第35話 常葉命と百代幸太郎
幸太郎
「悠気の奴……一体どうしたのだ?」
屋上で悠気が頭を悩ませている頃、一方で幸太郎は奇妙な思いに目を細めた。
幸太郎
「吹寄……か?」
知らない名前だった、むしろ知らない生徒の方が多いのだが。
幸太郎は人付き合いは多いが、しかし名を知る女子はそれ程多い訳でもない。
いずれもそれは幸太郎の恋愛価値観が異なるから性がないのだが。
幸太郎は記憶を振り返っていく。
幸太郎
「あの時、暴漢から助けた少女か?」
顔は覚えていない、だがなんとなく平均よりも細い少女という印象が残った程度だ。
今更直接会っても誰だったかなんて当てられる自信は無かった。
それ程まで絶望的に幸太郎の印象に残らなかった吹寄女子、運命の歯車は残酷な血で染まるのか。
***
放課後、柔道部はいつものように部活を開始した。
この学園では柔道部を筆頭に、バスケ部と剣道部が体育館を使用している。
学園では伝統的に柔道部と陸上部が強く、最近は控えめだが伝統があるのが剣道部といった所だ。
それ故に最も体育館を広く使えるのは柔道部の特権だった。
幸太郎
「ふ、ふ!」
そんな中、今日もストイックに幸太郎は準備運動を進めていた。
誰よりも早く体育館で部活の用意をするのも進んで幸太郎がやってきたルーチンワークのようなものだった。
ギャアギャア!
しかし、そんな時無粋な声が体育館外で騒ぎ立てていた。
幸太郎
「む? またか?」
いつもの調子であれば珍しい事ではない。
体育会系の集うこの体育館周辺には血の気の多い学生が多いのだから。
だが、今日はそんないつもとは様子が違った。
喧騒が長く、どうしたものか幸太郎は様子を見に行った。
すると、そこにいたのは。
命
「あーもう! 鬱陶しいです!」
幸太郎
「命?」
そこにいたのは竹刀を構えた常葉命の姿だった。
周囲にはまともに制服も正せない不良が命の周囲を囲んでいた。
命は天才的センスと野生の勘で凌いでいるが、3対1の状況は芳しくなかった。
ヤンキーA
「なにそんなチビに手こずっている!?
命
「誰が豆粒ドチビですかコラー!?」
身長が低い事をコンプレックスにする命は過剰反応、ロリ巨乳とよく評されるその身体は同学年では群を抜いていた。
命
「どうせ全国平均トップクラスの低身長ですが、チビ呼ばわりされる筋合いはないであります!」
命は激昂するも、後ろから掴みにかかる不良に野性的な勘で、後ろ蹴りを放った。
命の蹴りは不良の腹部に刺さる、だが踏み込みが浅い!
命
「ち!?」
ヤンキーA
「潰せ!」
ヤンキーB
「うおおお!」
乱戦の状態は好ましくない。
命はなるべく隙を作らないよう構える。
だが、幸太郎は音もなく忍び寄ると、命の後ろの不良の腕を捻りながら拘束するのだった。
幸太郎
「いい加減にしないか貴様ら!?」
幸太郎の怒号に場は一瞬静まりかえった。
幸太郎はこの乱闘騒ぎを止めると、主犯格と思える不良を見定めた。
中央にいた金髪不良は幸太郎を見ると、ギリッと歯軋りした。
ヤンキーA
「百代テメ……!」
幸太郎
「ここは学園だぞ? 理解しているのか?」
命
「どうせクサレ脳ミソに何言っても無駄であります!」
幸太郎
「命、言い方」
命
「訂正するです! このド低能がァーーッ!」
不良共は呆然とした、幸太郎は頭を抱えると。
杏
「喧嘩する馬鹿はどこだー!? 今日から私が教育してやる!」
ガチギレした杏先生がやってくると、ヤンキー達は慌てふためいた。
ヤンキーA
「ち!? 覚えてろ!?」
不良達はそのまま蜘蛛の子を散らすように去っていくが、マジギレした杏先生は何人かを蜘蛛の糸で拘束していく。
幸太郎はそのまま命の手を掴むと体育館へと誘導した。
命
「助かったです幸太郎……あ痛!?」
