いざ! 冒険へ!!
朝日が差し込む部屋の中。僕はせっせとバッグの中に道具を詰めていく。食糧はもちろん、身を守るためのタネや枝も冒険には欠かせない物も、空いてるスペースがあれば手当たり次第ねじ込んでいく。
その隣には辺りをキョロキョロ見回したり、不意に天井を見上げたり、バッグの中を覗き込んできたりと妙に落ち着かないツタージャがいる。何故ツタージャがこんなにも挙動不審なのか、それにはちゃんとした理由がある。
「どこ探検するんだろうね! 本当に楽しみで仕方ないよ!!」
彼女の目が一級品の宝石のように輝いている。喜びや期待といった、正の感情で溢れている様子が背中越しにひしひしと伝わってくる。待たせている罪悪感からか、視線が非常に痛い。
まあ、約一週間に及ぶ猛勉強の末に勝ち得た探検だから当然の事だろう。寝る時以外の時間は常に本とにらめっこし、書き取りの量は十冊越え。早く探検に行きたいという思いをバネに、彼女は短期間で見事にやり遂げたのだ。……流石に寝言で専門用語が出てきた時は心配になったけど。
そんな彼女のために急いで準備したい所だけど、探検の成否に直結するので慎重に道具の選定をしなくてはならない。ツタージャもそれは分かっているのか、頻繁に催促してこなかった。
「あとちょっとだけ待ってて、もうすぐ終わるから」
今の現状をツタージャに報告したが、彼女に首を傾げられる。その理由は床に散乱している道具達が物語っていた。只でさえ優柔不断で遅いのに、ツタージャの分の道具まで考慮しなきゃいけないから、より一層時間がかかってしまう。いっそ全部持っていけたらと何度思った事か。
「……ふう」
最後の一つをバッグに押し込む。額に滲む謎の汗を拭い取り、天井を見上げて一息を付く。時計の針がいつもより早く進むという嫌がらせを受けながらも、何とか終わらせる事が出来た。
「終わったよ。片付けをてつだ……」
「うん!!」
俊足のタネを一気食いしたかのような動きで部屋を片付けていくツタージャ。みるみるうちに綺麗になっていく部屋を、僕はただ座って見てる事しか出来なかった。
「終わりっ!」
物一つ落ちてない部屋をやり切った感で満ち溢れた表情で見つめるツタージャ。その後、パンパンに膨れ上がっているバッグを僕に肩掛けさせ、右腕をむんずと掴みかかってきた。
「行くよ! ピカチュウ!!」
僕が「待ってよ」と言う暇も与えず、ツタージャは扉の方へグイグイと引っ張っていく。この世の幸せを詰め込んだような顔を浮かべている彼女により、僕は縫いぐるみのように無抵抗に引きずられるしかなかった。
「いざ! 冒険へ!!」
扉をぶっ飛ばすぐらい勢い良く開け、大きく前へ踏み出すツタージャ。初陣に相応しい、朝の気だるさを感じさせない明瞭とした声。
「……ん?」
幸先のいい門出になると思いきや、突然ツタージャが立ち止まる。彼女は不審そうに足元を見ているので、その目線を辿ってみる。そこにはまるで狙いすまされたかのように一本の細い糸が彼女の足に引っかかっていた。
「……まさか」
怪訝そうな声でツタージャが呟いた瞬間、真上から彼女に向けて大量の水が降り注ぐ。僕にも被害が及ぶかと思いきや、右腕が多少濡れる程度で済んだ。見上げてみると、吊るされたバケツがひっくり返っている。
「…………」
全身から滴る水を拭うとか払うとか一切せず、ツタージャは呆然と立ち尽くす。文字通り水を挿され、彼女のテンションは一気に最低値になった。
「えーっと……タオルだね」
最近お世話になってるタオルを取りに部屋に戻ろうとした時、背後からタオルがにゅるりと顔出してきた。
「どうも」
僕はタオルを受け取り、ツタージャの頭にベールのように優しく被せる。彼女は一言お礼を言った後、黙って体を拭き始めた。
「……頭を冷やせって事かな?」
「そうなの?」
ツタージャの問いかけに、僕はそのまま後ろにいるシャンデラに受け流す。彼はコクリと頷いた後、水浸しになった床をモップで掃除し始めた。
「忠告ありがと」
ズブ濡れのタオルをシャンデラに雑に手渡し、とぼとぼと歩くツタージャ。気まずい雰囲気の中、二匹並んでルカリオさんの所へ向かった。
