狂気⇔正気
第一章;旅立ち
相棒との出会い
月光以外の灯りが無い薄暗い部屋。そこに漂う鼻に衝くカビや埃、薬品の匂い。
至る所から聞こえる悲鳴や罵声の声と壁を殴る音。
爪の引っ掻き痕と血で汚れた白い壁に、力なく寄りかかって座っている人達。

ここはどこだ・・・。
“私”は何故ここにいる?
“私”って誰だ?

鉄格子を挟んだ向かい側の部屋にいる白い人は台に上がり、天井から吊るされている紐を首にかけている。
それを、ぼーっと眺めていると、ぎぃっと扉の開く音がした。
視線だけそちらに向けると、白衣を着た数人の大人とアイツがいた。

アイツの手には、注射器が握られている。

アイツは近づいて来て、壁に寄り掛かって座っている私の顔を覗き込んだ。
斜視気味で焦点の合ってない目を見開いて、歯垢がベッタリ付いた歯をむき出しにしてニタニタと笑っている。
本当に汚らしくて気持ちが悪い。
アイツは、強引に私の腕を掴み、手に持っている注射器の針を静脈に突き刺した。
血管に無理矢理液体を流し込まれる異物感に痛みと吐き気を催しながら、掠れて出なくなった声で『死ね。』と何度も呟いた。



いつから眠っていたのだろうか。
閉鎖された空間では感じることのない風が、優しく肌を撫でる。
どうやらここは外のようだ。
月明かりに照らされた森の中で、木に寄りかかって座っていた。

先ほどのあれは何だったのだろう。
辺りを見回すが、鉄格子で区切られた部屋も、白衣を着た大人達も、アイツも、全て消えていた。

ゆっくりと立ち上がり、尻についた砂埃を払いながら、何故ここに居るのか記憶を遡るが全く思い出せない。
仕方がないので、とりあえず移動をしてみることにした。

耳を澄ますが、声や人工的な音は一切聞こえない。
目を閉じて鼻から酸素を吸い込み。口から吐き出す。
何度もそれを繰り返し、ゆっくりと目を開けた。
なんて美味しい空気なんだ。こんなに綺麗な空気を吸ったのは、産まれて初めてかもしれない。

「・・・・行こう。」

土の乾いた感触を素足で感じながら、森の外を目指して歩き始めた。





暫く歩いていると、灯りが点いている木造の建物を見つけた。
そこに近づくにつれ、今までに嗅いだ事のない良い匂いが漂って来る。

「・・・おなか、すいた・・・。」

窓から建物の中の様子を窺うと、テーブルに置かれた沢山の美味しそうな料理を、二人の大人と、小さな男の子が一緒に食べていた。
男の子が、ちょうどフォークに刺したチキンを口に運ぼうとした時、玄関の扉をノックする音が聞こえた。
何だと思って玄関を覗きこんでみると、黒いローブを羽織った二人組が扉の前に立っていた。
顔はここからでは良く見えないが、背丈からして子供のようだ。

玄関の扉が開き、中にいた男が顔を出した瞬間、ローブを羽織っている二人の内一人が手から赤黒い光線を放ち、建物を貫通して森の奥に消えて行った。

突然の事に頭で考えるよりも先に、反射的に近くに置いてあった木樽の陰に隠れた。
家の中から助けを求める声や悲鳴が聞こえたが、両手で耳を塞いでそれを遮断する。
すると、頭上の窓ガラスがバリンと割れ、中から血見どろの女の死体が飛び出てきた。
首があらぬ方向に曲がり、体はうつ伏せになっているのに顔が空を向いている。
そして、ぶちりと首が千切れて、千切れた頭がこちらを向いた。
一瞬その目と目が合い、悲鳴を上げそうになる口を両手で押さえつけ、恐怖でガタガタと震える体を縮こませながら必死に気配を消した。

暫くすると何も聞こえなくなったので、警戒しながら窓から中を覗き込むと、そこは先ほどの雰囲気とは一変し、床や壁に血が飛び散り、料理もぐちゃぐちゃになって、見るも無残な状態になっていた。

部屋の中にいるローブを羽織った二人組は部屋をきょろきょろと見回し、何事も無かったかのように玄関から出て行った。

それを見計らい、割れた窓から中に入って、倒れている少年のもとに駆け寄って抱き起したが、もう手遅れのようだった。
先ほどチキンに突き刺していたフォークが、首に深々と突き刺さっている。

「・・・・助けにいけなくてごめんね。」

そう呟いて、先ほどのローブの二人組が戻ってくるかもしれないので、急いでその場から立ち去った。




無我夢中に森の中を走り続けていると、背後で何か地面に落ちた音がした。
立ち止まって振り返ると、そこには青い体毛の小動物が倒れていた。
近寄ってみるが、何の反応も示さない。
もしかして死んでいるのだろうか、そう思って手を伸ばして頬に触れた瞬間、パチッと瞼が開き、赤い二つの目が私を見た。

