第32話 記憶
悠気
「クリスマス、か」
学校の授業もあと僅か、そうなると一年を納めるのもあと僅か。
嫌が応にも、この時期は学生も社会もちょっとしたお祭り騒ぎだ。
最も、三年生は笑ってられる奴ばかりじゃないみたいだが、こと二年生に限れば、まだ悠長にしている奴ばかりだ。
そしてそんな幸せな奴らがこぞって言うのはクリスマスだ。
我が若葉家ではクリスマスは代々、家で少し豪華な食事を取る程度だった。
なにせ、ずっと母さんと二人っきりだったからな。
裕福でもなかったし、母さんも出来ることは自分でやる人だったから、外食とかの経験は殆どない。
悠気
(今年は母さん、居ないんだったな)
この1年、奇妙と言えば奇妙だった。
月代宵が現れ、みなもさんが家政婦としてウチに住み、大城と仲良くなったり、海へ行ったりもしたな。
それまでの俺は殆ど人付き合いに執心はしなかった。
特別親しいと思ったのも山吹姉妹とコウタ位しかいなかったからな。
特別と言えば萌衣姉さんは、特別だったけど、お互い干渉し合わなかった。
月代宵……あいつが俺の人生をここまで変えたのか?
だとしたら、アイツはやっぱり俺の特別なんだろうか……。
悠気
(俺は、月代が好きなのか? 月代宵のこと……俺は)
思い出せば、俺の1年は月代との思い出ばかりだ。
時に喧嘩して、時に笑い合って、いつもアイツの顔が傍にあって、俺はその顔を意識していた。
宵
「ゆ〜うき♪」
悠気
「っ!? 月代?」
突然だった、学校の廊下を歩いていると月代が後ろから声を掛けてきた。
月代は相変わらずニコニコ顔で、俺の隣を歩き出す。
宵
「一緒に帰ろう♪」
悠気
「今日はバイトは無いのか?」
宵
「うん♪ 今年の分はもう終わり♪」
月代は何処までも真っ直ぐな顔だった。
見方を変えれば、馬鹿だという事だが、俺はそういう所もきっと好きなんだろう。
ふ、誰かを好きだと思うなんてな……。
宵
「ん〜? どうかしたの?」
突然、俺が物思いに耽っていると、月代が顔を覗かせた。
悠気
「うおっ!?」
俺は慌てて、身を引いた。
あと少しで顔がくっつく距離だったぞ……。
月代のこういう危うさは悩みの種でもあるな……。
宵
「顔赤いよ? もしかして風邪?」
悠気
「そ、そうじゃない……全く、早く行くぞ!」
意識すると顔が赤くなる。
これが好意の性か、ただの恥ずかしさか自分でも分からない。
ただ、そういう危ういスキンシップを月代はこれからも繰り返すだろう。
宵
「あ、待ってよ〜!」
月代を放って下駄箱で靴を履き替え、校門に出ると月代はようやく追いついた。
俺達は再び、一緒に歩き出す。
宵
「なんだか久し振りだね〜、一緒に帰るの」
悠気
「ここ最近は週5でバイトいれていたものな」
宵
「いや〜、最初は人生経験にって思ってたんだけど、なんだか楽しくなっちゃって♪」
悠気
「楽しいか……それでいい」
月代が色んな経験を吸収し、どんどん先へ進んでいくことは微笑ましい。
最初はどうしようもなく、何も出来なかった女が、今や俺が教えたことは殆ど覚え、自分自身で選び、学習を始めている。
それは巣立つ親鳥のような寂しさだが、素直に受け入れるべき祝福だろう。
宵
「あ……」
不意に、月代が足を止めた。
俺は後ろを振り返ると、月代は何かを見上げている。
悠気
「どうしたんだ?」
宵
「ねぇ、覚えている? 私達、ここで出会ったんだよ?」
悠気
「え?」
月代はそう言うと、石段を駆け上がっていった。
そこは猫の額のように狭い古寺だ。
彼女は階段を登り終えると振り返る。
宵
「ほらー! ここでさー!」
それは、正に始業式の事だろう。
あの時、月代は確か俺に痴漢の因縁を掛けてきたんだったな。
悠気
「パンツ見えるぞー!」
宵
「え!?」
慌てて、スカートの裾を抑える。
だが、安心せよ、ここからではやはり見えはしない。
だが月代はというと。
宵
「へへ〜ん! 見られてもいいパンツだからへっちゃらだも〜ん!」
そう言うと、どーんと胸を張る。
顔を真っ赤にして、それがやけっぱちだというのが丸わかりだが、本人なりに変化したのだろう。
悠気
「さっさと、降りてこい!」
宵
「うん!」
トテトテと、月代は石段を降りていく。
そう言えば何故あの時月代はここに居たんだ?