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「思ったより落ち着いてるな。昨夜のお前と比べたら雲泥の差で驚いたぞ」
頬杖ついて不機嫌そうに座っているツタージャを見て、ルカリオさんが意外といった様子で話しかける。
「誰かさんのお陰で冷静になりましたよ」
「その誰かさんに何されたかは知らないが、早速ミーティングを始めるぞ。ピカ、地図を出してくれ」
「あっ、はい」
僕は言われた通りに地図を取り出し、テーブルいっぱいに広げる。ルカリオさんは地図の一点を見つめた後、地図の端っこの方に書かれた砂浜を指差した。
「ここが何処だか分かるか?」
「えーっと……サザナミ海岸?」
曖昧な記憶の中から引っ張り出した答えに対し、ルカリオさんは首を縦に振る。合ってたみたいで良かった。二ヶ月前に訪ねた時、ちらっと地名を聞いたっきりだったから。
「そうだ。この海岸の奥の方には洞窟がある。ほら、ここがそうだ」
ルカリオさんは海岸の端っこに位置している崖をちょいちょいと指差す。目を凝らしてみると、確かに洞窟らしき穴が空いてるのが見える。けど、なんの変哲もない洞穴にしか見えない。
「……ここに何があるの?」
「ここにか? ふふっ……」
ツタージャが大して期待してなさそうな声で質問する。するとルカリオさんが珍しく含みのある笑いを浮かべた。
「聞いて驚くなよ。この洞窟はな、大昔この地域一帯を轟かせた海賊のアジトという噂があるんだ」
「えっ!? 海賊って、世界中の海をまたに駆けるあの海賊!?」
テーブルに身を乗り上げ、目を太陽のように輝かせるツタージャ。あまりの反応っぷりに驚かせる側のルカリオさんが逆に面食らった表情をしていた。
「……まあ、お前が思っている通りの海賊だ。海賊といえば……、後に続く言葉は何か分かるよな?」
「お宝っ!!」
生き生きと答えるツタージャ。まるで教師と生徒の関係のようなやり取りが目の前に行われている。例えるなら、ツタージャが積極的に手を上げる生徒で、僕は教室の隅っこで黙々と教科書に目を通す生徒。完全に部外者だ。
「しかも、そんじょそこらの宝じゃない。七つの海を渡り、各地の伝説級のお宝だ。ツタージャ、見習いとは言っても探検家であることは変わりない。こんな話を聞いて、探検家が黙っちゃないよな?」
「うん!! ボルテージは最高潮!! 血が騒いで仕方ないよ!!」
太陽並にパワーが溢れているのか、他者の目をはばからず鼻息荒くして叫ぶツタージャ。ルカリオさんも場の雰囲気に飲み込まれてしまったのか、いつになくノリノリである。このテンションに付いてけない僕は単なる空気でしかない。パーティの隅で一匹寂しくジュースを飲んでいるような、ぼっち感覚に耐え切れなくなった僕はこんないらぬ事を口走ってしまった。
「あの……、この大陸が世界唯一の陸地だって言うのに、海賊って本当にいるんですか?」
話が弾む中、僕の横槍によって楽しげな雰囲気が一気に消し飛ぶ。ツタージャは「えっ?」と信じられないと言った表情でこっちを見つめ、ルカリオさんは手を顔に当てて小さくため息をついた。
「お前、よく空気が読めないって言われるだろ」
ルカリオさんの口からみぞおちに捻り込むような一言が放たれる。否定はしないけど、面向かって言われると心を火箸で抉られるようにキツイ。
「まあ、バレちまったら仕方ない。ホントのこと言うとな、数日前、シャンデラに初心者用のダンジョンを作ってくれって頼んだんだ。そしたらな、物語性やイマジネーションとやらに溢れた素晴らしいダンジョンを創りやがってな。短い期間なら流石の奴でも大した物は作れないと高を括っていたが……。俺は奴を侮ってた」
「そんな凄いダンジョンなんですか?」
ルカリオさんは苦笑いを浮かべつつ、若干呆れ気味に無言で頷く。
「……まあ、基本を覚えるにはこれ以上ない、うってつけのダンジョンだった。適度な罠に複雑すぎない構造。そして、現地住民の許可アンド協力によるエキストラといった超豪華仕様付き」
「……ここまでやるギルドって他にもあるの?」
「無いな」
