進化する夢
マリルリさんと遭遇してから、何事もなく無事に診察室へ到着した僕達。扉には幸いにも在室中と書かれた看板がかけられている。
「今日はハピナス先生がいるみたいだね」
少し遅れてツタージャが到着し、かけられている看板を見上げて言った。それなりのペースで走ったのに、息は乱れてる様子は全くない。
「……ねえ、ピカチュウ。中から泣き声が聞こえてくるんどけど」
「ん? 泣き声?」
ツタージャが扉を不審そうに指差すので、扉に耳を当ててみる。彼女の言う通り、大声で泣きじゃくっている子ども何とかして子どもを宥めようとする聴こえてくる。
「ホントだ。まあ、子供泣かせの物がいっぱいあるから仕方ないね。注射器や聴診器はもちろん、舌圧子と喉頭鏡のコンボは子供にとって辛いし、胃洗浄カテーテルなんか突っこまれた日にはもう最悪……」
ツタージャが若干引いているのに気付いたので会話を打ち切る。彼女にはこの話は少々マニアックだったようだ。
「……詳しいんだね」
「近くに医者が二匹もいるからね」
タブンネやハピナス先生と話していると、時たま専門用語が出てくるから勝手に知識が身に付いていく。普段耳にする事ない専門的な豆知識が聞けるから、こういった話は寧ろウェルカムだ。
「取り込み中だし、戻ろっか」
「うん、そうだね」
僕達が帰ろうと扉に背を向けようとする。しかし何故か扉が突然開き、お腹のポケットにタマゴを抱えているピンク色のポケモンが現れた。
「丁度良かったわ。ちょっと手伝って貰えるかしら?」
「あっ、ハイ」
年上の頼みはなるべく断ってはいけない。社会のルールがすっかり染み付いてしまった僕は条件反射で引き受けてしまった。
「やだやだやだぁ!! いだいのやだっ!!」
扉が開いた事により、子供特有の甲高い泣き声が耳に響いてくる。部屋の中には、涙で顔がくしゃくしゃになった子供と、必死に我が子をあやそうとしている母親。そして注射器を持ったままオロオロとしているタブンネの姿が見えた。
「ちゅーしゃやだぁ!!」
「こらっ! お医者さんが困ってるでしょ! いい加減に泣き止みなさい!」
「メリープさん、この注射は針を極限まで細くした特別品ですから痛くないですよ。だから……泣き止んでください」
何とかして宥めようとしているデンリュウさんとタブンネの努力も虚しく、メリープは手足をばたつかせて母親の包囲から逃れようとしている。大人顔負けのパワーに、デンリュウさんの顔に疲労の色が浮かんでいた。
「……僕に何をしろと言うんですか」
「例のアレをやって、メリープ君を泣きやませるのよ」
予想通りの答えが帰ってきて、僕はやれやれと額に手を当てる。安請け合いしなきゃ良かった。アレをやるのは心に傷を負うリスクがあるからやりたくない。
「あの……、何をやるの?」
「ピカの十八番よ。あなたも近くで見たらどうかしら」
そう言って、扉の近くにいたツタージャをハピナスが招き入れる。彼女が僕の事を興味しんしんで見つめてくるせいで、気管が細くなって息苦しい。
「ピカさん……、やっぱり私じゃ力不足でした。……助けてください」
今にも泣きそうな目で懇願するタブンネ。そんな目で頼まれたら、無慈悲に断るなんて言えなくなる。
「先生、何が始まるのですか?」
「そこにいる少年が面白い事をやってくれるそうですよ。彼は見かけによらず、どんなポケモンを笑顔にする魔法が使える魔法使いなんです」
「それは楽しみですね。聞いた? あのお兄ちゃん面白い事をやってくれるって!」
「えっ、面白い事?」
母親の話を聞いたメリープが泣き止み、こちらを純真な瞳で見つめてくる。ハピナス先生、そんなにハードルを上げないでください。魔法使いってどこぞのファンタジーですか。それとタブンネ、せっかく泣き止んでるんだから今の内に打てばいいのに。
「さて、ピカ君やってくれるわよね」
ハピナス先生の脅し文句により、部屋中の視線が僕に集中する。たぶん、僕が生きてきた中で今が一番注目されている。……こうなった以上、腹をくくるしかなそうだ。赤い丸がトレードマークのほっぺを両手で掴み、指先でこねくり回してコンディションを確かめる。弾力、ハリ、もっちり感。今日のほっぺの調子は良さそうだ。後は…………自分の思い切りの良さだけ!
