新入りへの通過儀礼
「……ん?」
毎度おなじみの朝日により、僕は目を覚ました。昨晩ツタージャと遅くまで話をしたせいか、頭が若干ぼんやりとする。まあ、今日を普通に過ごす分には問題なさそうだけど。
「う……うーん」
両腕を天井に向けて突き上げ、体の気だるさを取る。昨日全力ダッシュで酷使したせいか四肢が鉛のように重く、筋に張りがあってズキズキと痛んでくる。古くなったゴムみたく、下手に伸ばすと千切れてしまいそうだ。
「あっ、起きた!」
朝から不調な僕の耳に、いつもとは違った声が聞こえてくる。昨日パートナーになったばかりのツタージャの声だ。
「おはよう! ピカチュウ」
屈託のない笑顔で挨拶をするツタージャ。元気をそのまま形にしたような彼女の姿を見て、僕の気だるさも少し楽になった。いつの間にか包帯が取れてるが、驚く事に彼女の体には細かい傷はあるものの、ほぼ完治していた。
「……おはよう。ケガはもう平気なの?」
「もう痛まないし、大丈夫だと思うよ」
くるっと一回転し、元気になった体を見せつけるツタージャ。ただ、深かった右腕の傷には拙いながらも包帯が巻かれている。解いた後、また自分でやったんだろうか、傷口を封印するかのように何重にも巻かれていた。
「それにしても、朝から元気だね……」
「うん、こんなにぐっすり寝れたのは久しぶりだよ。やっぱ雨風凌げるって大事だよね! 敵の目を気にしなくてもいいし、気分サイコー!!」
目ヤニを掃除しながら覇気のない声を出す僕と対照的に、ツタージャは明瞭かつ嬉しそうに話す。テンションと話の内容とのギャップが凄まじく、どう反応したらいいか分からなかった。
「い、今支度するから待ってて」
毛並みのセット、スカーフを巻くなどの身支度をしようと立ち上がろうとする。二日連続みっともない姿は見せられない。
「ねえ、一つ聞いていいかな? ここにある箱って何なの?」
クシを手に取ろうとする僕に、ツタージャから質問が飛んできた。彼女の指先を追っていくと、部屋の隅に白い箱に赤いリボンのコントラストが特徴的な箱がおいてある。
「何あれ?」
「何か不気味だったし、ピカチュウなら何か知ってるかなって起きるまで待ってたの。でも、その様子だと知らないみたいだね」
「確かに、ちょっと不気味だけど……ん?」
気になって近付いてみると、箱のリボンに挟んである一枚の紙を見つけた。無地の質素な紙を丁寧に抜き取り、その内容を読み上げた。
「『新入りさんへ、私からのプレゼントです』って書いてある」
「新入りって、あたしの事?」
「そうじゃないのかな? 今そっちに運ぶから」
宛先が分かった所で、謎の箱を抱えあげる。僕の身長の半分ぐらいの大きな箱だけど意外と軽かった。
「あたし宛なのは分かったけど、誰からだろう?」
「たぶん、ギルドメンバーの誰かだよ。ツタージャがここに入ったのを聞いて、入門祝いを贈ったんだと思う」
誰かは特定出来ないけど、たぶんマリルリさんだと思う。彼女はこういうのが好きだから。無論、他のポケモンの線もあるけど……、あの一匹だけはないや。こんな事するイメージが微塵も湧いてこない。
「プレゼントなんて久しぶりだよ! 開けていいかな?」
ツタージャは満開の笑顔を浮かべながら、リボンの端を手に取る。僕は「いいよ」と答えると彼女は喜びの声をあげて解き始めた。見てて微笑ましい光景だけど、何か引っかかる。既視感って言うのかな、僕もこんな感じでプレゼントを受け取って……。
「ツタージャ! 開けちゃダメだ!!」
記憶を探っていき、この後の結末を思い出した僕はツタージャを止めようと叫んだ。しかし時は既に遅し。彼女はリボンを解き切り、フタを完全に開けてしまった。
その瞬間、中に入ってた魔物が牙を剥き、ツタージャに襲いかかる。魔物は彼女の顔めがけて飛び出し、衝突と同時に『ぐちょり』と耳に粘りつくような音を立てた。
中からバネが飛び出してる箱を前に、ただ呆然と立ち尽くすツタージャ。彼女の顔には原型を留めてない、ぐちゃぐちゃのパイが貼り付いていた。
「…………」
