#5 心の教え
#5
真っ白な靄……。
それは全てを覆い隠す。
だが、僅かに靄は晴れようとしていた。
?
「ハイッ! ハイッ! ハイッ!」
大勢の門下生に紛れて、一際小さなポケモンがいる。
これは私(恋)の記憶?
門下生は20人はいるだろうか?
随分繁栄しているようで、門下生達の前にはスワンナの女性が厳しくも優しい眼差しで腕組みをしていた。
***
バトルタワー、第11戦。
新たにコジョンドの老(ラオ)氏を加えて、俺達は更に先に進んでいく。
とはいえ敵も徐々に強くなっていくだろう。
果てしない戦い……しかし彼女たちは決して気負ってはいない。
恋
「はぁ!」
ダァン!
バトルフィールドは水と植物に溢れた、自然的なフィールドだ。
地面は薄く水が張り、恋の震脚に合わせて、水が跳ね上がる。
ドゴォ!
対戦相手はノコッチ男、擬人化してもその体長2メートル、恋を見下ろす巨漢だが、恋が放った掌底は相手をくの字に曲げさせた。
ノコッチ
「!?」
ノコッチは耐えられない。
そのまま後ろからフィールドに倒れた。
恋
「ふぅ!」
茂
「よし! 良くやった!」
俺はそう言うと、恋は振り返って笑顔を見せる。
俺の隣には出番を待つ轟と、じっくり落ち着いて試合を見守る老氏がいる。
轟
「ち、早く闘いてぇぜ!」
老
「ホッホ、慌てない慌てない」
中々対称的な二人だな。
まぁ二人は兎も角、試合の方を見ると次の対戦相手は現れていた。
対戦相手は……。
茂
「まずい! ムウマか!?」
ムウマの少女には足がなく、足下はスカート状で浮遊している。
口元に手を当てて、ムウマは妖しく笑っていた。
恋
「くう! はぁ!」
恋は真っ直ぐムウマに向かう。
しかし恋の拳は虚しくムウマを貫通する。
ゴーストタイプにその拳は無効、ムウマは嘲笑うように真上に飛び上がる。
恋
「ま、待て!?」
待てと言って、待つわけがない。
恋の弱点はあまりにも分かりやすい。
ムウマはシャドーボールを生成すると、それを恋に放った。
轟
「ああもう! 何やってやがる!」
轟はあからさまに苛立った。
相変わらずゴーストタイプが出てきたら手も足も出ないのでは無理もないが。
しかし一方で老子は冷静だ。
老
「恋さんは技が使えないので?」
茂
「ええ、原因不明ですが……」
老
「ふむ、茂君、ここは私に任せて貰えませんか?」
茂
「老氏?」
そう言うと、老氏は飛び出した。
老氏は苦戦する恋の前に立つと、恋を軽い力で押しのける。
恋
「お、お爺ちゃん!?」
老
「ほっほ、交代です」
老氏はそう言って笑う。
恋は申し訳なさそうな顔で後ろに下がろうとするが、老氏は恋にアドバイスを贈る。
老
「恋さん、見ておきなさい……戦いは千変万化し、地風火水を制する者が勝利するのです」
恋
「地風火水を制する者が……?」
茂
「恋! 戻れ! 巻き込まれるぞ!」
恋
「あ、すいません師匠!」
恋は慌てて戻ってくる。
恋はじっと、老氏の背中を見ていた。
轟
「真贋別れるか……」
茂
「……」
老氏の実力は未知数。
轟にも判別できず、いよいよそれが明らかになるのか。
ムウマ
「!」
ムウマは妖しい光を放つ。
それを見た者は混乱してしまう。
だが、老氏は。
老
「この身を風とすれば、そのような技は効きません」
老氏は目を閉じて、踊るように妖しい光を防ぐ。
苛立つムウマは再びシャドーボールを生成した。
老
「シャドーボールですか」
老氏は今度は足を止めて、手を翳す。
シャドーボールに当たる直前、老氏はそれを弾いた!