「びろろろーん」
マヌケでバカまる出しの効果音のアクセントを加え、ほっぺを千切れる限界まで下に引っ張る。胸元近くまで広がったマッギョのような顔、縦に伸びる両目と赤いほっぺ。これが僕の十八番、変顔だ。
「びろびろびろばあー」
縦に伸び切った視界の中、周りの様子を確認。こっちの視線に気付いたハピナス先生はグッジョブと親指を立て、タブンネは顔を背けて笑いを堪えている。そういえば、彼女って意外にも笑いのツボは浅い方だったっけ。
一方、デンリュウさんとツタージャはきょとんとした表情を浮かべている。オトナには受けが悪いのは経験上分かっていたけど、ツタージャの反応が薄い事に軽くショックを受けた。
そして、メインターゲットのメリープ。恐る恐る目線を動かし、反応をチェック。
「あははははっ! 変なの!」
さっきまでの泣き顔は影も形もなく、大口を開けて笑っているメリープ。どうやら、今回は成功のようだ。僕はほっぺから手を離し、ほっと一息ついた。
……どうしてこんな事をやらされるようになったか、それは一ヶ月前のお守りを任された日に遡る。ダンジョンで迷子の子どもが見つかり、一旦このギルドで保護する事になり、面倒役をどう見ても力不足な僕が担う事になった。お菓子、絵本、おもちゃとあらゆる手を尽くしたものの、一向に泣きやまない子どもに対してヤケクソで顔芸を繰り出した所、何故かツボに大ヒット。無事に親の下に届けられ、事なきを得た。……そこで終われば良かったのに。
僕の顔芸を偶然耳にしたハピナス先生に、注射嫌いな子供に対する最終兵器としての可能性を見出されて実践投入されたところ、予想以上に効果を発揮。それ以来、手に負えない子供が現れた時にちょくちょく呼び出されるようになってしまった。正直言って、こんな下らない能力よりもバトルに関する能力の方を受け継ぎたかった。
「おにーちゃんもう一回やって!!」
メリープの満足そうに笑う姿を見て、僕は胸をなでおろす。この変顔を持ってしても、子供の心を掴める確率は七割。残りの三割は「怖い」とか「バケモノ」と泣かれたり、急に真顔になって「つまんない」「頭大丈夫?」とか言われたりする。子ども特有の情け容赦ない言葉により、メンタルを何度もズタボロにされたことか。
「びろびろばあー!」
今度は顔を横に引っ張ってみた。こう食い付きがいいと、やってるこっちまで楽しくなってくる。みんなこの子みたいな反応してくれるのなら、自ら進んでやりたいぐらいなのに。
「ご苦労様、あとは私達に任せて」
ハピナス先生が前に出て、役目を終えた僕は後ろに下がる。僕の事を名残惜しそうに見ている彼の目にタブンネが持ってる注射器が映ると、あんなにいい笑顔を見せてくれた顔がみるみるうちに青ざめていった。
「ねえ、メリープ君。君の好きなヒーローって誰?」
「えっ?」
ハピナス先生の脈絡のない話に戸惑うメリープ。お得意の話術により、彼は一気に先生のペースに飲み込まれる事になるだろう。
「えっと……、ジェリーボーイかな?」
「ジェリーボーイね。読んだ事あるわ。特にテロ組織との戦いの話が一番のお気に入りなの。あなたは何の話が好き?」
「ぼくもその話大好き!! カッコよかったよね! 特にボスをドカーンってやっつけるところ!!」
「圧倒的な強さなボスを罠に嵌めて倒したシーンね。さすが技を持たない者の戦い方だって関心したわ」
子供特有の擬音表現に対して的確に返すハピナス先生。さすが、何周も熟読しているだけある。
「ジェリーボーイって何?」
「漫画の主人公の名前だよ。遺伝子の異常で変身が出来ないメタモンが悪の組織に立ち向かうヒーロー活劇なんだ」
