〇.九話 愛しき貴女へ
いつもの、何てこともない目覚めのはずだった。食べ物ならそこら中の木々に有り余っている。だから仕事すら必要もなく。悠々自適を目指していた。自分で建てたこのボロ小屋も、気に入っていないわけじゃない。不満なんて一つもない。そういう生活を送っていた。それを崩してくれたのが……
「ほーら、いつまで寝てるの、たまには自分で起きてよね」
今俺の体を揺すっているこれ。背を向けて、寝ているふりをするが、起きているのはバレバレのようだ。
「まったく……ご飯全部食べちゃうよ?今日は張り切って作ったのに」
チルタリスのテルというポケモンだ。モコモコとした腕がまた俺を揺らす。
「うるさい……大体、勝手に来たのはそっちだろ……俺には俺のリズムがある……」
「あ、やっぱり起きてたんだ。はぁ……そんなに毎日毎日だらけててさ、暇じゃないの?」
後ろを向いていても哀れみの視線が分かった。テルは、急に俺の家に上がりこんで、しばらく住ませて欲しいだの、せっかくだから料理も作ってあげるだの、薬を作りたいから木の実を取ってきて欲しいだので、今では何様だという立ち位置で俺のうちに馴染んでいる。初めは、話し相手ができて嬉しかったが、今では俺は嫁や彼女はいらないという固定観念さえ生まれた。
「とにかく起きて!」
パシッと顔を叩かれて、怒られた顔をする。不機嫌に体を起こした。大前提として、料理は美味しい。
〜〜
「たまには働いたら?」
「……は?」
爺さんみたいに何もない平原で日向ぼっこをしていた時だった。空気を読まないこいつが、薬学書に目を通しながらつぶやいた。
「だから、少しは誰かのためになることをすればって言ってんの」
「冗談か?急にどうしたんだよ」
「そんな調子だったら、いつ背中に苔が生してもおかしくないから、バトル大会にでも出てきたら?」
悪態を息をするように吐いてくる。イラッとはするもの、暇で暇で本当に背中に苔が生しそうなのは事実だ。体を動かすのは久々だが、慣れていないわけではない。そこらへんの小さなものなら、さらりと潰してみせられる。
乗ったと返事したらギョッとした顔で見つめ返された。そこまでひどく思われていたのかと落胆しそうにはなった。
辺鄙な森に住んでいたため、街中へは三日かかった。まぁ、そりゃあ余裕だった。開催から六回目くらいのやつらしいが、優勝者は一回目の奴は、リザードンらしいが、まあ戦争で死んだらしいとか、二、三回目の奴はラティオスらしいが、こいつもまぁ死んだとか、四、五回目はザコらしいとか、そんな集まりだったそうで、とびきり強い、というのは今はいない。
「『メタルクロー』!」
「はいよ、遅い遅い」
今戦っているサンドパンも、やり手ではあるが今ひとつ。観客では、最強きたー!とか、やってしまえー!とか、他人事のように応援をする。応援は大体他人事だが。
『燕返し』がうまく決まった。力なく倒れたサンドパンを見て、観客が大盛り上がりを見せる。終わったか、とは思ったが、嫌な気分でもなかった。暇つぶしの材料にはなる。
ステージの中央で小さめのトロフィーを受け取ったとき、観客席から一匹のポケモンがひょいと降りてきた。俺を見てドヤ顔で立つ。
「私の方が、何倍も強いんだよ!相手してよ!」
小さいメスのガキだった。こういうのもいるのか、と邪険せずに見つめた。さて、選択肢は二つ。吹き飛ばすか、吹き飛ばされてやるか。こいつのことも考えると、吹き飛ばされてあげたほうが未来はある。イーブイなんて種族上、夢は多方向へ分かれているのだ。その夢を潰してやることもない。
「『電光石火』!」
技の宣言。
