疾風戦記

















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間章 -4-
〇.六五話 名も無いロコン
 小さい頃、初めて知った言葉は“働く”でした。言葉を教えてくれる方がいませんでした。物心がついた頃から、狭い小さな檻の中に閉じ込められていました。なので、天井から少しずつ滴る水音だけが、私の楽しみでした。足枷をはめられ、時間になると外に出されて“働かされ”ました。始めは、自分が何をしていれればいいのかも、何をしたらいけないのかも知りませんでした。時々、ある部屋からは聞こえる同じ境遇の仲間たちの悲鳴や、“助けて”と叫ぶ声は聞いていました。私は不思議に思ったのです。他にしたいこともなかったが故に、偉そうなポケモンの指示……言葉はわからなかったのですが、周りの方がしていることを模倣して、従順にしていた子供の私は、その時は悲鳴の意味を知らなかったのです。叫び声の訳を知らなかったのです。年を積んだ方は、何かに怯えているように振る舞うし、私には何が何だか分かりませんでした。あの頃の私は、食欲だけは感じ取っていたため、周りの人はそれに嘆いているのだろうかと想像しました。偉そうなポケモンの話していることも、私には“言葉”は難しすぎて全くでした。
 なので、好奇心というものです。私は態と、言われたことを無視したのです。“言葉”を発声できないので、小さな抵抗だけでしたが、それでも偉そうなポケモンの怒りを買うのは当然でした。

「ガキだからって、容赦はしないぞ!」

 発声された語句だけはなぜか焼き付いているのです。鬼の形相、とも言える顔で私を例のあの部屋に連れて行きました。腕を強引に引っ張られましたが、好奇心で胸の高鳴りは抑えきれません。この部屋では、何が行われているのか、私の知らない何かがあるのかと思っていました。
 乱暴に部屋に投げ込まれました。椅子を指差されて何かを言われたので、座ることにしました。手足が固定されました。ポケモンが取り出したのは銀色の尖った何かでした。電灯の明かりに反射してとても綺麗に見えました。もっと間近で見てみたいと私は顔を近づけましたが、ポケモンはそれを私の左腕に振り下ろしました。今まで体感したことの無い強烈な痛み。私は本能的に声を出しました。ポケモンは一度引き抜くと、再度振り下ろす、これを繰り返して私の肉をズタズタにして行きました。私の体から赤黒い何かが飛び散って、痛みはさらに増していくのです。椅子をガタガタと揺らし、必死に逃れようとしますが叶いません
 両腕でおよそ数十分で終わったのでしょうが、私には長すぎました。涙もででいました。ポケモンに、“刃物”を突き出され、ひどい拒絶反応を起こしました。私が子供だから、足まではいかず、さらにひどい罰も与えられなかったのでしょうが、子供の私には恐怖となりました。生まれてから、“働かされ”ることに辛いと感じたことはありましたが、ここが怖いところだとはようやく気付いたのです。私が他のポケモンよりもはるかに年が若かったから、死なないようにあくまでほんの少し緩めに対処しているということに気付き、周りのポケモンに目を見ると、少し息をついたら細長い何かで叩かれ、“働きたくない”と嘆いたらあの部屋に連れて行かれているのです。つまり今後、私はあの痛みを経験することが多くなるのだと思いました。未来なんて見えないこの世界に、私はなぜ生まれてきたのでしょう。彼らが私に求めているのは“生きる意味”ではなく“生きる価値”です。天井からの水音も、何もかも、嫌になって仕方ありませんでした。泣きたくなって悲しくなっていくのです。


〜〜


 転機といえばやはりあのことです。急に、何匹かのポケモンが押し入って、全てを壊したのです。牢屋の冷たい鉄格子も、今まで知らなかったこの建物の固い扉も全て。みんな一斉に逃げ出しました。偉そうなポケモンたちは、刃物を先端に取り付けた長い棒を持って逃げ行くポケモンにひたすら突き刺します。槍はポケモンの血を吸ってどんどん赤く染まっていました。押し入ってきたポケモンたちは、それを必死に食い止めました。その一匹が、怖気づいて動けない私の元へ駆けつけました。赤より橙に近い、いわば竜のような外見のポケモンでした。

「もう大丈夫だ。安心して逃げ延びるんだ」

 大丈夫とは何でしょう。意味のわからない言葉に私はまた怯えました。それを見かねてか、彼は私を担いで近くの壊れた壁から外に飛び立ちました。私の知らない世界でした。下は緑一色、上は真っ青で、その中に一つ、眩しく輝く何かがある。私の目には次々と知らないものが映ります。ポケモンは地面が真っ青になったり、真緑になったり、真っ白になったり、のところを進み、あるところまで飛んでいくと、下におりました。そこには、緑の中にポツンと一つ、建物、が立っていました。中から青色と黄色の装甲のポケモンが出てきました。

「悪いが、この子を引き取ってはくれないか?」
「ああ、だがどうしてまた」

 何か話を始めます。私には何を言っているのか分かりません。

「奴隷施設にいた子だ。おそらく生まれた頃からで、ろくに言葉も知らない」
「……分かった。責任持って育てよう」

 竜のポケモンは一通り話し終えるとその場を去りました。青色のポケモンは私の方を向きました。

「俺はナギマル、ダイケンキだ。嬢ちゃんの名前は………ないんだろうな」

 何をしゃべっているのか分かりません。ナギマル、ダイケンキというポケモンは少し考える素振りをして、はっとひらめいたように口を開きました。

「よし、今日からお前は“グレン”だ。いいな?」
「……ぐれん……」
「そうだ、グレン。それがあんたの名前だ。じゃあグレン、お腹空いてるだろ。中で飯を食おう」

 ナギマルは私をグレンと呼び始めました。自分の口で、少しずつ、グレン、グレンと口にします。

「おい、グレン。こっちだよ」

 ナギマルは私に手招きします。私はその方へ歩きました。

「そうだ、おーい!キリマル!」

 ナギマルが誰かを呼びました。家に入ると、階段の上から白と青のポケモンが降りてきました。

「キリマル、新しい家族だ。グレンに挨拶しなさい」

 キリマルと呼ばれたポケモンは私に気付くと少し身を隠しながら、私に近づき、何も言わず手を差し出しました。私が手を差し出し返すと、握り返してくれました。

「じゃあ、飯にしよう!」

 ナギマルはそういうと、奥の部屋に行き、私を椅子の上に待たせました。椅子の上は、あのこともありなかなか落ち着きません。少し怖がっていると、キリマルが不思議そうに私を見てきます。ナギマルが奥の部屋から何かを持ってきました。湯気がたっています。

「さ、冷めないうちに食べちまいな」

 いただきます、と言ってから、キリマルは差し出されたそれを食べ始めました。私は自分の目の前のものを見ました。キリマルの方にはある銀色の刃物みたいなものがこちらにはないだけで、いたって同じです。今思えば、ナギマルが私に気を遣ってフォークとナイフを下げてくれたのかもしれません。私は口を使って頬張りました。今まで感じたことのない味でした。私は必死になってそれを食べました。食べれば食べるほど、涙がどんどん溢れてきます。これまであったことが嘘のようでした。
 この世には、まだまだ私の知らない嬉しさがあるのです。

■筆者メッセージ
脇役のあの方のお話です。書き溜めを作ろうとして頑張りましたが、夏バテに勝てる人種はいないと思うのです。ここまで読んでいただきありがとうございました。
フィーゴン ( 2016/08/06(土) 15:02 )