宝と罠と番人と
壁を伝いながら、腰ぐらいの深さの水路を進んでいく僕達。水気をたっぷり含んだ体毛が重たく、更に体に貼り付いてくるものだから不愉快極まりない。ツルッツルの体をしたツタージャが少し羨ましく思えてくる。
「あっ、奥に開けた場所があるよ!」
ツタージャが声を張って、奥の方を指差した。やっと、この潮臭くて長ったらしい通路を抜けられるかもしれない。鼻の奥のむず痒さから開放されると思ったら、自然と足に力が湧いてきた。
「行ってみよう!」
もがきながらも、僕達は前へ歩を進める。通路を抜け、ドーム状の広場に着いた僕達の目には、驚くべき光景が映し出された。
「な、何あれ……」
呆然とした表情で立ち尽くすツタージャ。恐らく僕も彼女と同じ顔をしているだろう。前回行った時はあんなもの陰も形もなかった。広場の中央に堂々と浮かんでいる謎の物体。無残にへし折れたマストに付いた、ボロボロになった布切れ。何の模様かは全く判別出来ない。
「……難破船?」
僕の勝手な推測に、ツタージャは「そうかもね」と返す。浸水してしまってるのか、水面に横たわっている船体の側面には、サビや海藻まみれのイカリらしき物体がついていた。
「凄い……何かロマンを感じるね」
「うん、もの凄く手が込んでいる」
あまりの出来栄えに、これがシャンデラが創った物だというのはすっかり頭から抜け落ちていた。まるで、太古からここに存在しているかのような……。
「……ピカチュウ、雰囲気が台無し」
圧倒的クリエイティブな芸術に浸ってた僕にツタージャが一言。彼女の方を向くと、腕を組んでジト目でこっちを睨んでいた。
「それにしても、こんな大きいのをどっから……」
「あそこから搬入したのかな?」
広場の奥にある、僕達が入ってきた所よりも遥かに大きい、海に向けて伸びる水路を指差す。きちんと整備されてたのか、水路の岩壁には削られた痕跡が所々見受けられた。恐らく、船体やマストに突起とかが当たらないようにポケモンの手で削り落とした、という設定だろう。
「でも、どうやって運び込んだんだろう? こんな大規模な物、一匹じゃ到底無理だし……」
「サイコキネシスを使ったんだよ。シャンデラのは一際強力だから、たぶんこれぐらいなら一匹でも何とかなったんじゃない?」
「これぐらいって……あれを? 一匹で?」
信じられないといった表情で、何度も難破船を見返すツタージャ。当たり前のように話しちゃったけど、よくよく考えたらトンデモない内容だ。
「……シャンデラって何者なの? こんなのを作り上げるなんて、ホントにポケモン?」
「紛れもなくポケモンだよ。だいぶ変わってるけど」
「変わってるで済むレベル? あれが?」
ツタージャは腑に落ちないといった感じで、でっかい難破船を親指でクイッと指す。
「異次元からやってきた生命体じゃないの?」
ツタージャが何気に酷い事を言ってるけど、聞いてる内に僕もシャンデラの存在が怪しく思えてきた。彼には悪いけど。そういえば、僕はシャンデラの事を殆ど知らない。出身地や来歴など何一つ教えてくれないし、どういった経緯でギルドに所属しているのかも分からない。
それにしても、先週のパイや今朝の水バケツの件からか、彼女の不信感はだいぶ募ってそうだ。……当たり前か。
「と、とにかく先に行こっか」
「……そうだね。意地の悪そうな仕掛けもありそうだし、気を付けて進まないと」
そう言ってツタージャは常にキョロキョロ全方位を見渡し、何か踏んだらすぐに足を引っ込められるように、抜き足で歩き始める。
「……そんな警戒してたら、身が持たないよ」
ツタージャに忠告するも、彼女に「分かってるよ」と軽く流され、非常にゆっくりとした歩みで洞窟の奥へと進んでいく。旗から見たら不審ポケモンにしか見えない後ろ姿に、思わず苦笑いを浮かべてしまった。
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耳のてっぺんを擦りそうなぐらい、窮屈な道を進んでいく僕達。内陸の方に近付いてるからか、先に進めば進む程、空気中の水気が薄くなっていく。ふと足元に注意を向けてみると、湿ってたはずの地面がいつの間にか乾き切ってる。ふと後ろを振り返ると、糸一本見逃すまいと四方八方見回していたツタージャが、いつの間にか前だけを向いて歩いていた。
ときおり会話を交えつつ奥に進んでいくと、狭い通路から一転、開放感溢れる広場に出た。青く輝く水は影も形もないが、天井から光が漏れていて、ある程度の視界は確保出来ている。薄暗いものの、文字を読むぐらいなら何とかなりそうだ。
「見て! 宝箱が!」
ツタージャがいきなり声を上げ、奥の方を指差す。その指に導かれるように視線を動かしていくと、確かに四角い何かが見えた。何とか正体を明らかにしようと、両目のピント合わせに試行錯誤。あと少しで見えそう……そう思った矢先、視界の脇を走り去る一つの影が。
「待って!! 迂闊に近付いちゃダメだ!!」
宝箱に向けて大喜びでダッシュするツタージャ。慌てて呼び止めようとしたが、時は既に遅し。カチッという無機質かつ無慈悲な音が聞こえてきた。
「ん?」
ツタージャの足が地面に触れた瞬間、石の絵が描かれたパネルが現れる。前へ踏み出そうとする彼女の左足を狙ってパネルから本物の石がせり上がった。
「きゃっ!!」
左足を石に掬われ、前のめりに倒れていくツタージャ。突然のアクシデントからか、受け身を取れずに顔面から派手にすっ転んでしまった。
「だ、大丈夫!?」
