第9話 届かない近さで
突然始まるポケモン娘と歴史改変する物語
第9話 届かない近さで
茜
「良いお天気」
私はマンションの屋上で日向ぼっこをしていた。
11月の空気は冷たいけれど、天気は良く、ついうたた寝したくなる。
凪
「ふっ! はっ!」
少し離れた場所では木刀を振るう凪がいる。
時折身体が鈍らないようにするためか、凪はこうやって木刀を振るって汗を流す。
恐らくその技を活かす機会なんてないと思うけど、凪は自身の型を確認しながら振るっていく。
凪
「……軽い、錘をもう少し追加するか」
真剣に比べると木刀はかなり軽い。
通常の3倍重い練習用の竹刀もあるらしいけど、それでもやっぱり凪には軽いみたい。
凪は木刀の先端に錘を巻き付けると、再び数合振るって見る。
凪
「うむ、グリップが少し弱いがこれ位が丁度良いか」
美柑
「精が出ますね」
凪が熱心に汗を流していると屋上に美柑が現れた。
美柑も素振りは欠かすことがない、凄く真面目に自らを鍛える事に熱心だ。
美柑
「宜しければ、一本勝負しませんか?」
美柑は木刀を取り出すと片手で振るう。
見た目に比べてパワーのある美柑は一振りするだけでも空気を震わす。
凪の空気を切り裂くしなやかなで鋭利な剣と性質が異なる。
凪
「そう言えば、美柑と剣を交えた事は無かったな」
美柑
「あの時はそんな余裕も無かったですからね、ただ凪さんと戦ってみたいと思っていました」
凪
「私もだ、同じ剣士として君のことは称賛する」
凪が構える、同時に美柑も構えた。
茜
「二人とも、ほどほどにね」
私は一応二人に警句を与えると、少し距離を離れる。
PKMが暴れることを好ましくない人達もいるから、あまり派手なことはして欲しくない。
凪
「気にするな、純粋に剣を競うだけだ」
美柑
「ボクも、自覚はしてますよ」
二人の構えは対称的だ。
凪は剣を目線の高さで構え、切っ先を相手に向ける。
一方で美柑は木刀を片手で構え、身体の半分が隙だらけだ。
華凛
「ほう、凪は防御の構え、美柑は守りなぞ気にしない攻めの構えか」
突然、私の横で面白そうに華凛が解説した。
華凛も剣士だからこの二人の戦いに興味があるのかな。
私は華凛に少しこの勝負を聞いてみる。
茜
「華凛にはどっちが有利だと思う?」
華凛
「美柑だな、今は私も凪も神話の乙女のブーストが切れている。ブーストがあれば凪の圧勝だろうが、無ければ自力がモロに出るだろう」
思い出すのは、華凛の圧倒的な強さ、神話の乙女に選ばれた華凛は誰も勝てない程の圧倒的な強さを手に入れた。
それを更に技として昇華させたのだから、華凛は天才であり努力家だと思う。
それでも今はどれだけ弱体化したのだろうか。
美柑
「はぁ!」
凪
「ッ!」
カァン!
美柑は真っ正面から斬りかかるが、凪は的確にそれを弾く。
華凛
「ほう、パワー負けしなかったか」
華凛は凪を過小評価していたのか、凪の動きを驚きと共に評価する。
そして凪はすかさず美柑の胴を突く。
凪の動きは素早い、動きだけなら美柑より速い。
しかし美柑も伊達ではない、突きをブリッジ回避すると、すかさず体勢を整え距離を離した。
美柑
「……これが剣士としての戦いじゃなければ、足を蹴りに行ってたんですけどね」
美柑は本来盾も武器として使い、体術に精通する戦闘のスペシャリスト、決して剣のスペシャリストじゃない。
その点凪は完全に剣の達人であり、剣士としての仕上がりは凪が上だろう。
茜
「凪の方が優勢じゃない?」
華凛
「そうかな? まぁもう少し見てみようじゃないか」
華凛は胸をギュッと腕で挟んで上に寄せると、楽しそうに二人の戦いを見る。
変わらず勝負は美柑推しだけど、純粋に凪に負けたのが悔しくて凪を軽んじていたりして……。
美柑
「はっ!」
凪
「見切った!」
美柑の動き、それは足の踏み込みの時点で凪が反応する。
先の先、美柑の行動より速く凪は突きで隙だらけの胴を狙う。
美柑は反応しきれない、私はこれで決まりと思った。
しかし華凛はニヤリと笑う。
コーン!