「全く知らないけど……、なんか面白そうだね」
確か変身出来ない事で仲間から虐められ、罵倒の意味で付けられた名前がジェリーボーイだっけ。スライム野郎という意味で。そしてある日仲間の手により用水路に流されて瀕死寸前の彼だったけど、元ヒーローの年老いたポケモンの手により助け出されて彼の後を継いで正義の味方になって……。原作を読んだ事ないから細部の事はよく分からないや。確かハピナス先生が全巻持ってたから、後で借りてみよう。
「この注射器にはね、ジェリーボーイがいるの。あなたの体に巣くう病原菌をやっつけるために、この仕事を引き受けてくれたのよ」
「ホントに!?」
大好きなヒーローが助けに来てくれた事を聞いて、メリープの目に輝きが戻る。
「でも、彼の力だけじゃ病原菌を倒す事は出来ない。メリープ君、あなたの勇気が必要なの」
「ぼくの勇気?」
「そうよ。痛みに耐える勇気。ほら、あなたみたいな小さい子が悪者に攫われた話あったじゃない。子供を盾にされて悪者に一方的にボコ ボコにされたジェリーボーイ。絶対絶命な彼を見て、その子は何したんだっけ?」
「……悪者にかみついた」
「痛みに怯んだ隙を付いて逆転勝利。その子の勇気が彼を救ったのよ。……あなたもその子に負けない勇気を持っている。その勇気を私に見せてくれる?」
「……うん。ぼくガンバる!!」
怯えながらも、メリープ勇気を振り絞りは左前足をタブンネに差し出す。デンリュウさんも我が子の頭を優しく撫でながら、「頑張って」と声をかけた。
「タブンネ、癒やしの波動全開でお願い」
「……分かりました。メリープさん、今から打ちますから我慢してくださいね」
消毒用アルコールを塗り直し、注射器を構えなおすタブンネ。メリープの足を持ってる彼女の左手が淡い光を放ち始める。鋭利な針が近付く中、メリープは目尻にシワが出来るぐらいに目を瞑り、歯を食いしばっていた。
「……っ!」
針が刺さった瞬間、メリープの顔が苦痛に歪む。癒やしの波動で多少緩和されているとはいえ、痛いものはやっぱり痛い。でもメリープは暴れる事なく、最も痛い瞬間である薬品が注入される時もじっと耐えていた。
「終わりましたよ」
打ち終わった注射器を置き、注射痕に絆創膏を貼るタブンネ。
「よく頑張ったわ。偉い偉い」
ハピナス先生がメリープの頭を撫でた後、ビー玉サイズの飴玉を一つ差し出すと、彼は満面の笑みを浮かべて受け取って早速口の中へ放り込んだ。
「タブンネ、ネコブ30とラム20。残りはラブラとモコシの半々でお願い」
「分かりました」
メリープが美味しそうに飴玉を転がしている間、タブンネが戸棚の小瓶を幾つか取り出し、調合し始めた。粉末状になった木の実を天秤で正確に量り取っていくその眼差しは、まさに真剣そのもの。赤青緑とカラフルに彩られた粉薬を空き瓶に詰め、ラベルを貼り付ける。
「朝夕、食後にぬるま湯に溶かして飲んでくださいね」
「本当にありがとうございます」
頭を深々と下げて薬瓶を受け取るデンリュウさん。メリープはまだ飴玉に夢中のようだ。
「おにーちゃん! また変な顔を見せてね!」
母親に抱えられているメリープが僕に向けて前足を大きく振ってきたので、それに負けじとこちらも大振りで返す。次会った時のために、久々にレパートリーを考えておこうかな。
「お疲れ様、ちょっくら席を外すわね」
ハピナス先生が退出し、静かになった室内にポツンと取り残された僕達。これからどうしようかと考えていたら、タブンネが申し訳なさそうにこっちを見てこう言った。
「ピカさん、毎度毎度巻き込んで申し訳ありません。私にもっと実力があればこんな事には……」
