第2話 記憶の齟齬
引っ越し業者は家に帰る頃には既に作業を開始していた。
家の隣には若葉家の家があり、それは何度見ても間違いなく私がずっと見てきた物だ。
宵
(育美さんには事情を話すな……て、どういうこと?)
私は引っ越し業者が全て引き払った後、自室でベッドに横たわってあの謎のドメインについて考えた。
まず送信主は私の携帯端末のアドレスを何処で知ったの?
そして育美さんを知っている?
宵
(ということは、育美さんの関係者ってこと? でも……)
まず理由が分からない。
なぜ育美さんに伝えてはいけないのか?
それにその人は、このトンチンカンな事態を把握しているって事でしょ?
宵
(だとしたら悠気は違うって事かな?)
悠気は少なくとも、現状を把握しているようには見えなかった。
もし把握しているなら、悠気はあんなに私に対して他人行儀じゃないはず。
だとすると他に怪しいのって……。
宵
(みなもさん? そんな訳ないか……)
みなもさんならアドレスを持ってる。
まぁ今は携帯端末のアドレス欄育美さんしか載ってないけど。
宵
(まだみなもさん、いないもんね……)
みなもさんが現れるのは5月、来月の話だ。
この時点ではみなもさんは誰とも面識がないはず。
仮に彼女が現状を把握しているとして、謎すぎる程まどろっこしい手段を執っている理由が分からない。
私はなぜ過去にいるのかを知りたい。
どうして突然1年前に戻ったのか?
それがタイムリープなのか、未来視なのか……どっちでもいいから、スッキリさせたいんだ。
ガチャリ。
宵
「……あ」
悠気の部屋で音がした。
私は悠気が帰ってきたんだと、上半身を持ち上げる。
すると、目の前の部屋の主は私を見て、驚いた。
悠気
「お前……転校生!?」
宵
「えと……今日からここに引っ越して来たの」
私が窓を開けて、そう言うと悠気は顔を手で覆った。
悠気
「まじか……」
悠気は何がそんなに嫌なのだろう?
私は触れられる程近いこの距離感が大好きだ。
大好きな悠気だからこそ、繋がっていられる気がする。
だけど、悠気はそれに否定的だった。
悠気
「お前、部屋……変えられないのか?」
宵
「えっ? どうして?」
悠気
「だってお前……男と女の距離として、これは近すぎるだろう!?」
悠気はそう言うとカーテンを閉じる。
宵
「……あ」
そう言えば、まだ初めの頃って、お互い距離を取ってたっけ。
私は悠気に対して勘違いしていたし、ずっと悠気に部屋を変えて欲しかった。
今の感情はもっと後の物であり、本来今の私が持っていたら変なんだ。
でも……!
宵
「ね、ねぇ悠気、聞いて?」
私はカーテンの向こうの彼に呼びかける。
カーテンの向こうでは何も反応は示さない。
寝ているのか、無視されているのか分からないが、兎に角言葉を綴った。
宵
「私、未来の記憶があるの……悠気なら私を助けてくれると思って……私」
……でも、悠気だって普通の子供じゃないか?
私がこんな事言ったって、悠気に何が出来る?
段々私は哀しくなってきた。
どうしてこんな目に遭わないといけないのか……。
辛かったりした事もあったけど、楽しかった事もあった。
悠気がやっと私のことを宵って名前で呼んでくれて、きっともっと楽しい人生が始まるんだって思っていた。
でも現実は……。
宵
(私……また独りぼっちだ)
私には今より過去の記憶は無い。
どうして当たり前に持っているはずの中学生以下の記憶がないのか。
それでも漠然と覚えていたのは、孤独の恐ろしさだった。
シャ!
突然カーテンが開けられた。
私は泣きそうな顔で空いたカーテンの向こうを見る。
悠気
「……泣いてるのか?」
宵
「ひく………だって」
私は悠気ほど強くない。
だからこそ悠気に憧れた。
色んな事を悠気に教えて貰って、私はその度進歩した。
悠気は半ベソかく私の顔を見て、気まずそうに後頭部を掻く。
悠気
「……つまりタイムリープか?」
宵
「分からないの……ただ、これから何が起きるのかは漠然とだけど知っている」
悠気
「……ぬぅ」
悠気は唸り声を上げた。
ハッキリ言って私の戯言とも捉えられかねない事だが、彼は真剣に聞いてくれた。
悠気
「完全には信じられん……が、お前の深刻さが本物だと言うことは分かった」
宵
「助けて、くれるの?」
悠気
「改善、改善あるのみ、だな……」
悠気の口癖。
この言葉を使うとき、彼は真剣に問題へと直面しているっていう事だ。
悠気
「なにかこう……違和感とかはないか?」
宵
「え……えと、特にはないかな?」
強いて言えば体重が軽くなった事……だけど。
私はこれから1年掛けて冗談じゃすまされない贅肉の存在に顔を真っ赤にした。
幸運なことに今の私は瑞香や琴音と比べても、スタイルが良いだろう。
これが脆くも崩れ去るのだけは、絶対に避けたい!