木と木が打ち合う高い音が屋上に響くと、美柑は咄嗟に凪の切っ先を両手で持って受け止めたのだ。
凪が大きく目を見開いた、完全にとったというタイミングであった筈だ。
だが、現実には突きを受け止められた。
華凛
「ゴーストタイプ特有の嫌らしさか、純粋に戦闘のスペシャリストの勘か」
凪の一瞬の戸惑いは致命傷だった。
身体の小柄な美柑は凪の剣の間合いの内側に入ると、もう凪にはどうしようもない。
その首に木刀が添えられ、勝敗は決した。
凪
「私の負けだ」
美柑
「ふぅ……ありがとうございました」
美柑は剣道の試合のように少し離れると一礼した。
返すように凪も礼をし、勝負を終える。
華凛
「あの小柄さで私に匹敵する馬鹿力を持った剣士だ、おまけに技もある。戦いの規模を絞ればそれだけ美柑は強いよ」
茜
「……難しいね」
私は戦いは好きじゃないし、得意でもない。
華凛みたいな戦術眼はないから、その結果は最後まで分からなかった。
とはいえ、美柑も少し危なかったし、実際は紙一重の勝利だったのではないかと思う。
華凛
「……あ、そうだ。保美香が茜にお使いを頼んでいたぞ」
茜
「お使い?」
私は立ち上がる。
最近保美香は私を頼ってくれるようになった。
これまでは私も弱く、最初なんて外に出ることも怖かった。
でも今は外に出るのも平気だし、お使いも出来る。
華凛
「保美香は少し忙しいようだ、部屋で待っているぞ」
茜
「分かった、行ってくる」
私はそう言うと、屋上を出ていく。
果たしてなんのお使いだろうか。
***
茜
「傘?」
保美香は掃除中であり、この後買い物にもいかないといけない。
しかし午後天気急変を伊吹が察知し、私が傘を届ける事になったのだ。
午後から華凛と凪もポケにゃんでバイトだし、一度ご主人様の仕事場に行った事があるから私が抜擢された。
保美香
「茜、今度は電車を使うのですわよ?」
茜
「ん……頑張る」
美柑
「一応心配だからボクもついて行きます」
伊吹
「……もしかしたら傘〜、必要なくなるかも〜」
伊吹はベランダの空を見て、そう呟くが、その発言だと良い方なのか悪い方なのか判然としないね。
私たちはご主人様の傘を持つと、家を出るのだった。
***
美柑
「電車を使えばお昼までには帰れますね」
茜
「うん、お昼ご飯何かな?」
私たちは切符を買って電車に乗り込むと、空いた電車内で座席に座りながら、お昼ご飯の談笑を行う。
だが、電車内では何故か、不穏な声が聞こえた。
私はいつものPKMの風評被害かなと思って無視していたけど、何か雰囲気が違った。
おばさんA
「見た? あの子最近おかしくない?」
おばさんB
「ええ見たわ。明らかに普通じゃないわよね」
美柑
「なんですかね……ボクたちじゃないみたいですけど」
私は少し離れた所で雑談するおばさんたちの視線を追う。
その車両の奥、一番離れた場所のドア側に、一人の女性が立っていた。
私はよく目を凝らして、その姿を確認するとビークインのポケモン娘だと分かるが、何か違和感を覚えたのだ。
茜
「ッ!? あのビークイン、怪我してる……それも普通じゃない?」
そのビークインは両腕に包帯を巻いて、頬にも湿布が貼ってある。
私は驚いた、どうしてそんな怪我をしているのに病院にもいかず、電車に乗っているんだろうか。
美柑
「大変です! 助けるべきでしょうか?」
茜
「……分からない。助けることが正解なのか」
あからさまに異常なのは私でもそこらのおばさんたちでも分かる。
でも、それが何を意味するのか……そこにとてつもない不安を感じた。
美柑
「何を弱気な! 弱者を助けるのも私たちの務めでしょう!」
直情真っ直ぐな美柑は、そう言うと立ち上がる。
性格的に美柑は誰であれ、救いの手を求める者を救うという精神の持ち主だ。
多分にお節介になる時もあるけど、その真っ直ぐさは美柑の良いところ。
私も立ち上がると、二人でビークインの下に向かう。
美柑
「あの、大丈夫ですか?」
ビークイン
「え……貴女方は?」
ビークインはずっと俯いており、まさか声を掛けられるとは思わなかったのか、美柑に驚いた表情を見せた。
茜
(焦燥している……?)