悠気
(この古寺……何か引っかかるんだが……一体なぜだ?)
俺は何故か古寺が気になるが、どうしてもその答えが見つからない。
俺はここになんの感慨もない、ただ月代と運命の出遭いをした場所に過ぎない。
なのに、なぜ気に掛ける必要があるのか?
宵
「お待たせ」
悠気
「ああ……なぁ? なんで月代はあの時、古寺になんか居たんだ?」
宵
「え……それは……?」
不意に月代は顔を曇らせた。
何気ない質問だった筈だが、何か理由があるのか?
悠気
「まぁもう大分経つしな、流石に忘れたか?」
宵
「う……うん、忘れちゃった♪」
***
宵
(私……なんであそこにいたんだろう?)
そうだ、ずっと怖くて忘れようと頑張っていた。
でも、ここ最近私は自分がおかしいんじゃないかって、ずっと疑問に思っている。
宵
「ね、ねぇ……悠気?」
ゴクリ、私は喉を鳴らした。
悠気は「ん?」と顔だけを振り返らせる。
怖い……でも、悠気なら……。
宵
「私って誰?」
悠気
「……は?」
私は何も言えなかった。
悠気には巫山戯た質問かもしれない。
でも私は現に怖れているのだ。
『月代宵』とは何者なの?
悠気
「お前はお前だろう? 月代宵をそうだと定義出来るのはお前だけだ」
宵
「うん……」
私は私か……。
そうだ、確かに私は月代宵で、そのパーソナリティを決定づけるのも私自身だ。
宵
「……悠気だから話すけど、私どういう訳か、過去の記憶がないの」
悠気
「過去の記憶が、ない?」
悠気が怪訝な顔をした。
その暴露は、正直誰にも聞かせたくはなかった。
ただ、悠気だけは知って欲しい。
私は悠気が好きだ、もっと私を知って欲しいと思っている。
私に当たり前の過去が存在しないこと、とても恐ろしいけど悠気には共有して欲しい。
宵
「1年より過去……私は去年の今頃どんな風に過ごしていたとか、幼い頃どんな子供だったかとか、何一つ記憶にないの……」
悠気
「記憶……っ!?」
悠気が頭を抱えた。
急にふらつき、私は慌てて悠気の肩を持つ。
宵
「ど、どうしたの!?」
悠気
「……な、なんでもない」
何でもないと言うが、悠気の顔は真っ青だった。
まるで死にかけのようにフラフラで、私が支えないと今にも倒れそうだ。
宵
「ごめんなさい、私、何か変な事言った?」
悠気
「違う……そうじゃ、ないんだ」
最初、私が悪いんだと思って謝った。
でもそれは正しくなかったみたいだった。
ただ、彼は気になることを呟いたのだ。
悠気
「俺も……ないんだ、虫食いみたいに記憶に齟齬がある……」
***
記憶、誰もが当たり前に持っていて、そして当たり前のように忘却するもの、少なくとも俺はそう思っている。
だが、自覚していなかったんだ。
自分の記憶に矛盾があること……。
悠気
「……はぁ」
あの後、家に帰ると俺は直ぐに自室で横になった。
窓の向こうには月代の部屋があるが、彼女はまだ戻ってくる様子はない。
悠気
「月代宵……アイツ、一体何なんだ?」
アイツは不思議の塊だ。
記憶がすっぽりないのも驚きだが、不意に俺の心の奥底に触れてくる。
悠気
(明確に記憶がないのは10年前だ、それより過去、親父がまだ家に居た頃は覚えているのに……)
俺はそれをずっとどうでもいい記憶だと思って生きてきた。
でも冷静に考えれば、なぜ親父は日本を離れた?
お陰で母さんは今でも苦労しているし、俺はずっとそれを憎しみとして蓄えていた。
だけど、俺の知っている過去の親父はそんなロクデナシだったろうか?
確かに幼少の記憶故に曖昧だが、俺は昔親父の事が好きだった。
不器用だけど、一生懸命頑張る親父を尊敬さえしてた。
それがいつの間にか、ごく自然に憎しみに変わっちまったんだ。
悠気
(母さんなら、何か知ってるかな?)
