2013年
消えた原稿より
 その男が某大企業を訪れたのは二月の二四日の出来事だった。受付事務員の話によると、男はこじゃれたモーニングに、磨き込まれた革靴とうきっちりとした身なりであったという。やや長めの黒髪はポマードで後頭へ撫でつけられ、口ひげは美しく整えられていた。
 いかにも紳士的な訪問者はさる商会の代理であると名乗り、開発部長との面会を求めた。アポイントメントのない訪問であったにもかかわらず、男の要求はあっさりと承諾された。この面会要求の際に提示された名刺が効力を発揮したと思われる。また、あまりにも慣れた様子だったので疑いの目を持たれる事がなかったのも要因であろう。
 さっそく開発部へ通された男は応接間に辿り着くやいなや、おもむろにモンスターボールを取り出し、煙幕を発生させた。これにより館内の警備システムが誤作動。監視カメラにはヘドロ爆弾が投射されたため映像記録はない。恐らく使用されたのは毒ガスポケモンではないかと推測される。現場に居合わせた社員計十数名が不調を訴えたことからも、煙幕のなかに微量ながら毒物が混入されていたことは明白である。
 男は開発部員および助手のポケモンたちを黒い眼差しで拘束後、研究室へ侵入した。そこで極秘資料を含めた数点の企業秘密を窃盗している。
 これは後にわかったことだが、どうやら遺伝子操作の研究結果、幻のポケモンについての報告書、所持されているポケモンの捕獲を可能にする技術(これは未完成だったそうだが)を盗まれたらしい。とはいえ、遺伝子操作だのトレーナーからポケモンを奪い取る技術だのと表沙汰にできぬしろものばかりだったので、報道機関や警察機構には研究結果の盗難であると発表されている。まさに極秘なのだ。
 著者がとある筋から手に入れた情報によると、臨検で判明したことは以下の二つであった。
 まず、犯行に使われた名刺は事実さる商会の物であった。インク、用紙、書体から贋物の可能性はゼロだったようだ。指紋は検出されなかったという。本来の持ち主が数日前に名刺入れを紛失しており、犯人が故意にすったのではないかと睨んでいる。
 次に現場にいたポケモンの一匹が男の容貌を記憶していたことである。目撃したポケモンがユンゲラーであったことが幸いし、念写によって判明した。もちろん犯人は変装していたに違いないのだが、この侵入者を止めようとポケモンが攻撃をしかけた際に服の一部が避けたのだ。残念なことに繊維や布の類は遺留していなかったが上着の下から見えたチョッキに「R」の刺繍が入っていたのである。これは昨今巷巷説になっているロケット団なる秘密結社のシンボルなのではないだろうか。彼らは社会の影に暗躍し、私利私欲のためにポケモンたちを使うと聞く。
 もしもロケット団が今回の騒動の黒幕なのだとすれば、これは大変な事態を招くのではないだろうか。
 しかし、警察は捜査を断念した。なんらかの圧力がかかったものと思われる。ますますもって怪しい事件である。
 そこでわたしは秘密裏に犯人が念写されたという紙のコピーを入手した。
 端正な面持ちの男は、思っていたよりもずっと若い。妙齢といえば妙齢なのだが、口ひげさえなくせばまだ青年といえる歳なのでは