ツタージャの質問に、ルカリオさんは当然と行った感じでぶっきらぼうに答える。大抵はダンジョンの奥に旗を立てたからそれを取ってこいで終わる。ダンジョンを作ったから奥にある宝を取ってこいなんて、世界中どこ探してもここしかないだろう。
「ともかく、マリルリに話をつけといたから、すぐにでも飛ばしてくれるだろう。ピカ、リーダーとしてちゃんと引率しろよ」
「えっ? リーダー……ですか?」
「ですか、じゃないだろ。お前以外誰がいるんだ?」
自分を指差して問いただす僕に、ルカリオさんの一喝が入る。
……リーダーって何すればいいのだろう。方向性を示したり、みんなをまとめ上げればいいのかな。ひっつき虫だった僕がいきなり出来るとは到底思えないが。
「リーダーだからって気負い過ぎるなよ。ただ模範になればいいんだ。この三ヶ月間で学んだ事を活かし、ツタージャに手本を示すだけでいい。簡単な事だろ?」
当然といった感じで話すルカリオさん。思わず「それが難しいんですよ」と口に出しそうになったが、既のところで止まってくれた。ルカリオさんは僕の力を信頼してくれてるから、ああ言ってるんだ。それに、頼れるのはパートナーと自分だけ。泣き言なんて誰も聞いてくれない。ギルドで過ごした三ヶ月を信じよう。
「いい顔付きになったな。良い結果を期待してるぞ」
「はいっ!!」
僕達は一寸のズレもなく口を揃えて答え、ルカリオさんの声援の後押しを受け、マリルリさんの所へ一直線に向かった。前回のカラ元気とは違う、心の底から自信が溢れてくる。こう思えるのも、頼もしそうに笑みを浮かべているパートナーのお陰だろう。
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「……ここが、サザナミ海岸?」
到着して早々、辺りをキョロキョロするツタージャ。
「海岸って言うわりには、見渡す限り林の真っ只中だけど」
ツタージャの言う通り、僕達の周りを高くそびえる木々が立ち並んでいる。水や砂の姿は一切無く、海岸を連想させる物は何一つ見当たらない。
「ワープ装置は潮風に弱いからね。海岸から少し離して設置してるんだ」
僕はルカリオさんから受け継いだ知識をツタージャに披露する。以前は砂浜沿いに設置してあったけど、塩害で誤作動が頻発したためにここに移されたらしい。
「どうりでフクギの森のど真ん中にあるわけだね」
「フクギ?」
「この辺り一帯に生えてる木の名前。塩害に強い樹木なんだよ。並べて植えると緑色の壁みたいになって、潮風や強風対策になるんだって」
そう言ってツタージャは垂れ下がっている枝に向けてジャンプし、葉っぱを一枚もぎ取った。
「ほら、変わった形してるでしょ?」
「ホントだ。なんか作り物みたい」
僅かな歪みもない楕円状の葉っぱを試しに触ってみたら、薄さの割に結構しっかりしていた。これなら壁と揶揄されるのも納得だ。
「ツタージャって植物に詳しいんだね」
「育ったとこも自然が多かったし、お母さんに色々と教えてもらったからね。でも、詳しくなった一番の理由は好きだからかな? 普段本を読まないあたしだけど、植物図鑑と丸一日にらめっこしてた時もあったよ」
フクギの幹を撫でながら思い出話を語るツタージャ。声も弾んでるし、植物が大好きって感じが見るだけで伝わってくる。
「それに、あたしが無茶な一匹旅が出来たのも、この知識のお陰だと思うよ。草ならそこら辺に生えてるし、毒さえなければ火を通せば何とかなるからね。ほら、あそこにヨモギが生えてるでしょ」
「あそこ?」
ツタージャが指差した方には、様々な種類の雑草が生えている。しかし、どれも似たりよったりの形をしていて、どれがヨモギかは全く分からなかった。
「ヨモギには足を向けて寝れないぐらいお世話になったね。味も悪くないし、栄養価も高いという文句無しの野草。ただ、毒草のトリカブトに似ているのがキツかったね。間違って口にした時は死を覚悟したよ」
彼女は遠い過去の笑い話かのように言ってるけど、毎日新鮮な果物や木の実を食べている僕にとって到底笑える話じゃなかった。
「……もし、ダンジョンで食糧が尽きてもツタージャがいる限り安心だね」