鼻を押さえてうずくまるツタージャに急いで駆け寄る。指の隙間から覗かせる、若干赤くなった鼻が見てて痛々しい。
「へ、平気だよ。少し鼻を打っただけ……」
痛みで思うように動けないのか、起き上がろうと地面を踏みしめている彼女の足が震えている。僕は彼女の手を取り、ゆっくりと引き上げた。
「あ、ありがとう。いたたっ……」
鼻を労りながら、例のパネルを恨めしそうに睨み付けるツタージャ。飛び出ていた石はいつの間にか引っ込んでいた。
「……これがワナなんだね。全く分かんなかったよ」
「地面と完全に同化しちゃってるから、目視はほぼ不可能と言っていいね。これはころびスイッチと言って、強制的に転ばされると同時に装備品を外されてしまうんだ」
「装備も外れる上に痛みまでオマケでついてくると……。全く嫌ったらしいワナね。他にもこんな憎ったらしいのってあるの?」
彼女の声からも表情からも、罠に対する不満がひしひしと伝わってくる。でも、罠が嫌なものというのは探検家の共通認識。ツタージャも探検家らしくなってきた。
「ころびスイッチはまだマシな方だよ。踏んだ瞬間爆発したり、技が封印されたり、敵陣の真っ只中で混乱や眠りにさせられたり…………」
「……聞いてるだけで恐ろしいね。しかも踏むまで分からないとか」
熟練者なら見破れるらしいけど、僕みたいな未熟者はどんなに警戒しようが無理なので、どうしても後手に回らざるを得ない。ワナさえなければどれだけ楽になるか。何度そう思った事だろう。
「ピカチュウ、あの宝は諦めよう。あからさまに罠臭いし、他に何か仕掛けられてたら溜まったもんじゃないしね」
「……意外だね。ツタージャが諦めるなんて」
「あたしだって、この一週間でいろいろ学んだんだよ。成功の秘訣は欲張らない事ってね。宝一つと命を天秤にかけてた頃とは違うんだから」
誇らしげに胸張って言うツタージャ。命の天秤にかける物の価値を間違ってはいけない。かの有名な探検家が残した名言だ。世界有数の宝は数あれど、自分の命は一つしかない。その歩みはほんの僅かだけど、探検家らしく成長し続けているツタージャの姿が嬉しかった。
「さて、本命の宝を目指して出発……」
ツタージャの口が急に止まり、目の色が変わった。彼女の視線は僕の顔を……いや、少しずれた所で止まっている。
「危ないっ!!」
僕は「どうしたの?」と言おうと口開いた瞬間、ツタージャが急に飛びかかってきた。不意をつかれ、なすがまま押し倒されていく体。傾いていく視界の中、大量の水が滝を横にしたような勢いで僕がいた所を突き抜けていった。
何が起こったのやらと混乱する頭を鎮めつつ、水が飛んできた方に目をやる。すると、暗がりの中に三つの陰が立っていた。大小の差があれど、全員敵なのは間違いない。それにしても、あれ程の水流を飛ばしてくるなんて、さぞ手強い相手に違いない……。
「我らのお宝を狙う不届き者め!! 成敗してくれる!!」
「……へ?」
相手を覆ってた陰が取り払われた途端、間の抜けた声をあげるツタージャ。なにせ三匹とも、頭には羽根付きの海賊帽、片目には眼帯着用と模範的な海賊スタイルをしていたからだ。コスプレ集団が突然現れたんじゃ、誰だって困惑するに決まっている。
「我が名はニョロゾ!! サザナミ海賊団の水夫長である!!」
「俺っちは水夫長の側近ヘイガニ!! このハサミの錆にしてやるぜ!!」
「ぼ、ぼくは部下のミズゴロウ!! えっと……や、やっつけてやるぞー」
一匹おどおどしているのがいるけど、残りの二匹はハサミをカチカチ鳴らしたり、固めた拳を見せつけるかのように突き出したり戦闘態勢に入っている。相手の力量は全く分からない。ただ分かったのは、シャンデラが送った刺客である事と、内の二匹はノリノリで演じている事だけだ。
「……相手はヤル気みたいね。さしずめ番人って言ったところかな」
「……そうみたいだね」
ツタージャが身構えるのを見て、僕も戦闘態勢に入る。見た目はアレだけど油断してはいけないと、普段役に立たない"カン"が珍しく仕事している。
「皆のもの、囲め!! 絶対に逃してはならんぞ!!」
リーダー格のニョロゾは海の雄らしい明瞭な声で命令を下し、二匹が素早い動きで僕達の背後に回る。数で上回っている時、よく使われる戦法だ。
「……こういう時はどうするんだっけ?」
「応戦しようとせず、包囲網を崩す事に専念する。でしょ?」
自信満々で答えるツタージャに僕は無言で頷いて返す。ホント頼もしいや。
「やれっ!!」
ニョロゾの声を皮切りに、三方向から大量の泡や強烈な水流が放たれる。
「ツタージャ、飛ぶよっ!!」
「うんっ!!」
黄色と緑色の二対の足が、全く同じタイミングで地を蹴った。三つの攻撃が交錯した衝撃により砂塵が舞い上がる。その中に身を隠すように着地し、ターゲットに向けて一気に走り出す。
砂埃のドームを突き破る二つの影は、ミズゴロウへ一直線に駆けていく。一言も言葉を交わしていないのに、鏡のように全く同じ動きをするツタージャ。あまりの以心伝心っぷりに、思わず笑みがこぼれてしまった。
「く、くるなぁ!!」
「落ち着いて撃退しろ!!」
パニクってたミズゴロウだがニョロゾからの一喝により我に返り、技を出そうと大きく息を吸い込む。"みずてっぽう"が来ると確信した僕は、そうはさせまいと準備してた"でんじは"を放った。
「あれっ? あれれっ!?」
麻痺していながらも懸命に水を吐き出そうとするが、湧き水のように口からチョロチョロと漏れ出るだけ。今がチャンスだ!!
