2−3
初夏の爽風に揺れる草原に立つとき、これが一面、足元で美しく花を咲かせる植物だったらどんなにか良かっただろう、とトウヤはいつも考える。
このあたりは大概がイネ科の草本で、夏の終盤から秋にかけて一面黄金の花穂(かすい)が悠然と波打つ姿は、それはそれでなかなか見事だ。幼い頃、グレンに連れられて眺めた黄昏時のススキ野原がどれほど心を震わせたか、筆舌には尽くしがたい。ただそれも幼い頃の話で、その折草原と言えば人間が切り倒して開けてしまった森の一部を指す言葉だったから良かったけれど、こう海のように町を取り囲んでしまうとなれば、少なくとも彼の中では話は別だった。
ひとたび風が吹けば、白い毛を生やした種子が羽虫のように飛び交って(それも遠巻きに見れば綺麗なのだろうが)空を覆い尽くすのは、もう鼻腔をくすぐるどころではない。茎だけでも十分な背丈を誇るそれらは夏にもなればハリの頭まで隠してしまうし、鉤状の縁を持つ硬い葉は人肌くらいなら容赦なく爪を立ててくる。旅商人が馬車で蹴り倒して道を作ってくれるとは言え、それらが枯れ伏せる冬の入りまで、ココウから外へ出ていくのは、春のように容易ではなくなる。
もしこれが、背丈の低い草花だったら。夏の盛りでも歩くのに不便はないだろうし、年に一回鬱陶しいイネ科花粉が飛び散ってうんと憂鬱になることも、体じゅう綿毛まみれになることもない。何より野良ポケモンが草陰に身を隠してこちらに接近することができなくなる。多少腕の立つ野良がいても、不意さえつかれることがなければ、旅路はもっと安全だ――景観など完全に度外視でお花畑になったそこを想像して、トウヤはなんとなく溜め息をついた。
跨るガバイトのハヤテが、くんくんと鼻を効かせている。障害物がないことを確認してから、滑るようにその背中から草原へ下りた。
まだ若く柔らかい葉先が、せわしなく足をくすぐっている。昼間の日差しを右手で遮り、目を細めて見渡しながら、これさえなければあいつを探すのももっと簡単だろうに、とトウヤは考えていた。
あの悲愴な爆心で、花を植えます、と言った子供の、白い横顔が蘇る。
全く、自分とは別の意図で。そのあまりに違った方向性に、思わず失笑が漏れた。ミソラは一体、どんなトレーナーに成長していくのだろうか。自分のことを、お師匠様、などと煽る、あの子供が。――保護者という言葉、あながち間違ってないな、と心の中で毒づいてから、それを一人慌てて撤回した。
さて、臨む景色の中に、動く人間の姿はない。先日のピジョンの時もそうだったが、あの目立った頭ならば、少しくらい離れていても反射で気付けるはずだった。思ったよりも遠くまで行ってしまっているのか、追う方角を間違えたか。それに、北に向かったというだけで、外に出ているとも限らない。
「……杞憂だったか」
言い聞かせるように呟いたその時、くん、とハヤテが頭をはね上げた。
音も、何かの動く影もない。しかしハヤテは興奮したように何度も鼻を鳴らしながら、じっと一点を見つめていた。風の吹いてくる方角だった。獣のそれには劣るけれど、ハヤテも自然に生きる竜のなりだから、人間よりは鼻が利く。
やがて落ち着かないように体を揺すりだしたハヤテにトウヤはもう一度跨って、首元を軽く叩いた。
「行ってもいいぞ」
その声に威勢よく一鳴きすると、ガバイトは風のように駆け出した。
*
『吹き飛ばし』の旋風が長いススキの上を駆け抜けスピアーの群れを薙ぎ払った。
来い、とタケヒロが右腕を振るった。後方に眼光を放っていたポッポたちが翼を煽り、先を行く主を追い始める。嵐のような無数の羽音が遠のくのはほんの一瞬、逃がさないと言わんばかりに、それらはすぐさま聴神経を席巻する。諦めの悪い虫野郎め、とタケヒロは舌打ちしながら振り返った。
草本の海原を滑るポッポたちの後ろに、やかましく翅を震わせてスピアーの大群が近づいてくる。先程追い払った二匹が呼んだ仲間の兵、黒々と視界を埋める巨大蜂の匹数は一目では到底掴み切れない。
群れる連中は嫌いだ。それは少年の正義に反する。無勢に多勢で挑もうとする輩は、もっともっと嫌いだった。