「いやいや! 辞めといた方がいいよ! 本当に! 青苦くて不味いし、食感も最悪だよ!」
場の空気を壊さないように言葉を選んだつもりだったけど、もっと他に言う事があったかもしれない。でも、ツタージャは焦りながらも笑って返してくれた。……草に頼る事ないように、リーダーとして食糧の管理はしっかりしなきゃ。
フクギの並木道をツタージャの植物の話で場を彩りながら進んでいく。一歩前へ進む度に潮の香りが強くなり、薄暗い林道がだんだん明るくなる。
「あっ! 見えた!」
林道の奥に青色の光が見え、自然と歩幅が広くなる。林を抜けると、自然特有の青臭さの替わりに潮の香りが鼻の奥へ突き抜けていった。そして、目の前には際限なく広がる澄み切った青色の海と、白く輝く砂浜が現れる。
「ここがサザナミ海岸だよ……って、ツタージャ?」
ツタージャは水平線の彼方を口を小さく開けたまま、心ここにあらずと行った感じで見つめていた。
「どうしたの?」
「あっ……何でもないよ!!」
両手を左右に激しく振りながら答えるツタージャ。この変哲もない海に何か思う事があるのかな。
「初めて?」
「……そう、初めて。あたし、内陸の方に住んでたから海をこうやって見たことなかったんだ。……海ってこんな感じなんだね。広大で青くて……」
「……月並みな感想」
「仕方ないじゃん。語録が少ないんだから」
頬を微かに膨らませ、腕を組んで不貞腐れた素振りを見せるツタージャ。その姿を見てると、何だか微笑ましい。
「拗ねてるツタージャに質問。海は何で青いか知ってる?」
「えっ、空の青色が反射しているからじゃないの?」
「僕も最初はそう思ってたんだけどね。ルカリオさんに教えてもらったんだ。光には色んな色があって、青以外の色は水に吸収されて、残った青色の光が海底で反射するから、青く見えるってわけ」
過去にルカリオさんが話した記憶を引っ張り出し、それらを垂れ流すように述べていく。ツギハギ感が否めないが、上手く彼女に伝わったのだろうか。
「……うん。青色は水に吸収されず、海底で反射する。それであってる?」
「うん、あってるよ」
伝わったみたいなので胸をほっと撫で下ろす。あれで伝わらなかったらお手上げだった。
「でも何で青色以外は吸収されちゃうの?」
「うぐっ……そ、それは……」
彼女からの質問に、思わず声を詰まらせてしまう。付け焼き刃の知識だから、深く探られても答えられない。
「み、水に青色以外の光を吸収する物質が混ざっているからだと思うよ」
パッと出の理論をでっち上げる。でも、それっぽい理由だし、ツタージャを誤魔化せるのかも……。
「でもコップの中の水は透明だよね」
いとも容易く反例を挙げられ、打つ手を完全に無くしてしまう。人形のように項垂れて黙る僕を見て察したのか、ツタージャは気不味そうに謝った。
「質問攻めしちゃったね。……あたし、入門してからずっと、もっと知りたいって好奇心が止まらなくて。……少し落ち着くべきかな?」
「いいんじゃないかな? 探検家らしくて」
急に指いじりしてしおらしくなるツタージャに素っ気なく言ってみる。
「知らないよりかはずっと良いよ。探検は知識が物を言うし、どうでもいいような知識が役に立つ時もあるからね。そういう意味で、探検家向きの性格をしてると思うよ」
「探検家向きの性格ね……。そう言ってくれるなんて、ちょっと嬉しいな。ありがとね、ピカチュウ」
少し首を傾げて微笑みかけるツタージャ。こう目の前で言われると、どうも照れくさくなってしまう。ほっぺが赤くて助かった。
「……少し海を眺めていく? もしかしたら新しい発見があるかもしれないよ?」
「……うん」
照れてる事をツタージャにバレたくないので、視線を海に向けさせる。ギルドを出てから少ししか経ってないけど、彼女が頷いた事より僕達は砂浜に腰を下ろした。
「ふう……」
満点の青空の下、静かに揺れる海面をじっと見つめる。太陽の光をふんだんに浴びた海は青く輝き、宝石と言っても遜色ない程綺麗だ。ギルドに入門してからずっと忙しかったから、こういった穏やかな時間は新鮮だった。