ビークインの見せたその顔はあまりに疲れ切っていたように思えた。
近くで見れば分かるほど、彼女は多くの場所に怪我を負っている。
だが不思議な程に、どのダメージも浅く、無駄に多くの場所を怪我している。
美柑
「ボクはギルガルドの美柑」
茜
「イーブイの茜」
私たちは自己紹介をすると、彼女もそれに倣い深い会釈を加えて自己紹介をする。
ビークイン
「私はビークインのハニーと申します……あの、何かご迷惑をおかけしましたでしょうか……?」
自分が声を掛けられた事に、彼女は何か恐怖感を覚えている?
まるで自分を奴隷にまで堕としたかのような態度に私は疑問を覚える。
美柑
「いや、そうじゃなくて……辛いなら座席に座った方が」
美柑はどの程度読めているか分からないが、真っ直ぐな分空気を読めない事は確実である。
少し応対に不安を覚えるが、まず前提としてこのビークインの事を私たちは知らない。
ハニー
「あの、でも……私が座ると迷惑が……」
美柑
「何故ですか!? 貴方が座ってはいけないルールなんてないですよ!」
ハニー
「ひっ!? ご、御免なさい……」
美柑の出した大きな声にビークインのハニーは怯えたように頭を抱えた。
まるで小動物のような怯え方、本来ビークインの性質から考えたらあまりにも弱々しい。
茜
「美柑、もういい」
美柑
「何故です茜さん?」
茜
「美柑じゃ解決できない問題がこの子にはある」
美柑
「……っ」
美柑はハニーには幾分高圧的に映ったかもしれない。
確かに美柑は割と自分の意思を押し付けるタイプだから、苦手な人はとことん苦手だと思う。
美柑も私に言われて納得したのか、その後は押し黙った。
茜
「お節介だけど、ここに貴方の敵はいないと思うわ」
ハニー
「敵……なんて」
茜
「……とりあえず病院行った方が良いと思う、お大事に」
私はそれだけ言うと、元の座席に戻った。
美柑も渋々後ろを着いてくると、やはり彼女について聞いてきた。
美柑
「あんなの絶対おかしいですよ、茜さん」
茜
「そんなの誰でも分かるわ、問題なのはその論点」
明らかに怪我の箇所がおかしい。
階段から転げ落ちたかのように、全身傷だらけなのにどれも軽症で、日常生活を行う上ではそれほど問題はないのかも知れない。
でもそれが不自然なダメージに映る。
私では残念ながらこれ以上の解を導き出せない。
美柑
「変に弱気……というか対人恐怖症? あんな疲れたような顔しているのに」
茜
「私たちに人の人生語れる程の経験はない、多分彼女の問題は根が深い」
怪我だけじゃない、彼女の今にも自殺しそうな顔は、それ自体の意味を考えなければいけない。
茜
(ご主人様なら、それでも救うのかな? 私に出来ることってなんだろう)
私は自分がどれだけちっぽけな存在かを知っている。
誰かを救うなんて烏滸がましい事は到底出来ない。
せめて彼女が感情を見せてくれれば、救う手立てもあったかもしれないが、残念ながら彼女は感情を見せてはくれなかった。
茜
「……私に無理でも」
私はスマートフォンを取り出すと、電話アドレスを見る。
御影真莉愛……PKM問題のスペシャリストである彼女なら何か手を差し伸べられるだろうか?
***
ハニー
(病院か……行けないよね、行ったらきっとバレるもん)
私は憂鬱だった。
敵なんていない……その通りだと思う。
でも誰を信じれば良いんだろう?