ツタージャは無言で顔に貼り付いたパイを片手で拭い去る。床に落ちたパイが更に無残な姿になってしまったが、それ以上に彼女の顔が偉い事になっている。
「……た、タオルをどうぞ」
僕はタオルを引っ張り出して、ツタージャに両手で抱えあげるように差し出した。彼女はそれを表情を一切変えずに黙って受け取り、おもむろに顔を拭き始める。そんな姿を、僕は静かに見てる事しか出来なかった。だって無言のツタージャ怖いんだもの。
顔を拭き終えたツタージャが、僕に生クリームまみれのタオルを返してくる。ベチャベチャで見るからに気持ち悪いけど、僕は求められるがまま受け取った。
「だ、大丈夫……?」
重苦しい空気に耐えきれなくなって、ついツタージャに声をかけてしまった。無論これは素足でマルマインを踏んづける結果になり、終始無表情だったツタージャが一変して怒りのオーラに包まれた。
「誰っ!! こんなイタズラ仕掛けたのは!!」
天よりも高く、海よりも深い怒りが籠められた声耳元で聞いた事により、僕は驚いてひっくり返ってしまった。鼓膜がキーンと悲鳴をあげている。
「あ、あれ……」
床に仰向けに倒れながらも、最後の力を振り絞って犯人の方を指差した。ドアの隙間から顔を覗かせ、ニヤニヤと笑っているポケモン、シャンデラを。
「お前かっ!」
耳を押さえて倒れている僕の頭上を、殺意に満ちたつるのムチが飛んでいく。ターゲットはもちろん、憎きあのポケモンだ。
「…………!?」
シャンデラが一瞬だけ驚いたような顔を見せる。しかし、僕達の力で何とかなる相手じゃない。彼はギリギリまでつるのムチを引き付け、あざ笑うかのようにドアをバタンと勢い良く閉じた。ツタージャの渾身のつるのムチは残念ながら、鈍い音を立ててドアの一部を凹ませるだけに留まった。
ドアの破片の一つが僕の鼻先にコツンと当たって跳ねる。本当に、朝から何なんだろう……。
「逃がすかぁ!!」
倒れている僕を気にかけずドアを勢い良くこじ開けるツタージャ。廊下には、満足げに帰っていくシャンデラがいた。彼女はすぐさまシャンデラを追おうと一歩大きく踏み出す。しかし、足元には黄色い悪魔が大口を開いて獲物を待っていた。
ツタージャの足が黄色い悪魔の上に乗せられる。悪魔が待ってましたと彼女の足を掬い取ると、バランスを崩したツタージャの体は宙に放り上げられた。華麗な後方宙返りを決め、床にうつ伏せに叩き付けられる。黄色い悪魔がトドメの一撃にと、ツタージャの頭の上にカツラのように覆いかぶさった。
「うわぁ、屈辱的だ……」
床に突っ伏したまま動かないツタージャを見て、僕はぼそりと呟く。そして彼女に心の中で合掌した。
「肩、貸そっか?」
「……お願い」
震える声で答えたツタージャの左腕を首の後ろに回し、彼女の身体を起こす。やられたショックで身体に力が入らないのか、足元が非常におぼつかない。
取り敢えずツタージャを部屋に運び、そっと床に寝かせる。うつ伏せにしたのは僕の出来る限りの配慮だ。
「朝から騒がしいなあ……」
クシで寝癖を直しながら、突っ伏しているツタージャに聞こえないようにそっと呟く。静かだった今までの朝とは違う朝に、僕は思わず微笑んでしまった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「……そんな事があったのか。そりゃあ災難だったな」
「災難だったなって、そんな軽く言わないでよ」
頬杖をつきながら、不機嫌そうに吐き捨てるツタージャ。
「そもそもあれは何なの!? 初対面のクセに大昔のコントみたいなイタズラを仕掛けるなんて非常識だよ!」
広場の隅の方でゴミ袋をサイコキネシスでせっせと運搬しているシャンデラをビシッと指差すツタージャ。その声はもう、不満の塊と言っていいぐらいだ。
「ああいう奴だからな。このギルドの通過儀礼だと思って我慢してくれ」
「通過儀礼で済まされる問題……って、もしかしてピカチュウも元被害者?」
「うん、結構やられたね。毎度違うイタズラを仕掛けてくるもんだから予測不可能で大変だったよ。あはは……」
