第31話 山吹姉妹のすれ違い
悠気
「ユズちゃん……か」
俺は朝、家に泊まった瑞香の為に朝飯を用意していた頃だった。
瑞香はもう問題は無いだろう、しかしまだ夢の世界に帰還は出来ない。
まだ瑞香の願いを叶えたとは言えないのだ。
彼女の妹山吹柚香もまた、このままでは失意の中に墜ちる可能性は捨てきれない。
なによりそんなユズちゃんを俺は正気じゃ見てられない。
タンパクな態度である事は楽だが、見る見る内に堕ちていく姿は見ているのは心苦しい。
だから……俺は。
瑞香
「おはよう〜」
階段を降りてきた瑞香はまだ眠そうな顔で挨拶した。
俺は振り返ると、微笑を浮かべた。
悠気
「ああ、おはよう。よく眠れたか?」
そんな俺を直視した瑞香は急に顔を赤くした。
そのまま彼女は慌てた様子で洗面台に向かった。
瑞香
「か、顔洗ってくる!」
悠気
「お、おう?」
俺は顔を隠してドタバタ走って洗面台に向かう瑞香を見送った。
突然何を照れてるんだ?
瑞香
(もうなんて顔すんのよ!? 私身嗜み整えるのもまだなのよ!? は、恥ずかしくて顔見せられないでしょうが!?)
宵
『はぁ……悠気、女心分かってない〜』
悠気
(何故いきなり!?)
後自分が女心理解するのはもう放棄したから!
俺は俺らしくやるしかねーの!
***
悠気
「瑞香、ほいこれ」
通学時間を迎えると俺達は学生服に着替えて一緒に家を出た。
そんな瑞香に俺は弁当を差し出す。
それを見て瑞香は驚愕し、ふるふると震えだした。
瑞香
「あ、アンタって奴は〜!? 主夫かこんにゃろ〜!?」
瑞香は俺の手から弁当箱を分捕ると、顔を真っ赤にして全力で走り出した。
また怒らせたのか、俺は呆然としていると宵は呆れたように説明する。
宵
『瑞香ちゃん優しくされる事に慣れてないんだから、そんな出来る有能主夫感出したらそりゃイチコロだよ〜』
悠気
「そ、そういう物か?」
やってる俺からすれば、全く分からないのだが、瑞香の奴恥ずかしいのか?
宵
『悠気は女心は理解してないけど、ナチュラルに人をダメにするタイプかも……』
悠気
「俺はどこぞのクッションか!?」
俺は宵に突っ込むと、少し足早に瑞香を追いかけるのだった。
***
瑞香
「はぁ、はぁ、はぁ!」
瑞香は悠気が見えなくなる所まで全力で走ると、息を整えた。
昨日から悠気の見えていたイメージが大きく変わり、それは瑞香にとって尽くクリティカルだったのだ。
瑞香は気がつけば握っていた弁当箱を見た。
瑞香
(ゆ、悠気の弁当……わ、私貰っちゃった……♪)
瑞香はそれがどういう意味か知っている。
それは『悠気』が瑞香の『為に』用意した弁当なのだ。
瑞香はそれを想像すると、もう堪らなくニヤケてしまった。
瑞香
「う、うふふ♪」
極めて表情を緩ませたその至福のトロ顔は奇妙そのものだった。
もう妄想が恥ずかしくて、その場で身悶えてしまう。
だが、そんな奇形を『そんな所』でしていれば、その男はそれを見てしまった。
幸太郎
「瑞香……お前?」
その瞬間、瑞香は天国から一瞬で地獄に叩き落された気分だった。
ギョロリと虚無を見つめるような目で幸太郎を見ると、ボソリと瑞香は呟いた。
瑞香
「見たのね? よし、殺そう」
***
ギャアギャア!
