#8 疑念と信念、それを押す声
#8
ルージュ
「はぁ、はぁ……!」
強敵を倒したアタシは暗闇の中を歩いていた。
あの赤い死神以来敵は出てきていない。
しかし、まるで逃さないとでも言うかのように暗闇は永遠と続いた。
ルージュ
(皆……茂!)
私は共に行動したポケモン娘達を思った。
まだ短い付き合いかもしれないけれど、共通の目的がある。
茂の力になりたい、想いに多少の違いはあれど、それが私達を同じ目的で動かした。
ルージュ
(アタシの一生はもう茂に捧げたっ! アタシみたいに救いようのないポケモンを救ってくれたのは茂なんだから……)
だけど、少しだけ不安になる。
アタシは一度とはいえ道を踏み外した。
自分の願いを叶えたいあまり、茂の命を狙うなんて愚かな行いをした。
これはアタシの罰なんじゃないだろうか……。
ルージュ
「ッ!? ば、馬鹿らしいよ! そんなのある訳無い!」
?
「本当に?」
突然、暗闇の向こうから聞き馴染んだ声が聞こえた。
アタシは顔を上げると、あの特徴的な程目付きの悪い男性が立っていた。
ルージュ
「茂!?」
アタシは驚いた、でもそれ以上に嬉しかった。
茂に急いで駆け寄ると、茂は優しく微笑んだ。
茂
「よくここまで来たな」
ルージュ
「あ、アタシ! 頑張ったから……ケヒケヒ♪」
アタシは一杯茂への想いを伝えたかった。
でも感情が爆発して、全然言葉に出来なくて、ただ不気味としか言いようのない笑みを浮かべるだけだった。
それを見て茂は苦笑する。
茂
「相変わらず気持ち悪いやつ」
ルージュ
「パギュウ……き、気持ち悪い……」
アタシはあからさまに落ち込んでしまう。
じ、自覚してるもん! これでも頑張って改善しようとしてるんだもん!
だけど、どうして茂がここに居るんだろう?
アタシは不思議に思い、首を傾げた。
きっと茂は混沌に囚われていると思っていたのに。
ルージュ
「茂、混沌は?」
茂
「ああ、それはもういいんだ」
ルージュ
「え? もういい?」
どういう意味だろう?
茂は事も無げにそう言ったが、アタシはそれが理解できなかった。
だって、おかしいでしょ?
茂は混沌の性で酷い目にあった。
まだ茂の願いは叶っていないんだ。
ルージュ
「お、おかしいです! そ、その……それじゃまるで、帰るのがどうでも良くなったみたいな……!」
茂
「ああ、違う違う! そういう意味じゃないんだ」
ルージュ
「えっ?」
その時は思った。
茂の魚の目のような瞳がアタシを冷酷に見下していると感じたのは。
茂
「お疲れ様、要らないのはお前の方だ」
ルージュ
「ど、どういう事ですか!? あ、アタシが要らないって!?」
茂は事も無げに言い放ったが、アタシは驚愕し、食い下がった。
だが、茂は取り付く島もないと言うように首を振ると。
茂
「そもそもおかしいと思わないか?」
ルージュ
「え?」
そこからは悪夢だった。
世界だけではなく、私の心まで闇へと落ちていくかのような感覚。
今や茂は明確にアタシを侮蔑の目で見ている。
まるで卑しいキリキザンを蔑むように。
茂
「お前は混沌と繋がっている、そもそも俺を殺そうとしたのは他でもない、お前だろう?」
ルージュ
「……あ」
アタシはどんな顔をしていただろう。
だけどもそれはどんな肉体ダメージでも、超えられない絶望的な精神への一撃だった。
断罪……暗殺者であるアタシは許されない。
茂は今やアタシを卑しい者として見ているのだ。
ルージュ
「あ、アタシは……!」
茂
「もういい、喋るな……お前は信用に値しない、ここでその罪を禊ごう」
茂は気がついたら大剣を構えていた。
それはあの赤い死神を連想させる。
心の中でチャリチャリと鈴が鳴った気がした。
アタシはその場から動く事も出来ず、ただ絶望が虚無感を産んでいた。
