新2話 復讐の誓い―vengeance―
晴香
「……! ……!?」
暗い裏路地、光が僅かにしか届かないその場所に晴香は無理やり引き摺るように連れ込まれた。
彼女は必死に抵抗したが、彼女の四肢を動かぬよう拘束し、そして口へと流れ込む謎の液体金属。
まるで正体が掴めない、怪しげなオカルトか? それともそういうPKMなのか?
だが晴香は内蔵まで液体金属に犯され意識が朦朧とする中、僅かに視界にその『男』を捉えていた。
男
「ふふふ、流石だメルト……こうも簡単に♪」
その男の顔は晴香側からは見えなかった。
泣いてしまう程の絶望の中、晴香はその男が愉悦に微笑んだのを感じた。
ああ、殺される……彼女はやがてゴトリと……その命が尽きる音がした。
***
討希
(魔素に痕跡がある)
俺は人の気配のしない繁華街で道の中央で屈み込んだ。
魔術が使われた時、その場所では魔素の量に変化が生じる。
この魔素の痕跡は間違いなく、あのヨハネ達の魔素だろう。
だが、街にそれ以外使用された魔素は検出出来ない。
晴香の気配を探したが、どうしてもその痕跡は途中で途切れていた。
だが、俺はとある暗がりを見た。
暗がりは遥か古代より魔が潜む場所。
心の深淵の闇に手を差し込んだとき、人は魔術師となった。
俺は無意識の内に裏路地に踏み込む。
薄汚れた裏路地はネズミが湧き、不衛生な場所だった。
俺は生物の力を借りる魔術は苦手だが、その分行動物理学で補う。
討希
「何か引きずったような跡……晴香!?」
俺は足元の泥濘が引きずったような跡であることに気がついた。
それと同時に水銀のような液体金属が周囲に僅かだが付着していた。
嫌な予感がした、俺は急いで路地を駆けると開けた場所に出た。
その時俺はその凄惨な光景に言葉を失った。
討希
「な……」
俺は晴香を発見した。
だが、それは決して良い事ではなかった。
晴香は服を剥かれ、レイプされた後に殺害されていた。
いや逆か? 殺害された後にレイプされた?
いずれにしろ裸体のその遺体は、目が光を失い、晴香の美しかった月の羽も完全に消滅していた。
ガサ!
討希
「何者だ!?」
俺は晴香の姿に衝撃を受けたあまり、注意力が散漫になっていたのか、物音への反応が遅れてしまった。
俺は咄嗟に物音の方を見ると、銀色のスライムのようなものが逃げているのを目撃した。
俺は迷わず銃を取り出すと、銀色スライムに発砲した。
マズルフラッシュは強く焚かれ、銃声の轟音が静かな繁華街に響いた。
これで『嫌でも』ここに人は来る、そして弾丸は銀色スライムに直撃するも、その身体に吸収されるだけだった。
?
「今の音は!?」
銃声を聞きつけて、人が集まる。
俺は追うのを諦め、その場から離れた。
クソ……これを宵にどう説明する?
***
翌日晴香の死はあらゆるメディアが報道するものとなった。
母がいつまでも迎えにこない宵は不安になりながらも、悠気と育美の側で一夜を過ごしたのだ。
だが、母の死の報道を受けた宵はその意味を正確に把握は出来なかった。
宵
「ねぇ、どうしてママがテレビに映っているの?」
幼い宵に死を感じろというのは酷だったのであろうか?
宵はテレビに晴香の顔写真が映っている事に疑問を覚えた。
だだ、それを悲しく見た大人の育美はただ大粒の涙を流して宵を抱きしめた。
育美
「うぅ! 宵ちゃん……晴香は……! 宵ちゃんは私が必ず護るから……ッ!」
悠気
「お母さん泣いてるの? ねぇ、なんで?」
悠気もまたこの頃は幼い子供でしかなかったのか。
まだ晴香の死も、そしてそれに泣く母親も理解は出来ていなかった。
ただ、悠気は幼くとも、この光景は強く刻みつけ、宵を護らないといけないと思わせるだろう。
宵
「あのね? ママ泣いたら幸せさん逃げちゃうって……だから、だからぁ」
宵は必死に育美を慰めた。
立場が逆転しているみたいだが、宵も一杯一杯であり、その顔は直ぐにも泣き出してしまいそうだった。
悠気は堪らず二人に抱きついた。
悠気
「駄目ッ! 二人は僕が護る!」
育美
「悠気……」
育美はそんな息子に、これではいけないと涙を拭った。
いつまでも親友を失った事にクヨクヨしていられないのだ。
育美
「悠気、宵ちゃんのいいお兄ちゃんでいられる?」
悠気
「うん! いられる!」
宵
「悠気お兄ちゃん……」
育美は立ち上がるとニコリと笑った。
そして二人の頭を優しく撫でる。
育美
「ふたりとも、お母さん少しお出かけしてきます♪ 良い子でいたら美味しいオヤツをプレゼントしましょう♪」
宵
「本当? プリンがいい!」
育美は無邪気な子供が悲しみに暮れず笑顔でいてくれるのが、何よりも幸いだった。
そんな子供達を見て、育美は約束する。
育美
「ええ♪ とびっきりの美味しいプリンを約束します♪ だから、お家で仲良くしましょうね?」
悠気
「はーい!」
宵
「はい!」
二人は元気よく返事した。
育美はそれを見て満足すると、出掛ける準備をした。
子供たちに背中を向けると彼女が思案したのは。
育美
(許さない……! 晴香の無念、必ず犯人に報いを与えてみせる!)
