〇.七五話 毒を以て薬(どく)を潰す
そいつからは、『流行病の予防に』という名目で渡された。粉のやつが五包。いかにも、というか、あれを怪しいと言わなければ、何が怪しいのだというレベルだった。けどまぁ、いかんせん若かったからか、それとも、やる事もない生活の中で、何か特別なことをしてみたいと思ったからか、もはやあまり気にしていなかった。
思えば『無料』、『作り笑い』、『ご機嫌取りな態度』、もうこの時点で既に気付くべきだった。悔やまれることにも、母は外出中。兄は調査団の仕事で長期的に家を空けていた。自分で判断を下させた。下させてしまった。
〜〜
気分が良かった。
何でも上手にできた。
嬉しくて、ウレシクテ。
今まで家族には迷惑ばかりかけていたから、お詫び、にはなるか分からないけど。
これが自分だとショウメイできることが嬉しかった。
クルシイ。
何もかもがオモウヨウニにいく。
兄も、努力のタマモノだなんて褒めてくれるようになった。
ドリョクができるようになってから、本当に楽しかった。
自分は今、ノリに乗っているジョウタイなのだ。
揺るがないジシンが持てた。
クルシイ、クルシイ。
最近、妙にヤセテしまった。
ちょっとしたことでキガタッテしまうようにもなった。
ショクヨクも相当ない、と思っていたら急に湧き出す、なんてこともあって。
当然、周りからはシンパイされたし、イシャも勧められた。
でもまぁ、自分の体のことはジブンが一番分かっている。
だから、ヘイキだよ、って返しておいた。
クルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイ
暗い部屋だった。目の前は赤黒くなっていた。やろうと思えば、案外簡単だった。動悸が荒かった。頬についたものを拭って舐める。鉄の味。それでまた、前に転がっている黄色を眺めた。なんだったかも考えなかった。邪魔だからこうしたところは覚えていた。
「……何ですか……これは……!」
玄関の閉まる音。僕の背中の方から兄の声が聞こえる。向き直って、動くたびに、赤色がポタポタと床を汚した。
「ランペア!これは何ですか!」
聞こえていないと思ったのか、語調を強めてきた。でも、僕の耳には届きそうにもない。文字通り、心も無く、無心でやったことなのだから。現実が見えてきた。さっきまで死んでいたのではないが、この場合、視界が蘇った、という表現が一番正しい。転がっていたものを見て動悸はさらに荒れ狂った。
〜〜
兄は、情が回ったのか、何もできなかったことを詫びたかったのか、僕のことなんかどうでも良かったのか、僕を警察には付き出さなかった。それが最後の慈悲だった。家を追い出された。あれを後でどう僕を庇いつつ誤魔化したのかは全く知らないまま。これで終わってくれと願ったけど、まぁ無理だった。クルシくて、街をふらふらと彷徨い続けた。欲しい。あれが欲しい。欲しくてたまらない。イタミはどんどん不安を掻き立てた。コワくなった。通りすがるポケモン達が僕を睨みつけているように見えて、僕を蔑んでいるように見えて。もう誰も信じられなかった。夢といえば、火だるまにされたり、死ぬまで技を打たれ続けたり。
ここは『地上の地獄』。
そして僕は、『カイラク』を求めて、もう手段を選ばなくなった。誰もを疑っていたから、『殺めよう』に躊躇いはなかった。
周りを見渡した時だった。一匹のチラチーノが目に映った。アイドルの職業柄として、マネージャーのようなやつと一生懸命ビラ配りをしている。全てスルーか、受け取られても捨てられる。
歩みを寄せた。諦め気味に垂れ下がり始めていたビラを僕が持ち上げた。目の下にクマのついた、相当酷い顔だっただろう。だけど、そのチラチーノは大きな声で「ありがとうございます!」と、笑顔で言って見せた。その顔を見た時に、悪いものが身体中から抜けていったようだった。完全に戻ったわけではない。でも、久々に涙を流せたのは、少しでも僕はまともに戻れたからだと思う。だから、小さく「ありがとう」と呟いて、返事をした。
その日、誰が知っているのだろうというような地下において、お客が一人だけのライブが行われた。曲が終わるたびに、マネージャーも含めた小さな拍手が鳴り響いた。
お金稼ぎのためにバイトも始めた。時給も良かったので木こりのバイトだった。そこでキリマル、グレンというポケモンと友好関係を築いた。独りが多かったから、コミュニケーションに難はあったが、なんとかなった。それから、木こりが必要無くなってバイトもできなくなってからも、キリマルに誘われて探検隊を始めようとなってからも、僕は生きていた。時々、ぶり返すことはある。怖くて仕方ない事もある。自分で抑え込めないことだってある。だから、毒で上手く潰して、やっていけている。
「……おっと……あと三十分……」
探検隊の事務仕事をすっぽかして脱走。向かう先は常に変わっていない。おなじみのハチマキも、お手製の団扇も、袢纏も揃えていざ出陣……!
「はーい!こんばんはー!みんなのアイドル、ラノンちゃんだよー!」
イェーイという掛け声がかかるから僕もそれに合わせる。むしろ、先陣を切って叫ぶ。これから三時間、喉が潰れるくらい大騒ぎするんだ。光る棒で主君に忠誠を誓いながら。
そうなんだ。誰でも、熱中できるから生きていける。誰もが何かに熱中したいから生きていける。