「に、人間!」

怯えた様な声を上げて急いで起き上ろうとするが、すぐに蹲ってしまった。
どうやら落ちた衝撃で体を痛めてしまったのだろう。
とりあえず落ち着かせようと声をかけながら、手を差し伸べた。


「落ち着いて。何もしないから。」
「うるさい!触るな、人間め!」

声を荒げて精一杯威嚇をしている。
余程怖い目に遭ったのだろう、体が震えている。

「大丈夫、私は本当に何もしない。ただ、あなたが心配なだけなの。」
「し、心配だと!?お前達人間のせいで森が、森が!」
「森がどうかしたの?」

私が首を傾げると、驚いた様に目を見開いた。

「・・・・お前、俺の言っている事がわかるのか・・・?!」
「え、えぇ。それがどうしたの?悪いけど、私にはゆっくりしている時間はないの。だからお願い、一緒にここから離れましょう。ここは危険なの。」
「お前達人間と行動する方がよっぽど危険だ!」


そう言ってギロリと睨んで来るので、どうやって此処から離れるよう説得できるかと考えていると、その子の背後の少し離れた所に見覚えのある黒いローブの二人組が見えた。
私はやばいと思い、その子の手を掴んで走り出した。

「な、離せ!離せぇ!」
「いいから!今は黙って大人しくしてて!」

私達の声に気付いたようで、背後から足音が聞こえる。
どうやら追ってきているようだ。
恐怖と焦りで目に涙が浮かんで視界が歪む。
しかし、こういう時にお約束というか、何というか。
木の根元の出っ張りに足が引っかかって、私は勢いよく倒れた。
急いで立ち上がろうにも、擦り剥いた膝と捻った足首に痛みが走って動けない。
仕方がなく、私は抱えていた子の手を離した。

「・・・あいつらは人殺しなの!危ないから早く逃げて!」

必死にそう言う私の様子を見て、ただ事では無いと判断したのだろう。
私を横抱きに抱えて、走り出した。
所謂お姫様だっこというやつだ。

「ちょっ!ちょっと!」
「とりあえず今はお前の事を信用してやる、いいから俺に任せてろ!」

そう言って、先ほどまで傷だらけで立てなかったとは思えないほどに俊敏な動きで森の中を駆けて行く。
こんな小さな体のどこにそんな力があるのだろうか。

「ご、ごめんね。怪我してるのに・・・。」
「俺は大丈夫だ。それよりあいつら何なんだ!?」
「・・・さっきあいつらが人を殺しているのを見たの。とにかく逃げないと私達もやられちゃう。」

私がそう言うと、マジかよと呟いて苦笑いを浮かべた。

「じゃあ急がないとな、とにかく森を抜ける。スピード上げるから目と口閉じてろ。」

言われた通りに目と口を閉じると、体に感じる風圧が強まっていき息苦しくなっていく。
暫くすると、ぜぇぜぇと息を切らしながら、もう良いぞと声がした。
ゆっくり目を開けてみると、そこは断崖絶壁の崖だった。

「・・・・・・は?」
「・・・すまん、俺、方向音痴だったわ。」

そう言って、冷や汗を流しながら気まずそうに口元を引き攣らせている。
マジかこいつ。

「どうすんの!?逃げらんないじゃん!」
「仕方ないだろ!気が付いたら崖だったんだから!」
「何でだよ!何で気付かないんだよ!」
「うるせぇ!」

ぎゃあぎゃあと言い争っていると茂みの揺れる音がした。
ゆっくり音がした方を向くと、黒いローブの二人組が立っていた。

「あ、これ無理だわ。死ぬわ。」
「おいおいまだ諦めんなよ、後ろにまだ逃げ道あんだろうが。」
「あんな崖落ちたらどの道死ぬわ!ボケ!」


「やぁやぁ、お二人共仲がよろしいようで。」

若干笑みを含んだ声でそう言って、ゆっくりと近づいてくる。
これのどこをどう見て仲が良さげに見えるんだ。

後ろの崖に視線をやる。
どう考えても此処に落ちたら一巻の終わりだ。
でも、このままでは目の前のこいつらに殺されてしまう。

こうなったら・・・、やるしかない。

深く深呼吸して、隣にいる青い子を崖に向かって蹴り飛ばし、私も崖の方へ走りだし、半ばやけくそで崖を飛び降りた。


いきなりの私の行動に、ローブの二人組は驚いた声を上げた。

「は!?何やってんのあの子!」
「・・・逃げられたな。」
「逃げられたな・・・じゃないよ!早く追うよ!急いで!」

ローブの二人組は、そう言って森の中へ消えて行った。





フィルブ ( 2014/07/18(金) 13:02 )