ルージュ
(あ、タシ……やっぱり、赦されないんだ……そう、なんだ)
***
燐
「ケホケホ!」
私は煤まみれになりながら、その場で這いつくばっていた。
謎ロボットの自爆に巻き込まれ、辺りは煙に満たされた。
あのロボット最後の最後まで面倒かけてくれたわね……。
燐
「ああもう! 辺りも滅茶苦茶じゃない」
鏡と特徴的なブロックの床は戦闘の余波で崩れ去った。
私は煙が晴れるのを待つと、ゆっくりと立ち上がった。
燐
「それにしてもここ何処よ?」
改めて、いきなり拉致られたら謎空間だ。
先鋭的な現代芸術のような建物に閉じ込められたという風で。
辺りを見回しても一向に風景は変わらない。
だが、ふと壁一面に敷き詰められた鏡に映る無数の私に違和感を覚えた。
燐
「おかしい……鏡の中の私と違う……!」
鏡は万華鏡のように、私をあらゆる角度から映していた。
しかし一枚だけ、正しくない角度の私がいる鏡があった。
私は熱量を上げ、鏡に近づくと鏡の中の私はニヤリと笑って、前に歩き出した。
燐
「……な!?」
鏡からゆっくりと何かは迫り出してくる。
それは私ではなかった。
それは私がよく知る人なのだ。
燐
「茂さん……!?」
茂
「ケホケホ! なんか煙たいな……ここ」
燐
「あ……あはは、ちょっと戦闘あってね?」
私まさかの人物の登場に戸惑い、空笑いを浮かべてしまう。
茂さんは鏡の中から出てくると、周囲を伺った。
その所作、何度見てもやっぱりそれは、茂さんだった。
燐
「あの、茂さん……どうしてここに?」
茂
「うん?」
燐
「いや、首を傾げられても……」
状況がわからない。
兎に角茂さんに何があったのか、聞かないと。
燐
「マギアナが死んだあと……、あの後茂さんはどうしてたんですか?」
茂
「ああ、そのことか……それなら」
その時だった。
茂さんはスーツの内側に手を忍ばせると、あり得ない物を私に向けた。
チャキ!
燐
「し、茂さん!?」
銃だ、嫌という程見てきた忌むべき物。
黒光りする銃口はハッキリと私を捉えていた。
燐
「な、なんで……?」
茂
「なんでって……考えてみれば当たり前じゃないか」
茂さんは私をその冷酷な目で見下した。
私は全身が震えて、それを最も信頼している人に向けられた事実を否定した。
燐
(嘘よ嘘よ嘘よ!?)
茂
「俺の目的はあるべき世界に帰る事だ、その世界には燐、お前は存在しないんだ」
燐
「え……?」
茂
「お前がいなくなれば、マギアナが死ぬこともない、保美香もそのままでいられる。要はお前がイレギュラーなんだ」
私はその言葉に、そこまでの人生がオーバーラップした。
マギアナの創った夢の残骸である私に、どの程度の価値があったのか。
そして紛い物の世界に、茂さんはどれ程苦しんでいたのか。
燐
(わた、しは……必要のない…_…)
その時、たしかに私は絶望した。
***
恋
「かなり入り組んだ洞窟ね」
謎の怪物を倒した私は改めて、皆と合流するために動き出した。
だけど、正直言って道に迷っていた。
自分の居場所も分からず、同じ場所をグルグル回っている気もしてくる。
幸いな事にあれ以来敵が出てこないのは救いだった。
ザッザッ。
恋
「!?」
洞窟の奥から足音が響いた。
いや、しかしそれ以上に私はその気配に驚愕した。
恋
「師匠!」
私は、直ぐに駆けると、洞窟の曲がり角で師匠と再会した。
恋
「やっぱり師匠だ!」
茂
「れ、恋? よく俺だと分かったな」
恋
「足音はその人の足の長さを、空気はその人の気配を伝えます……師匠の気配、忘れる訳がありません!」
私は思わず師匠に抱きついた。
かなり身長差があるが師匠は優しく抱きとめてくれる。
兎に角今はこの再会が何よりも嬉しかった。
でも、ちょっと変ね?