インパクトの瞬間、衝撃を逸らせる……見切りか!
恋
「すごい……!」
轟
「ああ、だが肝心の攻撃力はまだ分からねぇな」
老氏の防御性能は神がかっている。
ムウマの攻撃が何一つ通用する気がしないのだ。
轟を煮やしたムウマは遂に接近戦を挑む。
ムウマは突撃しながら、目からサイケ光線を放ち、老氏はそれを僅かな動きで回避する。
やがて、クロスレンジ。
老
「一瞬で充分……!」
神速、電光石火の速度で老氏は動いた。
気が付けば、ムウマの額に拳は触れていた。
目を見開くムウマ、まるで何をされたのか分からないと言った顔で、そのまま後ろに倒れた。
轟
「な、なんだ? アレは技か?」
恋
「わ、技じゃない……でも限りなく技に近い……!」
茂
「優れた技術は、それを技と言う……奥義とも」
俺たちは呆然とした。
老氏の実力は、想像以上だった。
恋や轟が弱いわけじゃない……だが、老氏はそれ以上だ。
老
「ふぅ……さぁ次!」
老氏は最後の対戦相手を手で拱いている。
対戦相手はアリゲイツのようだ。
ただ無感情に機械的な表情で老氏の前に出る。
茂
(何者だ……いやそれ以前に何故だ?)
老氏が強いのは分かった。
だが、ならば一人で先へ進むことも可能ではないのか?
何故途中で待っていた?
茂
(……分からん、疑うべきか、否か……)
そのまま、老氏は圧倒的な武術家としての格の違いを見せつけ……20階を突破するのだった。
***
20階を突破すると、再び景色は変わった。
次の景色は砂漠、時折砂嵐が巻き起こる。
一先ず、休憩の出来る場所で、俺たちは休憩していると轟が動いた。
轟
「爺さん、俺と手合わせしてくれねぇか?」
老
「轟君が、私とですか?」
轟の目は本気だった。
アイツは闘志を滾らせ、拳をぶつける。
老
「良いでしょう……この老いぼれが貴方の学びになるならば」
老氏はそう言うと立ち上がった。
轟はニヤリと笑って、いつものように構える。
恋
「し、師匠……」
恋は不安そうに俺の傍に寄って、二人を見た。
茂
「如何に轟が優れていても、恐らく老氏には通用しまい」
恋
「それじゃ……」
茂
「だが、勉強にはなるはずだ」
そう、老氏は願ってもいない相手である。
俺は師匠としては二人に教えられる事はあまりに少ない。
だが逆に老氏は拳を通して二人に教えてくれる。
茂
(まだここがなんなのかすらよく分かってはいない……ある意味で全てが危険だが、全てがチャンス!)
轟
「おおおっ!」
先手を打ったのは轟だ!
拳を燃やし、老氏に殴りかかる!
一方の老氏は長い腕を垂らし、コジョンド独特の構えで待ち構えた。
轟
「とりあえずぶん殴る!」
轟の右ストレート!
老氏はそれを手で払いのける。
言葉では簡単だが、轟の豪腕をまるでカーテンでも開くかのようにあっさりと行ったのだ。
それだけでもレベルの違いを見せつけてくれるが、轟は気にしない。
元より分が悪い事を承知しているからだろう。
轟
「ラッシュならどうだぁ!?」
今度は素早い両拳の乱打。
しかし老氏は右手だけでそれを捌く!
轟
「ちぃ!?」
老氏
「足下がお留守ですよ?」
老氏はそう言うと、轟の足を軽く払いのける。
轟
「うお!?」
完全に予想外からの攻撃に全く反応できなかった。
轟はそのままくるりと一回転して、背中から地面に転がる。
轟の顔は何をされたのか全く分かっていない顔だった。
実際ダメージは全くない、だが既に老氏は両手を後ろに回して「ホッホ」と好々爺に笑っている。
老氏
「轟君、君は激流だな……しかしいかな激流をもってしても、その上を流れる木の葉はただ揺れるだけ……」
轟
「何が言いたい……?」
老氏
「心を鍛えなさい、流派として貴方に伝えられることはありません」
それは……今から型を変えるのは愚だと言うことか?
