ギャロップの後、わたしは独り
ギャロップの後、わたしは独り
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 昼下がり、公園の少し丘になったここに、わたしはよく来る。メブキジカの葉も、澄んだ空気を吸って紅く色付いている。秋も深い。
 運動場の近くには、遊具もたくさんあるけれど、ここはベンチが一つあるだけ。雨除けもなく、毎日とも来ないから日課まではいかないけれど、来ればいつも、なぜかこれだけは不人気で、おおよそ私物化してしまっている。
 ここは眺めがとても良い。学生が池の周りをガーディとランニングしている姿も見えるし、子供がバルキーと何度も逆上がりに挑戦しているのも見える。遠くの景色はもうかなり変わってきたけれど、金色の光に覆われたこの公園は、ほとんど昔のままに残っている。懐古ばかりしていると、視界の隅に『彼』とポニータが映った気がしてしまうのは何故だろう。私が大人になったからなのだろうか。


 牧場の家の『彼』は、わたしとは小さい頃から仲良しで、ポニータのことはわたしも、生まれた時のことからずっと知っている。プルプルと足を震わせながら、ゆっくりと立つのだ。生まれてから一年くらい経っておじさんに飼育を任されてそれからは、私が遊びに行けば、ふたりはいつも一緒にいた。私がお弁当に誘うと、必ず相棒も一緒に来た。お弁当を食べ終わると、『彼』は私をこのポニータに乗せてくれた。歩いたときは怖かったけれど、少し空に近づいた気がしてとても嬉しかった。もちろん『彼』自身もこの相棒に乗って、そしてこの公園の丘を軽々と駆け上った。日を追って、それがますます早くなっていくのが彼の最初の自慢だった。
 しばらく立つと、『彼』は、地元でのレースにこのポニータと出るようになった。それまでも、『彼』は私と連れ立って何度かこのレースを観に行ったことがあったから、『彼』が出たがっているのは私も知っていた。彼が最初のレースで他のポケモンをごぼう抜きにして優勝したのはまだ覚えている。小さな身体がゴールテープを切った後、『彼』は、ポニータに抱きついて喜んでいた。ポニータも、嬉しそうに鳴いていた。私もきっと、全く同じ気持ちだった。


 彼はそれから、いろんなレースに出るようになった。この街の外でやっていたものにも出て、当然負けてしまうこともあって、その時悔しそうにしていた。ある時ポニータが足を怪我してしまったときもあって、その時『彼』はひどく心配して、怪我が治ってもレースに出ない時期もあったけれど、ポニータはまた出たがっている様子を見せて、それで彼は復帰した。
 私は『彼』の走る姿が好きだった。レースが終わって『彼』が戻ってきたら、迎えに行くのが私の役目になっていた。そういえば、私はその頃から少しずつ、彼のことに違和感を抱き始めていた。ポニータに乗せてもらうことは少なくなっていた。


 大きなレースの時だった。その時の彼は、少し負けが重なっていた。元から他の大きなポケモンに比べてポニータは一歩が小さい。確かにそんな負い目はあったけれど、それでも今まではうまく走っていた。これは『彼』自身の不調だったのだろう。ポニータも心配そうにしていた。私の目から見ても、『彼』は
、どうも集中できていないようだった。
 レースの直前も、『彼』は顔を曇らせていた。無理せず休んだ方がいい、とは言ったのだけれど、彼は首を縦には振らなかった。
 ゲートが開く音でレースは始まった。ドタドタと群れて走る音の最後尾に、ポニータの駆ける音がついてくる。差を保つこともできていなかった。どんどん集団から離されていき、彼も焦っていく。私は……そうだ、私はその時、何故か負けてもいいと思っていた。一旦『彼』は休息をとるべきだから、とその時は考えていたけれど、もしかしたら違う理由かもしれない。
 先頭集団に対してむしろ遅くなっていくポニータは『彼』の心を映していた。『彼』の顔は何かがふっと切れたように暗くなって、『彼』は、ポニータに何かを話しかけた。ポニータはゆっくりと止まった。私は、『彼』を迎えようと観客席を立った。
 その時、一頭のポニータが、甲高く鳴いた。彼は、ポニータの発する眩しい光に包まれていった。光が治った時、そこにいたのは、ポニータではなかった。緋いたてがみが風になびき、体格はポニータよりも一回り大きい。凛とした目は、彼のことを見ていた。ポニータは、ギャロップに進化した。彼は、目を丸くしていた。けれど、ギャロップと目を合わせたあと、強く頷いた。
歩を踏むごとに、空気は乾き、熱が伝わった。止まっていた脚が動き出す。それは人には追いつけない所まで加速する。
 最大速力。
 歩幅は大きく、力強く踏み込む。
 ギャロップは、音になって走った。
 あんなに離されていた先頭との距離は嘘のようにどんどん詰まる。順位を返しても止まらない。
 走る、走る、風よりも早く。

 ギャロップがゴールを超えた途端、わたしの心臓をひっくり返すような大きな歓声が上がった。誰もが立ち上がった。そのギャロップと騎手には惜しみない拍手が送られた。その時、『あの』の姿がなくなった。
 『彼』は、わたしの前から「消えた」。
 表彰台には、トロフィーを握り締めて嬉しそうに笑う青年と、それに寄り添う一頭のギャロップだけがいた。
 その青年のことを、私は全く知らなかった。






 うたた寝をしている間に、時間が過ぎていた。冷たい風がすっと過ぎて、私はそのことに気付いた。この街に生まれた青年は今、カロスの大舞台で相棒にしたギャロップと一緒にいる。私はというと……飛行機代がなかったから。あるいは、『彼』がいなくなったこの街に、それでもここに『彼』がいると思っているからなのかもしれない。
 彼が走るのが好きだったなら、私は歩くのが好きだった。


 正午を過ぎた後、わたしは今日も独りでここにいる。

 彼とギャロップは今も、わたしに「見えない」速さで走っている。走り続けている。

 走り終えたら、迎えに行くだけでいい。私にできるのはそれだけだから。

フィーゴン ( 2019/12/06(金) 23:31 )