その顔は恐ろしい程冷酷で紅い瞳が、確かに何かの像を捉えていた。
***
育美は直ぐある男に連絡を送ると、その男は二つ返事で応じてくれた。
育美はとある待ち合わせに何度も利用してきた廃寺の境内である男を待っていた。
その男は石段を登ってくると、笑顔で手を振った。
男
「やあ! お久し振りですわ造(なる)はん!」
この軽薄そうな男の名前は紅恋葛(ぐれんかつら)、その筋では有名な情報屋だった。
過去に何度か懇意にしていた縁もあり、この葛という男は育美に大層な恩があった。
恐らくは仕事の合間を抜けて、ここにやってきたと思われるが、律儀で生真面目な男だった。
育美
「葛君お久し振りです、相変わらずお元気そうで」
育美は礼節を弁え、古式ゆかしくその男に頭を垂れた。
傍目からみても、そのどこぞのお嬢様かなにかを思わせる立ち振舞いに、葛は照れくさそうに頭を掻いた。
葛
「止めて下さい! そんなんナシや、それより依頼……そうでしょう?」
育美はその言葉に一瞬、冷酷な視線が葛を襲った。
葛は根源的恐怖に襲われると、一瞬で全身が凍りついたかのように硬直した。
汗が全身から吹き出すと、次の瞬間には目の前の美女は優しく微笑んでいた。
葛
(なんや今の? 造はんホンマ分からんお人でっせ……)
造という偽名、育美がかつて地上で使っていた偽名の一つだ。
この男になら本当の名を伝えても良かったのだが、平穏に暮らしたい育美は敢えて伝えなかった。
それよりも今は目的の方が優先だ。
育美
「月代晴香というPKMはご存知ですか?」
葛
「それめっちゃ今話題の人やん! 確かクレセリアのPKMでしたっけ?」
情報屋である葛はあらゆる情報を常に収集していた。
情報とは価値ある物であり、それを商品として扱うからこそ、彼の生業は成り立つのだ。
育美
「死因を知りたいのです……」
葛
「死因?」
情報では窒息死となっていた晴香の死因だが、場には奇妙な液体金属のような物が散らばっていたという。
夫である討希は実際現場で怪しい銀色のスライムを発見していた。
育美はただ、拳を強く握りしめた。
葛
「造はん……もしかしてその故人、親しいお人やったんですか?」
葛はその超常たる存在の異変に気がつくと、その感情の意味を察した。
育美は辛そうに首を縦に振った。
晴香は神から人へと墜ちた時、最初に出来た友達でもあった。
そんな彼女の恋を時に応援し、時に慰め、そして時に笑いあった。
ママ友になった彼女はみんなの纏め役でしっかりとした大人へと成長したのは育美にとって微笑ましかった。
宵の養育は晴香一人では辛かったが、晴香は育美に頼っても、子供の事は心から愛していた。
ただ育美は、そんな晴香と宵に降り注いだ理不尽を許せなかったのだ。
葛
「1日……いや夜まで時間下さい、造はんの無念……俺が晴らします」
葛は真摯にそう言った。
育美は驚いた、ただ情報が欲しかっただけなのだ。
無理に踏み込めば今この街はなにがあっても不思議ではない。
討希は魔術師に戻り、自ら征伐に来た魔術師達を迎撃する。
そしてそこに晴香を惨めに殺害した外道がいたのだ。
育美はそれを許しはしない、と同時にその危険を葛に背負わせる気もないのだ。
育美
「報酬は言い値で支払います、ですが情報だけでいいのです」
葛
「造はん……俺もこの事件は許せん! 俺も戦わせてくれ!」
葛はそう言うと頭を大きく下げた。
30代半ばのその男は戦いならば取り立てて役に立たないだろう。
だが葛は高い知能を活かし、必要な物を取り揃える。
葛
「造はん、あんさんは復讐を心から望んでいる、そうやろ?」
育美
「復讐……ですか?」
育美は手で顔を覆うと、思ってもみなかったその言葉を考えた。
育美にとってそれは神罰だ、断罪に憎悪の念を持つことは許されなかった。
しかし地上の毒に冒され続けた育美は気が付かなかった、己が憎悪を理由に戦おうしている事を。
