トラツグミの少年 - トラツグミの少年
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座敷ワラシ
 ナミコの頬が赤く燃える。
 ナミコの従兄が他界したため、この日彼女は両親と共にしずしずとジョウトの某地所を訪れていた。着なれない喪服ではなく学校の制服を装い、ナミコは乗用車に乗り、家を出た。日常のなかの非日常、そのなかで着る日常の象徴ともいえる制服とは少しむずがゆい。どうにかわがままを言って自分も母と同じような黒い礼服をねだるのだったと後悔していた。
 しかし。
「ご愁傷様です」
 美少年、とでもいえばいいのだろうか。
 ナミコとさほど歳の変わらない少年が黒いスーツに身を包み、恭しく頭を下げる。赤みの強い目がそっと伏せられ、静脈の浮かぶのすら見えそうな肌が陽の光に照らされてほのかにうごめく。ナミコの心臓は微かに、だが大きく脈打ち、一瞬くらりと眩暈までした。
 そうしてふと、制服を着てよかったと思った。どうしてと聞かれると困惑するのだが、なぜだかよかったと思った。
 呆然と少年をみつめていたナミコは知るすべもなかったが、この時かたわらの両親は眉をひそめ露骨に嫌悪の表情を浮かべていた。それもそのはずで少年の肩のあたりに嫌厭すべき夜泣きポケモンが漂っていたのである。よりにもよって通夜の日に縁起の悪いゴーストタイプを連れ歩くとは非常識だった。非常識でありながら少年は慇懃で、ナミコの両親に一口断りを述べて去っていった。
 彼はいったい誰だろう。親戚であのような若者を見たような記憶はない。
 従兄の知り合いだったにしても若すぎるし、それにまだ陽の高い時間なのに帰るのはおかしい。思わず振り返って少年の去った方を見たが、もうすでに彼はいなくなっていた。
「ナミコ。なにしてるの」
「ごめん、今行く」
 玄関先に取り残されていたナミコは慌てて家へ足を踏み入れた。まず靴箱のうえにたくさんのぬいぐるみが置かれているのが目に入る。装飾的な意味をなしているわけでもなく、てんこもりにされたぬいぐるみたちはその物量からか妙に気味が悪い。一個一個はかわいらしいキャラクター的なただのおもちゃなのに、それが十個も二十個も固まって置かれていると無機質な瞳や口元がやけに目につく。思わず顔をそむけ、ナミコは靴を脱いだ。
 従兄の家には座敷ワラシがでるのだという。嘘か真かわからないがこの不気味なぬいぐるみ群もそのためにあるようだった。ナミコなどは漠然と子供のお化けを思い描くのだが、この家の座敷ワラシはそれなりの年齢らしい。従兄が昔、ぽろりと溢していたのを聞いたという程度なので定かではないがどうにも十三、四くらいの少年だという。
 ――ちょうどさっきの少年くらいの。
 まさかね、と呟いて靴をくるりと揃える。落ちつかないのは親戚が死んでしまったからだとごまかして、少女は奥へと向かった。
 客間には父と母、そして叔父叔母が暗い顔をつき合わせていた。締め切られた襖の向こうに従兄の棺が安置されているのだと少女特有の純粋な直感でさとり、ナミコはそちらを努めてみないようにしながら着席した。
 広々とした畳の部屋である。旧家然とした風合いはナミコの自宅とは似ても似つかない古色を帯びている。梁も立派なものだし、なにより叔母がきゅうと帯をしめてきっちりと座っている姿はいかにもな印象を与えた。今時こんな時代錯誤な家があってよいものかと頭の隅で考えていると、不意にふすまがしゃっと動いた。
 きゃあ、とナミコは思わず声を上げてしまった。