日毎に怪我は増えていく、回復指令でケアしているけれど、間に合わない。
ハニー
(疲れたよね……でも、どうしようもないんだもん)
***
杏
「んー」
昼頃、杏は自宅の高級マンションで一冊の本を読んでいた。
それは本とは言うが、辞書のように分厚く、娯楽性は全くない。
ほむら
「ん? 杏何読んでんだ?」
この家では全員個室を与えられているが、普段はリビングで寛いでいる。
先ほどシャワーを浴びてきたばかりのほむらはバスタオル一枚でリビングをうろつき、後ろから杏の読む本を覗きこむ。
ほむら
「うげ……見たら頭が……!」
杏
「六法全書……真莉愛に借りたの」
ほむら
「なんだいそれ、魔導書か?」
ほむらはその細かすぎる文字列だけで、吐き気を催す。
馬鹿か天才かで言えば、馬鹿だがそれでも常識はある。
だが、進んで本を読むことは絶対ないし、まして六法全書なんて言われても、もはやそれは魔法のような何かにしか思えないのだ。
白
「はぁ……本当に馬鹿ね。それにしても法律のお勉強って将来弁護士でも目指してるの?」
杏
「真莉愛って元々検察局の出らしいわね、私もそういう道を目指しても良いけど、今は兎に角お勉強」
相変わらず部屋の隅で石を抱えて地蔵のように動かない白だが、会話は聞いているし、話にも参加する。
白は元々あまり活発な子じゃない、それはミカルゲとしての性質もあるかもしれないが、漠然としているが先を見ている杏には興味がある。
杏は最初こそ人間生活を戸惑っていたが、直ぐに順応してみせた。
そしてもう杏は、人間化したポケモンとしての先を見ている。
杏
「PKMが罪を犯しても罰する刑法はないけれど、それは逆でもある。やっぱりPKMに必要なのは人権と国民主権……」
真莉愛
「杏、政治家目指しているの? その気ならサポートするわよ?」
仕事に一段落ついたのか、部屋に閉じこもって書類と格闘していた真莉愛がリビングに現れると、優しく杏に声を掛けた。
真莉愛は政治家ではないが、内閣の政治家とも交流がある。
特にあるハト派の重鎮はパトロンであり、必然的に真莉愛は政界に近い場所にいると言えた。
真莉愛
「少し出かけてくるわ」
ほむら
「なんだ、またサボりか?」
愛紗
「……大丈夫、仕事」
普段からサボり癖のある真莉愛にほむらはいつも通りの疑念をぶつけ、真莉愛は苦笑するが後ろから現れた愛紗が否定する。
真莉愛
「愛紗、護衛お願いね」
愛紗
「イエス、マイマスター」
***
ザァァァァァァァァ!
茂
「雨、いつ止むの……」
俺は仕事終わり、あんまりの豪雨に辟易しながら遂にヒロインが死にそうなネタをぶち込む。
いやパッケージ飾ってる子が既に故人として出てきたのは衝撃的だったよなぁ。
俺は天気アプリで現場の状況を見ているが、思いっきり警報が出ているし、とりあえず傘が役に立たん。
茂
「あと、数時間は止む気配無し」
電車で帰るのが嫌になるな。
と言いつつ、一応駅までは来ているんだが、タクシーを拾うか少し悩んだ。
ハニー
「……はぁ」
俺は駅の入口で、憂鬱げに空を見上げるポケモン娘を見つける。
それは何時だったか、依然少しだけ会話したことのあるビークインだった。
たしかハニーさんだっけ、何やら傘は持っていないようだが途方に暮れているように思える。
茂
「……? ハニーさんですよね? その怪我は?」
俺はよく見ると無数の包帯と湿布に包まれている事に気付く。
彼女は此方に気が付くと、少し驚いた表情を見せる。
ハニー
「貴方は……たしか常葉さん、でしたか?」
どうやら俺の思い違いではなく、かつて電車で出会ったハニーさんのようだ。
俺はまずその異様な格好に訝しむが、彼女は痛がる様子もない。
よく分からないが、大丈夫そうで心配するべきか難しい。
茂
「えーと、ハニーさん、その怪我って大丈夫なんですか?」
ハニー
「大丈夫です、どれも軽症ですから」
ハニーさんは和やかに笑い、大丈夫と言う。
確かに大丈夫みたいだが、そもそもなんでそんな怪我をしているんだろう。
ハニー
「……雨止みませんね」
茂
「家、近いんですか?」
ハニー
「……少し遠いです」
ハニーさんは困った様子だ。
よく見ると地面には買い物の後なのか袋が置いてある。
茂
「濡れるのが困るなら、タクシーを拾ったらどうです?」
ハニー
「しかしそんなお金は……」
ハニーさんは益々困ってしまう。
多少の雨なら突っ切れば済むが、今回は強風に豪雨とくれば、PKMでも辛いか。
時折吹き飛ばされそうな風が吹く辺り、華奢そうなハニーさんでは余計に危ないか。
茂
(タクシー代出そうかって……言うのは恩着せがましいか?)