恋
「師匠?」
茂
「うん? どうした?」
恋
「やっぱり師匠だ……」
私は何かが足りない気がした。
でも何故だろう? 確かに師匠なのに一体何が足りないんだろう?
私がそれを疑問に思っていると、師匠は私を離す。
茂
「恋、お前に言わなければならない事がある」
恋
「それは?」
師匠の気配が変わった?
私は少し不穏な空気を感じ、身を縮こませた。
師匠の顔は穏和だ、私の悪い予感はきっと杞憂だろう。
茂
「死んでくれないか?」
恋
「……え?」
その瞬間、私の表情は凍りついた事だろう。
それ程衝撃的で、私は全身を震わせた。
恋
「ど、どうして? 師匠が?」
茂
「簡単な事だ、恋の拳は既に血で染まっている、お前はこの先には不要だ」
恋
「っ!?」
私は両手を見た。
それはドロドロの血で汚れた掌を幻視して、猛烈な吐き気に襲われる。
恋
(不要? 私は……汚れすぎた?)
私は身体に力が入らず、手を地面につけてしまう。
私は一体どれ程の相手をこの拳で殴り、この足で蹴ってきただろう?
まるで、それは呪いのように私に乗りかかった。
茂
「どの道、その忌むべき血は早めに摘むべきだった」
し、師匠は両手に何かを嵌めていく。
ナックルダスター? 何故師匠が?
ああ、でももう私はおしまいなんだ。
師匠は今や私を侮蔑するように見下している。
***
ザパァァン。
瑠音
「……ふぅ」
水面に大きな波紋を生み出すと、私は水の底の沈んでいた車椅子を引き揚げた。
これがないと、地上を動くのは、私の身体には向いていない。
幸い車椅子ごと、戦場に吸い込まれたのは幸運だった。
車椅子も壊れた様子はないし、とりあえず皆を捜さないと。
瑠音
「……よいしょ」
私は車椅子を立てると、陸に上がった。
辺りは洞窟にしては、あまり暗くない。
不思議だが、元々摩訶不思議な世界だ、常識で物を考えるのは止したほうが良いのかもしれない。
カツン、カツン。
瑠音
(足音?)
突然、洞窟の中に足音が反響する。
私は車椅子に上がるのを止め、警戒した。
足音は少しづつ近づいている。
私は車椅子の取手に手を掛けながら、洞窟の奥を見た。
人影が近づいて来ている。
瑠音
「あの姿は!?」
私は目を見開いた。
真っ直ぐ歩いてくるその姿、それは間違いなく茂さんだ!
瑠音
「茂さん!」
私は歓喜して、その名を叫んだ。
すると、茂さんはにこやかに笑う。
私はその愛すべき姿に涙する。
茂
「久しぶりだな、瑠音」
瑠音
「……はい。茂さんが光の中に溶けて消えた後、私はあの世界で独りぼっちで不安で……っ」
私は最後の光景を思い出すと、あの過酷な世界に心を苛まれる。
だけど、茂さんは時空の旅人だ、まるで渡り鳥のように先へと行ってしまった。
私はこの再会にほっと脱力してしまう。
茂
「変わらないな、瑠音は」
瑠音
「茂さん……こそ」
そう、その姿はこれ程焦がれた物なのだ。
この人のためになら、自分の命なんて安い、そう思えるだけの人。
だからこそ、私はあのポケモンと誓いを立てた。
瑠音
「私、茂さんを助けるために来ました、私と同じように茂さんの事を大切だって思う人に」
そう、あの少女はとても憂いていた。
あの子もまた、茂さんに感謝してもしきれない何かがあるんだ。
茂
「? そいつは一体?」
瑠音
「褐色の少女のようなポケモンでした。幾つも金のリングを携えて……」
茂
「……」
茂さんが足を止めた。
? 一体どうしたんだろう?