轟は忠告を受けて、その拳を見つめた。
誰よりも熱い男、しかしそれは燃えれば燃える程冷静さを欠く。
茂
「ようは明鏡止水って奴か……」
俺は轟の元に向かうと、轟を引っ張り上げる。
轟
「なんだよそれ? どういう意味だ?」
茂
「邪念がなく、澄みきった心の例え……だったかな?」
轟に必要なのは、自分を制する心だろう。
心は冷たく、拳は熱く……それが轟が目指すべき拳なのだろうな。
老
「恋さんは如何です?」
恋
「えっ!?」
老氏は恋も組み手はどうかと誘った。
完全にその気もなく、不意を突かれた恋は戸惑っていた。
茂
「恋、やってみろ」
恋
「し、師匠がそう言うなら……」
恋はそう言うと、立ち上がり静かに構えた。
老氏は両手を後ろで組んだまま動かない。
轟
「ち、どっちも待ちかよ」
茂
「そうかな? あの二人は多分動いているんじゃないか?」
轟
「あん?」
二人は轟のようにステップを踏まない。
ただ古武術独特の間がある。
恋の戦い方はそれこそ老氏に似ている。
老氏に比べると一撃の重みを重視している傾向があるが、一瞬で動くという部分は共通だ。
恋
(……す、隙がない)
両者は動かないまま数分間過ぎようとしていた。
恋の緊張は額からの汗で分かる。
だが、睨めっこでは組み手にはならない……動いたのは。
老
「やれやれ、固いですね、身体を解して差し上げましょう」
そう言って踏み込んだのは老氏だ!
老氏は一瞬で間合いをクロスレンジにした瞬間、先に動いたのは恋だ!
恋
「イヤー!」
老
「地は風を掴めず!」
恋のカウンターは老氏の前髪を掠めた!
だが老氏はクリーンヒットを貰った訳ではない。
老氏もスピードは尋常ではない!
恋の手を内側から払うクンフーの技で相手の力を奪い、より内側からコンパクトな一撃を放つ。
恋
「ッ!?」
恋は素早く霊体化、老氏の拳は一瞬遅くすり抜けた。
老
「ふむ、しかし風は火を消すことは出来ず!」
老氏はゴーストタイプ相手に止まる御仁ではない。
間合いを離そうする恋を一切離さず、恋が実体化した所を掴んで、地面に叩きつけた!
柔らかい砂地は容易に恋を包み込む。
恋は呆然と空を仰いだ。
恋
「はぁ、はぁ!」
老
「貴方は地であり、風である……されど地では風には勝てない、風では火には勝てない」
恋
「それが、地風火水の教え……?」
老氏は頷く。
老氏は涼しい顔をしていたが、二人は重要な事を学べただろうか。
少なくとも加減はされたようで、二人とも怪我はない。
老
「ホッホ、少し疲れましたので、先に戻らせていただきます」
老氏はそう言うと、一足先にポータルに乗って道場に帰った。
俺は改めて二人を見る。
轟と恋、決して弱者ではないが老氏にかかればこの様だ。
だが、だからこそ俺は賭けたいと思う。
茂
「二人とも、少し老氏と話がある、ここで休んでいてくれ」
俺はそう言うと転送用のポータルに向かった。
ポータルを潜ると、そこは訓練場だ。
時間も空間も機能しない謎の場所、俺は老氏を探した。
老氏は外に出ていた。
老
「……私に用、ですかな?」
老氏は背中を向けていたが、俺の接近を振り向かずに感知してみせた。
改めて些細な所から達人だと分かる。
茂
「老氏にお願いがあります」
老
「お願い、とは?」
老氏が振り返る。
俺は唾を飲み込んで、老氏に願い事を言う。
茂
「二人の師匠になってください!」
二人、当然轟と恋だ。
あの二人にはまだまだ伸び代がある。
だが、俺ではそれを引き出すのは限界がある。