それからもはや俊足の域を超える。見えなかった。衝突の瞬間、自分でも驚くほど後ろに飛ばされた。ステージの端でなんとか踏ん張る。何があったと前を見ても、ドヤ顔のイーブイしかいない。あれだけ大盛り上がりだったのに、急に静まりかえった。何があった、手加減したのか、それにしてはあの飛び方はおかしい、いろいろとひそひそと話しているのが聞こえる。後ろから保護者らしきブラッキーが駆け寄ってくる。
「あ、えーと……し、失礼しましたー!」
ブラッキーはイーブイにお辞儀をさせ、自分もお辞儀をして、そのままイーブイを運んで帰った。謎だけ残されたが、何があったにせよ俺が優勝した。トロフィーを持ってまた三日かけてあのボロ小屋に戻った。
〜〜
戻ると、家でテルがガサゴソと何かをしていた。
「戻ったぞ。余裕だった」
「あ、あぁ……早かったね……」
妙に他人行儀な態度だった。目を逸らしているのは隠し事をしている疑いようのない証拠。
「……後ろのものは、なんだ?」
「べ、別に……?」
「答えろ、俺は家を貸しているんだぞ」
「……」
黙り込んだ。そして、一息ついた。
「実はね……出て行こうと、思うの」
ポツリポツリと言った。夕日が陰りを始める。
「……なんだ、急に」
「急も何も、そっちも私は出て行った方がいいって思ってたでしょ?」
「それはそうだ。だが、時期が悪い。俺がお前に勧められて出た大会から戻ったらお前が家を出て行くなんてな」
引き止めるつもりはないが、態度に腹が立つ。まるで、俺が留守の間に家から出て行こうとしていたみたいだ。俺を倦厭しているように思えて仕方ない。
「……やっぱり、結局俺もお前も互いに邪魔者扱いしていたわけだ」
「……そんなんじゃ……」
「出て行きたいなら出て行ってくれ。俺は止める気もない」
吐き捨てた。背を向けて寝床へ。
「……ごめんなさい……」
最後にそう聞こえた気がしたが、聞こえないふりをした。
〜〜
寝てしまった。気分が悪かった。金色のトロフィーも黒ずんで見えた。いつも起こしにくるテルが今日は来ない。いつも早い時間に起こされていたせいで、目は冴えていた。適当に、何か手近に食べ物はないかと探っていたら、小瓶を見つけた。書かれている文字は全く読めない。テルさの忘れ物だ。家に置いてあっても意味がないので、渡しに行くことにした。まだそこら辺をうろついているかもしれない。カバンに小瓶を入れて外へ出た。
森は常に出歩いているせいか庭同然だ。適当にでも見回していると、木に寄りかかっているテルを見つけた。
「……おい、忘れ物だ。何してんだこんな…………」
目は閉じていた。荷物は近くに散乱していた。腹は突き刺された跡がありそこからも、口からも、同じ赤色の液体が流れていた。
「……ボーバン……」
「何があった、どうした!」
肩を揺らした。医者でもない俺には、助ける方法は分からない。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……」
目から、涙が流れていた。僅かにあげた手は、力なく落ちた。他のポケモンの話し声が聞こえてきた。
「しかし、彼女も愚かなことをしたものだ。我々クレセントに再び従っていれば、また有能な研究員として配属されたものを……」
「何が正義感だろう。バカらしいことにうつつを抜かすなんて、実は腕も落ちていたのかもしれないな」
ケラケラと笑い声が聞こえた。それを引き金に俺は……。
唸る。
木はほとんど倒れるか燃えた。周りにはポケモンがゴロゴロと転がっていた。正気なんて奪われた。化け物と化した。暴れた。暴れた。理性が戻るまで、周りを壊した。何故ここまでしたのかは、自分でも理由は知らない。だけど、突き動かされるものに従った。
消された灯火の仇を取る。
小さな墓をつくった。
待っててくれ、と呟いた。