 がたり。
 不審な音にわたしは振り返った。いつの間にか窓が開いている。だが、それ以外に不審な点はひとつもないようだ。
 何気なく部屋を見渡す。ここはタマムシ新聞社三階の社員室である。ずらりと並んだ机にはパソコンが一台ずつ設けられている。わたしだけが今日も居残って記事を仕上げていたのだ。一部だけつけた蛍光灯の灯りが届かない部屋の隅は、黒々とした闇がわだかまっている。
 なぜだか、ぞくりと寒気がした。
 慌てて視線をそらし、引き出しから一枚の紙を取り出す。鮮明ではないが人が映っており、冷たい瞳をわたしに向けている。彼がもし本当にロケット団の一員ならば。
 がたり。
 背後で何かがうごめく。やはり、誰かいる。
 わたしは振り向きざまにモンスターボールを投げつけた。ぽん、と乾いた音を伴って相棒のメタモンが飛び出す。あらかじめ指示しておいた変身を使い、メタモンは襲撃者に化けた。その姿は、
「ゲンガー!」
 ゆらりと暗闇のなかから現れたのは不気味に笑うシャドーポケモンだった。
「――やれ」
 あぜんとしているわたしの思考を裂いたのは冷静な声と、ほとばしる電撃だ。メタモンがばたりと倒れる。
 まさか、まさか。
 ゲンガーの背後からぬっと人間が出てくる。闇は粘着性を持っているかのようにその人間にまとわりつき、揺れ動く。いや、違う。黒い服を着ているのだ。それに黒いハンチングをかぶっている。
「警察が追ってこなくともマスメディアに追われちゃあ、こっちも動きづらいんでね。あんたの執念は見上げたもんスが、ここで全部消さなきゃオレもマズい」
「き、きみは」
「ご存じでしょうに」
 青年だった。あの念写の青年だ。
 ズボンに両手をつっこみ、不敵な笑みを浮かべている。その胸には大きな「R」の一文字があった。
「さて、あんたの持ってる情報全部渡してもらいましょうか。素直に出せばオレも手はださねェ。だが、もし抵抗するってんならこっちにも考えがある」
「くっ――! ロケット団は本当に存在していたのか!」
「おお、すごいすごい。そこまで調べたとは正直思ってなかったスよ。一応秘密結社なんでね、表には知られてないはずだが。まあ、それはいいか」
「ぜ、ぜったいに情報は引き渡さないぞ! わたしがお前たちを暴いてやる」
 青年は眉をひそめ、ゲンガーを見やった。
「熱いっスねェ。そういうの、嫌いじゃあないっスよ。そんな記者さんに予言をひとつあげましょうかね」
「予言だと?」
 ひょいと人差し指を上げ、青年は背を向けて窓へと歩いて行く。わたしはその間に新たなモンスターボールを掴んだ。
 この青年を捕えれば一大スクープだ!
「あと十秒で停電する」
 十、九、八…――。
 カウントダウンを聞きながらわたしはボールを開いた。中からドーブルが現れ、素早く青年に襲いかかる。ゲンガーは先ほどと同じ場所にいるから攻撃が届く前にトレーナーをかばうのは不可能。攻撃をドーブルにあてようとしても指示から技を出すのに命令を受けるのを含めて五秒はかかる。その前にわたしのドーブルが青年を捕捉できる。
 青年が振り向く。その顔に驚きがないのを見て、わたしはたじろいだ。まさか、予測していたとでもいうのか。
「ゼロォ!」
 突然の黒。本当に停電したのだ。しかし、予備電源に切り替わるはず。それともブレーカーを落としたのだろうか?
 数秒が長く感じられた。しばらく待つと予備電源に切り替わった。薄暗いとはいえ、じゅうぶんに辺りを見渡せる。わたしは窓辺に駆け寄った。そこに青年の姿はなく、わたしのドーブルが気絶していた。
 青年はどこへ?
 もしやと思い窓の外を見たがここは三階だ。飛び降りるのは――いや、彼は窓から侵入してきたようだから、飛行タイプのポケモンも所有していたのだろう。ならば脱出経路もここか。
 都会のネオンを眺め、わたしは現実ばなれした感覚をおぼえた。






「なあ、知ってる?」
「え、何を?」
「なんか昨日さ、タマムシ新聞が停電になったらしいよ」
「あ、それ今朝テレビでやってた。すごい磁気が発生して他のビルのパソコンとか壊れたってやつだよね」
「そうそう。それがさ、犯人はロケット団なんじゃないかって」
「ロケット団ってあの都市伝説の」
「おう。もし本当だとしたらすごいよな」
「そんなの噂にきまってんじゃん。都市伝説はしょせん都市伝説だって」
 バスが停車する。少年たちは会話を続けながら下車した。一番最後に降りようとした少年がふと背後を見ると、にやりと笑う黒ハンチングの男が見えた。

 

カエル師匠 ( 2013/02/24(日) 22:53 )