過去の思い出話を苦笑いを添えて話す。最初は何アイツ状態だったけど、受けている内に次はどんな手口で仕掛けてくるか楽しみになってきたのは内緒だ。
「まあ、二ヶ月ぐらいはターゲットにされる事を覚悟するんだな」
「……そりゃないよ。リーダーの権限を使ってでも何とかならないの?」
ツタージャの懇願するも、ルカリオさんは無慈悲に首を横に振られる。頼みの綱を切られた彼女がテーブルの上に突っ伏したのを見て、僕はクスッと吹いてしまった。喜怒哀楽がはっきりしてて、一緒にいるだけで本当に楽しい。
「……ねえ、このギルドにシャンデラみたいなポケモンが他にもいる?」
テーブルに突っ伏しながらぼやき調で言うツタージャ。瞳の輝き具合を見ると、心底うんざりしているようだ。
「いや、居ないな。別ベクトルでかなり癖のある奴ならいるが」
「やっぱり……。ギルドって、こう……真面目なポケモン達が集まるイメージがあったけど違ったのね」
たぶんツタージャの中で、探検家のイメージが大幅に塗り替えられているに違いない。現実による洗礼は既に始まっているのだ。
「安心しろ。たぶん俺の所が特別なだけだ。故意で変わりもんばっか集めた訳じゃないって言っておくぞ」
ルカリオさんがフォローするけど、意図的に集めないとあんなメンバーにならないと思う。しかも全員有能だし、ルカリオさんのコミュニティってどうなってるんだろうか。
「……前途多難だなぁ。夢を本気で目指すって、ホントに大変なんだね」
ツタージャの台詞に、僕はうんうんと心から同意した。夢って見つけるのも大変だし、形にするのも難しい。
「取り敢えず、新人の礼儀として他のメンバー達に案内してこい。ピカチュウ、奴らはいつもの所にいるから案内頼むぞ」
「はいっ、分かりました!」
思えば、三ヶ月前の僕もツタージャと同じ顔をしてた。たった三ヶ月前が懐かしいと思える程、ここのメンバー達に濃厚な毎日を過ごさせてもらってる。
「……気が進まないよ」
「みんな根は優しいから大丈夫だって。さあ、行こっか」
足取りが重い彼女の手を取ってリードする。実際にここのメンバー達はみんないいポケモン達だ。ルカリオさんが言ってた癖のあるポケモン達も、僕らの考えとちょっとズレているだけで例外じゃない。現に、シャンデラがこっちを見て手を振って激励してくれたから。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ピカチュウどこに行くつもりなの?」
「依頼センターだよ。依頼を受ける所なんだ」
僕は後ろを歩いているツタージャにまんま過ぎる答えを返した。実のところ、依頼センターについて僕はよく知らない。依頼自体はルカリオさんと行った事があるけど、依頼選びとか手続きとか全部ルカリオさん任せだった。
「着いた、ここが依頼センターだよ」
シンプルなバーみたいなカウンターの横に、掲示版が備え付けてある。カウンターの中には、客観的に見れば強面の部類に入るポケモンが退屈そうに座っていた。
「おっ! ピカじゃねえか!」
「こんにちは、ヤルキモノさん。今日はあまり来てないんですか?」
暇そうに目蓋を萎めていた姿はどこへやら。相変わらず八百屋顔負けのいい声を出すヤルキモノさん。
「珍しくそうなんだよなぁ。いつもなら五、六匹ぐらい並んでるっていうのによ。ホント暇で暇でしょうがねえや」
ヤルキモノさんは豪快な笑みを見せる中、ツタージャは僕の横で緊張の面持ちで突っ立っている。
「で、この子がウワサの新人のツタージャか」
ヤルキモノさんの目がツタージャに向けられ、彼女の体が一瞬だけピクリと反応した。
「あ、あたしはツタージャです。よろしくお願いします!」
彼女は仰々しく頭をペコペコ下げるのを見て、ヤルキモノさんが苦笑いを浮かべる。
「……なあ、ピカよ。俺ってそんなに怖い顔してるのか?」
「してますね。近くにいるだけで威圧感が凄いですよ」
「お前もハッキリ言うようになったな。初対面の時はビビりまくってたクセによ」