俺は知識は授けられても、それ以上を授けられない。
だが老氏は違う、二人は老氏から学ぶ物は俺より多いはず。
老
「ふぅ……」
しかし、老氏は首を振った。
俺はそれに落胆をみせてしまう。
老氏は断るのだろう、それは諦念だった。
だが老氏は言う。
老
「私はあの二人の師匠にはなれません……あの二人は既に教えることなど殆どない」
茂
「しかし……」
老
「茂さん、あの二人を信じてあげなさい……確かに私は一端の武芸者で道を極めました、しかし……それは私の型でしかない」
轟には轟の戦い方が、恋には恋の戦い方がある。
老氏は今更、その型を変えるのは良くない言う。
老
「あの二人の師匠は貴方です、貴方が最後まであの二人を導くべきでしょう」
茂
「そうは言っても俺には……」
老
「茂君……武芸者ではない貴方には確かに力も技もない……ですが本当に必要な物を教えられるのは貴方ですよ」
茂
「本当に必要な物……?」
俺は戸惑った。
それは俺に分からない物だった。
老氏は顎に手を当て、「ホッホ」と微笑む。
老
「それは……心じゃよ♪」
茂
「心……?」
老氏はゆっくりと歩き出すと、その哲学を語る。
俺はこのご老人の言葉を聞き入った。
老
「心無き力は暴力なり、力無き心は無力なり……心技体、何れも欠けがあっては武を極めるに能わず」
茂
「俺にはあるでしょうか……心が」
俺は不安でしかない。
心なんて見えない物をどう証明すればいいのか。
そしてそれはどうやって教えていけばいいのか。
だが老氏は案ずるなと言うように笑っていた。
老
「茂君、10階を越えて私の元に来たのは紛れもなく貴方の力ですよ?」
茂
「……」
俺は何も言えなかった。
老氏の買い被りではないか、とも思ったがはっきりとした答えはない。
そもそもこれは哲学のような物だ。
決まった形は存在しない。
老
「私も支えられる部分は支えましょう……ですがあの二人が本当に必要にしているのは……貴方です」
***
20階休憩所、轟と恋は柔らかい砂地に腰掛けていた。
二人は対称的で轟は上を、恋は下を見ていた。
轟
「もっと強くならねぇと……な」
恋
「うん……」
轟
「いつか、絶対爺さんを倒せる位に……!」
恋
「それは……誰のため?」
轟
「自分のためだろうが、お前は違うのか?」
恋は俯いたまま黙った。
格闘家のエゴは理解している、だが自分の中でその答えは釈然としなかったのだ。
まるっきり間違いでもない、だけど正解でもない。
恋は自問自答した。
恋
(私はなんのために闘っているんだろう……? 自分のため? 誰かのため?)
轟
「俺は誰よりも強くなる、それが俺の格闘家としての芯だ」
恋
「私は……なんのために闘っているんだろう……?」
轟
「自分のためだろう、それが格闘家だ」
恋は答えられなかった。
自分には轟のような芯はなく、断じて真の格闘家には到達しえない。
だが、私達が闘うのは何故だろう?
ポケモンの持つ闘争本能?
否、生まれながらにして闘う宿命を背負うポケモンなど一握りだ。
それでは何故戦いを止められない?
恋
「茂、師匠……?」
ふと、師匠の顔が浮かんだ。
私が唯一心の標に出来た人。
師匠なら、私の迷いに答えをくれるだろうか?
そして……。
恋
(私の正体を……解いてくれるだろうか?)
恋が持つ謎の記憶。
自分が一体何者で、何故闘うのか。
突然始まるポケモン娘シリーズ外伝
突然始まるポケモン娘と理を侵す者の物語
#5 心の教え 完
#6に続く。