飛んだ先は、敵のいる場所。無我で、突撃した。龍の『逆鱗』に触れたから。だから、今まほとんどで動かさなかった四肢で、すべてを消し尽くす。ひたすらに進み、おそらく頂点と思しきポケモンのところにたどり着いた。ハッサムは冷たくこちらを見た。
「どうした、来客ならもっと礼儀をわきまえろ」
「黙れ……。俺の大切なものを消した罪を償え……」
『逆鱗』を、怒りを、ハッサムの方に。ハッサムが手を挙げ、合図をすると、四方八方からポケモンが現れ、ボーバンを抑え込む。もがき、あがき、何匹か蹴り飛ばしても、無駄な抵抗だった。
「こいつの強さは使える。あいつとともに牢屋に放っておけ」
振りほどこうとしても振り解けない。狭い鉄格子の中に放り込まれ、入り口を閉ざされた。呆気なく、反抗は終わった。ぶち破ろうとしても、硬さが尋常じゃなかった。そのうち、数日もすれば諦めた。カバンの中に何か入っていた。小さな小瓶だ。何が書かれているかも分からないラベルの端をよく見れば、『自殺用』と、小さく書かれていた。テルの持ち物だ。あいつの気持ちは、何一つわかってはいなかった。
「……ごめん、テル」
小瓶を開けた。黒い粘着質の液体が入っている。口に流し込めば、それだけでテルに会える。口を開けて、小瓶の中身を飲み込もうとした……。
その時、背後の壁が崩れた。驚いて飲むのをやめる。ラティオスはスプーンを片手に汗を拭うと、しまったと頭を抱えた。
「くそ……図面が古いやつだったか……」
ラティオスはは何もなかったように崩れた壁を元に戻し始める。
「おい、待て」
「なんだ、俺以外にも住人がいたのか?」
俺に気付いて作業を止める。ここにいるということはこいつも捕まった同士だ。何か協力してくれるかもしれない。ラティオスは、俺の手持ちの瓶を見るなり、驚いた。
「それ、どこで手に入れたんだ!」
「……形見だ。俺の大切なやつの」
ラティオスは俺の小瓶を貸すように言った。渡してみると、自分のスプーンを中に突っ込む。再び出した時、スプーンの先はなくなっていた。
「やっぱり……これでここから出られるぞ!」
ラティオスは中身を鉄格子にかけた。鉄は瞬時に腐食し、ボロボロに崩れていく。
「ありがとう。おかげで俺ら二匹とも、この狭いところから出られそうだ。名前は?」
「……ボーバンだ」
「そうか、俺はライだ。グズグズしていないでさっさと逃げるぞ!」
ライは手招きする。俺はそれに従った。ササっと逃げるつもりだったが、やっぱり見つかった。通路を右へ、左へ、体を捻らせて技を躱す。階段をさらに上へ。屋上まで逃げてから翼を大きく羽ばたかせた。一方向を選んで全速力で飛んだ。
あたりは夜だが、暗闇に紛れるのには月が明るすぎる。飛べるポケモンがすぐに俺らをつけてきた。追いつかれるのも時間の問題だ。
「……ボーバン、これを頼む」
ライが指で何かを弾く。手に掴みとる青色の指輪だった。
「これで、仮にではあっても、俺と更新ができる。俺がここを抑えるから、逃げてくれ」
「弱気になるなよ、撒けない相手じゃないだろ」
口では言ったが、俺も厳しいとは分かっていた。じりじりと距離が詰まる。
「頼む、俺の希望はおそらくお前しかいない」
真摯な目。希望だと言われるなら、希望になってやろう。首を縦に振ると、ライはホッと笑ってからそこで止まった。俺は、後ろは向かなかった。
〜〜
青色の指輪からやっと声が聞こえた。場所さえわからないところだが、安全ではある。
『急で済まないが、俺の頼みを受けてくれるか?暇じゃないならそれを優先してくれ』
暇……やりたいことといえば……。
こっそりと、家に戻った。テルの墓は少し汚れている。水をかけて綺麗にして、花を三本添えた。
「ごめんな、テル。でも、ありがとな」
見えなくても、俺はお前がいると信じよう。
青色の指輪に話しかけた。
「大丈夫だ。もう心残りはない。頼みを受けてやろう」