悠気
「騒がしいな?」
いつもの通学路、小さな猫の額のような古寺の石段の前で、なにやら人集りが出来ていた。
その場所は色んな意味で俺にとって重要な場所だ。
古くは宵に助けられた場所であり、今では多くの学友と合流する場所。
そして夢の世界においても中心といえる座標だ。
幸太郎
「お、おおお、落ち着け山吹!?」
瑞香
「私の為に死ねぇぇぇ!?」
俺は人集りを掻き分けると、そのあまりの光景に頭を抱えた。
ガンギマリした目の瑞香が、地面にへたり込んだ幸太郎に襲いかかっているのだ。
体格差もあり、幸太郎は必死に抵抗しているが、瑞香のパワーは侮れない。
絶対アイツ攻撃種族値130はあるからな。
宵
『まるでとあるロボットアニメの主人公みたいな事言ってるね〜』
悠気
(突っ込まんからな)
俺は「はぁ……」と溜息を零すと、瑞香に背中から気配を殺して近づいた。
瑞香
「殺気!?」
だがしかし! 瑞香の奴! こっちが気配を消しているにも関わらず第六感で後ろに振り返り、手刀を放ってくる!
悠気
(こいつ腐ってもエスパータイプの血か!? 陰性じゃねーのかよ!?)
俺は驚愕するも当たると冗談では済まないので、アルセウスの力を少し引き出した。
瑞香の手刀を眼前で受け止めると、俺はそのまま瑞香の手を離さない。
やがて、俺に気付くと瑞香は急に大人しくなるのだった。
瑞香
「あ、ゆ、悠気……」
悠気
「この馬鹿が、周りを見ろ!」
瑞香
「あ……」
瑞香は熱中するあまり気が付かなかった、周囲を取り巻く視線を。
俺は瑞香を大人しくすると周囲に対して大声で言った。
悠気
「もう大丈夫ですからー! はい、散って散ってー!」
それを聞くと野次馬は直ぐに興味を失せて去っていった。
魔術の軽い人払いの応用だ。
つか、なるべく自粛している人間に魔術使わさせるの辞めて貰えません!?
瑞香さんは一体なんなんだろうね!?
瑞香
「そ、その……ごめんなさい」
悠気
「謝る相手が違う!」
俺はそう言うと、瑞香は後ろ振り返った。
起き上がる大男、百代幸太郎はズボンを手で払い、砂を落とすと改めて俺達と向き合う。
幸太郎
「はぁ……気にするな、たまたま地雷を踏んだけだ」
そういう幸太郎を俺は目を細めた。
今の幸太郎はまだ、彼女……吹寄さんを自殺させる前の姿ではない。
だが遅かれ幸太郎は自らを責めだす。
悠気
(幸太郎、必ずお前も救ってみせる!)
俺はそう静かに決意すると、瑞香は幸太郎にペコリと頭を下げて謝罪した。
瑞香
「ご、ごめんなさい」
幸太郎
「ふ、お前の暴力女の異名、久し振りに思い出したよ」
幸太郎は腕を組むとそう言った。
瑞香はそれを聞くと耳まで真っ赤にした。
すっかりやさぐれた不良と化した瑞香は、自分の黒歴史を掘り起こされた格好だ。
瑞香
「お、おほほほほ♪ なんの事かしら〜?」
悠気
「妙な笑い方してないで行くぞ」
俺はそう言うと瑞香の手を引っ張った。
瑞香
「あ……!」
瑞香は慌てて手を振り払った。
瑞香
「は、恥ずかしいじゃない!? もう!」
瑞香はそう言うとツンとした態度を返した。
俺はやれやれと頭を掻く、本当に瑞香の奴なにを照れてるんだか。
しかしそんな風に寺の石段前で立ち止まっていると、後ろからある下級生がそっと静かに声を掛けてきた。
柚香
「お姉ちゃん……悠気先輩」
瑞香
「あ……ユズ」
それはユズちゃんだった、二人は気不味い顔を合わせた。
俺はそんな二人に目を細めた。
悠気
(すれ違い……必ずしも相手の幸福を願う事が、その相手の幸福に繋がるとは限らない、か)
もし神様が狙ってこんな事をしたってんなら、相当のサディストだな。
だが……俺はそれに答えを出さないといけない。
悠気
「コウタ、先行っててくれ」
幸太郎
「ああ、お前達こそ遅れるなよ?」
空気を読むことに長ける親友がいるってのは、これ程ありがたい事はないな。
幸太郎がいなくなると、俺は少し離れた場所から二人の事を伺った。
宵
『ねぇ見ているだけでいいの?』
悠気
(力技であの二人の関係を修復出来るなら幾らでもやってやる、それが出来んからこうなっているんだろうが)
宵の意見も最もだが、今は俺が手を出しても両方に得にはならない。
瑞香は多分大丈夫だ、もうそこまで頑なに自分を否定はしないだろう。
だが問題はそれより更に拗らせている可能性の高いユズちゃんだ。
