第17話 ダブった意識
悠気
「ただいま」
やや遅く俺は家に帰ると、中からはいい匂いが漂ってきた。
靴を脱ぎ、リビングに向かうとエプロン姿の宵がいた。
宵
「あ、お兄ちゃんお帰り」
悠気
「ただいま、今日は肉じゃがか?」
俺はキッチンを覗くと鍋からいい匂いがしていた。
この醤油と味醂の匂い、それは宵の得意料理だった。
宵
「お兄ちゃん肉じゃが好きでしょ? ふふふ♪」
俺は和食が好きだ、そして宵は和食が得意だ。
その中でも俺が一番好きなのは肉じゃがだ。
匂いだけでも食欲をそそるな。
悠気
「部屋にいる、出来たら呼んでくれ」
宵
「うん♪ 渾身の逸品にするから、楽しみにしててね!」
悠気
「おう♪」
俺は笑うと、鞄を持ったまま自室に向かう。
自室に入ると、俺は鞄を放り捨てた。
悠気
「ふう」
俺は窮屈な学生服を脱ぐと、今日一日を振り返った。
悠気
「大城琴音……か」
瑞香が捕まった翌日珍しい奴が来た。
過去にほとんど接点も無かった筈の少女は、俺を好きだと言ってくれた。
俺は大城の恋に応えるに値する男か……それは未だに分からない。
でも、明日も大城が学校に来たら俺は応えよう。
悠気
「大城の事、まだ好きなんて言えないけど、でも……」
ガチャリ。
宵
「あ、お兄ちゃん?」
悠気
「うおい!? 突然なんぞ!?」
突然不用意に扉が開かれると、宵が部屋に入ってきた。
俺はちょうど大城の事を考えており、心臓が破れるかと思った。
宵
「あ……ううん、回覧板、出してほしいんだけど?」
悠気
「ああ、うん……分かった」
宵は晩御飯の用意で手が離せない。
だからいつものように回覧板を持ってくると、俺はそれを受け取った。
悠気
「あのな……宵? 俺は着替え中だったんだよ? それをノックも無しに開けるのはどうなんだ?」
俺はもし裸だったらどうするのか、そう聞くと宵は頬を赤らめる。
宵
「そ、その時はその時だよ〜、それにお兄ちゃんの裸なんて見慣れてるもん」
悠気
「いや、そうかもしれんが……! いや、待て? 逆に考えろ、お前は部屋で着替えている時ノックもせず部屋に入ってくる兄がいたらどう思う!?」
俺はやっぱり宵の論法はおかしいと思い、逆の状況を聞いた。
すると宵は顔を真っ赤にして。
宵
「キャー!? 兄ちゃんの変態! で、でも……お、お兄ちゃんだったら平気かも♪」
悠気
「はぁ……もう戻れ、回覧板は回すから」
宵
「あ! 忘れてた! お鍋吹きこぼれちゃう!」
宵はキッチンの事を思い出すと、慌てて部屋を出ていった。
改めて俺は宵とは血が繋がってないんだよなと、ふと思い出す。
妹にとってお兄ちゃんとはどういう存在なのだろう?
俺は宵の思惑が時々分からなくなる。
宵はどっちかと言うと清楚で、破廉恥なのは嫌いだと思うが兄に見られるのは構わないのか?
悠気
「まぁ、裸の付き合いをした事もあるけどな」
ちっちゃい頃に、一緒に風呂に入っただけだけどな!
***
完全に日が落ちると、晩御飯の用意も出来たらしい。
俺はキッチンに向かうと、既に晩御飯は机に並べられていた。
宵
「さぁ、お兄ちゃん、食べよう」
悠気
「ああ、いただきます」
俺は席に座ると、手を合わせて箸を手にとった。
晩飯はそこまで贅沢ではないが、宵らしい家庭的なものだ。
俺は早速山盛りに盛られた肉じゃがを頂いた。
悠気
「うん、美味しい♪」
宵
「うふふ、良かった♪」
宵の料理の腕は本当に凄いな。
宵は慢心も驕りもない。
料理の腕なら母さんは上だが、もしかしたら俺は宵の肉じゃがが一番好きかもしれない。
宵
「ねぇ、そう言えば大城さん、大丈夫だった?」
悠気
「ん……、あ、そうだな……」
俺は保健室での大城の事を思い出してしまう。
大城の奴、マジでやばいんじゃないのか?