幸太郎は無言で、命に拳骨を放つと、珍しく怖い顔で命に迫った。
幸太郎
「命? 貴様私闘を興じようとは随分大きく出たな?」
命
「あ、いやこれには深い事情があってですね?」
不良相手にあの悪態をつけた命も本当の力関係を知っている相手には猫のように大人しかった。
幼い頃は兄弟のように育ち、今ではある程度距離を置いているが命にとってこの兄のような存在には頭が上がらないのだ。
幸太郎
「お前は短気過ぎる、折角の武も、そのままでは悪になるぞ」
命
「うぅ……反省するのです、でも今回はあの知力25共が絶対悪いのです!」
幸太郎
「言い訳無用!」
幸太郎がそう言い放つと、命はビシッと背筋と尻尾を伸ばした。
幸太郎は「はぁ」と溜め息を放つ。
幸太郎
「アイツら知力19位では?」
命
「昭和の男の方が絶対賢い! だって16カケ55の算数で28って答えるタイプですよ!?」
幸太郎は頭を抱えた。
命は昔から運動神経が良くて、よく有り余ったパワーを無軌道に発散させた。
ただの人間である幸太郎はそんなイーブイのPKMとして成長していく命を抑える為に武を極めようとした。
幸太郎と命は共に禅を習い、武を習得していったが、命は武よりもナードな趣味を好むオタク女子だった。
幸太郎
「兎に角無益な私闘は悪と知れ、真の武術家は戦わずして勝つ事が究極だぞ?」
命
「仰ることは分かりますが、現役JKに真の武術家を説くのは過酷だと思いますです」
幸太郎
「ともかく因果は必ず巡るぞ……、お前も努努忘れぬようにな」
命
「お釈迦様の説法ですか……把握したであります。私今日は剣道部の助っ人ですから」
幸太郎
「ああ、もう行っていい」
幸太郎にとって命はそれだけ大切な存在だった。
命もまた、そんな幸太郎に笑顔を向け尻尾を振って更衣室に向かった。
そして、そんな一部始終を見ていた男がいた。
***
悠気
「うわ、ようじょつよい」
宵
『悠気が壊れたー!?』
俺は喧嘩を屋上から確認すると、その一部始終を見ていた。
特に幸太郎と常葉の二人は本当に仲が良く、それは俺と幸太郎の仲の良さを優に上回る程だ。
はっきり言おう!
悠気
「なんだあのチート幼馴染系ヒロインは?」
宵
『正に最強の正妻って感じだねー』
幸太郎をどうやって吹寄とくっつけようと思考していたら、そもそもあんなチート級ヒロインがいるなんて想像してなかったよ。
そりゃどうやっても吹寄に勝ち目ねーわ。
でも、それ認めたら百パーセントと吹寄自殺のバッドエンドだからなぁ?
悠気
「くそ……どうすりゃいいんだ?」
宵
『いっそ幸太郎の悪い噂を流すとか?』
悠気
「昔虹○バリヤーというのがあってだな? 多分命はそのタイプだ」
あと、悪い噂を流しても幸太郎の高い信用に通用するか疑問だけどな!
宵
『むしろよく悠気って爆弾付かないね?』
悠気
「てか、リアルに爆発はねーから!?」
俺は姿の見えない宵に突っ込むも、周囲には目線があり、俺はコホンと咳き込んだ。
悠気
「とりあえず退散!」
俺はそう言うと、体育館前から飛び出すのだった。
***
瑞香
「あーん? 不良ー?」
悠気
「うむ、心当たりはないか?」
あの後、体操服姿の瑞香に俺は頼った。
一度なら偶然だが、2度目があると流石に気になる。
最もこれを気にしたのは宵の方だったが。
瑞香
「よーし、一発殴らせろ!」
瑞香は拳を固めると、既に臨戦態勢だった。
悠気
「ちょ!? なんで聞いただけで!?」
瑞香
「私は不良扱いされるのが! 一番嫌いなのよー!!」
悠気
「理不尽だー!?」
グシャリ! 俺は顔面に瑞香のグーパンを貰うと、そのまま後ろから倒れた。
宵
『うわ? 低乱数1発って所かな?』
悠気
「いてて……!」
幸い鼻は折れていない、瑞香の奴何気に冷静に当てる場所を調整しやがったな?