貴重な時間を十分満喫した僕は、ツタージャの方にふと目をやる。彼女は僕と同じように海を眺めてる。けど、その眼差しは僕のとは違って何となく見てる雰囲気じゃない。果てしない海から何かを見つけようとしている、そんな感じだ。
「海の向こうに何か見えたらいいなって……。でも、流石に見つからないや」
「……陸地はここしかないからね」
僕は砂浜をちょいちょいと指で突っつきながら言った。大昔に新大陸を求めて結構なポケモンが海に出ていったらしいけど、結局成果は何一つ得られなかったらしい。それが決定的な根拠になり、海の向こうには何もない、それが世間一般の常識となった。
「ねえ。……寂しいって思ったこと、ない?」
「何が?」
「陸地がここしか無い事」
海を正面に見据えたまま、質問を投げかけるツタージャ。口調はいつも通りだけど、真剣な質問だって事は伝わってくる。
「……今まで考えた事なかったよ。小さい頃からそれが当たり前だったから」
真剣だからこそ、僕は本心を答えた。これがツタージャの望んでいる答えではないと分かっている。分かっているからこそ、ただ平然と海を眺めている彼女の横顔を見るのが辛かった。
「そう………なんだ。……そうだよね、ゴメンね変な事聞いちゃって。あたしったら何言ってるんだろうね」
鼻先を掻きながら照れ笑いを見せるツタージャ。無理に作った笑みの下に、隠しきれてない落胆の色が浮かび上がっている。
「さて、気分を取り直していこっか。ピカチュウ、ルカリオから貰った地図出してくれる」
「う、うん」
僕はバッグの中から丸められたボロボロの宝の地図を取り出し、破れないように慎重に広げた。潮風に引けを取らない、芳しい匂いが鼻一杯に広がる。
「えーっと、お宝はここの洞窟にあるんだっけ?」
「海岸沿いにずっと進んだ先だね。距離はそんなでもないみたい」
「地図を見る限り……サザナミアーチのそばだね。ほら、あそこに見えるのがそうだよ」
海に突き出ている絶壁から伸びた、アーチ状の岩を指差す。波をものともせず、どっしりと海に構えるその姿は、自然の芸術と言っていいのかもしれない。
「あそこね。行ってみよう!!」
サザナミアーチに向けて、砂浜をものともせず走り出すツタージャ。僕も砂に足を取られながらも懸命に彼女の後を追った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ここが入り口……」
サザナミアーチの真下の浅瀬にぽっかり空いた洞窟を、ツタージャは感慨深そうに見つめながら言った。今僕達がいる場所は、腰上ぐらいの深さの浅瀬だが、不思議な事に足元には凹凸の少ない白色の岩盤が一面に広がっている。
「何か不思議な場所だね。洞窟の水面が青く輝いてるよ」
ツタージャの言う通り、洞窟の海面がまるで下から照らされているかのように青色に発光している。しかも海岸で見た海の色とは比べ物にならないぐらい、一寸の先も見通せない濃淡な青色だ。
「この水が特殊なのかな?」
空よりも濃い青色をした海水をツタージャが両手ですくい上げる。しかし、すくい上げられた瞬間に光や色を失い、緑色の手のひらが姿を表した。一瞬で変化したのを目の当たりにした彼女の頭にはハテナマークが浮かんでいる。
「水自体が光ってるわけじゃないよ。海が青い理由は既に話したよね?」
「うん。でも、それは深い所での話じゃなかったの?」
「ここの海底はちょっと特殊でね……」
右腕を水面に突っ込み、海底を指で軽く拭う。ザラザラとした感触がして、正直心地よいものじゃなかった。
「ほら、見てみて」
「あっ、指が白くなってる」
「この辺の水底は石灰で出来ているんだ。白色の石灰岩は光をよく反射する特徴があって、青色の光が反射される事によって下から照らされてるように見えるんだよ」
「……そうなんだ」
手を顎に当て、じっと青色の水面を見つめるツタージャ。もしかして、さっきの説明が下手くそ過ぎて彼女に伝わってなかったのかも。
「……不思議な話だよね。もし海底が大理石で出来てなかったら、もし海水が透明じゃなかったら、こうはならなかった。自然の奇跡が積み重なって出来たって、何だか凄い話じゃない?」