「そんなに気にしないで……」
落ち込むタブンネに励ましの言葉をかけようとする。しかし、
「そういえば、タブンネが診察なんて初めてじゃ……」
「『何かと理由をつけて逃げるのはもう止めます。私に実践実習させてください』と深夜に先生と話したんです。結果は見ての通りですが……」
タブンネの表情に陰りが見え始める。今までの彼女は事務仕事を主にし、たまに先生のサポートをするぐらいで患者と面向かって診察なんて一度もやらなかった。ハピナス先生が「そろそろやってみたら?」と進言してたけど、彼女はいつも「力不足」とか「まだ早い」とか言って先延ばしにしていた。
そんな彼女を変えたキッカケを、誰が与えたんだろう。そう疑問に思ってから、一度も瞬きを挟む事なく答えが浮かぶ。
「ツタージャが何か言ったの?」
「い、いや!! そんな大層な事言ってないよ! 私はただ、タブンネが良い医者になるよぐらいしか……」
「その一言が凄く嬉しかったんですよ」
顔に浮かぶ照れを振り払うかのように手を左右に激しく動かすツタージャ。そんな彼女に向けてタブンネは、頬を赤く染めながらも慎ましく微笑んだ。
「ツタージャさんを診察していく内に、誰かの命を救いたいと父の背中を見て決意したあの頃の気持ちを思い出したんですよ。……私はただ、夢を繋ぎ留めるだけに勉強していました。ちっとも前に進んでないのに、夢に着々と近付いていると錯覚してましたね」
「……夢と本当の意味で向き合うって難しい事だよね。あたしも歪んだ考えで突っ走ってただけだったのに、これで有名な探検家になれるって信じてやまなかった。……ホント、大ケガだけで済んで良かったよ」
ツタージャの目線の先にある、右腕の筋に沿って伸びた忌々しい傷痕。下手したら、彼女の自信が間違いだって理解するための対価が命になっていたのかもしれない。
「私達って、違うようで結構似てますね」
「言われてみれば……そうかもね」
顔を見合わせて照れ笑いを浮かべる二匹。以前のタブンネなら再起不能なぐらいに落ち込んでいたのに、今ではしょんぼり程度で済んでいる。昨日から僕自身も周りの環境も変化しっぱなしだけど、彼女も例外ではなかったようだ。
「おまたせ〜」
話の区切りが一旦ついた所で、ハピナス先生が袋をぶら下げて帰ってきた。袋からはみ出ているビンの口を見て、思わず頬が緩んでしまった。
「はい、ピカ君。頑張ったお礼よ」
「そんな、お礼される程の事なんてやってないですよ」
口ではああ言ったものの、ちゃっかりとオレンのラベルが貼られた小ビンを受け取る。僕の好物のオレンソーダが目の前にあるんだ。断る理由なんてない。
「えっと……ツタージャで合ってる? あなたにはピカ君のと同じやつを持ってきたけど、口に合うかしら?」
「大丈夫ですけど……貰ってもいいんですか?」
「そんなに謙遜しなくてもいいのよ。ほら受け取って」
遠慮しているツタージャだが、ハピナス先生は強引に小瓶を握らせる。久々のジュースだからか彼女は物珍しそうに小瓶を眺め、拙い手つきでコルクを引き抜いて一口だけ試し飲みした。
「……美味しい!」
ツタージャの顔に笑みが咲き誇る。さすが僕のお墨付きのオレンソーダ。100年もの間、たくさんのポケモンに愛されただけある。
「気に入ったようでなにより。そうそう、自己紹介がまだだったわ。私はハピナス。ここで専属医師をやらせてもらってるわ」
「あたしはツタージャ。昨日入団した新米探検家です」
ツタージャが前に出て、ハピナス先生と挨拶を交わす。先生のおっとりとした雰囲気からか、ヤルキモノさんの時と比べて緊張してる様子はないようだ。