 襖を開けて死者が出てきたのかと思ってしまったのである。しかしそんな彼女の期待を裏切って姿を現したのは痩せぎすの、どこか軽薄そうな雰囲気をまとった男であった。これまた喪服を身につけていたが他の人と違って大きな木箱を背負っていた。ずいぶんと小汚い箱はいかにも高級そうにみえる喪服とはちぐはぐだった。ちぐはぐといえば男の顔にちょこんと座しているサングラスも変だ。
 男はちらともナミコを見ずに叔父へ目をやり、タツミはどうしたかと訊いた。
「メモをお渡しするようにと」
 紙きれを読み、男は頷いた。
「今回の御騒動、確かに座敷ワラシの仕業とあいなりました」
 大人の間にざわめきが広がる。そのなかでナミコだけが首をかしげ、得心がいかぬままぎゅっと拳を握りしめた。
 男は場の五人をゆっくりと見回し、腕を組んで無愛想に言葉を投げかける。
「内密なことでしょうし私などが首を突っ込むことでもないので何もいいませんが――供養はした方がいい。それからそこの御嬢さんにもちゃんと話をしてあげるべきだ。これも私が首を突っ込むことでもないですが死者に言わせるとその()が次の犠牲者だそうです」
「ああ……」
 父が泣き崩れた。顔を覆い、嗚咽を漏らすその様子にナミコはただただ唖然とするばかりである。父の涙など生まれてこの方一度たりとも見たことがなかった。威厳があり男らしい父の、背を丸めておいおいと泣く姿は軽蔑すら抱かせた。
 蒼白な叔母が重い口を開き、ナミコちゃん落ちついて聞いてねと念を押す。彼女はこくりと頷き、いまだ仁王立ちしたままの男を横目で見上げた。サングラスの暗闇に隠れて表情は窺えない。背中の木箱の中身がやけに気になる。



 ――ネヅ家はもともと座敷ワラシを受け継ぐ家系であった。
 ことの起こりはいつだったのか叔母にもわからないそうだが、それはそれはたいそう古くからあったのだという。座敷ワラシによってネヅ家は長く栄えたのだった。
 その座敷ワラシは黒い獣である。
 彼らは獣をなんとか家から出すまいとした。獣は幸福を授けてくれるが、それゆえに去る時には不幸を蒔いていく。と、信じていた。だから黒い獣を引き留める方法を長く考えた。その末に編み出されたのは嫌悪すべき呪法であった。
 十三の少年を石臼で圧死させ、土間に埋めるのである。それもただ十三であればいいというものではない。必ず前歯の大きな、背の低い男の子がいけにえに選ばれた。ほとんどがネヅ家の分家の子供で、十三になったその日に本家の手によって殺害され、埋められたのだ。その酷い仕打ちが功をそうしたのか、はたまた関係など端からなかったのか、ネヅ家はますますもって盛った。ネヅ氏は厭悪すべき所業を続けざるをえなくなった。一族を繁栄させるためには犠牲は必要だったのである。
 だが、時代が進むにつれていけにえを埋めることが難しくなってきた。
 出生届を出さねばならぬ。出せば出したで死体もない疑わしい事故死では家名に傷がつく。そこで新たに考案せられたのがポケモンによる代用であった。十三の歳月を生きたコラッタを代わりにしようというもので、今までより幾分か血なまぐささにおいて緩和されたようにみえた。
 十三年コラッタを飼育し、圧殺して埋める。家運は傾かなかった。彼らはほっと胸をなでおろした。
 そんな折である。ネヅ氏の生まれたばかりの長男が首を噛み切られて死んだ。歯型からどうにもげっ歯類のしわざではないかと医者が判断し、家内は騒然とした。卑しいことをしているがためにただ「ああ、ねずみに噛まれてしまったのだなあ」とは思わずに祟りだと思ったのである。しかしてそれはあながち外れてはいなかった。
 十三年ごとにネヅ家の子供が一人、げっ歯類に噛み殺されるのである。
 おそろしい数の符号に彼らは震えあがったがどこにも相談できず、恐怖におののきながらも儀式は続けた。一族の者が死ぬ、コラッタも死ぬ。血塗れの石臼はしめ縄によって封をされてまた十三年の時を過ごす。狂気であった。