茂さんは突然険しい顔をした。
瑠音
「茂さん?」
茂
「瑠音……君だけは助けても良いと思っていた」
茂さんが俯いた。
気のせいか? 表情が見えない。
まるでそこにいるのは茂さんだけど、茂さんじゃない、そういうアトモスフィアがあった。
茂
「だが駄目だ、危険すぎる」
瑠音
「えっ? 危険……?」
私はたじろいだ。
その気配が、少しづつ怪しくなっていくのだ。
茂さんは顔を手で覆うと、笑い出した。
茂
「ははは! そういう事か!」
瑠音
「茂さん!? 一体どうしたんです!?」
茂さんがおかしい。
茂さんは大きく後ろに背を仰け反らせると、高笑いする。
これは本当に茂さんなのか?
私の中で、段々疑念が膨れ上がった。
この人は思考では茂さんだけど、何かが決定的に茂さんじゃない!
茂
「消えろ! 半端者!」
茂さんが両手を広げた!
何かが私に襲いかかってくる!
***
陽光
「うぅ……?」
私は気がつくと森の中にいた。
徐々に意識が覚醒してくると、段々何があったか思い出した。
陽光
「はっ!? 黒豹は!? 皆は!?」
そうだ、黒豹と目を合わせた私は身体が石となった。
絶体絶命の中、気がついたら私は気を失い、微睡みの中にいた。
再び目を覚ますと、そこには私以外誰もいない。
黒豹は? 私を放置して去ったの?
でも、そうなら何故私は無事でいる?
陽光
「カボ、何か分かる?」
なんて、呟くが当然このカボチャのカボが答える訳がない。
私がカボであり、カボは私なのだ。
陽光
「消えた皆は……?」
私は注意深く周囲を伺うが、やはり誰もいない。
誰も戻っていないのだ。
陽光
(強制的に分断された……?)
私はその意味を考えてみる。
敵は私達がいる事を嫌った?
つまりそれって、それだけ敵にとって不都合って事?
陽光
(なら逆にチャンスでもあるかも……)
敵は私達が一緒にいるのは不都合だから、分断して各個撃破を狙ったんだ。
でも結果的に私はこうして無事でいる。
今ならもしかすれば、私は自由じゃないだろうか?
茂さんを助けるチャンスかもしれない!
陽光
「? これは?」
私は周囲を伺うと、不思議な何かを察知した。
それは魂と言ってもいいものだ。
だけども見たこともない魂で、しかもそれは魂としては明らかにおかしな形だった。
ゴーストタイプも気味悪がるその不気味な物は徐々に私に近づいていた。
陽光
「ど、どうしよう!? そ、そうだっ! か、隠れないと!」
私は頭をフル回転させると、辺りに身を隠す。
なるべく気配も、魂も隠して私は森と一体化した。
カツ、カツ。
やがて、それは私のいた場所に現れた。
陽光
(えっ!? 茂お兄さん!?)
それは茂お兄さんだった。
明らかのおかしいが、茂お兄さんなのだ。
こんな不思議な事はない。
茂お兄さんなのに茂お兄さんじゃない。
言ってみればメタモンの変身が近い?
茂?
「居るんだろう? 陽光?」
陽光
「……ど、何方です、か?」
私は姿は見せない。
ただ、恐る恐る聞くと、それは。
茂
「何方? そんなの決まっているじゃないか、俺だよ、常葉茂」
陽光
「……の、姿をした、た、他人、で、です、よね?」
それは、竦んだ様子を見せると押し黙った。
私はなんとなく見当がつき始めている。
これが茂お兄さんじゃないのは間違いない、であるならばこんな悪意のあるイタズラをするのは……!
陽光
「……偽物さん、いいえ、混沌さんですよね?」
茂?
「……」
私は、それの前に姿を現す。
私は注意しながら、相手に技を放つ瞬間を待った。
だが不意にそれは口を開くと。
茂?
「成る程、パンプジンの性質か……だが、一つミスを冒しているぞ?」
陽光
「え?」
茂?
「それは……攻撃する前に姿を見せたって事さ!」
突然、足元から闇が広がってくる!
それは相手の不意打ちだった!
陽光
「しまっ!?」
***
茂
(……信じろ、今も必死に生きているあの娘達を! そして信じてくれ、そんなお前たちを信じる俺を!)
俺は両手を握りしめた。
ただその汗を拳から垂らし、無力な俺の可能性を必死に振り絞って。
茂
(可能性を超えろ……、時空を超越して!)