悠気
「……言えないことでも言えよ? 嘘を吐かれてもこっちはどうにも出来ないんだ」
悠気の目は真剣そのものだった。
うぅ〜、私は困ってしまう。
宵
「や、痩せてる……かな?」
私は顔を真っ赤にしてモジモジしながら言った。
具体的な数値は悠気にも言えないが、悠気はただ、溜息を放った。
悠気
「転校生、お前に起こる危惧は2つ想定される……」
宵
「え?」
悠気は口元に手を当てて、話の内容を考察する。
その結論は以下だった。
悠気
「まず、第一の問題は、その未来の記憶だ。所謂タイムパラドックスの発生が考えられる。初めはきっと些細な問題だ、しかし徐々に予測できない程変化していく事が考えられる……所謂世界線の変動だな」
宵
「世界線の変動……?」
悠気
「タイムリープなのか、未来視なのか分からないが、もう一つの問題を危惧する」
宵
「そう言えば二つって……」
悠気は真剣な面持ちで暫く押し黙った。
やがて、悠気は私を見て言う。
悠気
「……お前における時空改変の影響、だ」
宵
「……! 時空改変?」
悠気は私に何を聞いた?
私の身体に違和感はないか?
タイムリープの場合は特に危険性が危惧されている時空改変。
現行の時空理論では、世界線は幾重にも分岐してタイムパラドックスは起きないとされる。
しかし実際にその体験者は存在せず、どのような時空改変の影響が出るか未確定なのだ。
悠気
「……転校生、いや月代か。無論これは狂言ではないという前提に基づくからな」
宵
「……」
普通に考えれば狂言だ。
意図しないタイムリープに巻き込まれたなんて、現代の時空理論を持ってしても成し得ていない。
それでも悠気の良いところは、こんな胡乱な私の話も真面目に聞いてくれるって事だ。
宵
(……私、今の問題、全然理解してなかったのかも)
悠気
「はぁ……兎に角部屋割りは考えておいてくれよ?」
悠気はそう言うと、部屋を出て行った。
時間帯から言って、夕飯の準備のためだろう。
私もお腹が空いた事を考えると立ち上がった。
宵
「悠気ってやっぱり恥ずかしがり屋なんだ」
あの時は全く気付かなかった。
私の方が彼を嫌がっていたにもかかわらず、結果的には部屋割りを変更することはなかった。
宵
(ま、どの道悠気の向かいの部屋にはみなもさん来るしね)
私は部屋を出ると階段を下って1階に向かう。
そしてキッチンに向かうと、そこで呆然としてしまう。
宵
「忘れてた……買い物してない」
そりゃそうだ、これだけ引っ越しに慌ただしく、オマケに私はテンパりっぱなし。
更に言えば、常葉家で夕飯をいただくことが常態化していたから、普段最低限しか入れない癖が付いている。
宵
「それにしても、これは酷い」
冷蔵庫は電源すら付けておらず、氷すらないのだ。
どうしたものか、絶望していると……。
ピンポーン!
玄関のチャイムが鳴った。
宵
「はーい?」
私は気を取り直すと、玄関に向かう。
玄関に立っていたのは育美さんだった。
宵
(あれ? 育美さん……初日だったっけ?)
私は玄関を開けると、育美さんはニコニコ顔で入ってきた。
私は過去に起きた出来事と、今の出来事を照らし合わせた。
けれど、流石にそんな細かい事までは思い出せなかった。
育美
「ヤッホー♪ 悠気とはどう?」
宵
「ど、どうって……」
育美さんはやや極端というか、悠気を誰かとくっつけたがっている。
前回は概ねみなもさんを悠気とくっつけようとしていたみたいだけど……。
私は口籠もってしまい、育美さんは「あらあら」と頬に手を当てて笑う。
育美
「ふふ、初めて宵ちゃんに会ったときはどうなるかって思ったけど、良い子で良かったわぁ〜♪」
宵
(初めて?)
そう言えば私と育美さんの初めてっていつだっけ?
宵
(記憶にない?)