しかし俺にはやっぱり追求なんて出来ない。
宵がいるから、俺には宵だけを護れればそれでいいから。
だけど……俺はそう思う度に苦しくなって、自分が嫌になる。
宵
「お兄ちゃん?」
悠気
「大丈夫、大城は貧血で倒れただけだ、きっと明日も学校にくるさ」
俺はその時どんな顔をしたんだろう?
大城に告白された時、俺は答えられなかった。
でも答えるべきだったんじゃないのか?
俺は大城の気持ちを知ってそれを踏み躙れるようには出来ちゃいない。
悠気
「ん、美味しいな肉じゃが」
宵
「……うん、自信作だもん」
俺は頭の隅に大城の事を考えながら、今は食事に集中する。
その時、俺は殆ど宵の顔を見てやれなかった。
***
白い……白い夢を見ている。
真っ白な草原は、相変わらず漂白された雪原のようだ。
空からは白い光りが雪のように降り、この色褪せた脱色したような世界に哀しく塗り注ぐ。
?
「今日は、なんだか多いなー」
《ソレ》は空を見上げていた。
相変わらず周囲にはガラクタが無造作に積まれ、何を意味しているのかも意味不明だ。
《ソレ》は悲しそうに空を見上げた。
光りはただ、降り注ぐのみ。
?
「どうして、こんなに悲しみを感じるんだろう?」
《ソレ》の言葉に俺は何も返せない。
ここに俺の身体はないから、ただ夢を見るように、その悲しい現実を見ているかのようで。
?
「はぁ……私だけじゃ」
***
宵
「お兄ちゃん! 起きてー!」
急速に目が覚めた。
朝はいつも気怠い、それは今日とて変わりはしない。
しかし、夢を見た気がした……なんだか心が押しつぶされそうな悲しい夢だった。
その内容もおぼろげなのに、俺はただ涙を零していた。
宵
「もう! お兄ちゃん朝だよ! ……お兄ちゃん?」
宵が布団を引き剥がした。
宵は俺の顔を見て、急に余所余所しくした。
宵
「お兄ちゃん泣いてる……また、なの?」
悠気
「……また?」
俺には意味が分からなかった。
ただ、ぼうっと宵の顔を見上げる。
宵
「お兄ちゃん……そういう時いつもやる気ないよね? で、でもね!? 朝ごはんも用意しているんだから、ちゃんと起きてよ!?」
宵はそう言うと部屋を出ていった。
バタン! 強く扉を閉められると俺はゆっくりと起き上がる。
悠気
「ああ……くそ、起きないとな」
俺は気怠い身体をゆっくりと起き上がらせた。
あの夢を見ると決まってやる気が起きない……しかし、これ以上俺は怠惰でいる訳にはいかなかった。
悠気
(もう嫌だ……言い訳ばかりして、自分に嘘をつき続けるなんて……!)
俺はなんとかベッドから立ち上がると着替え始めた。
急がないと、朝ごはんを食う時間なくなっちまう。
***
宵
「そういえば瑞香ちゃんだけどさ?」
朝食を摂っている途中、宵は瑞香について話した。
俺は顔を暗くして宵の言葉を待つ。
宵
「瑞香ちゃんね? 拘置所に移されたみたいなの」
悠気
「拘置所……?」
宵
「うん、刑が確定したのかはまだ分からないけど……」
俺は拳を強く握り込んでしまう。
本当に、本当に瑞香がやったのか?
俺はどうしても瑞香が犯人とは思いたくなかった。
だが、もし瑞香が犯人でなければそれは……!