ヤルキモノさんは小生意気な頭を軽く突っつく。彼だからこそ、こんな失礼が気兼ねなく言える。
「ツタージャって言ったな。俺はヤルキモノ。依頼センターの管理人をしている。……そんなに畏まる必要なんてないからな」
緊張で塗り固められているツタージャの姿に、ヤルキモノさんは優しい笑みで語りかける。努力はひしひしと伝わってくるけど、口角が不自然に釣り上がっているせいで逆効果だ。
「うーん……何か無意識に緊張しちゃうんだよね。」
「……悲しい事言わないでくれよ。それよりも、お前らは何故来たんだ? 俺の暇つぶし相手になるために来たわけじゃないだろ。……まさか依頼か!?」
嬉々とした表情でカウンターから身を乗り出し、顔を近付けてくるヤルキモノさん。ツタージャが一歩引いたのを僕は見逃さなかった。
「いいえ、今日はツタージャを紹介しに来ただけです。それに、ルカリオさんからの許可がまだ……」
「そうか、まだ時期早々か……。ルカリオもさっさと解禁すりゃいいのに、何を勿体ぶっているんだ」
ヤルキモノさんはしぶしぶと椅子に座り直す。依頼をこなせる能力と責任がまだ伴ってないというルカリオさんの判断により止められている。自覚はしているけど、やっぱり一刻も早く探検家としての仕事がしたい。
「まあ、お前達がここに請負人として来る日はそう遠くないだろうな」
「次は客として来ますよ」
「頼もしい事言ってくれるじゃねえか」
ヤルキモノさんは顔を綻ばせる。何の根拠もない言葉だけど、なるべく早く有言実行出来る
よう頑張ろう。
こんな感じでヤルキモノさんと三匹で何気ない会話を交わす。まったりな時間をしばらく過ごしていると……。
「おっ? バシャーモじゃねえか」
ヤルキモノさんの視線の先に、胸に金色に輝くバッジを付けたポケモンの姿があった。燃え盛る炎を連想させる赤色の体に、頭にはV字の鶏冠。三本の指の先には鋼鉄すら容易く引き裂きそうな鋭い爪が生えている。名前を聞いた事はあるけど、こうして間近で見るのは初めてだ。この凛とした表情、しなやかで鍛え上げられた肉体、有名になった理由がよくわかる。
ちなみに、うちのギルド所属じゃなくても自由に依頼を受けたりワープ装置を使う事が出来る。しかも無料という大盤振る舞いでだ。
「今日はどの依頼を受けるんだ?」
ヤルキモノさんはカウンター下から一冊のファイルを取り出す。そのファイルには、見るからに凶悪犯と分かる強面なポケモンの写真がデカデカと載せられていた。下の文面も物騒な内容ばかりで、一族の家宝を盗んだり、子供を誘拐などはまだマシな方。中には無差別テロ犯といった歴史に名を残しそうな悪行まで書かれていた。普通のポケモンなら物怖じしそうだが、バシャーモさんは冷静な眼差しでファイルに目を通していく。
「今日はコイツだ」
バシャーモさんはファイルから一枚抜き取り、ヤルキモノさんに手渡した。
「コイツか……」
紙を受け取ったヤルキモノさんの顔が曇る。チラッと見えた内容に間違いなければ、Aランクのお尋ね者の確保。Aランクの上にはSランクがあるが、滅多に分類されないランクなので実質最上級の難易度の依頼だ。
「見た目は貧弱そうだが、名うてのポケモンを三匹返り討ちにしたポケモンだ。彼に挑んだポケモンの内、二匹は再起不能になり探検家生命を断ち切られ、もう一匹は帰ってこなかった」
僕達と話していた時とは打って変わって、重苦しい口調で話すヤルキモノさん。再起不能と帰ってこなかった、その二つの言葉がまだ真新しい僕達の心を容赦なく傷付けていく。
「これを聞いても考えを改めないのなら、お前に一つだけ忠告しておく。搦め手に気を付けろ。状態異常や能力変化など、自分が今どんな状況に置かれているか把握するんだ。ペースを乱されたら終わりだと思え」
「……肝に命じておこう」
おそらくお尋ね者の詳細なデータが書かれているのであろう、ヤルキモノさんから手渡された一枚の書類を受け取る。その後、席を立ちワープ装置の方へ向かっていった。
「あれが、修羅場をくぐり抜けた本物の探検家……」
バシャーモさんの背中をじっと見つめ、そっと呟くツタージャ。