俺は携帯端末を取り出した。
そして母さんに電話を掛ける。
着信音、暫くすると懐かしい声が帰ってきた。
育美
『悠気? 珍しいわね、貴方から電話するなんて』
悠気
「ああ〜、うん……その、母さんの声が聞きたくて」
育美
『あら、うふふ♪ 母さん愛されてる〜♪』
普段、いつも向こうから電話してくるから、余程珍しいと思ったのだろう。
受話器の向こうの本人の喜びようは、相当無邪気な物だった。
育美
『で? 用もなしに電話なんて寄こさないでしょう? どういった事情かしら?』
悠気
「流石母さん、10年前の事でちょっと」
育美
『10年前……』
母さんにとっても結構過去の話だ。
それでも幼子の俺より、母さんは覚えていても不思議じゃないんだ。
悠気
「教えてくれ、どうして親父は日本を出て行ったんだ? 俺の知ってた親父はそんな無責任な人じゃなかった! なのに現実は……!」
育美
『悠気、落ち着いて……貴方のお父さん討希さんはね? 貴方と私の事を考えて日本を離れたのよ?』
悠気
「覚えてないんだ……不器用だったけど優しかった親父と、俺の中で憎悪に切り替わったその境が……」
育美
『悠気……あのね、悠気? 私が最後に言えるのはあなたが歩んできた道は、全て正しい事だって信じて欲しいの! これは私と討希さんの願い!』
悠気
「最後? 母さん、それどういうこと!?」
育美
『ふふ、悠気……愛してるわ』
プツン! ツーツーツー。
悠気
「母さん!? 母さん!?」
それっきり電話は切られてしまった。
母さんは一体何を知っているんだ?
間違いなく俺の喪失している記憶の部分を母さんは知っている。
でも教えられない?
悠気
「いや……それよりもだ? 最後だって? まるで今生の別れじゃないか!?」
母さんはまさか死ぬ気なのか?
親父が海外で何をしているのか、俺はまるで知らない。
そこでどんな危ない橋を渡ろうと、俺には関係がないと思っていた。
でも、もしかすればそれは母さんにとっての不幸でもあるんじゃないのか?
悠気
「くそ! もう一度電話で!」
俺は再び母さんに電話を掛ける……しかし。
『現在この番号はお使いになることが出来ません』
悠気
「なっ!?」
それは無情なコールだった。
一体どういうつもりなんだ!?
(育美
「あなたが歩んできた道は、全て正しい事だって信じて欲しいの!」)
悠気
「俺の歩みが正しいか? それって重要な事なのか?」
分からない、俺は自分を常々正しいとは思っている。
やましい思いもないし、常に自分にとって正しいと思う選択肢をとって来たはずだ。
そんな当たり前のことを信じろとは、どういう意味なのか?
***
『同日同時刻:月代宵の家』
宵
「ふぅ〜、お風呂でさっぱり! この後は冷たい飲み物よね〜!」
私は悠気と別れて家に帰ると、直ぐにお風呂を沸かして入っていた。
女子たるもの、常に身嗜みには気を付けないとだね!
最後の悠気の状況は気になった物の、私は出来ないことに拘りはしない。
さっさと気持ちを切り替える事も重要だ。
それに悠気なら、きっと自己解決しちゃうだろうしね。
宵
「とりあえず、サイコソーダを〜♪」
私は冷蔵庫から炭酸飲料を取り出す。
そのままペットボトルに口を付けると、ソーダを喉に流し込む。
宵
「プハァ〜、染みる〜!」
このお風呂上がりの一杯は止められないわね♪
さて、後は部屋に戻るだけだ。
一応心配だから、悠気の様子もみたいしね。
宵
「ん? あれスマホに着信? 誰から?」
私はダイニングテーブルに置きっぱなしだったスマホにメールが来ていることに気が付いた。
直ぐにメールボックスを開くと、そこには謎のドメインとムービーメールが添付されていた。
宵
「なにこれ?」
私はそのムービーメールを開く。
しかし……。
『ザザザ、ザ、ザザザ』
画面は真っ暗闇で、ノイズ音が酷い。
宵
「なによこれ……これじゃ何を伝えたいのかさっぱり分からないじゃない……」
動画には結局最後まで何も映らなかった。
結局誰から送られたメールなのかも分からず、なんだか不気味である。
宵
「ん〜、悠気に相談してみようかな?」
それよりもだ。
私は今、下着姿だ。
季節は真冬、家の中だからある程度暖はとれているとはいえ。
宵
「風邪引いちゃう! 急がないと!」
私は慌てて自室に向かうのだった。
早く暖まりたいな♪
『突然始まるポケモン娘と学園ライフを満喫する物語』
第32話 記憶 完
第33話に続く。