「それっ!!」
ツタージャは首筋から二本のツルを出し、大きく振り上げる。そしてミズゴロウの脳天目掛け、空気が唸る勢いで思いっきり叩きつけた。その衝撃でミズゴロウの体はボールみたいにバウンドし、地面にうつ伏せにへたり込んだ。
「ミズゴロウ! 平気か!!」
「う……うん。まだやれるよ……」
足元が若干おぼつかないが、僕達を真っ直ぐ見据えながら立ち上がってきた。弱点をついたのにまだ戦えるなんて、華奢な見た目とは裏腹にタフなようだ。
「下がれ!! 今度は俺っちがやる!!」
両手のハサミから大量の泡を吐き出しつつ、距離を詰めてくるヘイガニ。硬い甲殻があるからか、正面から特攻を仕掛けてきた。
「ピカチュウ応戦するよ!!」
「うん!!」
ツタージャが左腕を前に出し、葉を纏った緑色の竜巻を発射して泡を消していく。僕も電撃を連射して相殺するが、泡の数が多すぎる。相殺するので精一杯で、ヘイガニの接近は止められそうにない。
「俺っちのハサミを喰らえっ!!」
カイスの実を軽々咥え込みそうな程、大きく開いたハサミが僕の喉元を捉えようとしている。だけど、こっちだってヤスヤスと倒されるわけにはいかない。頬に電気を溜め、反撃に備える。
閉じていくハサミをジャンプですり抜け、相手の頭に手を付いて跳び箱の要領で背後を取る。この時、僕と相手の体はゼロ距離。電気の減衰もなく攻撃出来る状況だ。ほっぺに溜まった電気を、腕を通じてヘイガニの体に直接流し込んだ。
「あがががっ!!」
苦悶に悶える声が聞こえてくる。ほっぺの電気が尽きたタイミングでヘイガニの頭を思いっきり押し、腕だけの力で飛び上がる。相手は水タイプ。電気の通りはいいはず……。
「……や、やってくれたな!!」
全身に電気が巡っているにも関わらず、苦しそうに顔を歪めながらもハサミをこっちに向けてきた。ハサミの中には水のエネルギーが渦巻いている。
でも、足が地面から離れている状態でも焦りは一切湧いてこない。何故なら、砂埃を巻き上げながらヘイガニに接近している緑色の竜巻が彼の背後に見えているからだ。
「な、何だ!?」
竜巻により、ヘイガニが落ち葉のように舞い上げられていく。竜巻の向こう側には、うまく決まったと僕に向かって微笑むツタージャの姿があった。
無防備なヘイガニに渾身の一撃を与えるため、ほっぺにいつもの倍の電気を溜める。赤いほっぺから空気が弾ける音が聞こえてくる。いい感じだ。あとは発射するだけ……。
「…………!?」
急に背中に悪寒が走る。しかも嫌な予感から来るものじゃなくて、実際に冷気を当てられているような感覚。とっさに後ろを振り向こうとしたが、もう遅かった。背中に鉄球を投げ込まれたかのような衝撃を受け、僕の体が宙を浮いた。
「ピカチュウ!!」
脳を揺さぶられ、意識が曖昧になっていくものの、ツタージャの声により我に返る。曇りガラスのように濁った視界に、ミズゴロウの口から彼女に向けて水が放たれる光景が映し出された。僕に気を取られている彼女は避けられるはずもなく、直撃して壁際に追いやられてしまった。
「私を忘れては困るな、小僧」
透き通った水色の光に包まれている拳越しから見える、ニョロゾの威圧的な面構え。それなりに距離はあるはずなのに、拳から発せられる冷気がひしひしと伝わってくる。
「相手を分断させるぞ!!」
「イエッサー!!」
ニョロゾの命令により、二匹は駒のように忠実に僕達の間に割って入る。まるで城壁のような拒絶感。合流は倒さない限り不可能だろう。
「私は小娘をやる。残りは任せたぞ」
「大船乗った気でいてくだせえ、水夫長。やるぞ! ミズゴロウ!!」
「う、うん!!」
二本の敵意に満ちた視線が向けられる。背中のダメージは結構重たいけど、動けない訳じゃない。起き上がり、二匹を目で牽制する。
1対2のバトルはよくあるシュチエーション。だが、実際に戦うのは初めてだ。しかも、二匹ともそれなりの強さを持っている。出し惜しみしては絶対に勝てない。ならば最初っからフルスロットルだ。
バッグを開け、右手に石のつぶて、左手に場所替えの枝を取り出す。枝で挟撃を避け、石で牽制して本命の電気で攻撃。戦法はこんな感じでいいだろう。
「なかなかの重装備じゃねえか。ミズゴロウ! お前が水吐くだけの砲台じゃない事を見せてやれ!!」
「う、うん!!」
ミズゴロウが軽く息を吸い込み、口元に球状のエネルギー体を生み出していく。しかし、球体が大きくなるにつれ、色が濁っていった。彼の鮮やかな水色に似ても似つかない、茶色く染め上がった球体。……僕が一番嫌いな色を見て、全身に悪寒が走り出した。
「撃てぇ!!」
ヘイガニの掛け声を受け、発射された泥玉。絶対に喰らってはいけないと頭の中で警鐘が鳴り響く。
すぐさま横に飛び、直撃を避ける。地面に着弾した泥玉は風船のように弾け飛び、爆風により辺りに泥を撒き散らしていく。
「まさか、地面タイプが来るなんて……」
電気タイプが故の本能のせいか、飛び散った泥を見て動悸が早くなる。幸いにダメージはなく、爆風により体が捲られたのと背中にちょっと泥がついたぐらいだ。
「"どろばくだん"の威力はどうだ? なかなかの威力だろ。ミズゴロウ、相手はビビってるぞ! もう一発ぶちかましてやれ!!」
上機嫌のヘイガニに激昂されたミズゴロウは再び泥玉を形成していく。苦手な地面タイプの技だけど、一度見た技だ。黙ってやられてたまるか。右手の小石を握り直し、二匹の動向を探るのに全神経を集中させる。この策が上手く行くかはタイミング次第。そのタイミングは、相手が教えてくれる。
「……う」
「今っ!!」
ヘイガニの口が動いた瞬間、泥玉に向けて思いっきり石ころをぶん投げる。石ころが泥玉に突っ込んだ瞬間、四方に泥が爆散し、ミズゴロウの顔を茶色一色に塗りつぶした。
「うわっ!!」