「マリルリから色々話を伺っているわ。そうそう、このギルドの基本方針って知ってるかしら?」
「基本方針?」
「ここは上下関係を撤廃し、家族みたいなギルドをモットーにしているわ。気軽に意見交換できて、みんなで和気あいあい出来る空間を作ろって創設時に話し合ったのよ」
堅苦しさは微塵も感じてない。でも、それはみんなが甘いって事じゃない。ハウスルールを守らないと怒られるし、重大なミスを冒した時はみっちり絞られる。
「敬語を使わない事を推奨しているわ。覚えといてね」
「……ん?」
何か釈然としない顔でこっちを見てくるツタージャ。何のことやらと僕達はわざとらしく顔を背けた。
「……あくまでも推奨だから。タブンネはキャラ的に違和感ないし、ピカ君もギリ許容範囲」
「許容範囲って、そんな曖昧でいいの?」
「いいのよ。でもあなたは許さない」
「初日から差別された!?」
いい反応を見せるツタージャ。入ってから日も浅いって言うのに、このノリについて行けるなんて只者じゃない。
「フレンドリーに話してくれる方がこちら側も嬉しいし、そもそもあなたみたいな活発なキャラが敬語だと何かしっくりこないのよね」
「そ、そうですか。しっくりこないですか、あはは……」
ハピナス先生のバッサリとした指摘に、ツタージャは思わず苦笑い。
「そこにいるあなた達もマリルリ並に馴れ馴れしくしてもいいのよ?」
「無理です」
僕とタブンネは口を揃えて答える。おばあちゃんに礼儀はきっちりしなさいと骨の髄まで教えられているから、最低限敬語だけは使うようにしている。使うだけで結構失礼な事を平気で言ったりするけど。
「じゃあお言葉に甘えて。……よろしくね、ハピナス先生」
「こちらこそ。ツタージャも既に知ってると思うけど、この子が私の弟子のタブンネよ」
「改めて自己紹介させてもらいます。私はここに住み込みで勉強しているタブンネと申します」
タブンネは自己紹介した後、恭しく頭を下げる。
「昨日はありがとうね。おかげ様で傷もすっかり癒えたよ!」
ツタージャはその場でくるっと一回転して傷の具合をアピールした。彼女を見てると、昨日の九死に一生のような姿をしてた事を忘れそうになる。
「凄い回復力ですね。普通なら完治まで少なく見積もって二週間ぐらいかかりますよ」
「体が丈夫な事だけがあたしの自慢だからね」
ツタージャは両手を腰に当てて、ドヤ顔で胸を張る。ツンと天に向かって伸びた鼻は、タブンネに「でも無茶は関心しませんね」と叱責受け、すぐにへし折られたけど。
「特異体質ってやつかしら? ランクルスが聞いたら喜びそうね」
「ランクルス?」
「うちの研究者ですよ」
「うぐっ……」
研究者と聞いて、ツタージャの顔が一気に曇る。
「もしかして……マッドサイエンティスト?」
「いいえ、ちょっと変わってますけど良識がある研究者です」
「良かった。これ以上奴みたいな変なポケモンと関わり合いたくないからね。あんなのが二匹も居たらあたしの精神が保たないよ」
シャンデラが居ないのをいいことに彼を扱き下ろすツタージャ。ふと扉の方が気になった僕は相当彼に毒されているのかもしれない。少し扉が動いたような気がしたけど、気のせいだろう。
「まあ、彼女の良識は私達とだいぶズレてるけど」
「…………」
ハピナス先生が安堵しているツタージャを谷底に突き落とすような付け足しを加える。深読みしてしまったのだろうか、彼女の表示が穏やかじゃなくなってる。
「……絶対ヤバイ方だ。ピカチュウ、挨拶せずに部屋に戻ってていいかな。あたし、生きて帰れる自信ないから……」