 だが家のしきたりなどというものは内にいては異常に見えないものである。それを異常だと言ってはばかったのが此度の従兄であった。彼はタマムシ大学を卒業し、実家に戻って職にもつかずぶらぶらしていたのだが家の暗部を知ってからはさんざん叔母を詰った。こんな頭のおかしい家の息子だからオレは就職もできずにいるのだ、いっそのこと家のおかしな話を雑誌にでも暴露してやると言っていたらしい。
 そんな従兄もまた、首を噛み切られて死んでいるのを叔父が発見した。
 叔母は従兄の死体を見て、座敷ワラシ様のお怒りに触れたがために死んだのだとすぐにわかったという。なにより従兄はもう二十四を過ぎていたし、近頃さんざん暴言を吐いていたのである。それから叔母はもうすぐ儀式のための十三年が近づいていることを思い出した。
 ナミコがこの九月に十三になるのである。
 父はそれをよく記憶していた。座敷ワラシを継ぐのは常に本家の女性であったため父はあまり信用していなかったのだが、今は亡き祖母が話していたのを興味深く思っていたようだった。父は従兄の死に様を知って座敷ワラシのタタリのようなものをようやく信じ、叔父との相談のうえで祓い屋のようなものを雇ったのだ。はじめ叔母は祓い屋を家に入れまいとしたのだが、とうとう折れて招き入れたのであった。
 ナミコは他人事のように以上の話を聞き終えた。彼女はぼんやりと客間に溢れるぬいぐるみを見ていた。だらしなく重ねられたぬいぐるみの数々がまるで今まで殺されてきた子供たちのようである。
「さて、話も終わったようですし私は帰ります」
 沈みきった場を打ち消すように男がそう言った。誰も引き留めようとはしない。男は後ろ手に襖を閉め、さっさと客間を出ていってしまう。見送りすらしないのはいけないように思えて、ナミコは立ちあがった。誰も顔を上げない。
 客間を出ると男は玄関脇の柱に肩をあずけて立っていた。どうやらナミコを待っていてくれていたようでる。家から出ると夢から覚めた心地がした。
「私、死ぬんですか」
 男に向かってそう言った。不思議と声は平坦であった。
 男は首を振り、微かに背中の木箱を揺すった。
「あのお節介焼きがなんとかしていった。あんたはまだ死なないよ。なにせ座敷ワラシは出ていったからな」
「出ていったんですか」
「ああ、今。――あんた埋められなくてよかったな」
 にやりと口許を歪め、男が木箱を示す。あっとナミコは口を押さえた。
「――アヤノさん」
 少年の声。あのムウマを伴った少年が再びそこに立っていた。ナミコは知らず頬を熱くさせる。
 アヤノさんと呼ばれた男は笑みを引っ込めて振り返った。対峙するとアヤノの身長が高いことがありありとわかる。少年は成長途中の背をぴんと伸ばし、アヤノを見上げた。
「あなたはクズだ! どうして残してきた!」
「さてね。なんのことやら」
「あの人は、あれでまた新しいのを作るぞ」
「それはオレたちには関係のない話だ。あんまり人様の事情に深入りしない方がいいぜ、呼び子」
「……君には同情するよ」
 少年はナミコを一瞥すると、憤然と背を向けて路地へ出た。
 あの少年は人の心を読めるんだわ、とナミコは恥ずかしく思いながらその背を見送った。



 義母が他界した。九月のことである。彼女の首はげっ歯類に噛み切られた。
 そしてナミコは石臼にしめ縄を張る。スコップで地面を平らにし、汗を拭く。
 とことこと、天井をなにかが走った。

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カエル師匠 ( 2013/09/07(土) 22:34 )