第3話 悪魔の微笑み―pleasure―
育美
「……」
夜、子供たちが寝静まるまでベッドルームで付き添った育美は深夜を迎える時間に家を出た。
そろそろ結果が出ている筈だ、晴香を殺した犯人の正体。
育美の目はいつものようなほんわかした優しいものではなかった。
確実にその視線には殺意が込められていただろう。
葛
「造(なる)はん! 待っとったで!」
育美は住宅街から少し離れた廃寺に向かった。
そこではあの情報屋の紅恋葛が先に到着していた。
育美は微笑むと、葛に手を振った。
育美
「お待たせしてすみません」
葛
「あ、いやその……別にそういうつもりやなくて……」
育美は丁寧に頭を下げて謝罪すると葛はしどろもどろになってしまう。
育美はクスリと僅かに微笑むと、葛の後頭部をある男が小突いた。
?
「おい、遊ばれてんぞ」
タバコを吹かせるその男は身長は高く185センチ程か。
体の隅々まで良く鍛えられたその男は気怠げな表情であった。
育美
「お久し振りです、大護君」
彼の名前は石蕗大護(つわぶきだいご)、復讐代行という暗殺を専門とする殺し屋だ。
何故育美がそんな男と知り合いなのか、それには過去にそれなりの縁があるのだが、今回は割合といこう。
葛は大護に小突かれると、頭を掻いて自分のペースを取り戻した。
葛
「月代晴香を殺した相手、調べがついたで」
調べがついた、その言葉を聞いた育美は顔色を変えた。
大護はただ黙々と経過を待っていた。
育美
「それは?」
葛
「先ずはや、造はんメルタンってポケモン知ってます?」
育美
「いえ……」
それは育美の知識にはないポケモンだった。
少なくとも自分が産まれる以前の時代のポケモンならほぼ全て把握している育美が知らないという事は。
育美
「新しい世代の来訪者ですか」
葛
「都市伝説レベルやが、メルタンの存在は仄めかされ続けた、いわくナットポケモン、液体金属で出来たポケモンや」
液体金属……!
育美はその言葉に一瞬毛を逆立たせた。
葛
「だが、恐らくコイツは共犯や、それも主犯やない」
育美
「主犯ではない?」
葛
「まず、月代晴香の遺体についてや、身体に液体金属が付着しておったものの、メルタンに性的レイプする趣味なんてあるんか?」
育美はその言葉を沈思黙考した。
晴香は性的レイプを受けていた。
メルタンはどういうポケモンだ?
液体金属の身体を持つ、それを直に見た討希は銃弾すら物ともしない、いやあれは金属の捕食?
ということはその生態から考えられるのは……!
育美
「晴香の身体を穢したクソ野郎がいる……!」
葛
「せや! 恐らくはメルタンを相棒とするクソ野郎がいる! 俺が調査した限り同様の事件は複数あった!」
育美
「そのクソ野郎については?」
葛
「コイツの名前は羽黒芸知巣(はぐろげいちす)!」
羽黒芸知巣!
育美はまだ見ぬその男に憎悪を持った。
そして一連の話を聞いていた大護はタバコを吸い終わると、携帯灰皿にそれを捨て、育美を見た。
大護
「ここからは俺の領分だな」
育美
「大護君……」
大護は育美の正面に立つと、育美を見極めようとしていた。
大護
「俺の本業は復讐代行だ、アンタは俺に代行を望むか?」
育美
「それは……」
育美はどうするべきか、恐らくここまで逡巡したのは産まれて初めてだろう。
自ら敵討ちを望む気持ちがあったからだ。
しかしそれはどんなクソ野郎であっても、育美自身がその手を汚すことを意味しているのだ。
しかしそんな中、今度は葛が大護の頭を叩いた。
大護
「痛ぇ」
葛
「お前も素直になれや! 造はんの為に手を汚したるって!」
大護は頭を擦ると、更にタバコを一本取り出した。
ジッポライターでそれに火を点けると、それを咥えて育美に言う。
大護
「アンタの気持ちは分かった、俺に任せてくれねぇか?」
育美
「つまり黙って見ていろと?」
葛
「造はん、造はんが凄い人なんは俺も大護も知っとる、せやけど造はんは人の親や」
大護
「子供いるんだろう?」
育美は唇を噛んだ。
だが、その通りでもあるのだ。
育美
「分かりました……復讐は大護さんに代行を依頼します、しかし復讐には同行させていただきます」
葛
「決まりやな、文句ないな?」
大護
「本来なら依頼料の話だが、まぁアンタが依頼主ならサービスだ、何度か世話になってるからな」
話が決まると、育美は微笑んだ。
一度俯くと今度は空を見上げる。
そして育美は……今は亡き晴香に誓うのだった。
育美
(晴香……貴方の無念私達が晴らすわ、どうか神々の祝福を……)
***
討希
「……ここにも」
暗い裏路地のストレート街道、俺は地面を隈なく捜索していた。
俺が血眼になって探していたのはあの液体金属の痕跡だ。
ほんの微量の異物、それは街の表以外なら至る所にこの液体金属は見当たった。
討希
「……かなり広範囲、だな」
俺は地図に発見した場所を赤い丸で覆う。
かれこれ見つけた痕跡は200以上、嫌に多いな。
まるで見つけてくれ、俺はここにいるぞと言わんばかり、そう挑発的だ。
討希
(魔術痕跡は相変わらず見当たらない、そういう意味でもこれはなんの符号だ?)
