太陽の方へと直進していった。


「――凄い! 素晴らしい擬態能力だ。いい土産話ができた」
 昨日よりもずっと高揚したトウヤの声が天から降り注ぐのを、先ほど死にかけた場所を振り仰ぎながらミソラは聞いていた。
「僕たちは、巨大なハガネールがとぐろを巻いている上を歩いていたんだな」
 視界の先には、ハヤテがけん制で仕掛けた『竜の怒り』の数十倍はありそうな極太の光線を空に打ち上げた特大のハガネールが、再び眠りにつくためにぐるぐると蛇体を巻きはじめている。
 体を前傾させて、ハヤテは風のように走りつづける。それに跨っているミソラは前を向き直して、その直後突入した褪せた色合いの草原に思わず目を丸くした。もう一度振り返ると、白い岩盤だけの砂漠はどんどんと遠ざかっていく。ぶらつかせていた足に葉先が当たりはじめてくすぐったさを感じながら、ミソラは波のように流れていくそれらに目をやった。先ほどまでの景色とは打って変わって、そこは「枯野」と呼ぶに相応しい場所になっていた。
 上空には「メグミ」と呼ばれたポケモンが飛んでいて、鳥の形の影を物寂しい色の草原に落としている。オニドリルの翼の力強い羽ばたきの音は、地表までもゆうに到達していた。トウヤはそれに乗っているようだった。
「突然景色が変わって、驚いただろう! じきに枯草が緑に変わる。そしたら町はもうすぐだ!」
 若干遠くからの半ば叫ぶような彼の声を聞いて、ミソラはぶれつづける視界の向こうを見据えた。
 地上から臨む町の影は、昨日よりも先程よりも色濃く、しかし今度は枯野の中に佇んでいるようにしか見えなかった。


とらと ( 2011/05/28(土) 22:42 )