〇.〇一話 青空記念日
ポケモンは道なき道を歩いていた。焼け焦げ、煤の匂いが立ち込めるその荒野を歩いていた。
そこには、生活の跡らしき何かだけが残っていて、鉄くさい匂いの元凶は、大方予想がついていた。
ポケモンはライチュウだった。
ライチュウは、安息に飢えていた。彼の人生は、彼からすれば不幸の連続とも言えた。
幾年の鍛錬が、たった数週間の才能に踏みにじられた。ライチュウには、世界のどこにも居場所がなかった。ずるく生きることが正しいんだと、そのうち頭は考え出した。
ただ、ただ真っ当には生きていなかった。だが、それでもなぜかライチュウは生かされて、今、死にかけている。死にそうな苦しみだけを味わって、身体だけが頭とは逆に生きようともがき続けている。
ライチュウは、瓦礫の先になにかが動くのを見つけた。こんなところには誰もいるはずがない。
けれど動いている。二度目は見逃さなかった。それはポケモンの親子連れだった。
この街が攻撃を受けたのはつい数分前。ライチュウはそれを数日前から歩き続けていたライチュウは、それを、遠巻きに見ていた。この親子が避難に遅れたことには、すぐに理解がついた。視界のぐらつきを強制してなんとか身体を立て直す。
その時、ライチュウの頭には革命的な発想が浮かんだ。ライチュウの身体は満身創痍。握力はあれど技を使うと死期が近づく。
あたりに散らばった瓦礫片は、鋭く、鋭く、まるで何かを突き刺すことを望んでいるように、ライチュウの目には映っていた。ライチュウは、選択している時間は与えられていなかった。
事態は一瞬にして決着がついた。ライチュウは、動かなくなった母親の荷物から、食料を漁り、貪り食う。
子供はそれを黙って見ていた。子供は何もしなかった。
ライチュウは次に子供の方を見た。食事を終え、理性を取り戻して再びこれを見てみれば、皮肉なことか、それはピチューだった。
ピチューは荷物を持っていないらしかった。ライチュウは手に持った瓦礫片をつきたてようとして立ち止まった。ここでライチュウはその狡猾さを披露することになる。
「命が惜しければ、黙って俺に従え、いいな?」
ピチューは頷いた。そこには寂しさも怖さもなく、ただ乾いた笑顔だけが顔に張り付いていた。なんらかの官能はたしかに働いていることを思わせる表情があった。
ライチュウはピチューに盗みを覚えさせることにした。出来が悪ければ、『商品』にすることも考え始めた。
ライチュウとピチューは、荒地を転々と歩いた。ピチューはライチュウのことを、『おじさん』と呼んでいた。
その間に、瓦礫片の実用化を試みた。その道具は鋭く、より鋭く尖ったものが最良とライチュウは考えた。石器ではなく金属製のものを用いて、最終的に、『ナイフ』と彼が呼ぶものが出来上がった。ピチューにその使い方を叩き込んだ。
街については、我が物顔でピチューに命令した。ピチューは、ただただ黙って言われた通りにした。
ライチュウの気分が悪い時は、ピチューを蹴飛ばした。殴った。怒鳴りつけた。『ナイフ』で腕を切り落とされそうにもなった。ピチューは笑っていた。冗談のように。化け物のように。
次第に、ライチュウの生活にはゆとりが生まれ始めた。定住には行き着かないが、自分が何もせずとも稼げる、という状態は、心理的な安定をもたらしてくれた。ピチューは、ライチュウが少しずつ笑うようになってから、もっと笑顔になった。ライチュウはそれを、『気持ち悪い』と表現した。
ライチュウは日記をつけ始めた。日々の些細な事の顛末、ピチューの様子をあまねく綴る。犯罪に関しては念のため伏せておいたが、それでもライチュウにとっては書くことがない日の方が少なかった。毎日毎日、ハプニングが起こる。その元凶は大体、ピチューだと相場もつき始めた。いたずらのバレたピチューの笑顔は、半分以上は張り付けた顔じゃない気がした。
〜〜
「……あー……」
その時俺は、滅法弱っていた。どう計算して少し足りない。もうこの辺りにめぼしい街がない以上、この資金でやりくりするしかない。それは数日前から明白だった。
「……飯代を削れば……やっぱり武器の依頼費用とかも残したいんだよな……最近また使えなくなってきたし」
『武器』とは、俺が作り上げた、ポケモンを殺すのに特化した道具のこと。技で殺すよりも手っ取り早く、なおかつ一撃で仕留めやすい。デメリットはあるが、使い心地はいい。
金属を指定した金型で固めてくれる物好きな職人はそういない。だから値下げもしてくれないからコストがどうも嵩張る。
ここで、少し気になった。
「おいガキ、今使ってる『ナイフ』、あれどこにある?」
視界にいない。ガキは反応しなかった。
「おいっ!!聞いてんのかっ!!」
叫んで怒鳴りつけたつもりだったが、これも反応がない。押し入った住処の中に空っぽの声が響く。
家の中を探したが、ガキはいなかった。
つまり……
「逃げたな……あいつ……」
当然考えられる結論だ。どう考えたって、こんなポケモンと一緒に生きていられるはずがない。ひたすら叩いて叩いて叩いてきた俺が、今更付き従って貰えるとは思っていない。