一々人助けなんてやってられないが、それでも目の前で知り合いが困っていたらなるべく助けてあげたい。
茂
「そうだ、保護責任者に迎えに来て貰ったらどうだ?」
ハニー
「……ご主人様は」
ハニーさんの顔が一層暗くなった。
もしかして仲が良くないのだろうか、或いは何か迎えに来れない理由が?
真莉愛
「はぁい♪ お二方良かったら車に乗る?」
突然後ろから傘を差して現れる黒服は、最近よく見る気がする御影さんだった。
御影さんは後ろに止めてある車を指さして乗るよう薦めてくる。
茂
(御影さんが出てくる時って大体問題絡みな気がするんだよな)
真莉愛
「ふふ、とりあえずお話しは中でしましょう」
ハニー
「あの……本当に宜しいのでしょうか?」
真莉愛
「ええ、今日は貴方も込みで保護責任者さんと面談がしたくてね」
茂
(面談?)
どうやら御影さんの目的は俺じゃなくハニーさんのようだ。
面談というのは、勿論ハニーさん絡みだろう。
問題はどちらに主題が向いているのか。
真莉愛
「常葉さんは前にお願いね、ハニーさんは後ろに、荷物は適当に座席に置いといて」
……とりあえず拒否する理由もないので、俺は指示通り車に乗り込む。
ハニーさんも申し訳なさそうに車に乗り込むと、御影さんは運転席に乗り込み、車を発進させる。
車はゆっくりと静かに動き出すと、御影さんが勝手に喋りだす。
真莉愛
「電気自動車って静かよねぇ、最近じゃ日本でも平均30km毎に充電スポットも出来ているし、科学って進歩したわよねぇ」
茂
「……」
真莉愛
「ん〜、もしかして常葉さん、とことん興味ない?」
茂
「興味ないですね」
真莉愛
「あら、でもあると便利でしょ?」
茂
「便利でも維持が面倒じゃありません? 人生シンプルな方が楽ですよ」
俺のドライな解答に御影さんはクスクス笑っている。
御影さんの運転は手慣れていて、普段から使っていることが分かる。
そういう点から御影さんにとっては車は生活に必需品となっているんだろうと思う。
しかし、俺にとっては車が必要だと思ったことは殆どない。
この辺りは価値観の相違だろうが、俺はとことん興味がないんだよな。
真莉愛
「距離的にはハニーさんのお宅の方が近いのよね」
茂
「御影さん、もしかして殆どの保護責任者の自宅を把握してます?」
ふと、疑問に思ったが御影さんはニッコリ笑う。
真莉愛
「流石に全てとは言えないけど、大体は把握しているわね。それがお仕事だもの」
……流石と言うか、御影さんの不思議な行動力は真似できないなと思う。
ある意味PKMに関わるって、それは楽なことじゃないなと思う。
PKMに嫌悪感は持たなくても、保護責任者になることには拒否感を抱く人も多い。
でも御影さんはその先で働いている。
俺でさえ、全てのPKMを信用できるかは分からない、でも御影さんはその信じるという事を行っている。
なんの確証もない中で、PKMを信じるというのはどういう気持ちだろう。
真莉愛
「とりあえず先にハニーさんの所に行かせて貰うけれど、良いかしら?」
茂
「構いませんよ、送って貰えるだけで御の字ですし」
ハニー
「申し訳ございません」
そうこうしていると、車は住宅街に向かっていく。
ハニーさんが住んでいるのは高級住宅街とは違い、築年数の高い古い民家のようだった。
古き昭和の香りのする家の前で止まると、ハニーさんは荷物を纏め始めた。
茂
(表札には赤城とあるけど……)
真莉愛
「常葉さん、少し待っててくださいね」
御影さんは傘を持って外に出ると、ハニーさんに傘を差して民家の玄関に向かう。
ハニーさんは家に着くと何度も御影さんに頭を下げ、玄関を通って中に入っていく。
車の中からはよく分からないが、玄関の扉は開かれたまま、御影さんは心許ない雨除けの中で、保護責任者を待つ。