技が暴発して慌てふためくミズゴロウ。手に持った枝を口に加え、空いた四肢に力を込め、"でんこうせっか"を発動。速度が乗った一撃によって彼の体はぶっ飛んでいった。
「小賢しいマネしやがって!!」
ヘイガニがハサミを振り下ろしてきたが、とっさに回り込んで背後を取る。固い岩盤を砕いただけで終わった彼に、蓄電しておいた電撃をありったけ浴びせた。
「くそっ!! ミズゴロウ! 何としても奴に一発浴びせろ!! 一発でいい!! 一発で流れは完全にこっちに向く!!」
倒れているミズゴロウに発破をかけるヘイガニ。その声は焦燥感で一杯だったものの、まだ張りがある。弱点のハズなのに、自分の攻撃力が圧倒的に足りてないのか、それとも相手が並外れに丈夫なのか。出来れば後者であって欲しいけど……。
「囮は任せろ!! 落ち着いて狙えっ!!」
少し考え事をしていた僕の隙をついて、ヘイガニがゼロ距離戦を仕掛けてきた。間合いに入った途端にハサミをぶん回し、少しでも距離が開けば泡が飛んでくる。両手を全て攻撃手段に回していて、防御なんて砂粒程にも考えてなさそうだ。
「おとなしくしてろ!!」
相手は無尽蔵のスタミナの持ち主。このラッシュを一時間ぐらい続けてきそうだ。このままじゃ避け疲れて捕まって、あの技の餌食になってしまう。この猛攻でもキツいのに、こちらを真っ直ぐ見据えるつぶらな瞳が放つプレッシャー。意識を逸らした瞬間、泥玉が飛んでくる現状に精神がゴリゴリ削られていく。
「うらぁっ!!」
魂を吐き出すようなヘイガニの熱い声に、僕ははっと正面を向く。彼は全身をダイナミックに動かし、アッパーカットを繰り出していた。避けようにもハサミと胴体は既にゼロ距離。鋼鉄の砲弾と化したハサミを腹に捩じ込まれ、そのまま振り抜かれてしまった。
「今だ! ぶっぱなせ!!」
天井付近までぶっとばされ、薄れる意識の中、ヘイガニの嬉々とした声が聞こえてくる。"どろばくだん"に相当の信頼を寄せてるみたいだ。……頼りにしている技なら、利用しない手はない。
意識を気合で取り戻し、ヘイガニに向かって枝を振る。枝が出た光の玉は彼に命中し、体が眩い光で覆われていき、同時に僕も同じような光に包まれていく。
体を覆ってた光が消えると、僕は地面の上に立っていた。見上げると、どろばくだんが頭上を通り過ぎていく。そして、その弾道の先には何が起こったか分からず慌てふためくヘイガニの姿があった。
「そんなバカ……ぐほっ……」
どろばくだんが直撃し、茶色一色に塗ったくられたヘイガニが無抵抗に落ちていく。持ってて良かった"ばしょがえの枝"。ここで一気に追い込みたい所だけど、相手が泥まみれで電気技は通りにくい。追撃するなら、ここは"でんこうせっか"だ。枝を口に咥え、タイミングを見計らい、ヘイガニ目掛けて再び繰り出した。
「…………っ!?」
殻が薄いはずの腹に炸裂。それなのにヘイガニの体はビクともしなかった。それどころか激突の衝撃がそのまま自分の体に跳ね返り、神経を麻痺させていく。咥えてる枝に歯型が付くぐらいの痛みに悶ながらも目を開けてみると、心なしかヘイガニの殻にツヤが出ていた。まさか、"かたくなる"を使って……。
「ざーんねん」
ヘイガニがニヤリと笑い、胴体を挟み込む。僅かな隙間に指を入れてこじ開けようとしたけど、がっちりと食い込んでいて、力づくで脱出なんて到底無理だ。ここは電撃で……。
「ミズゴロウよ、反撃と行こうぜ!!」
読まれたのか、天井目掛けて放り投げられる。しかも、ご丁寧に回転を加えられたせいで、揺れ動く視界の中じゃ狙いが定まらない。望みを託して振ってみたものの、光の玉はあらぬ方向へ飛んでくだけだった。
視界に映る度に大きくなる泥玉。僕が出来る事といえば体を丸めて、迫りくる危機に備えるだけ。以下にダメージを減らすか、それだけしか考えてなかった。
「…………!?」
なすすべも無く直撃。咥えている枝にヒビが入る音がして、声にもならない悲鳴が口から漏れる。前に食らった"れいとうパンチ"の比じゃない。全身が泥に汚され、手足の末端部まで苦痛に埋め尽くされていく。意識の糸はかろうじて線一本で繫がってるが、あと一撃で間違いなく断ち切られる。
「さあ、トドメだ!!」
泥を振り払い、落下地点でハサミを大きく開いて待ち構えるヘイガニ。何とかしなきゃいけないのに重力の赴くがまま、頭から落ちていく体。電撃一発じゃタフな彼の動きは止められない。万事休す。その言葉を思い浮かべた時、手に持ってる枝が目に入る。細長い形状の枝を見て、頭の中を支配していた焦燥や恐怖が晴れ、とあるアイデアが浮かび上がった。……これを使えば何とかなるかもしれない。
長さを稼ぐため、出来るだけ端の方を持ち直す。勘付かれて他の技を出されたらそれまで。相手には絶対に"はさむ"を出してもらわないと。
「終わりだ!!」
ハサミの射程に入った瞬間、洞窟内に乾いた音が鳴り響く。まるで骨が折れたような、耳に纏わりつく嫌な音。でも折れたのは骨じゃない。閉じ切ったハサミ、辺りを舞う木片。そして目を丸くし、信じられないといった表情で見上げるヘイガニ。その表情は、僕の両目に大きくくっきりと映っていた。
「お、お前……枝をストッパーに……」
枝をハサミの中に突っ込み、落下を食い止める。ただそれだけの策がこんなにも上手くいったなんて、正直自分でも驚いている。だけど、これで終わりじゃない。
両腕のハサミが止まっている隙を付き、ヘイガニの背後に飛び乗る。ほっぺから黄色い閃光が漏れ出してるせいか、彼の額に冷や汗が出ているのが背中越しでもはっきり分かった。
「えいっ!!」
痛む体を顧みず、高出力の電撃を直接注ぎ込んだ。ヘイガニの体はたちまち電気の衣を纏い、悲鳴が洞窟内に反響する。
「離れろ! 離れやがれ!!」
引っぺはがそうとハサミを振り回すも、背中の僕には全く当たらない。この時ほど、痒いところに手が届かないという言葉が似合う瞬間はないのかもしれない。
「くそっ……たれ……」