ツタージャの中でランクルスさんの印象がだんだん悪くなっていく。彼女が今の話を聞いてたら、夜中一匹でベッドを水浸しにするぐらい泣くかもしれない。取り敢えずツタージャには「ダメ」って一言返しておいた。
「ランクルスなら昨日から出張で居ないわよ。そうね……、予定通りなら一週間帰って来ないって彼女が言ってたわ」
「と、とりあえず今日は会わなくていいって事だね。良かった……」
ツタージャが胸を抑え、乾いた笑みを浮かべる。しかし、ハピナス先生の「あと一週間の命ね」という囁きにより、それすらも砂浜の絵のように儚く消し去られた。
「そういえばピカ君も初対面の時に天に召されそうになって大変だったわよね。覚えてる?」
「えっ? ええ……そんな事もあったような……」
こっちに答えづらい話を振ってくるハピナス先生。ランクルスさんの立場のために極力ぼかして答えたつもりだけど、ツタージャが完全にお通夜の顔になってしまった。そんなに印象操作して、ランクルスさんに何の怨みがあるんですか。
ただ、ハピナス先生による誇張が入ってるけど、実際にランクルスさんお手製の薬を飲んで天に召されかけたのは紛れもない事実。入門したての頃、僕はロクに電気が出せず、冗談抜きでコイキング並みの強さだった。そんな僕の話を聞いたランクルスさんは、紛れもなく純粋な善意で特製薬を作ってくれた。体内の発電器官を活性化させる薬と聞いて、一刻も早く強くなりたかった僕は「理論上では50%、下手したら再起不能になるから、よく考えて」という彼女の忠告を聞き流し、これを一気飲み。……今思い返すと、よくドブ水色の腐臭が凄い薬を飲む気になったものだ。幸い、50%を引き当てたお陰で電気は出せるようになったものの……、あの大いなる代償を思い出すのも嫌だ。
「……そろそろルカリオさんの所に戻るよ。色々ありがとうね」
無理やり作ったような笑顔を見せ、二匹に別れを言うツタージャ。退出する時の背中から悲壮感が漂っていて、見てて居た堪れない気持ちになる。
「……少しイジり過ぎたかしら?」
「今更何を言ってるんですか、先生」
今更感漂う反省をしているハピナス先生にキッパリ言った後、僕もツタージャの後に続いて部屋を出る。
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「どうだ、俺んとこのメンバーは」
「うん……、みんないいポケモンそうで安心したよ」
「……そうか、それは何よりだな」
無難な感想に、ルカリオさんはつまらなそうに返事する。あのポケモン達と対面したのだから、彼女の性格上一つや二つのツッコミに期待してたんだろうか。ちなみに、僕の時は「何したらあんな個性的なポケモン達が集まるんですか」と失礼極まりない事を言ってしまうという武勇伝を残した。
「ねえルカリオ、一つ聞きたい事があるんだけど」
「変わり者ばっか集まった理由か? むしろ俺が知りたいぐらいだ」
「な、何で分かったの!?」
心の内を読まれて目を丸くするツタージャ。投げやりな回答も、僕の時と全く一緒だ。
「このギルドに入門して、誰もが真っ先に思った疑問だからな。恐らく、歴史に名を刻んでいるポケモンの誰も答えが出せないんじゃないか? あいつ等が一つ屋根の下で何事もなく暮らしているなんて常識では考えられないだろ」
ルカリオさんの意見に、僕は首を縦に振って心から同意した。逆にツタージャは「うん……、そうだね」と困惑気味の笑みを浮かべている。
「そんな事よりツタージャ、このギルドでやっていけそうか?」
「やっていけそうって言うより、むしろこのギルドでやっていきたいって気持ちだけど……、あの二匹がちょっとね……」