俺は痛む顔面を抑えると、瑞香は満足げだった。
瑞香
「それで不良だー? ヤンキー共のこと調べてどうする気よ?」
悠気
「事件を起こす前に対処が必要だろう?」
瑞香
「そんなの先生か警察に任せたら?」
宵
『正論だねー?』
正論だが、それで納得したら間違いなくバットエンドに直行するだろう。
全く神様サディストだぜ、皮肉な事に常葉命は幸太郎を救えはしない。
幸太郎の自戒は、誰かに救う事等はじめから出来ないのだ。
ただ吹寄という抜けない毒が永遠と幸太郎を苦しめるのみ。
悠気
「後顧の憂いだ、そういう物なんだよ」
瑞香
「ふーん、だったら一応忠告よ、アンタの言ってる不良……もしかしたら相当ヤバい奴かも」
悠気
「なに?」
俺は眉を顰めた。
昨日は一人、今日は複数だったが、もしかしてなにかヤバいバックが存在するのか?
瑞香
「生徒会長レイプ事件覚えてる?」
悠気
「七竈星生徒会長の件か?」
宵
『なっ!?』
宵は知らなかったのか絶句している。
というかむしろ生徒会長と面識があるのか?
瑞香
「そう……あの時、レイプに参加した男子生徒達は3人全員あの葛樹先輩が半殺しにしたけど……あの事件には裏があったとしたら?」
葛樹光先輩は暴行罪で警察に捕まり、退学となった。
そしてそれ以来七竈先輩もまた、学校へは不登校になってしまったのだ。
悠気
「事件は繋がっている、と?」
瑞香
「私も流石に想像でしか語れないけど、あの事件だって発端は未だに不明なんだしさ? なにがあっても不思議じゃなくない?」
俺は腕を組むと唸った。
俺の知っている世界線では不良がそんな騒ぎを犯したなんて語られていない。
いや、知らなかっただけか?
水面下で起きていた事に俺は無関心過ぎた。
そもそも幸太郎に最強チートヒロインがいた事さえ知らなかった。
俺は知ろうとさえしなかったのか?
悠気
「情報ありがとう……」
俺は彼女に頭を下げると、感謝を述べた。
瑞香
「ちょっとアンタ!? 起きた事は覆せないわ、覆水盆から溢れるでしょ?」
悠気
「それを言うなら覆水盆に返らずな?」
瑞香
「とにかく! アンタが何しようとしてるのか知らないけど、下手な事に首を突っ込むなって言ってるの!」
俺は無言で運動場を去る。
瑞香を心配させちまったが、それは常識の範囲の話で、だ。
宵
『覆水盆に返らずかぁ、ある意味でそれは間違っているね』
悠気
(ああ、俺達がそれを変えに来たんだからな……!)
起きた事は覆せない。
それは確定した世界線にとってはそうだろう。
だが、俺はそんな巫山戯た世界線を認めるつもりはない。
神が残酷な決定をしたなら、俺は反逆する。
それが俺の誓いなのだから。
***
翌日から俺は今まで知らなかった動きの調査を開始した。
不良達はグループを作っているらしく、学園でも至る所に姿があった。
ただ、普段は大人しいというか、尻尾を掴ませない。
なにか指示があった時だけ動く、一種の非常勤職員のようなものか?
悠気
(吹寄自殺と関係あると思うか?)
宵
『これがサスペンスとかだったら絶対あるよね!』
吹寄の黒い噂、根も葉もない荒唐無稽な物ばかりだったが、レイプという言葉がどうしても引っかかった。
七竈先輩をレイプした犯人達はその後学園から退学処分を受けている。
あれが今回のただの氷山の一角だったとしたら、恐るべき組織力が不良達にはあるって事になる。
悠気
「漫画やアニメじゃあるまいし……」
宵
『事実は小説より奇なりってね?』
悔しいが宵の方が正しいかもな。
見ない事が最善だと信じてきた俺は究極の日和見野郎だったろう。
勿論そんな過去の俺はもう存在しない。
しかし、そのツケがこれなら正に天罰だな。
悠気
(それが罰なら、幾らでも刑を受けよう……ただし、俺流のやり方で落とし前はつけるがな!)
俺はそう覚悟を決めると、不良達の観察を続けた。
正直……未だに幸太郎を救う道が見えたとは言えない。
安易に考えていた訳じゃないが、やはり俺はどこかで侮っていたのか?
俺にとって幸太郎を救う事もまた、夢の道への過程。
夢の世界完成に必要なピースは……もうそう多くはない。
『突然始まるポケモン娘と夢を見る物語』
第35話 常葉命と百代幸太郎 完
第36話に続く。