「確かに……凄い事だよね」
ここの水は青いのを平然と受け入れていたけど、考えてみたら長い年月を経て作り出された奇跡の結晶だ。僕達じゃ出来ない事をやってのけた自然に、僕は畏敬の念を抱いた。
「他にも、こういった場所あるのかな?」
「もちろん。しかも星の数程にね」
ここみたいに奇跡の積み重ねが生んだ秘境や、太古のオーパーツにより造られた遺跡。そして空に浮かぶ島のような、超常現象とか言いようが無い場所。その多くは探検家の手により世間に明るみになったが、まだ数多くの未踏の地は残されている。
「僕達は今からその中の一つに行くんだ。覚悟はいい?」
「もちろん!」
ツタージャはグッと親指を立て、海に負けないぐらい輝かしい笑顔を見せた。中に何が待ってるか分からないけど、彼女と一緒ならやれる気しか湧いてこない。
「行こう!!」
僕の声を皮切りに、洞窟の奥へ歩を進める。自然と腰まで浸かる中を歩いているからか、自然と足に力が入っていた。
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生い茂った木々が日傘のように日光を遮る森の中、オレはせっせと土を掘り返していた。土に汚れた灰色の足。スコップを握る汗ばんだ手。首にはオレの汗がたっぷり染み込んだタオル。ここが森の中で本当に助かった。炎天下の砂浜だったら間違いなくぶっ倒れてた。
「どうだ、ワンリキー。宝が埋まってたか?」
オレが必死に頑張っている隣で、リンゴをツメに差し、ノンビリと地図を眺めている奴が他人事のように言ってきた。くちゃくちゃと下品な音オレの神経を逆撫でしてくる。
「そんなに気になるなら、傍観してねえでお前も手伝え。スコルピ」
生意気そうに傍観しているスコルピに向けて、長年愛用のスコップを突きつけてやった。
「んー、手伝いたいのは山々だが、残念ながらこの手じゃスコップ持てないんだよなー」
空いてるツメを見せびらかしながら、からかい口調で返す。その上ニヤケ顔を見せつけてくるもんだからウザさが倍増されて、奴の頭をかち割りそうになった。
「元から手伝う気ねぇクセに、よく言うぜ」
「バレたか」
自分を戒めるかのように頭をツメで軽くつつき、舌だし笑いを見せるスコルピ。お前がやっても可愛くないんだよ。
「バレたかじゃねぇよ、全く……」
このウザさ、ガキの頃から変わらねぇな。こんな奴とチーム組んで探検家やってるオレって相当の変わり者に違いねえ。
「そんな事より、本当に宝があるのか? こんなに掘っても何も出てこねぇぞ」
オレは頬を伝う汗をタオルで拭きながら言った。腰の辺りまで掘り返したが、土以外何も出てこないのが現状だ。ここまで来ると、さすがに不安になってくる。そもそも宝って、こんな変哲もない森とかに埋めてある物なのか? 普通、遺跡の奥に隠されているのが定石だろだろ。
「この地図に描いてあるんだ。ここにあるのは間違いねぇ」
宝の地図を見せびらかしながら、自信満々に言うスコルピ。お前の体を埋め尽くしてしまう程の土の量を見ても、一切の疑問も感じないのか?
「いいから掘るんだ! 今度こそ宝が見つかるはずだ!」
「……ったく」
ギャアギャアうるさいパートナーに、悪態を付かざるを得なかった。どうせ今回もハズレだろ。そう思った矢先、スコップの先に何かが当たる音がする。
「おっ!?」
軽く土を払ってみると、自然にできた物とは思えない、真っ平らな物質が姿を現す。こんなとこに埋められてたからか、表面には赤さびが浮いていた。
「どうした? もしかして宝か!?」
食べ方のリンゴをほっぽりだして、穴に駆け寄るスコルピ。もったいねぇ。いつも萎びたリンゴ食ってたオレ達が珍しく奮発して買った新鮮な奴だというのに。
「ああ、ビンゴみたいだぜ。見ろよ、箱のフタに違いない」
初めての『当たり』に、疲れ切っていた精神に活力が戻ってきた。今までハズレばかり掴まされていたから、自然とテンションが上がってくるのは当然だろうな。
「ホントか!? は、早く取り出せ!」
スコルピの方も湧き上がる期待を抑えられないようだ。言われなくても、すぐに掘り出してやるよ。