斜めに掛けた土色の鞄をぽんぽんと揺らし、息を弾ませているミソラの二の腕を、タケヒロは何も言わずに掴み取った。ミソラは彼より足が遅い、それに荷物も抱えている。腕の中のニドランを取り上げてしまえば事は今より上手く進むだろうが、友人のこの感じを見れば、それを譲ってくれそうにないことはタケヒロにも汲み取れた。
ぐんぐんスピードを上げるタケヒロに半ば引きずられながら、ミソラも草原を駆け続ける。
ポッポがまた警戒音を立てた。吹き飛ばし、と叫ぶ声に、ぎゅんと二羽が旋回し、小さな翼を鞭打った。背後まで迫っていたスピアーが矛ごとぐるぐる回りながら草原へ落ちた、その一匹をかいくぐり別のスピアーが現れる。それが再び『吹き飛ばし』に薙ぎ払われる。閃くような一瞬の応酬が何度も何度も繰り返された。
畳み掛け、いくら風圧を放っても、次々と敵影が踊りかかる。
キリがねぇ、と本音が漏れた。スピアーだけではない。目指すココウの町並も、望むほど早くは近づいてくれない。
半ば倒れ込みそうになりながら走り続けている隣の友人へと顔を向け――背中から空気を刻むような悲鳴が聞こえて、タケヒロはぞっとして振り返った。
赤い複眼を光らせたスピアーが両腕の毒針を振りかざし、小鳥の胸に容赦なくそれを叩き込んだ。
「ツー!」
『ダブルニードル』の猛攻を受けてポッポの一羽が草原の方へと落ちていく。それに追撃を仕掛けようとするスピアーの幾匹を、もう一羽が必死に翼を振るって追い散らす。その背後を取った毒蜂が、素早く尻の凶器を向けた。
「イズッ上ぇ飛べ!」
主の言葉に従者は冷静だった。すっと高度を上げたポッポの真下をぎゅんと毒針が通過した。別のスピアーが狙いを定めていた草原からもう一羽が飛び出し、イズと呼ばれた一羽の背後へつける。お互いの背中をかばい合おうように、二羽は一斉に両翼を打った。
「いいぞ、そのまま離れるな」
タケヒロの声は高揚している。ポケモン同士戦わせるやり方を、彼は殆んど知らない。そんなふうに具体的な指示を出すのは、もしかすると初めてなのかもしれなかった。
戦況から目を離さないまま、震える足を二三歩引いた。ミソラは俯き気味にニドランを庇いながら、ぜぇぜぇと肩で息をしている。逃げ切れる状況にないのは、誰の目にも明らかだった。
覚悟を固めるように、己を奮い立たせるように、タケヒロはぐっと拳を握った。
「ミソラ」
「う、うん」
「俺が、こいつらをここで引きとめるから……お前、そいつ連れて、先に逃げろ」
息を詰めたミソラが、不安そうにタケヒロを見た。タケヒロは頷いて返した。
「でも」
「このままじゃ埒があかない」
「そしたらタケヒロが」
「俺にはツーとイズがいる。絶対大丈夫だから」
鼓舞するように、すっとタケヒロが息を吸う。
「早くしろ! そいつ助けたいんだろ!」
ミソラは唇を噛んだ。
未練がましくスピアーの一群を睨みつけ、背を向けミソラは走り出した。数匹がそれの背中を追わんとした。行かせねぇ、と言うように、タケヒロは大きく両手を広げた。
世界を塗り潰す低い羽音が、渦のように一人と二羽とを飲み込んでいく。
それからどれほど経っただろうか。
何かに足を引っ掛けて、ミソラは顔から派手に転倒した。
盛大に打ち付けた額をさすりながら、ごめんね、と片腕に抱きしめたポケモンへと語りかける。傷を負い、毒まで食らった片耳のニドランは、震えながらもうっすら目を開いて、大丈夫、と言うように応えてくれた。安堵の息が漏れた。肘に血が滲んでいたが、ちっとも気にはならなかった。
前方に浮かぶ町の姿が、随分はっきり見えてきた。まっすぐ行けばそれほど時間もかかるまい。商店街の南部に位置するハギの酒場までは距離がある。しかし、ココウの北端、商店街を抜けたあたりには、農村集落が点々とあって、そこなら薬が手に入るだろう。トウヤに連れられて行ったスタジアムも町の北寄りにあって、タケヒロを助けられるトレーナーもいるはずだ。とにかく町に着けば、なんとかなる。行かなくちゃ、と一歩踏み出したことで、ミソラはふいに思い当たった。
今、何に足を引っ掛けた?