安定感抜群なヘイガニの体が突然バランスを崩し、地面にコテンと横たわる。手足が別の生き物のようにピクピク動き、目の焦点は左右バラバラ。この様子じゃ、当分は立ち上がってこれないだろう。
「はわわわっ…………」
ヘイガニが倒されたショックや動揺からか、ミズゴロウは口をぽっかり開けて呆然と立ち尽くしている。ふと目を合わせただけでバネブーのように飛び退くぐらいだ。戦う意思なんて砂粒程にも残っていないだろう。
こっちは終わった。問題はボス格を相手しているツタージャの方だ。彼女は無事なんだろうか。そう願いつつ、辺りを見回そうとした瞬間……。
「終わりだ!!」
雄々しい声が洞窟内に響き渡った。彼女の物とは似ても似つかぬ、号砲のように鈍く重い声。後ろを振り返れば、暗がりの中で輝く水色の光。その光により浮かび上がる二つの影。一つは地面に押さえ付けられているツタージャ。もう一つは、彼女に向けて凍てつく拳を振り下ろそうとするニョロゾの姿だった。
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「我が相手をしてやろう」
大物ぶった口調で言い、腕を上げて身構えるニョロゾ。遭遇の時は全く気にしてなかったけど、こうして対面しえてみると体格差が顕著に出ている。頭に立派な海賊帽を被っているものだから尚更そう見えるかもしれない。
「尾が垂れてるぞ、小娘」
ニョロゾに言われ、意識を尻尾に向ける。気負いしてしまったせいか、尻尾が地面に垂れ下がっていたらしい。
「……忠告どうも」
皮肉を込めて返すものの、「例には及ばんよ」と卑屈な笑みを浮かべられる。少しイラッとしたが、挑発に乗れば相手の思うツボ。……思い返せば、アイツよりももっと大きく、凶暴なポケモン達とやり合ってきたんだ。この程度で物怖じしてるようじゃ、先が思いやられる。尻尾の葉を起こし、首筋からツルを出して戦闘態勢を取った。
「どこまでやれるか見せてもらおうか」
どっしりと巨木のように構えたまま、ニョロゾの口元から泡が大量に吐き出される。ただ、ヘイガニのと比べて圧倒的に量が多い。ニョロゾの姿はあっという間に見えなくなり、まるで泡のカーテンのようだ。
でも、この程度ならあたしの技でも十分太刀打ちできるはず。迫りくる泡の壁に向けて、緑色の竜巻を打ち出した。技にも相性が忠実に出るのか、難なく水泡に帰していく。
このまま行ってしまえと思ったけど、泡の威力があるからか、半分ぐらい飲み込んだ所で竜巻が揺らぎ始めた。思ったより密度が濃かったようだ。ならもう一度……と思った矢先。
「ぬおおおおっ!!!」
竜巻が霧のように掻き消され、勇猛な声を上げながらニョロゾが突っ込んできた。崩れかけとはいえ、竜巻を強引にぶち抜かれた驚きにより体が動かない。
「ぬんっ!!」
腕を大きく振り被り、胴体目掛けて力任せに振り抜いてくる。不意をつかれたあたしは迎撃する事で頭が一杯で、躱すという考えなんて微塵もなかった。
「このっ!!」
カイスの実も握りつぶしてしまいそうな手のひら目掛け、こちらも力任せにツルを叩き付けて応戦する。これで仰け反らせて、腹にツルを叩き込もうと思ったが、その考えが甘かった。
「きゃっ!?」
ツルと手のひらがカチ合った瞬間、耳をつんざくような轟音が辺りに響き渡る。歯を食いしばって踏ん張るあたしに対し、澄ました表情で見下ろすニョロゾ。力の差は歴然。ツルから伝わってくる衝撃を踏ん張ろうとしたが、あたしの体じゃたかが知れてる。そのまま足を擦られつつ、大きく後退させられてしまった。
「そんな成りで力勝負を挑もうなど片腹痛いわ!!」
地面を踏み鳴らしながら、ニョロゾがこっちに向かってきた。真っ向勝負は話にならない以上、打つ手は一つ。ツルを真っ直ぐ伸ばし、カウンターパンチの要領で応戦に出た。
「甘いっ!!」
ツルをクモの巣を払うかの如く、軽くあしらうニョロゾ。あたしの攻撃は煙のように掻き消され、足止めにもならなかった。だけど、これでいいんだ。なぜなら……。
「本命はこっち!!」
正面からのツルに注目させて、足を絡め取ろうとしている本命のツルから意識を逸らす。これが非常に上手くいって、足を掬われたニョロゾの体が前のめりに倒れていく。あと一押しだ。打ち払われて落ちていくツルを起動修正し、相手の後頭部目掛けて薙ぎ払った。
踏ん張ろうとするニョロゾにトドメの一撃。後頭部と足にかかる、真逆の二つの衝撃。それにより、あたしの倍は有にある巨体が風車のようにクルッと一回転。あの強敵をダウンさせる事に成功した。
「今っ!!」
うつ伏せになってるニョロゾに至近距離で"グラスミキサー"をぶつけるため、一気に彼に駆け寄りつつ、エネルギーを左腕に充填させていく。体中に散らばってるパワーが、渦に巻かれるかの如く一点に集まっていく。もう少しで竜巻が完成……と思った矢先、カチッという記憶に新しい音に気を取られ、技が止まってしまった。
「……えっ?」
恐る恐る足元を見てみると、プロペラが描かれたパネルがいつの間にか現れていた。初めて見る罠だけど、効果は手に取るかのように悟った。
とっさに逃げようとしたけど、回り出したプロペラが繰り出す突風により宙に浮かされる。突風に体の自由を奪われて見動きままならず吹き飛ばされ、背中から壁に叩き付けられてしまった。
「運に見放されたか、小娘」
せっかく転ばせたニョロゾが起き上がってくる。転ばせてから大技で決めるという、あたしの十八番の戦法。その手口がバレてしまった以上、二度目は絶対に避けられる。自分のツキの悪さに苛立ち、つい歯ぎしりしてしまった。
「先刻は不覚をとってしまったが、次はそうはいかんぞ」
よく見たら、相手の目の動きが変わってる。あたしの目だけを追ってた瞳孔が、手足や首元といった重要部位を余すとこなく見据えるようになった。僅かな筋肉の動きさえも感知し、即座に対応してきそうだ。