スコップ片手に約一時間。数々の『ハズレ』を乗り越え、ようやく宝箱を掘り起こす事ができた。両手を広げたぐらいの大きさだ。きっと中身も盛り沢山に違いない。流石のケチな神サマも、今回ばかりは微笑んでくれるだろう。
「……やったな! 一緒に一山当てようと探検家になって約二年、ようやく宝物に巡り会う事ができた! 何度もくじけそうになったが、お前のおかげで諦める事なくここまで来れたんだ! お前がオレのパートナーでホントに良かったぜ!」
スコルピが急に語り出しやがった。お前はただリンゴ食って見てただけだろうが。それとお前、ハズレ掴まされても『次は必ず!』とか言って、懲りずに宝の地図に手を出していただろ。お前がくじけたとこなんかオレは見たことねぇぞ。
「開けろ! ワンリキー! お前にはその権利がある!」
宝箱を前にして、俄然ハキハキとしてきたな。だるそうにリンゴ食ってたお前はどこ行ったんだ? まあ、オレ自身も鼓動が早くなったりしてるんだが。
「ああ、言われたとおりオレが開けてやるよ」
黒い鉄で作られた、硬派な印象の宝箱のフタを開ける。『かくとうタイプ』のオレにとって、鉄のフタなんて対した事ない。
「さて、肝心の中身は…………って、ふざけんなぁぁ!!」
フタを適当に放り投げ、宝箱の中を覗き込んでみた瞬間、オレは全身の血が煮えたぎるぐらいの激しい怒りに襲われた。箱の中身は少し古びた紙しか入ってなかったからだ。
「ど、どうした! 落ち着けっ!」
スコルピに落ち着けって言われた。いつもならオレが言うセリフなのにな。しかし、この紙を見たらお前も怒り狂うだろうよ。
「ん…………なあぁぁぁ!! オレ達を『マヌケ野郎』だとおぉぉ!!」
紙を見せ付けた事で、スコルピも怒りのスイッチが入った。そう、紙に書かれていたのはほんの一言。『マヌケ野郎』。
「ふっざけんなっ!! あのインチキ商売人め! 金返せ!」
とめどなく湧き上がる怒りを少しでも晴らすため、『マヌケ野郎』の文字をビリビリに引き裂いて地面に投げつけてやった。ワザワザこんな手の込んだ嫌がらせしてくるなんて、性根が腐ってるレベルじゃねえ。
「今度会ったらタダじゃおかねえ! オレのミサイル針でサボテンにしてやる!」
スコルピも宝の地図を真っ二つに引き裂いて、それを足でげしげし踏みつけて怒りを発散してた。
「チクショウ! 何でいつもいつもこうなんだよ!」
紙ごときでは腹の虫が治まらないオレは、黒い鉄のカラ箱に向けて、期待を裏切られた怒りを込め、全身全霊のキックをぶちかました。
「あぐっ……あっあっ……!」
鉄製の事だけあって、憎たらしい空箱は無駄に堅かった。オレの渾身のキックは箱を凹ませただけだった。足の甲が赤く腫れ上がり、鈍い痛みを訴え続けている。
「こんの……野郎っ!」
打撃は効かないようなので、憎たらしい箱をスープレックス気味に投げ飛ばす。緑色の天井をバキバキと音を立てて突き破り、そのまま姿を消していった。再び枝が折れる音がしたので、この森のどこかに落ちたと思われるが、そんな事はどうでもいい。むしろ、視界から消えてくれてせいぜいした。
「ハァ……ハァ……」
怒りの元凶が目の前から消えたので、多少気持ちが落ち着いてきた。それにしても、こんなに腹が立ったのは初めてだ。何度もハズレを引いてきたが、カラ箱を埋めるという嫌がらせは今まで一つもなかった。
「……スコルピ、もういい加減宝の地図を買うのは止めようぜ。本物の宝の地図なんて、オレ達みたいな半端者が手に入るような代物じゃなかったんだ」
最初の頃は、狂ったように宝の地図を求めていた。汗水たらして稼いだ金を裏ルートでやり取りされている地図に注ぎ込む事に、オレも何の疑問も持たなかった。しかし、偽物ばかり引かされている内に、それに対する執着心もすっかり冷めてしまった。今では無駄金だとスッゲェ後悔している。
「まだだっ! 宝の地図はもう一枚あるっ! 今度こそホンモノに違いねぇ!」
何度も聞いたセリフだ。頭が痛くなってきたぜ。つーかお前、その宝の地図をどこで手に入れたんだ? オレは一言も聞いてねぇぞ。
「場所は『常夜の森』だ! 今から行くぞぉ!」