***
ルージュ
「あ……」
時間が鈍化した。
茂が私に刃を振り下ろす。
あと少しでアタシの首は地に落ちる。
これは、アタシのやってきた業の末路なのかな?
『本当にそうかい?』
え? この声は?
突然、頭の中に女性の声が聞こえた。
それもその声は聞き覚えのある声だった。
『お前の愛した夫ってのはその程度でお前を見捨てる愚か者かい? なら、本物は私が頂くよ♪』
ルージュ
「お、母さん……!」
その瞬間だった。
ガキィン!!
私は無造作に刃を振るった。
刃は茂の大剣を叩き折る。
キリキザン一族の刃の鋭さは並みではない。
茂
「何を? 抗うのか?」
ルージュ
「……そうです、抗います。だって……貴方は茂じゃない!」
お母さんの声はもう聞こえない。
でも、私の背中を押すその気配を感じた。
そして私は理解した。
そうだ、あの馬鹿が付くほど真っ直ぐでこんな救いようのない私を最後まで護ってくれたの!?
ルージュ
「混沌……よくも茂を愚弄したなっ!!」
茂
「ちっ!?」
茂の姿をした何かが動いた。
だけど、私は更に速く刃を振るう!
ピ!
刃の先端を血が跳ねた。
私は手を振り払うように、刃の血と脂を振り払った。
茂?
「……ち、あと少しだったのにな」
ルージュ
「もういい、喋るな」
私は怒気を込めてそう言った。
それの首は地面に落ちると闇へと変わっていく。
ルージュ
「茂……! 絶対に助けるんだから!」
***
タァン!
茂さんの持つ黒光りする拳銃が火を吹いた。
それは正確に私の額を捉えていた。
燐
(なんで? どうしてそんな事を言うの?)
それは絶望だった。
自らの存在意義を問い、その答えも分からず、結局は何も得られず死ぬんだろうか?
私は泣くしかなかった。
でも、それでも何かが私を諦めさせてくれなかった。
『あらあら? 貴方の覚悟はその程度なのですか? だとすれば、全くもって残念ですわ!』
燐
(クローズ?)
それはクローズの声だった。
いや、これはクローズというより……そう、これは。
燐
(マギアナ?)
『貴方はどうしてそこにいますの? 私がどこまでその世界を恋い焦がれ、そして得られなかった? それのどこがあの方でしょうか?』
燐
「っ!?」
私は茂さんを見た。
茂さんは邪悪な笑みを浮かべている。
私はあの顔を知らない。
そうだ、きっとマギアナなら一瞬で判別できる違和感、それをどうして私は見逃した!?
『良いですか? 御主人様を愛して下さい! そして信じ下さい! それが貴方にとって変わられた私の願いなのです!』
願い、私の願いは?
そうだ、無からマギアナの想像によって産まれた私にはなにもない。
それでもこの想いだけは、他の誰のものでもない!
これは願いだ、空っぽの私がせめて茂さんの役に立てるようにって!
それが私の願い!
燐
(間に合えぇぇぇ!)
私は全身から熱を噴出した。
熱と白い煙は一気に空気を膨張させ、その場で爆発を引き起こす!
ドォォン!
オーバーヒートが空気を熱して、バーストした空気の塊が弾丸を弾き飛ばす。
私は燃える舌を出しながら、煙の向こうの贋作を睨みつける。
燐
「私の価値、それをお前が決めるなぁ!!」
私は炎の鞭を振るう!
鞭は煙の向こうの贋作を捉える。
茂?
「燐、お前……」
燐
「っ!」
私は体の熱量を上げる。
それは右腕を通じて炎の鞭を強化する。
私は声もなく、泣きながら炎を吹き上がらせた。
炎の鞭の熱は、ファイアートーチのように、贋作の身体を燃やし、溶断する。
溶けたチーズのように崩れ落ちるそれは私自身が放つ白い煙によって見えなかった。
燐
「っ! うく!」
贋作、例え贋作といえどもそれは茂さんだった。
私は贋作でも茂さんの姿を直視出来なかった。
これが私の弱さだろう、でもそれでも私は願ったのだ。
燐
「茂さんは、私が助ける!」
***
茂
「終わりだ、恋」
師匠が拳を振り上げる。
その手にはナックルダスターが嵌められており、そのままなら師匠の力でも私の頭蓋を砕くだろう。
恋
(わ、たし、は)
私は穢れを自覚すると、竦んで動けなかった。
私はこの程度なのか?
