ポケキャンパー 初稿
橋本霽十郎は、大のキャンプ好きである。
キャンプのためにオリジナル製品を作成し、それが商品としてヒットするくらいには、キャンプ好きである。
ポケモンと共にキャンプをする者“ポケキャンパー”と、
キャンプで心身の傷を癒す”キャンプセラピー”という二つの職業の
著名な人物として挙げられるくらいには、キャンプ好きである。
キャンプだけのためにあたり一帯の土地を丸々買い取るくらいには、キャンプ好きである。
ほぼ全国のキャンプ場に顔パスで入れるくらいには、キャンプ好きである。
一年の3分の2をキャンプに費やすくらいには、キャンプ好きである。
キャンプのために教授の地位を断るくらいには、キャンプ好きである。
キャンプを長く続けたいがために自身に老化防止の細胞を移植するくらいには、キャンプ好きである。
結果、「キャンプ狂い」というあだ名をつけられ、苦笑いするくらいにはキャンプ好きである。
――やはりキャンプはいい。いくつか他の趣味に浮気したこともあったが、
いつの間にかここに戻ってきてしまう――いつかのあの人の言葉だ。
「世界一のポケモン博士」と言えば、かのオーキド博士であろうが、
「世界一のキャンプ好き」と言えば、その助手を務めていた彼だろう。
――あくまで彼の手持ちの私が思っているだけなので、異論は認めるが。
「小雨か――けれどそれもまたキャンプの一要素。うーん。予定を変えようか」
これは――一人と一匹が、過去を振り返りながら
キャンプをゆるりと楽しむ物語である。
◆
雨で
全く濡れていないテントが、目に入った。毎度のことながら、
この人の自作した道具のクオリティには恐れ入る。
もしや、異界の文明から引っ張り出して来たのではと感じるほどだ。
なお彼は、これを始めとする多くの特許から来る利益により、
不自由のない生活を送っている。
「できれば現地調達でやってみたかったんだけどな。仕方ない。
これに着火してくれるかい?」
と、彼はリュックから綺麗に切りそろえられた薪を取り出す。
先日ポケモンセンターのキャンプ用品コーナーで購入したものだ。
それに私は軽く火の粉を吹きかける。
最初の頃は火力のコントロールを誤り火傷を負わせてしまったり、。
ぼやを起こしてしまったりしたが、今では無事に起こせるようになった。
「僕は火が大きくなるまで見てるけど、どうする?缶詰カレーでも食べとく?」
彼に缶詰を空けてもらい、食べる。あの日の光景が蘇ってきた。私とこの人を結びつけたのは、カレーだった。
◇
当時ヒトカゲだった私は、以前のトレーナーに見限られ捨てられた。
それまでのほとんどを人と過ごしてきた自分が、食糧を得るすべを知るはずもなく。
空腹のあまり朦朧とした意識で行きついた先が、この人のいるキャンプ場だった。
「どうしてこんな痩せてるんだ……?とにかくこれを食べて」
ほのかに広がる温かみは、何故か母の温もりを想起させた。
美味しさと寂しさ。
二つの感情がないまぜになり、嗚咽を零していた。
「ここはポケモンセンターだよ。体重が同種の子よりも明らかに減っていた。
――辛い目に遭ってきたんだね。――でも、大丈夫。
点滴と一緒に少しずつ食べていけば、すぐに良くなるらしいから」
その言葉通り自分はすぐに快復したが、周囲から見てもふさぎ込んでいたらしい。
「何とか笑顔になってくれたらいいんだけど
――そうだ。あそこ、行ってみるかい?」
そうして誘ってくれたのが、キャンプだった。
「焚火だよ。生き物みたいに動いて、飽きないんだ」
「キャンプと言ったら、バーベキューだよね。これとか食べる?」
「森の中を歩くのは気持ちいいよ。不思議と元気になるんだ」
「たまには砂浜で。足腰も鍛えられるからね」
「はは、君は本当にカレーが好きなんだね。おかわり、するかい?」
最初はただ眺めるだけだったが、次第に興味を持ち、
いつしか共に楽しむようになっていった。
そんなある日のこと。
「そうか……キャンプはポケモンも笑顔にするんだ。
僕、君にしたようなことを仕事にして、
多くの人やポケモンを癒すことが出来たらと思っているんだけど――
どうかな。ポケモンと共にキャンプをする――ポケキャンパーというのは」
――そして、今に至る。
「あれ、ずっと静かだったけれど考え事してたの?火、育ったよ」
彼に言われて顔を上げた私は、目の前の光景にスプーンを運ぶ手を止められた。
二つの影と心を、炎が煌々と照らす。
ああ、キャンプファイヤーはいい。
見つめていると何だか、心が落ち着くからだ。
こう言うと、「尻尾の炎を見つめればいいだろう」という声が聞こえてきそうだが、一口に炎と言っても、微妙な違いがある。
つまり自分にとっては、こちらの方がいいのだ。
◇
一、息を吐きながら。
二、ハムストリングス(太もも裏)を伸ばす際はできるだけ膝を伸ばす。
三、早くやらず、ゆっくり、じわじわと。
――ストレッチの話である。
キャンプファイヤーと一緒にすると、更にリラックス効果が高まる。
私がリザードンという、身体の構造も、太もも裏の場所、もよく分からない生き物である以上、
やり方は少々変わってくるが、その点は人間と変わらない。
注意をして息を吐く。間違えて炎を吐いた日には大惨事だからだ。
6回目の吐息が響いた後、不意に言葉がかけられた。
「……今の僕があるのは、君のおかげだよ。
出会って以来、いつも隣にいて、元気と勇気をくれた」
そんなことはない。むしろ逆だ。あなたは心にいつも光をくれる。
さながらこの炎のように。
そう伝えたかったが、出来なかった。人間の言葉を話せるポケモンは
ごく稀だ。私がそちら側ならと何度願ったか。
ふと見上げた先に、雨上がりの月が薄っすらと見えた。
霽月。この人には特別な意味を持つ月。
「改名の時も、君がきっかけをくれたんだよね」
あの日が、思い起こされる。
マスターが病気を告げられ、入院していた時。
かつての自分のようにふさぎ込んでしまった彼を見て、何かをしたかった。
何もできることは無くて。
けれども何もせずにはいられなくて。
窓を開けた先に、霽月が出ていた。
「以前の――征十郎という名前はあまり好きでは無かったんだ。
独裁者か何かのようで。だから、嬉しかったんだよね。
君から励まされたような気がして――いや、そうだったんだろう?
雨上がりに光を放つ月のように、希望はあるって」
そこで言葉は切れる。炎の揺らぐ音のみが、場に残る。
「時折、不安になるんだ」
彼の視線が、私に移る。
「――僕がトレーナーで、良かっただろうか」
考えるまでも無く頷いた。
――私は、あなたと出会って、毎日が幸せなのだから。
「ありがとう」
穏やかな笑顔を、向けられた。
彼が、自分の名を呼ぶ。
「これからも、一緒にキャンプをしようね」