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その夜モモカは八番道路のモーテルに泊まった。朝になると手早く準備を済ませ、モクローの口にポケモンフーズを押しこんで、ポケモンセンターに向かった。
「アローラ、クサナギさん!」
センター内のカフェでコーヒーを買っているクサナギに、モモカは元気よく手を振った。モクローはまだフーズをもぐもぐしながらモモカの頭上で羽ばたき、ポケモンなりの挨拶をした。
クサナギはちょっと目を丸くして二人を見つめた。
「アローラ……。昨日の島巡りトレーナーじゃないか。何しに来た。」
「もちろんガルーラの観察の続きだよ。クサナギさん継続って言ったでしょ。さっ、ガルーラ探しに行こう!」
クサナギは困惑した表情を浮かべた。
「君たち島巡り中だろう。試練はいいのか?」
「だってガルーラのこと放っておけないもん!」
賛同するように、モクローもくるるっと鳴く。
クサナギはぽりぽりと頭をかいた。
「島巡りトレーナー、名は?」
ようよう口を開いたクサナギに、モモカは威勢よく返事をした。
「モモカです! そしてこちらはパートナーのモクちゃん!」
「ぽろっ!」
「試練はいくつ達成した?」
「一つ。ヴェラ火山公園で!」
「手持ち傷薬の数は?」
「えと、三個。あとオレンとモモンの実もあるよ。」
「ふーむ、なるほどな……」
クサナギはモモカとモクローを品定めするように眺める。モモカは少し背筋を伸ばした。モクローも心なしか縦長になる。
クサナギが口を開いた。
「フィールドでは俺の側から離れるな。指示には必ず従うこと。見回りに出るのは十三時からだ。五分前にはポケモンセンターのロビーにいなさい。」
言い残し、クサナギは去っていった。ガルーラの観察に付いて行ってもいいということだろう。モモカはモクローを抱きしめて喜んだ。
そういうわけでモモカは八番道路のモーテルを拠点にし、ちょくちょくクサナギの巡視に同行するようになった。
クサナギは最初こそ早く島巡りを続けるように促したが、やがて言うだけ無駄だと理解し、黙って付いてこさせるようになった。
クサナギはつかみどころのない男だった。モモカに対してそっけない態度を取ることも多いが、まったくの放置というわけでもない。仏頂面だが、時々は笑顔をこぼすこともあった。
意外だったのは、ある日モモカがポケモンセンターのロビーでモクローとくつろいでいた時のことだ。センターの一画がにわかに騒がしくなり、見ると小さな男の子が二人、ソファ席の上できゃんきゃん叫んでいた。
「おにいちゃんがこわしたー!」
「壊してないよ! ここをこうして……ん、おかしいな?」
「こわしたー!」
わーっと、年下のほうが泣きだしてしまった。兄弟のようだ。両人ともまだ島巡りできる年にも達していないだろう。泣きわめく弟をなだめようとして、兄は必死に手の中で何かをこねくり回していた。ぺらぺらで四角い……紙だろうか?