――ろくに悲鳴も上げられず地面を蹴りとばした。シャーッという音が耳に刺さった。明らかに何かの威嚇音だ。ついでに、がさがさと草をかき分ける音も。
振り返る余裕なんてなく、ミソラは力無く身を預けるニドランをぎゅうっと抱きかかえ、全速力で逃げ続けた。
威嚇音はすぐに牙を剥くことはなく、かといって撒いているようでもなかった。足の速さは拮抗している。一瞬も力を抜いてはいけない、追いつかれればあっという間に喰われてしまう。自分に言い聞かせるそんな脅しの言葉は、非情にもおよそ当たっていた――身を躍らせて草原を駆ける腹をすかせたハブネークは、人間の子供くらいなら丸のみにできる大顎を持っている。
リンリンと鳴り続ける鈴の音が、うっとおしいほど高く響いた。
腰にかかるほどの草の群落は足元を完全に覆い隠し、いつ何に躓いてもおかしくない。そうすれば一巻の終わりだ。近づいてきたとはいえまだまだ遠いココウの町まで、自分の体力が持つとも到底思えなかった。どこかで何とかしなければ。焦る気持ちの中で目に着いたのは、ススキの海に小島のように浮かんでいる、黄土色の大岩だった。
気合いを入れる意味で、ウワアアァッ、と叫びながら、その岩肌に喰いかかった。結構な急斜面を両手も使わずどうやったのか分からないまま駆けのぼり、岩の上から振り返った。
己の体躯くらいはありそうな太い胴の、毒々しい色彩の蛇が、牙を剥きながら這ってくる。
ぞっと背中を逆なでされた。夢中で振り向き飛び降りた。長い金髪が踊ってぎらっと日差しを反射した。
降り立ってミソラは、来た方向へと体を捻った。岩の右手面に、身を隠せそうな深い窪みを見つけたのだ。どうなってしまうか分からない。けれど、今の跳躍で、酷使してきた両脚がもう使い物にならないことを感じ取ってしまっていた。
窪みの奥へ体を滑り込ませ、荒い息の漏れる口を咄嗟に片手で塞いだ。もう片腕でニドランを強く抱きしめた。頭上を登りきったらしいハブネークが、どさっ、と草原へ着地する音が聞こえる。周囲を詮索する、草の擦れ合う音も。
……ハブネークは、鼻が利くのだろうか……見つかるな、と祈りつつ、そんな思いが頭をよぎる視界の中、光の溢れる入り口の方に、黒い影が入り込んだ。半月の瞳がこちらを見た。ニタ、と笑うように、大きな牙が光を帯びた。
思わずミソラは悲鳴を上げたが――そんな声をいとも簡単にかき消す轟音と光線が、ハブネークの体を狭い視界から吹っ飛ばした。
吹き込んできた衝撃波が、ばさばさと金髪を撫ぜつけた。
何が起こったのか、全く理解が追いつかなかった。あんぐり口を開けたままニドランを抱えているミソラの前で、もう一度オレンジ色の光線が通り過ぎて、誰かの――おそらくはあの蛇の、奇声が響いてきた。草原を押しつぶすように青い影がのしのしと通り過ぎていった。いくつか鳴き声の応酬があって、すぐに静かになった。
嘘のように、静かになった。……もの凄く久々に、いつも通りの時間が流れた気がした。
同時に、どこかに行っていた様々な感覚が、ミソラの中に元のように染み込んでいった。
膝が震えだす。疲労と恐怖と二重の意味で。詰めていた喉が解放されて激しい呼吸が再開した。ニドランのか細い息の音。ぎゅうぎゅうと腕のポケモンを抱きしめると、背中の棘が当たって痛い。そんなことにさえ気付かなかった。締めつけ続けていた腕の所々に、棘の押しつけた跡が残っていた。
少し遠い所で、二つの声が交わし合って、ざくざくとこちらに近づいてくる。ミソラの足元を照らす日光を遮るように、誰かが顔を覗かせた。
目を合わせ、呆れるように息をついた、その男の顔を見て――大きな空色の瞳から、堰を切って涙が溢れはじめた。