「雲の上の存在って、彼の事を言うんだね。カッコよくて頼もしくて、あたしもあんな風になりたいな……」
「アイツも最初はお前らみたいにちっぽけだった。でもな、長い月日を経て数多の依頼をこなし、辺境のダンジョンを突破して今の地位を手に入れたんだ。……つまりだな、誰にでもアイツみたいになれる可能性があるってわけだ」
「ホントに!?」
「それはお前次第としか言えねえな。予言者じゃねえから断定は出来んが……まあ、ハッキリ言えるのは俺はそうなって欲しいと思っているぐらいだな」
目をランランと輝かせているツタージャに見つめられ、苦笑いを浮かべながら照れくさそうに話すヤルキモノさん。今の僕の心境を彼の言葉を借りて言うなら、「嬉しい事言ってくれるじゃねえか」、だ。
「ほら、他にも挨拶周りするんだろ。俺んとこで時間喰ってないでサッサと行ってこい」
あっちいけと厄介払いするかのように手を振るヤルキモノさん。きっと照れ隠しかもしれない。その事を指摘しようと思ったけど、年上をからかうのは辞めておこう。
僕達はヤルキモノさんと別れて、マリルリさんの所へ向かう事にした。
「普通に感じの良さそうなポケモンだったね。見た目は怖いけど」
ヤルキモノさんから充分離れた頃合いを見計らって、ツタージャが話しかけてきた。
「うん。ガハハ系お兄さんってところかな。でも、あんまり怖いって言わないであげて。本人は気にしてないって言うけど、マリルリさんから聞いた話によると本当は陰で凄い気にしているらしいから」
見た目からは想像できないけど、ヤルキモノさんはセンチメンタルな方だ。子どもに顔の事で怖いと泣かれて相当落ち込んだ事もあるらしい。その話を飲みに行った時に話題にされて、物凄く反応に困ったってマリルリさんが愚痴ってた。
「あれ? ピカっちとツタっち、こんなとこで何してるの?」
名前を出した途端に、謎の紙袋を引っさげた本人登場。些細な偶然との巡り合わせに、僕達は互いに顔を見合わせてひっそりと笑いあった。
「二匹ともニヤニヤして、私の名前が聞こえたけど、もしかしてウワサでもしてた?」
「ううん、ヤルキモノについて話してたの。顔は怖いけど優しそうなポケモンだって」
ヤルキモノさんの時とは違って、フレンドリーに話すツタージャ。昨日の件で仲良くなったのかな。
「……まあいいや。それよりもピカっちに二匹だけで話したい事があるから、ツタっちには悪いけどちょっと離れてといてくれる?」
「うん、分かったよ」
そう言ってツタージャは話が聞こえない程度に後ろに下がる。ああ、いつものやつが始まるな。なるべく平常心を保てるように、裏のある笑みを浮かべているマリルリさんに気付かれないように。浅く深呼吸した。
「ピカっち知ってる? 探検家のパートナーの誘いはプロポーズと同義なんだって」
「何言ってるんですか」
マリルリさんの辞書に遠回しって概念がないのか、いきなり顔面ストレートな発言を繰り出してきた。口でああ言って流したものの、とんでもない事をさらっと言われて胸から心臓が飛び出そうなくらい焦っている。よく平常心を保てたと自分を褒めてあげたいぐらいにだ。
「まあ、ツタっちがピカっちに落とされるのは時間の問題かもね。吊り橋効果って知って……」
「知ってます」
ヤバい話をされそうになったので、電光石火の如く話を打ち切る。こうも深層心理をほじくり出すような話をされては、体が火照って仕方ない。
「そんなんじゃ、あの子を誰かに取られちゃうよ。……そうだ、奥手なピカっちにこれを貸してあげる」
マリルリさんが紙袋の中から一冊の本を取り出した。表紙にはカバーがされてあって、どんな本か探れない。まあ、普通の本ではないのは予測出来るけど。
「えーっと、気になるあの子の心を掴む30の方法……」
本を受け取り、表紙をめくった所にあるタイトルを小声で読む。その後、本をピシャリと閉じてバッグの中に押し込んだ。……マリルリさん、何という本を貸してしまわれたのですか。お陰様で僕の精神は臨界点です。
「……ありがとうございます」