ああ、コイツまだ頭に血が上ってるな。鼻息もすげぇ荒いし。ていうか、そこって『ゴーストタイプ』の巣窟じゃねぇか。絶対に行きたくねぇ……。
「……ちょっくら海行って汗流してくるわ」
頭を冷やす目的で、オレは近くの海岸に向けて歩き出した。後ろで何か喚いているが無視だ。興奮するとメンドクサイんだよな、アイツ。
「よっと…………ん?」
森を抜けた先の砂浜に、黄色いのと緑色のポケモンが砂浜に腰を下ろしていた。見たところ黄色いのがオスで一方はメスみたいだが、カップルか? こんなヘンピな場所にまで生息しているのかよ。ホントどこにでもいるもんだな、探検とデートを混同しているバカップル共は。
「……ったく。……ん?」
しぶしぶ戻ろうと思った時、黄色い奴がしょってるバッグからボロボロの色あせた紙を取り出した。その際に、黄色い奴の胸に何か着けているのをチラッと見えた。恐らく探検家バッジだろうな。という事は、あいつらは依頼でここに来たのか。公私混同しやがって…………。
「ワンリキーよ、これはチャンスだぜ」
背後からいきなり声がしたので、何事かと思い振り返ると、怒りで暴走していたはずのスコルピがいた。先程の奴と同一とは思えない程落ち着いてるが、夕立並みに気分がコロコロ変わるのはいつもの事だ。
「は? 何がだ?」
「フフッ、それはだな……」
スコルピが嫌らしい笑みを浮かべる。下品に歪んだ顔は気持ち悪いとしか言いようがない。
「アイツら、宝探しに来たに違いねぇ。あの古ぼけた地図が何よりの証拠だ」
「はあ?」
……お前の思考回路はどうなってるんだ? あれを見てそんな考えに至れるなんて、普通の奴なら有り得ないぞ。
「んで? 何でチャンスなんだ?」
「鈍いな、お前は。アイツらの後を追って宝を奪い取るんだ」
……呆れて物も言えなかった。長年付き添っているが、ここまで超絶バカだとは思わなかったぜ。
「ビビる事はねぇ。見つけた瞬間、横からかっさらえば問題はない。取ったもん勝ちだ。宝の奪い合いなんて日常茶飯事、そうだろ?」
コイツの言い分は通ってるんだが、何だか乗り気がしない。確かに探検家同士が宝の前で鉢合わせになり、そのまま奪い合いになる話は度々聞く。見つけただけでは自分の物にはならない。持ち帰って初めて自分の所有物となる。『帰るまでが探検』というこの界隈で言われ続けている言葉があるが、まさにその通りだ。
「アイツらが本当に宝探しに来たらの話だがな」
どうせ依頼で来たに決まっている。ヘンピな砂浜に宝があるなんて、信じるのはコイツ並みのバカだけだ。
「アイツらは宝探しにここに来た。オレのインスピレーションがそう告げているから間違いない」
頭をツンツンと突っついてドヤ顔を決めるスコルピ。お前の直感ほど、この世で当てにしていけない物はない。長年付き添ってたオレが言うんだから間違いない。
「『常夜の森』に行くのは後回しだ。アイツらを追跡するぞ!」
そう言って森から飛び出し、アイツらの後を堂々と追うスコルピ。少しはコソコソしようぜ。砂を踏みしめる音がここまで聞こえてきてるぞ。
「……やれやれ」
ため息が潮風にかき消されていく。オレよりパートナーに振り回されるポケモンは、世界中どこを探しても見つからないだろう。
まあ、『常夜の森』に行くよりは遥かにマシだ。アイツが気が済むまで、付き合ってやるとするか。オレは砂浜に足を踏み入れる……くそっ、足を取られて歩き辛いな。
「何やってんだ! 早く来いウスノロ!!」
ノロノロと進むオレを見かねたのか、わざわざ引き返して悪態を突いてくれた。そういえば、コイツ砂漠出身だったっけ。どおりで、砂地は屁でもねえわけだ。
「そんなに急ぐ必要無いだろ」
「何悠長な事言ってやがる! 奴らに先越されたらどうすんだ!! 少しは危機感持てっ!! こんな心構えだからいつも失敗するんだよ!!」
ただでさえ直射日光で暑いっていうのに、熱苦しい声で説教を始めるスコルピ。さっき言ってたのと丸っきり正反対だぞ。
「まあいい。アイツらを追うぞ!」
「はいはい」
オレは適当に返事をしてスコルピの後を追う。何でコイツとチーム組んだのか、いささか疑問だ。