ユズちゃんもまた姉の幸福だけを、ただ望んでしまった哀れな子だ。
矛盾を最後まで解消できず、姉の行動を理解も納得も出来なかった彼女は最も絶望に堕ちたのかもしれない。
俺は歯軋りする、もう絶対にあんな事にはさせない。
俺はそう誓うのだった。
瑞香
「ユズ……その元気そうね?」
柚香
「お姉ちゃんこそ……悠気先輩と一緒なんて何時以来?」
瑞香
「何時って……えーと?」
一見すれば他愛もない会話だ。
だが知っている者からすれば違和感のある会話でもある。
悠気
(やっぱり瑞香の奴、本調子じゃないな)
宵
『うん、本当なら仲良し姉妹で、お互いの事なんでも知っているのにね』
瑞香の方から離れた結果だが、ユズちゃんはそれを納得していない。
根本的な所で頑固な辺りが姉妹らしい。
柚香
「お姉ちゃん……家、帰る気ない?」
瑞香
「そ、それは……」
宵
『お家に帰れないかぁ、やっぱり実感沸かないなぁ』
悠気
(お前はそういう意味では幸運者だな)
宵
『えへへ♪ そうかな?』
二人は静かに通学路を歩き出す。
俺はそんな二人の背中を見失わない程度の距離で追いかけた。
宵は純朴で素直なのは、良い経験に恵まれたからこそだろう。
俺やあの姉妹のような拗らせまくった人生なんて、禄なものじゃないからな。
さて、そんな山吹姉妹だが、瑞香は俯くと大人しくなった。
瑞香の性格からして自分の幸せより、ユズちゃんの幸せを願う。
どうやってもこればっかりは覆らない。
だからこそそこに根本的解決が求められる。
瑞香
「私帰らないわ……ユズ」
柚香
「お姉ちゃん?」
瑞香
「帰らない! あんなクソみたいな環境に戻りたい訳ないでしょう!?」
瑞香はそう叫ぶと、ユズちゃんは驚いた後、沈んだ顔をした。
柚香
「ごめんなさい……お姉ちゃん」
ユズちゃんはそう言うと走って学園へと向かった。
俺は直ぐに瑞香の下に駆け寄ると、肩をそっと叩いた。
悠気
「よく言えたな瑞香」
瑞香
「……っ、やなお姉ちゃんよね?」
俺は無言で首を振る。
瑞香はユズちゃんを否定した訳ではない。
ちゃんとユズちゃんの事を考えた上でだ。
悠気
「ほら、顔を拭け、お前その顔で学校行く気か?」
瑞香
「う、うん……」
瑞香は俺の渡したハンカチで顔を拭く。
しおらしい瑞香はらしくはないが、これも瑞香の本質であろう。
問題はやはりユズちゃんなんだよな。
悠気
「瑞香、お前は家が嫌いなのか?」
瑞香
「そういう訳じゃないけど、別に私はね……酷い親だとは思っているけど、両親を嫌いとは思ってないの」
悠気
「だが、嫌なんだろう? 帰るの?」
瑞香
「うん……育ての親だし、ここまで養育費出してくれたんだもん……嫌いには慣れないけど……私愛されないから」
これだ、瑞香の複雑な家庭関係とその事情。
俺の場合はその点があの両親はシンプルでまだ良かったが、瑞香のヤバ過ぎる家庭事情は本当に反吐が出る。
思わずあの毒親を思い出すと、瑞香が殊勝過ぎる位だと気付かされる。
宵
『そんなに酷かったの?』
悠気
(世間一般ではな、まぁその親にも立場や面子ってのがあったんだろうが)
典型的なユズちゃんを溺愛し、瑞香を劣等生として扱う姿は正気とは思えないがな。
悠気
「それが家出した理由か」
瑞香
「うん……あのままじゃ絶対ロクな事無かったし」
瑞香が我慢して、その結果まともな生活を得られたと言うなら、そもそも児童保険所に連絡案件だろう。
そこに無駄に義理堅い瑞香の鉄の精神が相手だと、そう上手くいかなくなる。
どう考えても虐待だと思うのだが、瑞香は我慢してしまうのだな。
悠気
「保護を求めるとか」
瑞香
「あの両親は殆ど暴力には頼らないわ、全く無い訳じゃないけど、短気ではあっても、ね?」
悠気
「はぁ……その点放任主義は楽といえば楽か」
瑞香
「あはは♪ 何アンタが他人の家庭に首突っ込んでんの! らしくないわよ!」
瑞香はある程度元気を取り戻すと笑顔を見せた。
瑞香
「このままじゃ遅れるわよ、よし! 久々に競争よ! 負けたら罰ゲームね!」
瑞香はそう言うと走り出す。
伊達にずっと陸上部に所属してたスポーツマン女子ではなく、その快速はあっという間に距離を離した。
俺は久し振りの瑞香の無茶振りに苦笑する。
悠気
「負けたら、ね?」
しかし……瑞香は失念している、俺はもう今までの俺ではないぞ?