前の周では気が付かなかったが、私の記憶が存在しないラインに育美さんは存在している。
宵
「あの、私の初めてって? どんな感じでした?」
育美
「え? そうね……もっと暗い子だったかしら?」
宵
(前の周の私なら、確かにそうだったかも)
今の私にとっては過去の自分。
それでも育美さんからしたら違和感のある状態なんだろう。
育美
「ああ、それより! まだ晩ご飯用意できてないでしょ? 親睦を兼ねてウチへいらっしゃい♪」
宵
「え? あ、……う、うん」
育美さんはまだ生活感のないキッチンを見てクスリと笑い、私の手を取る。
思えば、育美さんもどうしてこんなに私によくしてくれるんだろう?
悠気のメンタリティは間違いなく母親の育美さんの影響なのは見て取れる。
でも謎なのは、育美さんの正体だよね。
育美
「ついでに料理のイロハも教えてあげるわ!」
育美さんはそう言うと、手を引っ張った。
私は大人しくその腕に引っ張られて隣の家に向かうのだった。
***
育美
「ただいま〜♪」
若葉家の家の内観はウチと似ている。
1階入口直ぐにキッチンとダイニングがある。
丁度中に入ると、悠気が調理中だった。
悠気
「お帰り母さん……て、月代?」
包丁を持って、ゴボウを笹掻きする悠気は振り返ると私に驚いた。
育美
「ふふ〜、お誘いしちゃいました♪」
育美さんはニヤリと子供っぽく笑うと、夕飯の出来具合を確認した。
匂いからして、豚汁だろうか?
悠気の好物は和食が多い為かか、自ずとバリエーションはそっちが多いのだろう。
後々みなもさんが来ると、悠気はお菓子専門に転向したから、結構貴重な姿かも。
育美
「手伝うわ」
悠気
「いや、今日は俺が……」
育美
「宵ちゃんも参加させるから♪」
悠気は明確に育美さんに劣等感を持っている。
育美さん自身どこで学んだのか知らないけれど、完璧な人だ。
だからこそ、育美さんの介入が許せないのだろうけど、私を見て包丁を置いた。
悠気
「月代……お前料理は?」
宵
「ひ、人並みには出来るから!」
もっとも、私の料理の腕は悠気の受け売りだけど。
その腕前も悠気には遠く及ばない。
それでもその経験は私の武器だ。
悠気
「……それじゃ、月代は」
育美
「宵ちゃん」
悠気
「は?」
育美
「どうも、悠気が宵ちゃんを月代って呼ぶの無理してる気がするのよねぇ〜?」
育美さんとしては悠気が他人行儀に名字で呼ぶ事を気にしているらしい。
私としてはそれが普通だった。
悠気も少し戸惑っているが……。
悠気
「月代、一つ聞く。違和感はあるか?」
宵
「えっ? えと……ありすぎるというか」
そもそも初日からして、違いはあった。
そもそもで言えば、私が悠気にいちゃもんを掛けなかったことが異変の始まりだろう。
お陰で瑞香と険悪な関係から始まったし、今も本来この場に私はいなかったはずだ。
悠気はそれを聞くと、溜息を吐いた。
悠気
「はぁ……宵、鍋の様子を見ていてくれ」
育美
「ん♪ それでよし♪」
悠気はそう言うと、部屋の奥に向かった。
入れ替わるように私は豚汁の煮込まれた鍋を見る。
その隣には育美さんが立つ。
育美
「ふんふ〜ん♪」
宵
「あの……育美さん、どうして悠気にあんなことを?」
育美さんは冷蔵庫の中身を完全に把握しているのだろう。
冷蔵庫から数品目取り出すと、丁寧に食材を洗っていた。
育美
「だって、仲良くして欲しいもの……」
そう言う育美さんの顔には翳があった。
***
悠気
(ち……! 一体なんなんだ?)
俺はこの上なく違和感に襲われていた。
月代に違和感はないか、なんて聞いてしまったが、本当に違和感でやばいのは俺の方だ。
悠気
(月代宵……アイツ何者だ?)
俺の前に突然現れたクレセリアのPKM。
それだけのはずなのに、嫌にアイツの事を意識してしまう。
母さんに月代の名を正された時、月代より宵の方がしっくりきた。
俺はもしかしたら……と、ある危惧があった。
悠気
(……俺に少なくとも未来の記憶なんて無い)
月代の言うことも、実際真偽を確認しようもないが、この事がこの違和感の当事者から俺を除外できないよな?
育美
「悠気〜! どうしたの〜!?」
悠気
「なんでもない! もう戻る!」
俺の危惧……タイムリープに巻き込まれたのは宵だけ。
だとして、それじゃ俺の違和感はなんだ?
俺は宵を知っている……?
『突然始まるポケモン娘と夢を見る物語』
第2話 記憶の齟齬
第3話に続く。