俺はこれをただの間抜けな犯罪者の符号だとは思わない。
晴香を殺し、あまつさえ死姦する外道を俺は許そうとは思わない。
だが同時にそれが俺を更に冷静にさせていた。
不自然な程多い痕跡、挑発的であり自信の表われ、或いは誰かを待っている……?
晴香の死が布石であるならば、犯人の行動予測を見誤る可能性もある。
俺の目的はシンプルだ、犯人を始末し、同時にその裏も潰す。
俺は再び地図を見た。
討希
「奴ら日中はどこに隠れている?」
今日びあれ程目立つ存在を見逃すなどほぼありえない。
ならば潜伏している筈だ、その場所は……!
討希
「地下……下水道か」
俺は行動予測から、犯人の位置、人物像を徐々に割り出しながら地下へと向かった。
討希
「『開け』」
俺は魔術を行使すると、マンホールの施錠を解錠する。
そのままマンホールは音もなく開くと、俺はその中に飛び込んだ。
俺は落下しながら周囲を最大限警戒した。
なんらかの迎撃システムが無いとは否定出来ないからだ。
俺は幸運に頼るつもりはない、持ちうる全てを出し惜しみするつもりもない。
地面が急速に迫ると、俺の身体は重力を無視して何事もないように着地した。
射程は短いが、その範囲であるならば現実さえ改変する俺の魔術は必然的にこういう使い方が前提だった。
討希
「水の流れ……」
俺は滑りやすい床に屈み込むと、魔素の痕跡を探った。
やはり見つからない……魔術師は関わっていないようだな。
地下は魔術における深淵の象徴、あのヨハネとかいう魔術師共が潜伏していても不思議ではない。
討希
(イスカリオテ機関の魔術師共……奴らも何時まで大人しくしているか分からん、だが割り込んでくるなら殺す)
俺は立ち上がると水の流れとは逆の方へと向かった。
俺は足音を隠し、存在を隠蔽しながら犯人を捜索する。
すると少し広い空間に俺はあの姿を発見した。
?
「さて、そろそろ次のエサでも探しにいくか」
中年の男がいた。
見た目は浮浪者そのもので、しかしガタイは良くなにより自信に満ち溢れた目は生気に満ちていた。
その隣には液体金属の身体を持つ少女と評すべきPKMがいた。
頭部が六角形の金色ナットになっており、身体は不定形のようで銀色のスライムと言って過言ではなかった。
俺は思考する、危険度が高いのはどちらだ?
迷う事はないか、俺は銃を取り出すと無言で男の方に向けた。
ズドォン!
轟音と光爆、マズルフラッシュが暗がりに明るく広がり、銃弾は正確に男の額を狙い撃つ。
脅威度なら得体の知れないPKMより、得体の知れた危険な思想の男の方だ。
だが、音に反応したのか、PKMの方が咄嗟に動いた。
PKM
「マスター!?」
PKMの身体がうねった。
液体金属が銃弾を覆う。
しかし銃弾は液体金属を突き破った。
討希
(前より高威力高貫通だ、簡単に『摘める』と思うな!)
