第2話
不思議な顔なじみをぼろぼろの状態で放っておけるはずもなく、ハウはマケンカニを抱きあげると、吹雪の届かない洞窟の中に避難した。野生ポケモンが寄ってこないようアシレーヌに見張りをお願いし、とにかくマケンカニを寒さから守るため自分のマフラーを外して包んでやる。マケンカニは特に嫌がる様子もなく、むしろほっとしたような表情さえ浮かべて、ハウがリュックから取り出した傷薬を使う間もおとなしくしていた。
「びっくりしたよー。まさかこんな場所で会うなんて。きみの島巡りは終わったのー?」
マケンカニはマフラーの中からハウを見上げて、細長い触角の下にくりりとついた両目を眠たそうにゆっくり閉じ、また開いた。もちろんハウは答えを期待していたわけではないから、傷薬が無事に効いている様子に安心して微笑んだ。
「おれの島巡りはねー、まだ終わってないんだ。あともう少し、なんだけど……」
ぽつりとつぶやくハウの姿を、マケンカニはじっと見つめていた。
そうだ、とハウは思いついてリュックに手を伸ばす。
「これ好きでしょー。食べる?」
ポケマメを一粒見せてやった。マケンカニはハッとして身を乗り出すとポケマメにかぶりつき、あっという間にたいらげてしまった。それからもっと欲しいと催促するようにハウの体をつついた。
「ふふ、元気になったみたいだね。良かったねー。」
二人の様子を見てアシレーヌも近づいてきて、ハウ越しにマケンカニをのぞいた。ところがマケンカニはアシレーヌと目が合った瞬間、ぱっとマフラーから抜けだしハウから離れ、はさみをボクサーのように体の前に構えてアシレーヌに相対した。
「うわ、マケンカニ?」
どこにでも素早く動けるようゆらゆら体を上下させているその姿勢は、間違いなくバトルを誘っていた。戸惑うハウとアシレーヌ。
だが、どうすべきか答えを見つける前に、ハウは複数の小石がからりと転がる音を耳にした。振り返ると、洞窟の岩陰に隠れてニューラが一体、二体、いやもっとたくさんいる。赤い視線がハウたちを中心にしてぴりりと行き交う。囲まれた。おそらくさっきのニューラが仲間を連れて報復に戻ってきたのだろう。
「アシレーヌ、今戦う相手はマケンカニじゃないよ。アリアの準備はいい?」
前後左右を見回し、相手の数を確認しながらハウは相棒に問いかけた。ニューラの群れはおそらく五体。アシレーヌは短い鳴き声を一つ上げてハウの側に立った。
やる気満々だったマケンカニは、戦うはずの相手に背を向けられて肩すかしを食らい、ちょっと棒立ちした。だが、自分からバトルを挑むくらい戦い好きなだけのことはある。敵に囲まれたこの状況をすぐに理解して、アシレーヌとは反対側のハウの隣に立った。
「マケンカニ! 一緒に戦ってくれるの?」
ちらりとハウを見た後、ぷるるんとはさみが揺れた。
ハウは少し口の端を上げると、よし、とつぶやいて岩陰のニューラに目をやった。
不意打ちに失敗したと気がついたニューラたちが飛びだした。まずは二体。一体はアシレーヌに向かって氷のつぶてを放ち、もう一体は鋭い爪でマケンカニに襲いかかる。
「アシレーヌ、ハイパーボイス!」
氷粒ごとニューラを吹き飛ばす爆音が洞窟に響きわたった。一方のマケンカニも、切り裂かれた傷をものともせず強烈な一打をお見舞いしたところだった。
(爆裂パンチか。)
高い威力の代わりに動作が大きく、避けられやすい技だ。この場面ではなかなかリスキーな選択だが、そういう戦い方も嫌いじゃないとハウは思う。
二体のニューラが完全に倒れたことを確認する前に、残りのニューラが一斉に襲いかかってきた。アシレーヌに一体。マケンカニに二体。素早いニューラたちの攻撃をすべてかわすことはできない。ここは一気に片を付けたいところだが。
ハウはニューラに突進していくマケンカニの背中を見た。彼の体力が持つかどうか、そして彼がハウを信じてくれるかどうか、一か八かだった。
「アシレーヌ、うたかたのアリア! マケンカニはあと少しだけニューラを引きつけて!」
マケンカニは一瞬驚いたようだったが、その場にとどまりニューラたちの攻撃を受け止めた。指示が通った。ハウのほおはカッと熱くなる。アシレーヌの歌声が響く。いち、にの、
「今だマケンカニ! ニューラの懐にもぐりこんで反撃!」
十分に近寄ったニューラにマケンカニの連続打撃が放たれた。と同時にアシレーヌの水泡が爆発する。激しい衝撃と弾丸のような水滴が場にいるすべての者に降り注いだが、最接近したニューラが盾となりマケンカニへのダメージはわずかだった。
泡に襲われ猛烈な拳を受け、ニューラたちはやはり敵わないと慌てて逃げていった。
「やったー! マケンカニ、すごくいい動きだったよー! ありが……」
ところがマケンカニはニューラの逃走を見た後、間髪を入れずにアシレーヌに向かってはさみを振りかざした。突然向けられた敵意にハウもアシレーヌも動きを止めることしかできず、なんで、と思った時にはもうハンマーのようなマケンカニの拳が降り下ろされていた。アシレーヌの背後を狙ったニューラめがけて。
ニューラは予想していなかった援護にふぎゃあと悲鳴を上げると、さすがに勝ち目がないと分かったのだろう、悪態のような短い声を一つ置いて、仲間の後を追いかけた。
たぶんハイパーボイスで仕留め損ねたニューラだ。あるいは六匹目が潜んでいたのかもしれない。いずれにせよ油断していたのは事実で、ハウは今度こそ野生ポケモンの気配が消えたことを確認すると、マケンカニの方を向いた。
「助かったよー。ありがとうねー、マケンカニ。」
ところがその言葉はまたもやマケンカニに届かなかった。ハウが言い終える前にマケンカニの体が輝き始め、その姿を溶かしたからだった。
進化だ。相棒たちのその瞬間を何度も見てきたハウにはすぐに分かった。
光はマケンカニの一回りも二回りも大きく膨れ、そのまま輪郭として固定される。白銀の毛に覆われた体。より太く巨大に成長したはさみ。洞窟中に響かせた吠え声は、沸きたつ新たな力のほんの一部だった。
「ケケンカニ……。」
驚いて見張るばかりだった目を、ハウはやっと細めた。
「進化おめでとう! ケケンカニ!」
まるで自分のポケモンが進化した時のように嬉しかった。ケケンカニも誇らしげにもう一度声を上げた。