「我の拳に屈しろっ!!」
攻めあぐねるあたしに痺れを切らしたのか、ニョロゾはノビが効いた、強烈なアッパーカットを繰り出してきた。見た目は凄まじいけど、守りを捨てた大振りの攻撃。サイドステップで避け、脇腹に向かってツルを振り抜いた。
「くっ…………」
側面からの一撃により、ニョロゾの片足がゆっくりと持ち上がる。今度こそと、よろめく体を唯一支えている片足目掛けてツルを伸ばす。今度こそ上手くいく。そう慢心したあたしの目には、まぶたを一切閉じず、こちらを直視するニョロゾの目がハッキリと映し出された。
「ぬんっ!!」
迫るツルをニョロゾは浮いてた片足で思いっきり踏んづける。最初は何が起こったか分からなかったけど、ツルから伝わる痛みによって現状が把握できた。今のあたしはヤバい状況にいる事を。
「や、やばいっ!!」
敵の誘いにまんまと乗ってしまった事と動きを封じられた事により、焦りで心が埋め尽くされていく。ツルを抜く事で必死で、泡が目の前に迫ってるのを直前まで気付けなかった。
泡が体に触れると同時に破裂し、あたしの体に細やかな傷を付けていく。効果は今ひとつのハズだが、着実にダメージが体を蝕んでいくのを感じる。
「デスマッチと洒落込もうじゃないか」
ニョロゾは踏んでいたツルを手に取り、氷を纏わせた拳をこちらに見せつける。あたしの体の主導権はあちらにある以上、不利なのは火を見るより明らか。冷気によるものなのか、首筋に寒気が走った。
「こっちに来い」
ゆっくりとツルを手繰り寄せるニョロゾ。抵抗しようと足を突っ張るも、ジリジリ引っ張られていく。まるで子供と大人の綱引き。拳の射程に入るのも時間の問題だ。こうなったら、こっちから迎え撃つしかない。引っ張られる力に身を任せつつ、ニョロゾに正面から突っ込んだ。
「玉砕覚悟か! 面白い!!」
ニョロゾは氷を纏った拳であたしの顔目掛けて殴りかかってきた。捻りが加わり、唸りを上げて迫る拳。あんなの当たったらあたしの鼻は一生ひしゃげたままになるだろう。無論、そんな目に遭ってたまるものか。
ダッシュからスライディングに切り替え、相手の拳を掻い潜る。しかし、滑り出しが遅かったのか、僅かに頭を掠ってしまった。カス当たりだというのに脳が揺すぶられ、動きが一瞬だけ鈍ってしまった。
「逃がさん!!」
脅威の反射神経によりツルの根本部分を捕まれ、力任せに地面に叩き付けられる。硬い岩盤にヒビが入るぐらいの衝撃が内蔵まで響いたせいで息が詰まり、ショックで心臓が止まりかけた。
「ここまでだ。観念しろ」
地面に貼り付けになってるあたしの胴体を、ニョロゾは左手で押さえつけて拘束してきた。握られてたツルは自由になったものの、今度は体そのものの自由を奪われてしまった。何とかして逃れようとするも、墓石が乗ってるみたいでビクともしない。暴れるのを辞めたあたしの目には、高々と挙げられた青色に輝く拳と、勝ちを確信した笑みが映っていた。
「終わりだ!!」
隕石のように猛スピードで落ちていく拳。手も足も出ないこの状況の中、唯一動ける二本のツルに全てを託す。上手くいくかは分からない。でも、やるしかない。僅かな活路を掴むため、拳の側面を渾身の力で叩き付けた!!
地面の破片があたしの目の前を舞っていく。相手の拳は、あたしの顔の僅か左に不時着した。拳から放たれる冷気のせいで頬が凍りついていくが、問題は全くない。寧ろこっからが勝負!!
ニョロゾの胸に左手をかざし、腕の周りの空気を渦巻かせる。普段より多くエネルギーが集まってるからか、指先が溶けそうに熱くなる。グロッキーに近い状態なのに、体の奥底から力が溢れ出てくる。まるで活火山のように。
「くらえっ! グラスミキサー!!」
がら空きの胸元目掛け、ありったけの気合を乗せた一撃をぶちかます。いつもより濃い色をした深緑の竜巻が体を巻き上げ、普段より大きく鋭い木の葉が全身を切り刻んでいく。手応えは抜群。今までで最高の一撃だけど、まだ足りない。竜巻の中には、敵意まる出しで見つめているニョロゾの姿がいるからだ。
地面を蹴っ飛ばし、舞い上がったニョロゾを追う。まだ戦う元気があるのか、目にはまだ光が宿っていて、両腕をクロスさせて胴体を守っている。だからこそ、この一撃で決めなきゃ。
「それっ!!」
しなりにしなったツルから繰り出される、空気を切り裂く一撃。決着は一瞬だった。ツルはニョロゾの強靭なガードをのれんのように払い除け、がら空きの腹に思いっきり食い込ませる。
「…………!?」
目玉が飛び出るくらい、大きく見開くニョロゾ。ツルから伝わってくる、まさに会心の一撃。
ツルを相手の腹に貼り付かせたまま、地面に押し付けるように叩き付けた。相当な衝撃だったのか、彼を隠す程の砂埃が舞い上がる。砂埃が晴れると、地面がクレーターのように凹んでいて、辺りには岩片が舞い散っている。そして中央には、目を渦巻かせながら、泡をよだれのようにだらしなく吹き出しているニョロゾの姿があった。
「や、やった……」
勝利を確信した安心感からか、腰が抜けて地面にへたり込む。ダメージはもちろん、"れいとうパンチ"を一度も喰らってはいけないプレッシャーからくる疲労感。熱が冷めた今、それらがあたしの体に津波のように押し寄せてくる。酸素の循環が間に合ってないのか、心臓が激しく動いてパンクしそうだ。
「ツタージャ!!」
呼び声が聞こえたので顔を上げると、ピカチュウが息を切らせながら歩み寄ってきた。戦闘が激しかったのか、毛並みが雑草のように乱れていて、所々茶色に汚れている。
「……起きられる?」
ピカチュウが手を差し伸べてきたので、彼の好意に素直に甘える。細い腕なのに、命綱のような安心感。
「……ボロボロだね」
全身ボサボサ泥まみれの彼に言われた事に少しムッとしたので、「それはこっちのセリフ」と返してやった。「こっ酷くやられちゃったよ」と苦笑いを浮かべるピカチュウだけど、あたしなんかより彼の方が満身創痍のように見える。一対二で戦ってたんだから、そうなるのは仕方ない。
