覚書(おぼえがき)
午後10時5分。男の家は、いつもの数倍騒がしかった。
『部屋を綺麗にすると心も元気になる!作者さんは執筆に集中して!
あ、いや。どこにしまうかだけ伝えてね!』
物がゴースやケーシィらにより宙に浮かび、
男の指示により元の場所にしまわれていく。
『よし、じゃあ自分はオレン茶を作る。なるべくリラックスしてもらわないと。
……レシピはこれでいいか?』
メタモンが男を模し、姿を変える。そして男愛用のコップを用意すると、
レシピに従い作り始めた。
『俺は肩を揉むぜ。カイリキー師匠直伝の技だ!』
背後で的確にツボを押すゴーリキー。
『誤字脱字は後で直せばいい!今は勢いが大事だ。順番はどうでもいい。
書きやすいところから書いちまえ!最後の所を
やっとくと楽だぞ。最悪強引に終わらせられるから。
ほら、また一行生まれたな。その調子だ!』
傍では、コラッタの励ましとアドバイスが飛ぶ。

各々が、思い思いのやり方で、男の創作を後押ししていた。

まさかこんなことになるとは思わなかったが、大勢で過ごすのもたまには
悪くない。

ケーシィはそう心中で呟く。そして彼も、自分にできることをこなしに行った――

10時15分。
この頃には、全員が役割を終え、男の周りに集まり励ましていた。

『あと少し!もう少しだ!』

小説を書くという行為は、簡単なように思えて難しい。
膨大な時間をかけることになるし、それでも何も生み出せないかもしれない。
自分よりもはるかに努力をし、作品を創り、自分よりも年下で、発想や文才に
優れた人も山ほどいるだろう。そういう人はもちろん、毎日書いている人は
素晴らしい。誇ってもいい。

『何でもいいから!』

多くのものを犠牲にする。勉強や運動。親からの仕送り。
時には自分の将来さえも。
何のためにこんなことやっているんだろうと
思う時もある。書く手を止めて、ほかの娯楽へ逃げたくなる時もあるだろう。
そう思えば、書くという行為は苦痛に満ちていて、無意味なものかもしれない。

『もう一行!もう一字!』

しかし、だからこそ。そうやって自分の身を削り、
自分と戦って創るものだからこそ。
書くという行為は尊い。称賛されるべきものなのだろう。
全ての作品に、敬意を払うべきなのだろう。
作者が世界に表した、魂そのものだから。

そして、午後十一時。キーボードを打つ手が、止まった。

「ははっ……みんな、ありがとう。……完成だ!」

歓声が上がる。
コラッタは飛び跳ね、ゴーリキーはガッツポーズをし、バタフリーは羽ばたき
同族は宙を舞い――

ケーシィは、微笑んだ。

それから数年後――

とある本が、売れることとなる。

男の、名と共に。



「先ほどは、申し訳ありませんでした」

ポケモン文学賞の、授賞式で。

苦笑いを浮かべながら、インタビューに答える男がいた。

受賞者の俺は、トロフィーを受け取る直前――緊張により、

盛大にすっころんだ。

心配して駆け寄る関係者と、かけられる数多の声――というのが数分前だ。

「ダメな息子でしたが、ようやく恩返しできると思った矢先にこれですからね。
また心労をかけてしまいそうです」

トーンを真面目なものに変える。

「しかし、大事なのは転ばないことではなく、
転んでも、その後起き上がることだと思っています」

そう、「彼ら」に支えられた、かつての自分のように。

「色々と伝えたいことはありますが、
作家を志している人たちには
――特に書くのを止めてしまった物こそ、
大事にしていただきたいですね」

最後に、カメラの向こうに言うように。

「どうか、自身の貴重な作品を、捨てないでください。
それが世に出ることを望む人は、必ずいるから」

数年前の俺。お前の創作は、無駄じゃ無かったぞ。

カレハ ( 2021/02/07(日) 00:05 )