PKMの驚異性は銃弾が殆ど効かない事だ。
だが咄嗟に動く身体の体積には限界がある。
だからこそ貫通したのだ。
PKM
「あ……!?」
PKMが男を振り返った。
男は瞬間的に身を捻ると、銃弾を頬を掠めた。
男
「ハ、ハハハ! 遂に私を殺す者が来たぞ!」
PKM
「マスター、後ろに!」
俺は二人に近づく。
男は俺を見て狂笑し、PKMの方は俺に警戒感を強めた。
討希
「貴様が月代晴香を殺めたのか?」
男
「はて? どなたかな? 一々殺した相手の事など覚えていないのでね?」
俺はその言動から、この男がまだ余裕がある事を理解した。
そして同時にこの男がただの快楽殺人鬼の異常者という事を認識する。
討希
「何故地上に痕跡をばら撒いた?」
男
「君のような男を待っていたからだ! 私はね? 退屈なのだよ、この世界が! PKMが現れて少しは刺激的になるかと思えば、世界はなにも変わらなかった! こんなにも刺激的な娘が現れたにも関わらず!」
男は熱気の籠もった熱弁を振るうが、俺には心底どうでも良かった。
男はPKMを手繰り寄せると、PKMは妖艶に顔を赤くした。
PKM
「あん、マスター……いま、は」
男
「ハハハ! メルト、お前は最高のおもちゃだ! 私の世界を刺激的にしてくれる!」
討希
「……刺激を求めるなら、地獄へ行け」
俺はそれだけいうと銃弾を乱射した。
火薬の炸裂音と強烈なマズルフラッシュが焚かれると男は怯んだ。
正面弾はメルト呼ばれるPKMに止められるが、ばら撒かれた弾丸のいくつかは跳弾となって、ハチャメチャな軌道を描く。
俺は弾丸の一つに予め魔術を刻み込んでいた。
『必ず当たる』という意味を込めた弾丸はメルトの脇を抜けた。
そのまま弾丸は跳ね返り、男の右足を撃ち抜く。
男
「ぐおおお!?」
メルト
「しまった!? マスター!」
討希
「ち……!」
俺はすかさず弾込めを行う。
当たった場所は致命的ではなかった。
必ず当たる弾も、当たりはするがそれがクリティカルヒットか、どうでもいい場所かは弾丸の狭い記述範囲には込められなかったのが原因だ。
このマギアバレット、まだまだ実用化には研究が要りそうだ。
メルト
「マスター! 一時離脱します! ラスターカノン!」
メルトは金色ナットの正面中央にエネルギーを集めると、それを解き放った。
周囲を破砕するメルトの一撃に俺はその場から退避せざるをえなかった。
土煙が視界を覆う中、俺は逃げていくあのメルトという女を目撃する。
逃がさん……奴らは。
だが、突然後ろから誰かがライトを片手に駆けてきた。
俺は足音に振り返ると、そこには。
大城
「先客かよ……!」
育美
「て、討希さん!?」
討希
「育美、だと?」
それは想定していなかったバッティングだった。
***
外に出た俺達はあの男とメルトと呼ばれたPKMを捜索した。
俺は育美に向けてまずこう言った。
討希
「家に帰れ、これは俺がやる」
育美
「討希さん……でも!」
討希
「お前は子供たちを守れ、俺がお前達を必ず守る」
俺がそう言い切ると、育美は苦しそうだった。
この関係、少し懐かしくなった。
初めて廃寺で出会った頃を思い出した。
育美
「私が貴方の為にある! それではいけないの!?」
討希
「俺はお前をそんな事に求めない」
育美
「……ッ!?」
育美も思い出したろう、かつても同じ言葉を俺は育美に使った。
育美に出来る事、そしてそれを実行することは別問題なのだから。
しかしこんな夫婦の諍いに、あの男……大護は口を挟んできた。
大護
「少しは嫁さんの気持ちを汲んでやってもいいんじゃねぇか?」
討希
「なに?」
俺は大護を睨みつけると、大護は「やれやれ」と頭を掻いた。
大護
「アンタ考え方が前時代過ぎるんじゃねぇーか? この人にゃもう背負うべき覚悟もあるんだよ」
育美
「討希さん私……やっぱり、私は討希さんの為にありたいの! 軽蔑してもいい! 貴方の女……なん、だから……!」
育美は堪えられず泣き出した。
俺はそんな育美の想いに困惑する。
大護
「他人が口を挟むべきじゃねぇとは思うが……今回は俺もいる、奥さん信用してやってくれよ」
討希
「育美……俺は普通の生き方は恐らく今後も出来ない」
育美
「構わない! 貴方の全てを受け入れたんだもの!」
討希
「それでもいいなら付いてこい」
俺はそう言うと背中を向けるのだった。
育美は嬉しそうに頷いた。
以前は育美の方が折れたのに、今度は俺が折らされた、か。
『突然始まるポケモン娘とあの夏の運命の物語』
第3話 悪魔の微笑み―pleasure― 完
第4話に続く。