「なんだろうあれ。折り紙かな?」
モモカとモクローは一緒に首をかしげた。
従業員扉から、騒ぎを聞きつけたクサナギが現れた。クサナギは兄弟の座っているソファに向かうと、ひざを付いて幼児たちと目線を合わせ、両者の言い分に耳を傾けた。
「それでね、おにいちゃんがぼくのツツケラ、こわしちゃったの。」
「だから壊してないってば! すぐに直るって……」
どうやら弟のおもちゃのツツケラを、兄が台無しにしてしまったらしい。
クサナギは「わかったわかった」と二人をなだめた。
「俺に任せな。ほら、そのペーパークラフト貸して。」
クサナギはしばらく預かった物の構造を観察していたが、やがて手を動かし始めた。するとあっという間に、小さなツツケラが組み上がった。
「はい、できあがり。首のところが外れやすいから、優しく持つんだよ。」
「わー! おじさん、ありがとう!」
弟はもう機嫌が直って、紙のツツケラを高く掲げて遊び始めた。ちょうどそこで、幼児らの父親らしき男性が現れた。トイレに行っていたようだ。
小さなトラブルを片付けた後、クサナギはモモカとモクローがいるのに気がついて声をかけた。
「なんだ君、いたのか。今日のガルーラ観察は終わりだぞ。」
「島巡りトレーナーがポケモンセンターにいたって、別にいいでしょ。」
「それもそうだな。それで試練は順調なのかい?」
わかって尋ねているクサナギの意地悪い笑みに、モモカは「えへへ」と愛想笑いだけで答えた。
「それにしてもクサナギさん、ちょっと意外だったなー。」
「何でだよ。センター職員がセンターに来たお客さんの相手したって、別にいいだろ。」
「そうじゃなくて。あの子の、ペーパークラフト? あっという間に直したじゃない。手先、器用なんだね。」
モモカはクサナギのごつごつした手を眺めた。たくさんの人やポケモンを救助するのと同じ手が、繊細な作品を組み立ててしまうなんて、不思議な感じだ。
ああ、とクサナギはほんのわずかに照れた様子だった。
「昔、ああいうクラフト系が好きだったんだよ。それこそあの子供らの年くらいの時に……。」
「へえー、そうなんだ。どんなの作ってたの?」
しかしクサナギは答えなかった。「クサナギさん?」と声をかけると、クサナギはハッとしてモモカを見た。
「あー、すまん。もう長い間やってないから、忘れちまった。」
そうしてさっさと従業員扉の向こう側に去っていった。
何か悪いことを言ってしまったのだろうか。
モモカは呆然として、クサナギの背中を見送ることしかできなかった。
そういうこともあって、モモカは早々にクサナギという人間に好意と興味を持った。
巡視の時間にクサナギと一緒にポケモンセンターを出発し、死んだ子供を抱えたガルーラの様子を観察。クサナギがフィールドノートにメモを書きつけるのを眺め、ポケモンセンターで解散する……。そんな変わらない日々が、モモカのお気に入りになった。
いや「変わらない」は語弊がある。明確な変化が一つあった。日を追うごとに、ガルーラから発せられる異臭が強くなっていたのだ。モクローは嫌がってモモカの胸に顔をうずめてばかりいた。
「腹の子供が腐ってるんだろうな。」
クサナギが推測した。モモカは思わず眉根を寄せる。そんなモモカとモクローの様子を見て「もう島巡りに戻ってもいいんだぜ」とクサナギは勧めた。モモカはすぐに首を振った。
「ガルーラがちゃんと棲み処に帰れるまで、見守りたい。」
クサナギはモモカの横顔を眺め、フッと小さく息を吐いた後、「そうか」とつぶやいた。
モモカは一つ提案をした。
「ねえ、ガルーラのあかちゃん、なんとかして回収できないかな」
「ん? あの死んだ子供をか。」
「そう。お腹の中に死体が入ったままだと、ガルーラにとっても良くないでしょ。臭いもだいぶひどくなってきたし……取り除いてあげられないかな。」
クサナギは少し考えた後、「あまり賛成できないな」と答えた。
「悪臭を放とうがボロボロに朽ちようが、ガルーラにとってあれは大切な子供なんだよ。それを無理に奪われるほうが苦痛だろう。」
モモカは大きな瞳にクサナギを映した。そんなふうには思いもしなかった。死体を抱えていたら重いし臭いし辛いだろうと、自分の視点でしか考えられなかった。
「クサナギさんは、すごいな。」
今度はクサナギが目を開いてモモカを見る番だった。
「何が。」
「ちゃんとガルーラのこと考えてる。ポケモンの気持ちがわかるみたい。」
は、とクサナギは口の端を歪めた。
「まさか。俺だって想像さ。ポケモンの本当の気持ちなんて……わからないよ。」
小さな声で付け加えたクサナギは、どこか遠くに視線を向けているようだった。
クサナギの言うことは正しい。モモカもモクローといつも一緒にいるけれど、まだなんとなく感情が伝わる気がするだけで、モクローのことを真に理解しているのかと問われれば、自信をもってうなずけない。人間とポケモンはあまりにも異なる生き物だから。
(だけどいつかクサナギさんみたいに、ポケモンのこと思いやれるようになれたらいいな。)
いつの間にかモクローが、モモカの腕の中でうたた寝していた。