これが私の限界なのか?
『情けねぇ! それがテメェのエゴかよ!』
恋
「っ!?」
轟の声だった。
だが轟はここにはいない。
一体どこから?
『こまけぇ事は良いんだよ! その拳はテメェの物だろうが! その価値を誰が決める!? 俺たち格闘家は確かにエゴイストだ! だが! テメェはいつ間違えた? 決めろ! テメェ自身が!!』
恋
「私の拳……!」
そうだ、確かに私の拳は血に汚れている。
でも、これは高潔な血だ!
私は私が倒した相手たち、私と拳を合わせた格闘家達に敬意を払う!
私がこの拳を否定することは、彼らを愚弄する!
恋
「イィィヤー!!」
私は師匠の振り下ろされた拳を蹴り払った。
茂
「何!?」
師匠は驚くが、私からすればそれは造作もない。
師匠の拳は私が闘ってきた漢達と比べれば正にスロー。
恋
「師匠……いえ、今違和感の正体がやっと分かりました」
師匠から感じたほんの僅かな違和感。
そう、それは師匠にあって、この男にない優しさだった。
この男、何者なのか?
いや、今はどうでもいい。
恋
「師匠の姿に惑わされました、まだまだ未熟の至りです。ですが貴方の拳は軽い、それでは私は殺せません」
私はそう言うと拳を構える。
もう迷わない、この拳は私が誇るべき物だ。
確かに血の匂い漂うやも知れないが、その血に悪しきものは無いはずだ。
恋
「ハァァ、イヤー!!」
私は拳を真っ直ぐ師匠の偽物の胸元に撃ち抜いた。
茂
「ごほ……!」
恋
「貴方は混沌ですか? ならば容赦はいらないですね?」
茂
「ふっ、まだ、終わって!」
師匠の偽物が拳を構える。
だけど、私は背を見せるとこう言ってやった。
恋
「お前はもう死んでいる……!」
私の拳は相手の心臓を正確に撃ち抜いた。
黄龍拳の技の中でも、特に危険な技だ。
それは遅効性を伴って偽物の身体を襲った。
茂
「ゴバァ!? ば、かな!?」
もはや口から吐いたのは血ではない。
黒い闇のような何かだ。
致命傷だろう、偽物は私を見ると、そのまま後ろに倒れ込む。
そして男は闇に溶けた。
恋
「轟……すみません。危うく貴方の拳を涜す所でした」
私は格闘家として、善悪を超越した所を生きなければならない。
それが私自身のエゴであり、そして貫かなければならない道。
恋
「師匠……私は、行きます!」
***
瑠音
「くうっ!?」
黒い何かが私に襲いかかってきた。
私はとっさに車椅子のハンドルを切り、車椅子を発進させた。
私は車椅子に引き摺られながら、得体の知れない攻撃を回避した。
今や茂さんだったそれは顔の見えない無貌の者と化している。
そうか、これが混沌か。
混沌
「ハッハッハ! それで安心かね!?」
瑠音
「っ!?」
黒い何か、それはあの黒い怪物たちと同じ構造体だろうか?
粘性があるのか、純黒の闇は方向を変え、私に襲いかかってくる!
瑠音
「ああっ!?」
私は衝撃を浴び、吹き飛ばされた。
地べたを這いつくばり、私は顔を上げ、敵を見る。
混沌
「所詮お前は誰にも愛されないんだよ、半端者」
瑠音
「っ!」
私はその言葉が悔しくて、歯ぎしりした。
半端者、陸にも海にも祝福されなかった者。
『だが、お前はウチに勝った』
瑠音
「っ!?」
マナフィ様……?