ニドランがふいに瞼を上げ、その口元に落ちてきた水滴を、舌を回して舐め取った。そのポケモンをがたがた震える腕でこれでもかと言うほど抱きしめた。次々零れ落ちる感情が分からなくて止まらなかった。言わなければいけないことが、たくさんたくさんあるはずなのに、再びつっかえ始めた喉はその言葉を音にはできず、その手前をぐるぐる回って心の中を掻き乱した。
「お前は、どうして」
大岩の窪みを屈んで覗きこみながら、口をつこうとした嫌味をトウヤはひとまず引っ込めた。
泣きじゃくっている子供に向かって最初に掛けるべきは、そんな言葉ではない――後ろを追ってきたガバイトの鼻息が、そう咎めるように後頭部をくすぐっている。ハヤテはミソラがお気に入りだ。爆心から町へ戻る道すがら、ミソラが小竜を完全に手懐けているのを見て、トウヤはその子に感銘さえ覚えた。元から好奇心が強く人懐こい気質とはいえ、ハヤテも扱いにくいと言われる竜タイプのポケモンである。会って間もない、しかも非力な人の子に急に背中に飛び乗られたり、餌を持った手を鼻先にぶらつかされたりすれば、驚いた拍子に腕の一本くらい食いちぎってもなんら不思議はなかった。
それを教えてやった時のミソラの驚いた様子と、その後ろでハヤテが「そんなことするわけないのに」とでも言いたげに首を傾げたあの顔は、強く脳裏に焼き付いている。
恐れを知らない子供だから、というだけではなく、もしかすると、ポケモンを懐かせる才能を持ち合わせているのかもしれない――細い腕にぐったり身を預けるポケモンの姿を見て、トウヤはそんな了見を確信へ傾けつつあった。
「……大丈夫か」
しばらく考えた末に放たれたありきたりな問いかけに、ミソラは嗚咽を漏らしながら頷いた。
差し出した右手を、ミソラは何のためらいもなしに掴み取った。小さく柔らかい掌が、熱く汗ばんでわなないている。岩影から引きずり出されると、ミソラは泣きっ面のまま、抱えたニドランを男の方へと持ち上げた。
押しつけられるように受け取った子兎の様子を確認して、トウヤは静かに顔色を変えた。
浅い呼吸を繰り返すメスのニドラン。病気にやられて委縮した葉のように変形した左の耳。随所に刻まれた傷跡と黒く固まった血液、そしてへばりつく濃い紫色の粘性の液。
スピアーか、と問うと、ミソラは何度も頷いた。
「どうしてもこの子が助けたくて、タケヒロは、私を先に行かせるために……ッ」
しゃくり上げる子供の前で、トウヤは目の前のそれに完全に思考を奪われていた。
それが毒液かどうかというのは、何度もスピアーに遭遇したことのある彼ならば一目で判別できることだ。付着しているのは、あの毒針から放たれたもので間違いない。明らかにおかしいのはその、ニドランの陥っている状態異常の方だった。
指先を額に触れる。通常ではありえない高熱が伝わってくる。酷く汗ばんだニドランが僅かに開く目の色は、恐ろしいほど濁っていた。
「……おかしいな」
「このポケモン、多分毒を……」
そう言うミソラに対して、トウヤは首を振った。
「毒タイプのポケモンは、大抵の自然毒を代謝する機構を体の中に持っている。並の毒など効かないんだ。ニドランは毒タイプだ、野良のスピアーの毒なんかで、こんなことにはならない」
「……それは……では、なぜ?」
不安そうなミソラの声に、トウヤは、分からないとは返さなかった。
ニドランに向けられる男の瞳は、みるみるうちに冷たい光を帯びていった。苦しそうに呻くニドランの様態は思わしくない。本当に毒を食らっているのであれば、ハヤテの足で今から町に戻っても、間に合うかどうか分からなかった。