「……ちっ」
けれど、俺は舌打ちとは裏腹に焦っていた。その焦りは、あいつが俺のことを言いふらすんじゃないかというものだと最初は解釈したが、どうやらそうでもないらしい。
あいつも、今では大人のポケモンもかなわないくらいの戦闘能力だが、それでもあれは子供なのだ。戦争の攻撃とか受けたり、ゴロツキ十数匹に囲まれたり、最近ろくに餌を与えてないせいだったりで……
……死んでいるかもしれない。
「……っ!」
胸が詰まるくらい痛くなった。俺は関係ない事のはずだ。俺は俺が生き残れたらそれでいいはずだ。関係ない、関係ない……そう言い聞かせられるのも数秒程度。
おかしい。あいつの様子が気になって、まともに息をしていられない。不透明な緊張感が腹立たしい。死ぬのなら、少なくとも最期の食事くらいは豪華にしてやっても良かった気がする。最期くらいは、ゆっくり一緒に話しでもしてやっても良かった気がする。なのに、俺は何もしていない。そんな俺が、明らかに不甲斐ないと思っていた。思えてしまった。
ガチャリとドアが開く音に警戒した。ガキが突っ立っていた。急いで駆け寄った。ガキは、目元を殴られたように青くして、耳に赤い液体を擦り付けたようにくっつけて、なぜか笑っていた。自分より大きな袋を抱えていた。
「みてみておじさん!いっぱい集めてきたよ!おしごとがんばってー!」
その時に、俺は何かが切れた。これを作って、これをしろと言ったのは俺だったのに、とてつもなく、くだらなく、みすぼらしく見えた。
袋は受け取るなり投げ捨てた。とても子供が持てる重量じゃないと思えた。
俺は、ガキを抱きかかえた。
「ごめん、ごめん……本当に……ごめん……」
間違えていた、間違えていた。ずっと間違えていた。俺は自分がしてしまったことを痛感した。ガキは初めて困った顔をしたと思ったのに、すぐまた笑顔になりやがった。これで何回こいつに負けただろう。絶対叶わないと思えたのは初めてだ。
それから、俺の生活は変わった。なるべく真っ当に生きることを目指した。ポケモンのために頑張る事でも、生きていけるような生き方を探し回った。ガキには、ナイフを持つこと以外のことも教えてやった。月日が流れる感覚は、これが『生きている』ってことなのかと実感させてくれた。
数ヶ月……くらい。それくらい経ってから、俺の元に、旧友が来やがった。旧友は俺らの住処に入るなり、俺を呼びつけてテーブルに対面して座らせる。
「……何しに来た、エリート野郎」
「歓迎されないのは分かっていたが、そこまで拒絶しなくともいいだろう」
ベレグ、という、ヘルガーだ。昔は、よくこいつとバトルで戦わされた。そして俺はいつも負けていた覚えがある。もっとも今は……。
「今日は、君が作り出したと噂の『武器』に興味があってね。詳しい話を聞かせてほしいのだが」
「……来いってか」
「断るのなら、反逆行為あたりとみなして君の処分はすぐに決定できる」
「独裁者め……」
「好きに言え」
俺の答えは少しまどろんだ。けれど、すぐに取引に知恵が働いた。
「奥にいるガキ、あいつには一切手出ししないと違うならいいだろう」
「……君が他人を気遣うとは、明日は空からイーブイでも降るのか」
「そういう巡り合わせもあるんだよ、生きてるうちは」
ベレグは奥をちらと見てから少し考える。
「いいだろう。じゃあ、子供に別れの挨拶をして、誰かに預けておくよう頼んだら、来てもらう」
「挨拶だけでいい」
あいつは、保護者がいなくても生きていける。俺は、タッタッとガキに近づいた。
「俺な、ちょっと遠いとこに行くことになった」
「とーいとこ?」
「あぁ。死ぬわけじゃねーけど、多分ずっと会えない」
「……そっかー」
「じゃあ……元気で……な」
俺はそれだけにしておこうとした。なのにガキは、俺に抱きついて来たんだ。それのせいで、心が抑えられなかった。別れが一瞬で来た。しかしそれなりに整理もついていると考えていたのに、まだやり切れない自分がいた。
頭を撫でた。自慢できることが、一つ増えた。
「……ばからしい話だけど、今までガキ呼ばわりだったから、お前の名前、ちゃんと聞いてなかったな」
「……なまえ?」
「あー……その調子じゃ、名前も知らないのか……?」
「うん」
俺は考えた。一瞬のポーズの間で、そんな、センスなんてあるわけもない、と言い訳しよう。
「お前の名前はソラだ。真っ青なソラ。この青空のように、おおらかな、優しいポケモンになってくれ」
「……ソ、ア?」
「そうだ、ソラ。いい子でな……」
「……うん!」
ソラとはそれっきりだった。別れ際のソラは、帰り人を待つように余裕のある顔をしていた。
〜〜
炎の大陸を横断し、トレジャーアイランドを目指すという、無謀な計画を立てた旅団が、その道中に一匹のピカチュウを拾った。それまで、少なくとも盗賊団に狙われたりなどして、壊滅状態にあった旅団は、そのピカチュウを拾ってからは、ひどく全てことがうまくいった。
ピカチュウはトレジャーアイランドで旅団と別れたが、旅団の団長は、そのピカチュウを化け物の子供に違いないと、後世に語り継ぎ続けた。