暫く待つと、入口に現れたのはとても太った男性だった。
身だしなみは社会人感があまりなく、ややもや未成年に見えなくもない。
所謂キモデブに分類されるだろう男は、玄関で御影さんと何か会話している。
茂
「車の中からじゃ、何が起きているのか分からないか」
元々距離もある上、車の中じゃ音も遮断してしまう。
ただ、振る舞いから事の様子はなんとなく察せられる。
例えば、本来面談なら御影さんと中で三者面談を行うはず。
にも関わらず、ハニーさんは中から出てこないし、御影さんは風雨に晒されたままだ。
やがて、何か怒声のような物も聞こえ、保護責任者と思しき男が玄関の戸を閉じてしまう。
御影さんは落胆した様子を見せると、車に戻ってきた。
真莉愛
「……おまたせ」
茂
「面談は?」
真莉愛
「門前払いね」
御影さんは本当に落胆している。
俺は普通PKM対策班の御影さんが来て面談を断るだろうかと疑問には思う。
真莉愛
「事前にアポイントを取れないと応じないってね、電話にも一度も応じないのに……」
御影さんは苦虫を噛み潰すような顔をしてハンドルを強く握り混む。
それは御影さんの見せた珍しい弱さに思えた。
茂
「……あの人とハニーさんの関係って」
俺は本来なら聞くべきではない事を聞いている。
実際関わるべきではない、これは他人事だ。
だが、俺はハニーさんのあの様子に言いようのない不安が募っていた。
真莉愛
「1年間で逮捕にこぎ着けた虐待って何件か知ってる?」
俺はその言葉にギョッとする。
虐待……最近じゃ珍しくもない位良く聞く言葉になった。
でも、それを身近で聞くのは心臓に悪い、例えある程度予想していたとしても。
真莉愛
「虐待で1年間に平均で1週間に1人死んでいるわ、虐待相談は述べ13万……人間たちだけでこれなの……そこにPKMが関わってもおかしくないと思わない?」
茂
「ハニーさんの怪我は虐待の痕?」
真莉愛
「……でしょうね」
茂
「なんで……それなら力ずくでも止めないと!」
俺は熱くなって御影さんに食いかかってしまう。
しかし、気が付いたら彼女がシリアスの方にスイッチしていることに気が付く。
彼女はあくまでも事務的に、しかし言葉に僅かに含まれた怒りを見せる。
真莉愛
「虐待を止めるって簡単じゃないのよ、人間同士でさえ警察が踏み込むにはキッチリとした証拠が揃った上でやっとなの、それがPKMとなると誰もが無関心になり、止められない」
茂
「確かPKMに対する法に、PKMに対する暴力や強制は禁止されているはず……それなら!」
真莉愛
「それさえ結局は現行犯でしか止められないの、PKMってね裁判に出られないの、警察だって止めたいって思ってる……それでも余程決定的なポイントを抑えない限り、私たちは無力なのよ」
茂
「……く」
……そこに異変があるのは分かっているのに、どうしようもない。
俺も所詮法律なんて疎く、ただの会社員に過ぎない。
真莉愛さんが、真莉愛さんのようなスペシャリストでさえ、解決は難しいのに俺に何が出来るのか。
茂
「……どうすれば」
真莉愛
「……常葉さん、貴方が思い悩む必要はないわ」
真莉愛さんはゆっくりと車を発進させた。
もはや彼女は諦めたのか、その場ではどうしようもないとその顔で物語っていた。
真莉愛
「貴方はせめて貴方のPKMたちを守ってあげて」
茂
「……教えてください、諦めるんですか?」
真莉愛
「……諦められる訳、ないじゃない……でも、問題は山積みなのよ!」
御影さんは泣かない人だ。
仕事に対して不思議と前向きで、いつもPKMの事を考えている。
そんな人が、妥協で許せる筈がない。
御影さんはただ、涙を堪え震えていた。
突然始まるポケモン娘と歴史改変する物語
第9話 届かない近さで 完
第10話に続く。