育美
(ふ、完璧な神、か……もう、そんな仮面すら私にはないのだな)
育美は自嘲した、全くもって滑稽だった。
育美
「ええ! 復讐、そうです! 報いを与えたい! 我が友の痛み何万倍にしてでも犯人に返してやる!!」
育美はそんな自分に納得した。
毒され変調を来して壊れた神のそれとなった己はどこか心地良く、ようやくわだかまりを抜け出したのかもしれない。
復讐だ、育美は強くまだ姿見えない犯人にその憎悪を向けるのだった。
葛
「いい男紹介したる、ゆうても造はんの知っとる奴やがな!」
葛はそう言うと育美とは対照的に笑った。
今、育美の無慈悲で身勝手な復讐は静かに始まった。
***
その後育美は子供たちとの約束を済ませる為に帰宅すると、子供たちに最高のプリンを提供した。
子供たちは近所に住む萌衣も含めて大絶賛した。
その楽しい時間を味わって、育美は改めて己の想いを確固たるものにする。
育美
(そう私はアルセウス、創造と秩序の神……でもそれは詭弁!)
かつて神々の王さえ除けば地上最強の存在だった育美は、その全てが取るに足らない物だった。
見下していたとさえ言える、強者の証明だった。
だが今は子供たちを見守る優しい母親だった。
なにが重要で、何に抗うのか……育美という人間のエゴが確固たる物になってきた証である。
萌
「ねぇ、育美?」
突然ママ友の萌が育美のエプロンの袖を引っ張った。
育美は振り返ると萌は笑顔だったが、どこか複雑そうな顔をしていた。
育美
「どうしたの萌?」
萌
「宵ちゃん事、ううん悠気ちゃんの事もだけど、これからどうするの?」
正輝
「その、育美殿……、言っては難だが、二人の面倒をみるのは大変ではないか?」
高雄夫妻は子供たちが遊んでいる間に育美の側に寄った。
二人はとても優しく親切な方達だった。
子供たちに対しても悠気や宵にさえ、この二人は無償の愛を捧げてくれる。
そんな二人の優しさに育美は心を打たれるも、育美は気丈に首を横に振った。
育美
「悠気は勿論、宵ちゃんも私は面倒見ます」
萌
「でも……」
正輝
「我々は生活に余裕がある、宵ちゃん一人なら」
育美
「違うんです、宵ちゃんもいずれママが帰ってこない事に気付きます、その時私は側にいてあげたい……もう子供が親の愛を受けられないなんて、私は宵ちゃんに幸せになって欲しい!」
育美はかつて自らの子供に辛い枷を与えざるを得ない事態があった。
3人の娘、長女のディアルガ、次女のパルキア、末女のギラティナ。
神々の王との協議で十柱の神としては一人が除外される事は決定していた。
その決定を大きく主導したのは他でもない育美だった。
育美にとってもギラティナを除外することは断腸の思いであった。
しかし久方振りに補充された神を自らの創造の力で産み出した育美は、周囲に示しをつける必要もあったのだ。
その結果長女のディアルガこと今の名は常葉永遠(ときわとわ)は強く育美に反発、憎しみを永遠の中に育てさせた。
更にギラティナは心に深い傷を残し、何処かへと去っていった。
あの最低な自分があるからこそ、もう過ちは犯せないのだ。
萌
「そう……分かったわ、でも友達として言うね? 困ったら絶対私を頼ること、約束よ?」
萌はそう言うといつもののんびりな笑顔を育美に向けた。
その夫の正輝も無駄に暑苦しい笑顔を浮かべると育美にガッツポーズを捧げた。
正輝
「ガハハ! 俺達は育美殿の窮地なら、放ってはおけぬ性分だからな!」
育美
「クスクス、覚えておきます♪」
育美が辛い時、育美を支えてくれる者はこうも多い事、育美は感謝しなければならない。
葛に高雄夫妻、彼らは頼れる味方だった。
そんな彼らに育美はどんな感謝を贈れるだろう。
『突然始まるポケモン娘とあの夏の運命の物語』
第2話 復讐の誓い―vengeance― 完
第3話に続く。