悠気
(くそ!? 考えるな……考えちゃ駄目だ!?)
俺は首を振った。
それを見て宵は悲しい顔をする。
宵
「瑞香ちゃんが心配?」
悠気
「そうじゃなきゃおかしいだろ……!」
しかし、駄目だ……分かっている。
俺なんかに瑞香を救う事なんて出来やしない。
俺には宵を護るだけで精一杯なんだ。
悠気
「なぁ、宵……俺は間違ってんのかな?」
宵
「私は分かんない……でも、お兄ちゃんが傷付くのだけは嫌だよ……」
宵はそう言うと俺の手に優しく触れた。
俺はハッとなり顔を上げる。
悠気
「宵……」
宵
「お兄ちゃん、辛くても私はずっと一緒だよ?」
宵は優しく微笑んでいた。
しかし……。
?
『私は貴方を愛しています! これは断じて■■■■■■■■■』
悠気
「っ!?」
俺は頭を抱えた。
宵と何かがダブって見えた。
それはノイズであり、俺に頭痛を与える。
宵
「お、お兄ちゃん? 大丈夫?」
悠気
「あ、ああ……そ、それより早く朝ごはん食べろ、遅刻するぞ?」
俺はそう言うと急いで朝ごはんを口に運んだ。
宵はやや心配そうに食べた。
しかし、あれは一体何だったんだ?
俺は何かを知っている?
だが意味が分からない、俺は宵が誰かにダブって見えたなんて普通じゃない。
悠気
(誰か……忘れている、のか?)
俺は訳も分からないまま、朝ご飯を終えるのだった。
***
いつもの時間に家を出ると学校に向かう。
気持ちいつもより静かだった。
俺と宵は二人並んで通学路を歩む。
その途中、俺はある小さな背中を見つけた。
悠気
「ユズちゃん!」
そこにいたのはエメラルドグリーンの髪を伸ばした山吹柚香ちゃんだった。
ユズちゃんは俺の声に振り返ると、その顔は死人のような表情だった。
柚香
「あ、ゆう、き先、輩……」
宵
「ゆ、柚香ちゃん大丈夫!?」
柚香ちゃんのあんまりな顔は宵も驚いた。
柚香ちゃんは俺たちを見ると泣き出してしまう。
柚香
「ヒック! 宵先輩! 悠気先輩!」
宵
「きゃ!? 柚香ちゃん大丈夫!?」
悠気
「しっかりしろユズちゃん!」
俺はユズちゃんの肩を掴んだ。
ユズちゃんはビクンと身体を震わせる。
悠気
「瑞香の事、辛いと思うけど……」
柚香
「お姉ちゃん……? お姉ちゃん……!」
ユズちゃんは瑞香の事を思うと俺の胸に顔を埋めた。
ユズちゃんはそのまま声にならない声で泣いた。
俺はそんな震えるユズちゃんを抱き止める。
悠気
「ごめん、ユズちゃん……今は触れるべきじゃなかった」
柚香
「グス! ち、違うんです……お姉ちゃんは……お姉ちゃんは!」
悠気
「ユズちゃん!?」
ユズちゃんは何を言おうとしているのか……。
ユズちゃんは俺の胸に顔を埋めたまま何か小さく呟いた。
俺はそれを聞くべきだったのか、もしかしたら知らない方が良かったんじゃないのか?
柚香
「お姉ちゃんは犯人じゃない……私が、犯人なんです……!」
俺は……少なくともその時後悔した。
瑞香が犯人でないならば、必然的に犯人はそうなる筈だった。
でももしそうなら瑞香は必ず自分がやったとユズちゃんを庇うはずだ。
ユズちゃんを溺愛する母親も間違いなく瑞香がやったと言うだろう。
全て……全てそれなら上手く説明出来てしまう。
でもそれは、最も知りたくない残酷な答えだった。
『突然始まるポケモン娘と夢を見る物語』
第17話 ダブった意識 完
第18話に続く。