「あの二匹? 一匹は分かるが、もう一匹は誰だ?」
「……ランクルスさんです」
話しづらそうにしているツタージャに代わり、僕がルカリオさんに聞こえる最低限の声量で代弁する。
「あいつか……。悪意はないって分かってるが、タブンネの時はまだしもピカの時は一刻を争う大騒動になったからな……」
ルカリオさんが僕の事を横目で見ながら話す。あの話題が出る度に、ギルドの皆さんに多大な迷惑をかけてしまった罪悪感により肩身が狭くなる。
「やり過ぎないように一応歯止めをかけておくから、流石に今回は事件も起こらないだろ」
「そうだと良いけど」
ツタージャはルカリオさんの言うことをさほど信頼してない様子。僕も何かひと悶着ありそうな気がしてきた。流石にあの事件のような事は起きないと思うけど。
「さて、この話はここまでだ。明日から……」
「どこ探検するの?」
当たり前のように話すツタージャに対し、ルカリオさんの動きが止まった。俗に言う、何言ってるんだコイツっていう目をしていたから内心ヒヤヒヤしている。
「お前、入門そうそう探検に行けるわけ無いだろ」
「そ、そうだよね。あたしったら何言ってるんだろうね。あはは……」
急に気まずい雰囲気になってオロオロしているツタージャに向けて、ルカリオさんは正論をキッパリと言い放った。弱々しく笑うツタージャだが、内心かなりショックだろう。大きな葉がついた尻尾が床に付きそうなぐらい垂れ下がっている。
「始めに行っておくが、お前は探検家の基礎が何一つ分かっていない。そんな奴を送り出すなんて谷から突き落とすようなものだからな。基礎が身につくまで、こいつでみっちり勉強してもらうぞ」
ルカリオさんは一冊の本をテーブルの上にドンと雑に置いた。『一から始める探検家解体新書』と丸みを帯びたフォントのタイトルに、頭に鉢巻きを巻いて本を読むポケモン達が描かれた表紙。そんなフランクな表紙に似合わない辞典並みの分厚さが、いかなる者も受け付けない重厚な雰囲気を放っている。
「業界内ではこの本の事を夢砕きの本と呼んでいる。豊富で濃密な内容と終わりの見えないページ数により、駆け出し探検家の心をへし折ってきた悪名高い本だ。しかし、内容は紛れもなく一級品で、探検家として活動していく上で必須な知識が凝縮されている。高い金払って講義を受けるより、この本を買えって言われてる程にな」
「…………」
無言無表情で本をじっと見つめるツタージャ。もし僕の時にこんなのをポンと渡されたら間違いなく嫌な顔をしてただろう。普通のポケモンならマクラになりそうな本を前にして、ツタージャは静かに深呼吸し、手元に手繰り寄せてこう言った。
「……やるよ。あたしが本気出したら凄いんだから」
自身に満ち溢れた笑みを浮かべるツタージャ。正直言って勉強出来るイメージが全く湧かなくて不安だったけど、この様子なら大丈夫だろう。
「さて、渡すもん渡したし、今日はもうお開きだ。また協会の方から面倒な依頼を送られてきてな、しかもご丁寧に指名付きでだ」
「またですか? 最近多いですね」
「全くいい迷惑だ。こっちも暇じゃないし、とか言って断ると後で痛い目遭うし。ワクワク探検協会という緩い名前付けておきながら、実態は末端のポケモンを扱き使うブラック協会とかお笑い草だな」
真顔で不満を述べていくルカリオさんに、僕はただ苦笑いで返す事しか出来なかった。ここの所、ルカリオさん指名の依頼が頻繁に届いている。確実に成功させなければならない事案を任されるぐらいに協会から信頼されている事だけど、そのプレッシャーは計り知れないだろう。ああ言ってるけど確実に成功させてるルカリオさんはやっぱり凄い。