しかし、持ち合わせる飛行タイプは、絶対にミソラの言う事は聞かない。だからといって、スピアーとやり合っているらしい知り合いの子を放って置くわけにもいかない。
トウヤはポケットへ手を突っ込んで、触れたものを取り出した。
褐色の小瓶。それはついさっき、詫びの印だ、と言われて、グレンに手渡されたものだった。
得体は知れないが、急に町を出てきたから、ニドランを立て直せそうなものはこれしか持ってきていない。ミソラが見つめる中で、トウヤはニドランの口を開け、そこに瓶の液体を流し込んだ。狭い口内から大部分が流れ落ちたが、僅かに喉元が揺れ動いた。それがなんとかしてくれると信じるしかない。
「ボールは持ってるか?」
「はい!」
「入れてやりなさい。連れるのも楽になるが、毒を食らってるときポケモンはボールに入っている方が安静に過ごせる」
パートナーを見つけるためにこの草原にやってきたのだという当の目的のことはすっかり忘れ去っていて、そうすることにミソラはもう、ひとつの躊躇いも持たなかった。
鞄の内ポケットに大事にしまっていたモンスターボールを取り出した。トレーナーの指南書にあった通りに開閉スイッチを薄青の体に押しつけると、ニドランの傷ついた体はあっという間に光に呑まれ、ミソラの手中へと収まっていった。
抵抗はなかった。ぴくりとも揺れなかった。そこで、あまりにもあっさりと呆気なく、ニドランの野良は終焉した。質量は完全に消失し、手のひら大のボールの中に、光となって収まってしまった。……その不思議な感覚も、ポケモントレーナーになった実感も、焦りばかりに押しつぶされて、どこにも沸いてこなかった。
ボールから視線を上げたミソラと向き合うと、やや険しかった表情から一変、トウヤはふいに、呆れたように頬笑みを浮かべた。
「……顔を拭いなさい」
言われて、え、としばらくぽかんとしてから――はっとして、みるみる頬を紅潮させて、ミソラは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を袖でごしごしと擦った。
タケヒロのこと、ニドランのこと、そして助けられた自分のことを思った。
ぴかぴかのモンスターボールを、ぎゅっと握りしめる。せめぎ合う渦が収まり一つの流れとなるように、ばらばらに散らばっていた思いの行く先が、順に前を向き直していった。熱くとも冷静になれた。表情を締めて顔を上げると、トウヤもひとつ頷いて返した。
「いいかい、ミソラ」
ハヤテが瞬きしながら見守る中、トウヤは腰のトレーナーベルトから二つ目のモンスターボールを取り外すと、それをミソラに握らせた。
「もし何かと出くわしても、戦おうと思わなくていい。撒くことだけ考えるんだ。……僕はタケヒロを探しに行くから、先に町まで戻りなさい。一人で心配だろうが、ハヤテに乗れば、すぐだ」
「はい。タケヒロをお願いします」
二つのモンスターボールを鞄にしまって、すっかり慣れた動作でハヤテの背中に飛び乗った。鞄を手前に回し、すがりつくように首に捕まる。フーフーと息を荒げて前傾していたハヤテが、ぐいっと体を上げる。それを宥めるように、あるいは駆り立てるようにぱんぱんと体側を叩いて、トウヤはミソラと目を合わせた。
「町の北の、女の子の家に着いたら、僕の連れだと言ってそいつを見せるんだ。ハヤテ、レンジャーの所まで。いいね?」
ギャッと声を上げると、ハヤテはすぐに走り出した。
ミソラはしばらく振り返っていた。不安が全くない訳ではなかったが、こちらを眺めていたトウヤが視線を外し、ボールを手に取り放るのを見て、それを払拭することができた。また一人だ。しかし、どうしても、一人で行かなければならない。
響き始めたオニドリルの羽ばたきが、惜しむ間もなく遠ざかっていく。