俺は軽く力を引き出すと走り出す。
瑞香の背中をあっさり捉えると、俺はギリギリの速度を維持して、校門前で彼女を抜き去るのだった。
瑞香
「ちょ!? 嘘!?」
悠気
「鼻差で俺の勝ち、だな?」
俺は抜き去って校門を抜けると、ニヤリと笑った。
これでも全然本気ではないが、瑞香は勝ちを確信していただろう。
それはまだ彼女の中で俺がどういう男か固定観念がある為だ。
俺はアルセウスのPKMであり、身体能力も瑞香の比ではない。
その点がどうも人間の振りをしていた頃の俺との相違か。
瑞香
「アンタ……やっぱりずっと手加減していたんだ」
悠気
「隠さないといけない理由もあった」
瑞香
「でも、もういい?」
そうだ、俺が保険診断書を偽造してまで、PKMの陽性を陰性に詐称したのには理由があった。
10年前、俺はPKMというだけで殺されかけた、PKMと言っても子供の力は大人には敵わないというのにだ。
母さんは特にそれを危惧して、懇意にしていた医者に頼って診断書を書き換えて貰ったのだ。
幸い俺の見た目は母さん似とはいえPKMのハーフ、それ程らしい特徴は発露しなかったから、人間と偽っても問題がなかった。
だが逆に言えば、それは自分の身を守れない程弱かったから隠していただけでもある。
人間の振りをしていたとはいえ自分の力位自覚はしていたからな。
今ではこの力そのものにかつてのような忌諱感はない。
力そのものは善悪は存在しない事も、俺はようやく知ったのだから。
瑞香
「はぁ、仕方ない罰ゲームどうする?」
瑞香は既に負けを受け入れており、こういう時も律儀な奴だ。
小さな賭けは大好きだが、大きな賭けはしないというギャンブラーとしてはどうかなとも思うのだが。
悠気
「別に構わん、勝てると理解る勝負で要求を求める程矮小でもないつもりだ」
瑞香
「それじゃ納得いかない! ほら、ドーンと命令してみなさいよ!」
宵
『エッチな罰ゲームだったら、悠気BANするからね?』
すっごい怖い声が脳裏に届いた。
宵の奴、本当にその気になったら例え俺といえどこの世界から無かった事にされるだろう。
つーか、そんな脅しされんでも、俺も瑞香にそんな罰ゲームをするつもりはない!
悠気
「じゃあ昼飯付き合え、それでいいか?」
俺は頭を描くと面倒臭そうにそう言った。
瑞香
「え? 一緒に!? 二人っきりで!?」
悠気
「いや、そこまでは指定していないが……」
瑞香は何を勘違いしたのかそんな事を言って少し喜ぶ(?)が、俺は別にそこに拘っていないのだが。
だが、瑞香はなんだか気を良くすると駆け足で下駄箱に向かって行った。
瑞香
「それじゃ! 昼飯一緒ねー♪」
悠気
「罰ゲーム、だよな?」
俺は呆然と人並みに消える瑞香を見送った。
宵
『少なくとも瑞香ちゃんにはご褒美だったねー』
俺はやれやれと頭を掻くと、人が密集する混んだ下駄箱へと向かうのだった。
『突然始まるポケモン娘と夢を見る物語』
第31話 山吹姉妹のすれ違い 完
第32話に続く。