今、確かに私はその声を聞いた。
幻聴? だが、確かにそれは懐かしさと温かさを同居させている。
『半端者なら、なぜ生き残れた? なんで勝てた? 簡単や、お前は半端者やあらへん!』
瑠音
「そう、ですね……!」
私は笑うと、ゆっくりと上体を持ち上げた。
私は祝福されている。
茂さんは、マナフィ様は私に託された。
混沌
「なんだ? その顔は?」
瑠音
「分かりませんか? ならば私の勝ちです!」
混沌は私が今ここに居る意味を理解していない。
あの浅黒の少女、それはキッカケでしかない。
私は、私は……!
瑠音
「私は、お前を倒すためにきたんだー!」
私は渦潮を頭上に生み出す。
それを見て混沌は純黒の闇を操った。
再び、純黒の闇は正面から私に襲いかかってくる!
私は渦潮を投げつける!
純黒の闇は渦に飲まれた!
混沌
「なに!?」
混沌の狼狽を私は見逃さない。
すかさず私は氷の槍を手元に生成すると、それを投げつける!
瑠音
「はぁ!!」
氷の槍は渦潮を貫き、闇を貫き、そして混沌を貫いた。
混沌
「ぐふ!? なぜ? 半端者がなぜ?」
混沌はそのまま後ろに倒れた。
バシャァァン!
混沌の体は地底湖へと沈んでいく。
瑠音
「何故? そうですね、きっと茂さんがいたから、でしょうね」
そう、マナフィ様の声にはあの方の気配も混じっていた。
きっと茂さんは今も私達を見守っているのでしょう。
***
陽光
「ああっ!?」
私は混沌の奇襲を受けて、空へと打ち上げられた。
陽光
(う、迂闊でした……!)
私はなんとか、木の枝に引っかかると相手を見下ろした。
だが、相手の猛攻はまだ終わっていない!
混沌
「さぁ、魔女狩りの時間だ!」
混沌は闇を放射状に放つと、木々が薙ぎ払われる。
陽光
「きゃあ!?」
私は無理矢理地べたに落とされた。
魔女狩り……神経を逆なでしてきますね……。
混沌
「死ね、お前は危険だ」
陽光
「っ!?」
混沌の無慈悲な声。
私は死を覚悟した。
ゴーストタイプである私がそれを意識する意味。
カボ
「サセルワキャネーダロー!!」
私は無意識にゴーストダイブしていた。
この世とは異なる空間で、私は混沌を見る。
陽光
(強い……私一人で勝てる?)
『勝てるさ、自分を信じて』
陽光
(えっ!? ナットレイさん!?)
『シュー! 陽光ちゃん頑張ってでしゅ!』
陽光
(シェイミちゃん!?)
それは皆の声だ。
不思議だ、だがそれは時間も空間も超えている。
こんな奇跡はあり得ない。
陽光
(なら、これは茂お兄さん……貴方なのですか?)
私は背後から私の背中を押す、茂るお兄さんを幻覚した。
それは力と勇気を私に与えてくれた。
混沌は強敵だ、それでも私は負けられない!
『そうだぜ、もう陽光は一人で大丈夫だろ?』
陽光
(えっ!? 今のは!?)
それは聞き覚えのない声だった。
同時にとても懐かしい声。
混沌は眼の前だった。
私は考えるのは止め、ゴーストダイブを敢行する!
陽光
「はぁ!」
私は手を伸ばし、混沌の魂に傷をつける!
混沌
「ぐう!? だが! 隙を晒したな!?」
混沌は敢えて受けた!?
闇は真上から攻撃直後の私に襲いかかってきた。
私は、無防備にそれを受ける。
混沌
「あっはっは! ザマァミロ! っぐ!?」
突然混沌が呻いた。
当然だ、私と混沌は今、命をリンクさせている。
痛み分け、私が受けたダメージを半分混沌に代替わりさせ、私は立ち上がった。
陽光
「終わりです!」
私ははっぱカッターを投げつけた!
ザシュ!
はっぱカッターは鋭利なナイフのように混沌の身体を切り裂いた。
混沌
「ば、かな……!?」
混沌は闇へと変わり、霧散する。
ギリギリだけど、私の勝ちだった。
陽光
「ハァ、ハァ! 勝った……? 茂さんっ!」
突然始まるポケモン娘シリーズ外伝
突然始まるポケモン娘と理を侵す者の物語
#8 疑念と信念、それを押す声 完
#9に続く。