「昨夜言ってた登録だが……、ツタージャが合格してからでいいか?」
「それでいいです」
「悪いな。それじゃ、俺はもう行くからな。しっかりやれよ」
そう言ってルカリオさんは広場の奥へ向かっていった。その頼もしい後ろ姿を、ツタージャはじっと見つめていた。
「探検家って、好き勝手気が向くまま探検してるって思ってた。宝を見つけて、それを換金して糧を得る。そんな生活に憧れてたよ」
「そんな生活しているのは一部だけだよ。普通は依頼で資金稼ぎをして、開いた時間に探検に出る。……あっ、もしかして理想と現実のギャップに幻滅したとか?」
少しツタージャを試してみたくなったので、あえて逆立てするような口調で言ってみる。答えは分かっている。けど、実際に彼女の口から聞きたかった。
「まさか! むしろその逆だよ。今何をすべきか、明確な目標が出来たからね。それに、別にお金が目的だからなりたいってわけじゃないよ。あたしはただ純粋に探検したいだけ。未開の土地に行ってみたり、太古のお宝を発見したり。名前の知らない探検家が見た世界を、あたしもこの目で見てみたいんだ」
建前とか一切感じさせない、ただ実直に『やりたい』っていう気持ちが声を通して伝わってくる。僕と彼女の目的が似ている事を聞いたからか、思わず顔を綻ばせてしまった。
「……あたしね、探検家になるって曖昧な目標しか立ててなかった。ゴールしか見えてなくて、そこに至るまでの過程は眼中になかったんだ。……大きな夢って、いくつかの段階を経て叶う物だって今更気付いたよ。全く、あたしの馬鹿さ加減に呆れちゃうね」
「僕だってゴールしか見えてなかった。ギルドに入門して、現実にボコボコにされて……。やっぱり、夢は地道な積み重ねがあって実現するものなんだね。この身を持って思い知らされたよ」
照れくさそうに鼻先をかいて話すツタージャに対して、僕も負けじと経験談を引っ張り出す。……今思うと、昨日のツタージャは昔の僕によく似ていた気がする。特に夢を語る時の姿が。似てたから、何とかしてあげたかったから、あんなに親身になってたのかもしれない。
「ねえツタージャ、昨日僕が初めて一匹で探検に出たって話した事覚えてる? その前夜に『一匹で探検してみないか?』ってルカリオさんに言われたんだけど、その時は本当に怖かった。一匹でやれるかどうか、本当に不安だった。……でも、怖くともあったけど……嬉しくもあったんだ。これで見習いから卒業できるって」
まるで息をするかのように感情が口から漏れ出していく。どうしても吐き出したかったんだろう。話の流れに流されるがまま、本音をぶつけられる相手に向かって喋り続けた。
「でも、今考えてみたら、あの日は只の通過点でしかない。喜ぶのはまだ早かった。僕にはまだまだ超えなきゃいけない試練が数多く残ってる。それは今までよりも険しい道のりだけど……」
その先の言葉は恥ずかしくて、とても口に出せなかったからだ。「ツタージャとなら乗り越えられる」なんて言ってしまった日には、思い出す度に悶絶するに違いない。
「……ともかく、今は目の前の課題に集中しよう」
「そうだね。よーし、部屋に戻って勉強頑張るぞ!!」
ツタージャは大きな本を抱え、椅子から景気よく飛び降りる。そして僕の方を見てこう言った。
「えーっと……手伝ってくれる?」
顔をほんのり赤くする彼女。断る理由なんてない。「もちろん!」と当たり前のように返した。彼女が早く探検に行きたいように、僕も一刻も早く一緒に探検したい。僕がどれだけツタージャの力になれるか分からないけど、力の限りやるつもりだ。
今日も長い一日になりそうだ。