「……安全なとこで休もっか」
疲れ切った体に非常にありがたい言葉。首を縦に振って返事する際に、無意識に顔が綻んでしまった。
「そうだね。ニョロゾ達が起き上がってくる前に……って、あれ?」
ふとニョロゾの方を向いたが、そこに彼の姿は影も形もなかった。まさか、もう復活して……。そう思ったあたしは身構えて周囲を警戒したけど、そんな心配は杞憂だった。
「あっ……」
視線を横にずらしていくと、自分の倍はある体格のニョロゾを背中に乗せて懸命に運んでいるミズゴロウの姿がいた。恐らく、自分達の棲み家へ向かっているんだろう。ただ、左右にフラフラしつつ、足を震わせながらも健気に前へ進む彼。まるで鉱山で重労働させられている子どものような姿に、あたしは居た堪れない気持ちを抑えられず、つい声をかけてしまった。
「あの……、手伝おっか?」
突然声をかけられ、ミズゴロウの体がビクリと反応する。彼は恐る恐る振り返り、顔色を伺うような目であたしを見る。そして、その目を固く瞑り、浅く息を吸った後、あたしに向かってこう言い放った。
「お、お前なんか……だいっ嫌いだ!!」
拒絶するかのようにプイッと前を向き、ペースを上げて、逃げるようにこの場から立ち去った。……慕ってた兄達が倒されたんだ。恨まれるのも仕方ない。仕方ないんだけど、小さい子に面向かって言われると胸が何だか……、うまく言い表せないけどモヤモヤする。
「……気にしない方がいいよ。それよりも先に進もう」
去っていく後ろ姿を突っ立って見つめているあたしに、ピカチュウが肩をポンと優しく手を置いて言った。
「……うん、そうだね」
釈然としない気持ちを無理やり切り替え、あたし達も洞窟の奥へと向かった。一匹取り残されているヘイガニも、後でミズゴロウが救助してくれるだろう。
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「ここらへんでいいかな」
休憩にちょうど良さげな袋小路を見つけた僕達は足を止める。明かりは針の穴ぐらいにか細い隙間から差し込む光だけだが、休むだけなら何の支障もない。寧ろ暗がりに紛れて敵に見つかりにくくなるから好都合だ。
「大部屋だと敵に見つかりやすいし、全方位から襲ってくるからね。行き止まりなら敵は一方向しか来ないから対処は楽だし」
「なるほどね。部屋で休んでたらいつの間にか挟まれて焦った経験があるから納得だよ」
そう言ってツタージャは座り込み、岩に寄りかかって一息つき始める。僕も足を休めるために彼女と同じように座り込む。床が湿っていて気持ち悪いけど我慢だ。
バッグの中を手探りし、オレンの実を二つ取り出して方っぽをツタージャに手渡す。暗いせいか、彼女の目が輝くのがハッキリと見えた。
「それにしても、ここのダンジョンのポケモン達ってあんまり襲ってこないね。あたしが以前入ったとこは鬼気迫る表情で群れで襲いかかってきてたのに」
オレンの実をかじりながら、通路の奥をまじまじと見つめるツタージャ。彼女の話を聞いて、僕は「えっ?」と声を漏らしてしまった。
「……よく生きて出られたね」
「ホント、自分でもつくづく思うよ。遭遇した瞬間『あっ、これは無理』って悟ったもん。目が完全にイっちゃってて、もはや殺気の塊のバケモノって言っていいね」
相変わらず思い出話のようにスラスラ話すツタージャ。僕は「あ、ああ」とか「うん」とかぎこち無い相槌しか返せなかった。本を出せばベストセラーになりそうな彼女の武勇伝は聞いてて胃が痛くなる。
「……ねえ。ダンジョンにはそれぞれランクが付けられているんだけど、知ってた?」
「うん、知ってる。EからAまであるんだよね」
当たり前のように返答し、手が止まってる僕をよそに、最後の一口を頬張ろうとするツタージャ。
「そのうえにSランクがある事も?」
一言付け加えた瞬間、ツタージャの動きがビタッと止まる。
「何……それ?」
「世間に公にされてないシークレットランク。そこに住むポケモンは凶暴凶悪で、どんな理由があろうとも侵入者を排除しようとするんだ」
「排除……」
身に覚えがあるのか、ツタージャは腕を下ろしたまま、静かに僕の話を聞いている。そして彼女は喉をゴクリと鳴らせ、こう言った。
「……もしかして、そこに住むポケモン達って、理性が完全にぶっ飛んだ目をしているの?」
ツタージャの質問に、僕は首を縦に振る。実際に見た事ないけど、聞いた限りでは彼女の話は的を得ている。
「文明を一切持たず、"侵入者を排除する"という本能にしたがって生きる。それがSランクのダンジョンポケモンなんだ」
「排除って……何か釈然としないよ。縄張りを守るって言ったほうが正しいんじゃないの?」
「いいや、排除であってる。普通のダンジョンポケモンは住処を守る目的で襲いかかってくるけど、Sランクは敵を倒すためなら住処が壊れる事すら厭わないからね。寝床していた木々を薙ぎ倒してでも敵を追いかけ、いざとなったら森ごと焼き払う事も躊躇しない。自分が犠牲になろうが、彼らからしたら些細な問題なんだ」
ルカリオさんの身も凍るような経験談を話し終え、一息ついて彼女の方を見る。
「……確かに、同士討ちしても構わないと言った感じで"はかいこうせん"を撃ってきたよ。あたしを押さえ付けてたポケモンごと巻き込む形でね。あたしは何とか避けれたけど、そのポケモンが巻き込まれて……その、見るも耐えない姿に……。凄く怖かったけど、それよりも怖かったのは凄惨な光景を当たり前の事のように意に介さない周りのポケモン達だった。雑草のように踏みつけた時、狂ってるとしか思えなかったよ」
聞いている内にダンジョン内の空気が冷えていく感じがした。気のせいなのは間違い無いんだけど、
