後編
カキの家を後にしたヨウとハウは、カンタイシティに戻り、ウラウラ島行きの船に乗った。アーカラ島ではとてもいい写真を撮れたね。リーリエに送るのが楽しみだよ。船内でひとしきりそんな会話をした後、
「ちょっと、おれ、甲板の空気吸ってくるー。」
ハウが席を立った。いってらっしゃーい、と見送ったヨウだったが、話し相手がいなくなると暇である。ジュナイパーやルガルガンのリフレでもしようかと考えた時、窓から外の景色がちらっと見えた。西の空が真っ赤に燃えていた。夕焼けだ。今はとても綺麗に見える時間帯に違いない。
ぼくも外に出ようっと。ヨウは席を立ち、船室から甲板につながる扉を開けた。
海の匂いが一気に濃くなる。船のエンジン音が、船体に当たって砕けた波の音に溶けていく。半分ほど海に浸かった夕日がきらきらと波頭を輝かせ、光の道を作っていた。
ハウの姿はすぐに見つかった。手すりに寄りかかり、金色の海を眺めていた。
ハウー! と名前を呼ぼうと思い手を上げたところで、しかしヨウは声を飲みこんだ。ハウが手すりにがっくりと体重を乗せてうなだれ、「はあぁ……」と大きくため息をついたからだった。
ヨウはそっとハウに近づいた。
「大丈夫? 船酔いした?」
「わっ、ヨウ!」
ハウはぴょんと小さく跳ねて顔を上げた。それから、大丈夫ー酔ってないよー、と慌てて笑顔を見せた。
「じゃあ、どうしたの?」
「……。」
黙ったハウは、語りたくないわけではなさそうだった。船酔いを否定したらもちろんそう問われることは分かっていただろうから。ハウはただ、言葉を探していた。
ヨウはハウの隣に並んで、手すりに体を預けた。心地よい潮風が二人の髪をなでる。そうしてしばらく風を浴びた後、ハウは「エーテルパラダイスでスカル団と戦った時のこと、思い出してたんだ」と口を開いた。
「あの時、スカル団の人に言われて、忘れられない言葉があってさー。」
ハウの表情からは、いつもの朗らかな色が消えていた。ヨウが黙ってうなずくと、ハウはゆっくりと言葉を続けた。
「誰かが悲しむことはやっちゃいけないって、おれが言った時だった。スカル団の人に言い返されたんだ。『だったらおれたちが悲しんでた時、なんで誰も助けてくれなかったんだ』って。あの時はリーリエを助けるのに必死で、おれ、ちゃんと答えられなかったんだけどー……。」
いや、とハウは自分で自分を遮った。
「今だって、上手く答えられないな。」
はるか遠くの沖を眺めながら、ハウは言った。夕闇の中、ほの暗い朱に濡れた唇から、ハウの声のないため息が細く長くこぼれ落ちた。
「スカル団の人たちがスカル団に入る前、あの人たちの悲しみを、どうして誰も助けてあげられなかったんだろう……。」
ヨウは何も言えず、ハウの隣に立っていた。
島巡りの最中、ヨウもハウも薄々感じてはいた。スカル団員がスカル団に入ったのは、おそらく彼らの能力と素行だけが原因ではなかったこと。島巡りやキャプテンという古くから続く風習が、彼らを追いつめ、居場所を奪う一因になりえたこと。
もちろん彼らのしたことは簡単に許されることではない。スカル団が単独あるいは集団で、物を壊したり、ポケモンを盗んだり、人の心や体を傷つけたりしたことは、それぞれの当事者にきちんと償ってもらわねばならない。
しかしだからといってそれは、エーテルパラダイスでの騒動について「スカル団が全ての元凶でした」と事実を捻じ曲げ、責任をなすりつけていい理由にはならなかった。悪い奴が全部悪いだなんて、思えれば楽なんだろうけど。以前はどこかでそんな風に思っていた部分があったからこそ。
「……。」
ハウは、自身のスカル団に対する過去の認識と戦っていた。音が出ないようにしてこぼしたハウの何度目かの吐息が、それを物語っていた。
太陽がゆっくりと海の中に沈もうとしていた。
その時だった。
「あっ。」
炎の色をしていた夕日が、完全に波間に隠れるその一瞬、緑色にちらっと光った。
「い、今の見えた? グリーンフラッシュだねー!」
ハウが少し興奮した様子でヨウに尋ねる。ヨウはこくこくとうなずいた。グリーンフラッシュとは、日の出または日の入りのごく一瞬、太陽の光が緑色に見える自然現象だ。様々な条件が重なった時しか見られないもので、アローラ地方では「見た人は幸せになれる」と言われている。
「きっと、大丈夫だよ。」
夕日が残る宵色の空を眺めながら、ヨウは自然とそう言葉を紡いでいた。ハウはヨウの目を見つめ、にこっと笑った。いつものハウの笑顔だった。
「おれにはポケモンたちも、ヨウも、ついてくれてるからねー。」
ヨウはちょっと照れてから、うん、とうなずいた。
それから二人は体が冷えてしまわないうちに、船室へ戻った。
船の進む先に、次の目的地、ウラウラ島が大きく見えていた。