顔を赤らめながらも、マリルリさんにキッチリとお礼を言う。こうするのが一番の正解のはずだ。下手に抵抗して、ツタージャに勘付かれるのはマズイ。
「ツタっちおまた〜! ケガの調子はどう?」
マリルリさんは散々弄くった僕を放ったらかしにし、ツタージャに向かって駆け寄る。
「うん! バッチリ!」
満面の笑みでマリルリさんに向けてピースサインを送るツタージャ。
「ねえ、その紙袋って何が入ってるの?」
「これ? ハピナス先生から借りた漫画本でね、休みの日に読破しようとごっそり借りてきちゃった」
紙袋の中を漁るマリルリさんを見て、また変な本を渡すんじゃないかと内心穏やかじゃなかった。だが、取り出したのは『フルメタルコップ』という、キリキザンが活躍する極めて普通のヒーロー物。僕の心配は杞憂に終わった。
「ハピナス先生って漫画好きなの?」
「そうね。最初は患者の子と話を合わせるために読んでたらしいけど、どっぷりハマっちゃったらしくて。今ではすっかり漫画専用の部屋を借りるぐらいのマニアよ」
「先生って呼ばれているから厳格なポケモンだと思ってたけど、意外と庶民的なんだね」
「たぶん、この辺で厳格という言葉から一番遠いポケモンだと思うよ。私的にはね」
まるで長年の親友みたいに、二匹で話が弾んで何よりだ。ちなみにこのギルドでは一匹につき一部屋だけ無料でプライベートルームが支給されるが、それでも足りない場合は有料でもう一部屋貸出が出来る。昔は空き部屋を勝手に私物化してたらしいが、物が溢れかえって魔窟化した部屋が増えたためにこのルールが出来たそうだ。
「ツタっちって漫画読む方?」
「ううん、全然読んだ事ないや。結構厳しめな家庭環境だったから、そういうのはあんまりね……」
ツタージャは急に目線を逸らし、会話が途切れる。マリルリさんが何か悟ったような顔をしてこっちを見てきたので、僕は首を横に振って答える。言いたい事を察してくれたのか、マリルリさんは静かに頷いた。
「ツタっち、両手を出して。いいものを貸してあげる」
「ん?」
ツタージャは戸惑いつつも、言われた通りに両手を出す。マリルリさんはその緑色の小さな手に、そっと数冊の本を乗せた。
「これは?」
「『Beyond the world』って漫画。若者四匹が別世界に囚われたポケモン達を救うために冒険するストーリーよ」
「あっ、それ知ってます。確か……僕と同じ種族のポケモンが出てくるんですよね」
おっちょこちょいだけど、友達思いで勇敢。それでいて強さも兼ね備えているという、妬いちゃうぐらいに完璧な主人公体質。空想上の相手と比べても仕方ないけど、僕が彼に勝る要素は何一つない。僕と同名同姿の主人公が活躍しているのを見てると、何か恥ずかしくなったから途中で読むのを辞めてしまった。
「ふむ……」
ツタージャは受け取ってすぐにページを捲り始める。彼女も出てくる事を知ってるけど、登場する所まで読めてないからキャラ設定は全く知らない。もしかしたら、彼女のような活発な性格かも。
「じゃ、私は部屋に戻るから。また今度、ゆっくりと話をしようね」
「うん、昨日は本当にありがとうね!」
手を振って部屋に戻ろうとするマリルリさんに対して、ツタージャも元気に手に振り返す。僕は心を落ち着けるのに必死で、手を振る事も顔を上げることも出来なかった。
「マリルリって、本当に優しいポケモンだね。今度彼女とゆっくり話をしたいな」
遠ざかるマリルリさんの背中を見て話すツタージャに、僕は「うん」と小声で返す。優しい事には間違っちゃないけど、何故か素直に答えづらい。
「ところで、ピカチュウは何の本を借りたの?」
「し、小説だよ。ミステリー物の難しそうな本」
僕のごまかしに、ツタージャが「ふーん」と興味なさそうに答える。彼女がそっち方面に関心が無くて助かった。万が一「見せて」とか言われたら完全に詰んでたかも。
「ささっ、次はハピナス先生のとこだよ。ついて来て!」
僕はボロが出ない内に、そそくさと診察室へ向かう。後ろから「待ってよ!」と聞こえたけど、僕は一切足を止めなかった。