「まあ、ダンジョンにも気質が色々とあるからね。おとなしいポケモンしか居なかったり、戦闘狂しか居ないと思いきや、倒した相手を街まで運んでくれる律儀者ばっかだったり、拾ってと言わんばかりにアイテムをダンジョン中にばら撒いていたり……」
話を聞くのも辛くなってきたので、別の話題を振る。マイルドに味付けされたルカリオさんの話で分かったつもりになっていた自分が恥ずかしい。Sランクの恐ろしさは、実際に訪れた者ではないと語れないと分かった。
「……結構おかしなダンジョンもあるんだね」
ツタージャも僕の意図を察してくれたのか、笑って返してくれた。さっきの話が尾を引いているのか、堅い笑顔だったけど。
「じゃあさ、ここみたいに話を付けたらダンジョン総出で協力してくれる変わり種のとこは?」
「いや、わりとあるよ。ダンジョンそのものを腕試しの場にしたり、子供の遠足のために提供したり。……そうそう、著名な探検家に挑戦状を送り付ける事もあるよ。『俺達のダンジョンを突破してみろ!!』とか」
「……えっ?」
ツタージャが期待してた答えと違ったのか、目を丸くしていた。その気持ちは分かるけど、嘘は言ってない。騙して襲いかかってくる事件もあるけど、そんなことしたら制裁が入るから滅多に起こらない。
「……ダンジョンって『世界から隔離された空間』って感じがしてたけど、わりと開かれてるんだね」
「全部がそうじゃないけど……まあ、身近な存在なのは間違いないね。ダンジョンに住むポケモンも僕達と何ら変わりない、彼らなりの生活やルールがある。だから、よっぽどの事がない限りこっちから手を出してはいけないし、襲われても必要以上に傷付けてはならない。探検家の暗黙のルールだね」
僕達と形式は違えど、ダンジョンは独立した国家みたいなものとルカリオさんが言ってた。さっき言ったルールも絶対守らなくてはならない法律みたいなものだ。
「……ねえ、さっきルールがあるって言ってたけど、Sランクダンジョンみたいな、群れで襲ってくるのもルールに従って……なのかな?」
「……察しがいいね」
ツタージャの予想通り、『侵入者は排除せよ』や『宝を狙う不届き者は抹殺せよ』とか不穏極まりないルールのダンジョンもある。大抵が文明がない未開の地にあり、そこにいるポケモン達はルールに従いつつ、本能のままに生きている。相手が子供だろうが、倫理観が僕達とは真逆のルール至上主義のポケモン達からしたらそんなの関係ない。必ず、全力で存在を消しにかかってくる。
「……通りであのダンジョンには遺品が多かったんだね。志半ばで倒れて、しかも最期は誰にも看取られる事なく大地に還って……」
辛くなったのか、話を途中で打ち切るツタージャ。彼女の話を聞いて、ルカリオさんから聞いたあの話を思い出した。世間ではあまり知られてないけど、探検家は誰でも知っている。有名だけど、聞いていて辛い話を。
「……そういったダンジョンに挑む前に殆どの探検家がある事をやるんだけど……それが何か知ってる?」
「……分からない。何なの?」
いざ言うとなると、口の中が乾いてしまう。いつかは自分もそうせざるを得ない日が来る。そう思うと、指先が炙られてるかのように熱くなり、胸の鼓動が喉まで伝わってくる。ルカリオさんも、こんな感じだったのかな……。
「……遺書」
肺いっぱいの空気に乗せないと口に出せない程、あまりにも重たい単語。それを聞いてツタージャの目の色が変わる。何を思ったかは分からないけど、その単語の意味は伝わったに違いない。
「……みんな、相応の覚悟で挑んでいたんだね。いや、散っていった探検家だけじゃない。家族や親友……かけがえの無いポケモン達もの覚悟を背負って臨んだというのに……。恥ずかしいよ……あたしったら」
目を閉じ、うつむく彼女。まぶたの裏に何を見ているのか全く分からない。もし緑色の頭の中を覗けたら、彼女にかける言葉に悩む事ないのに。
「……僕はいつの日か、そういった所に挑もうと思う」
独り言のように、ツタージャの方を一切見ないで言った。幾つかの過程をすっ飛ばした言葉だけど、今の僕にはこれしか口に出せなかった。
「その時が来たら……ツタージャ。君も……来るよね?」
「…………」
「もちろん!」とか「当たり前だよ!!」といった前向きな返事を期待したけど、聞こえてくるのは水滴が垂れる音だけ。独りよがり過ぎるタイミングだったと、後悔とやるせなさが心臓にのしかかる。ツタージャが口を開くまでの間、僕は鼓動が聞こえないように念じる事しか出来なかった。
「……少しだけ、返事を待ってくれる? 考えたい事があるの」
当然の結果が返ってきた。予想通りだけど残念な気持ちを取り繕い、「分かったよ」と淡白に返事した。
「……そろそろ行こっか。主も倒した事だし、宝は目前でしょ?」
「えっ、うん。そうだね……」
今までの空気をバッサリ切り払うかのように勢いよく立ち上がり、洞窟の奥を指差すツタージャ。僕もそれに答えようとしたけど、奥歯に物が挟まるような物言いになってしまった。さっきの返事が、心に深く根付いているようだ。
「主っぽいのも倒したし、そんなに気負った顔する必要ないって。ほらっ! お宝はすぐそこだよ!」
ツタージャは突然後ろに回り込み、両手で僕の背中を押して無理やり歩かせる。気負った顔している本当の理由を知ってるハズなのに適当な理由で誤魔化して。そんな彼女の優しさがこそばゆくも、嬉しくもあった。
「最後まで気を抜いちゃ駄目だよ」
「分かってるって!」
ツタージャは両手を僕の背中に付けたまま、満面の笑みで返事をした。でも、せっかく彼女がここまでしてくれたのに、心のモヤモヤはカビのように根深く残っていた。先程の告白の件もあるけど、一番の理由はそれじゃない。
さっき釘を差すような事を口走ったのも、どうもまだ何かあるような気がしてならなかったから。良い予感は殆どガセるのに、悪い予感はやたら当たるから困ったものだ。