二
午後10時。物という物が溢れかえった一室で。
俺は虚ろにパソコンの画面を眺めている。座り続けていたせいか尻が痛い。
目も痛い。顔の筋肉も固まっている。全身が重い。口の中が乾いている。
さっき1分ほど窓を開けて換気したのが嘘のように効果がない。
心身ともに最悪だった。
――ああ、今日も何一つ書けなかった。一作はおろか、一行たりともだ。
その事実は、ほどなく自己嫌悪となり頭の痛みと襲い来る。そこに虚脱感も
プラスされる。
――最初は、単なる妄想だった。
寝るのも忘れて読みふけった「英雄ヒトカゲ」。物語に魅了された俺は、
その続きを自分で考え始めたのだ。
――パートナーのロコンとはうまくいったのだろうか?死んだと思っていた
親友が生きていたら?数年後にはこういう弟子ができるんだろうな――
出来事はもちろん、セリフの一つ一つまで考える。理解しがたいだろうが、
少なくとも当時の自分は本当にその妄想が楽しかった。
自分の創作の原点はおそらくここだと思う。
ある時。この感覚を誰かに共有したくて、親にその妄想を話すと、
忙しいからとあしらわれた。よく分からない世界の話なんて興味を持てるはずがない
ので当然だったが、自分はその日以降物語の話はしなくなった。
13歳になるころには流石に妄想はしなくなったが、代わりに自分で小説を
書いてネットに上げていた。初めて貰った感想は、飛び上がるほど嬉しかったな。貰えるなんてつゆほどにも思ってなかったんだから。しかしそれも結局、
風呂敷を広げすげた結果ストーリーが破綻するなどして長続きはしなかった。その後も、ポケモントレーナーとして活躍する友人の噂を耳にしながら、作品を変えては
駄文を連ね続けた。才能もあるとは思えなかったので、これを仕事にするなど
考えもしなかった。
そして16歳。何を思ったのか自費出版をした。若気の至り――のようなものだろうか。いずれにしても結果は思い出したくもない。
見栄っ張りの俺は、知人に「あなたを主人公にした話を書く」と言ったことも
あったが、結局手を付けず。完成する前に、知人の方から離れていった。
と、ここまで色々と振り返ったが、これが俺の創作の歴史。
結論から言うと、ほとんど時間の無駄だったと思う。
考えた物語を、より面白いものに洗練させなかった。
伏線を、しっかりと管理し、時には取捨選択しなかった。
周囲の人やポケモンに内容を話し、作品に意見を貰ったり、
客観的な目線で考えようとしなかった。
読者からの突っ込みや批判を恐れ、もともと遅い筆をさらに鈍らせた。
そして何より――完結させることを途中で投げ出し、安易な娯楽に逃げ、
時間を浪費した。今日も、何も生み出せていない。
様々なものに押しつぶされ、痛みが強くなってくる。頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「――もう、いい。疲れた。書くことにも、自分にも」
誰に呟くでもなく、零した。
「何が、小説だ」
涙が、一滴一滴と、わけもなく出てくる。
それはやがて、嗚咽へと変わった。
『――諦めないで』
その時、声が響いた。
「……え?」
幻聴か?
頭を起こし、辺りを見回す。
天井に、ケーシィが張り付いていた。
「……うおッ!?」
『あなたの脳内に直接語り掛けています。
僕はエスパータイプですから』
「ということは……テレパシーか?」
『はい。おっと、自己紹介が遅れましたね。
僕はケーシィ。外のみんなと共に―ー
あなたを支援する者達です』
「……外?みんな?うわあッ!?」
もしやと思い、閉じていたカーテンを開け放つ。
そこには――
コラッタ、ポッポ、バタフリー、ゴース、ゴーリキー、コイル、バリヤード、
メタモンに別のケーシィまで。
様々なポケモン計16匹が、一様に心配そうな表情を
浮かべてこちらを見ていた。
◇
思ったより、戻るのに時間をかけてしまったな。
驚きの声を上げる男を見ながら、ケーシィは心の中でごちる。
思わぬテレポートしてしまった直後。男の家を聞いて回っているうちに、
出会ったのが
彼ら、そして彼女らだった。
「興味本位で人に変身しネットを見てみたことが全ての始まり。はまって即印刷。それを仲間たちに広めた」とはファン1号メタモンの談。
続いて「瞬く間にブームになった。完結してなかったことが本当に悔やまれたぜ」
とコラッタ。
「そして時は流れ数年後。ある時本屋で同一の作者の作品を見つけ心を
動かされた。値段は40円。面白さに値段は関係ないことを知った」と同族。
さらに「その者が無価値に思っているものでも、他から見れば宝なんてことは
いくらでもある。革命は多くの場合ここから生まれる」とポッポ。
最後に「話は聞かせてもらった。あの作者が悩みぬいているならば駆けつけないわけにはいかない。みんなで行こう!」とバリヤード。
こうして、ただ戻ってアドバイスをするつもりが、当初よりもずっと大勢で、
集結することとなったのだ。
『ここで突然だけど、聴いてほしいものがある』
僕は、男に自分を通じて
ポケモンたちの声を伝えた。
文字通り、生の声を。
『頼む!無意味な時間だったなんて思わないでくれ!
あんたさ……その「無駄」でどれだけのものが生み出されてるかしらないだろ!』
目が見開かれる。
『君が書いた作品は宝だ!君にしか書けない情熱がこもってるから!』
『分かるわ。一行書くだけでも気力がいるものね
その裏にどれだけの努力と苦しみがあるのか……』
『みんな待ってる!みんな望んでる!あなたの小説を!あなたの一文字を!』
『感想を書けないだけでそれがすきな奴は何百といるんだよ!
数年来の読者もな!』
『最初は適当でいいんですよ適当で!そのほうが肩の力抜けますから』
『設定の矛盾なんて大した問題じゃない。読者に指摘されたらしれっと直せば
いいんだ。大長編でもない限りね!』
『書くことは……何かを生み出すということは……
本当に尊い行為だけど――本当に難しい行為なんだ。
だから……どうか自分を責めないでほしい』
男の目から、この日2度目だろう涙が流れる。
「ずっと心をむしばんでいたものが、無くなった気がする。
まさか……ポケモンにファンが居たなんてな……
そっか。俺の小説は無駄じゃ無かったんだ。よかった』
顔に薄っすらと笑みが浮かんだ。
「悪い。ちょっと協力してくれないか?今日の出来事を物語にしたい。
アイデアが新鮮なうちに書き起こしたいんだ。頼む!
多少賑やかになろうと。ご近所さんには後日謝るから」
ファン達は、顔を見合わせる。
その内の一匹が、叫んだ。
『さあみんな、反撃開始だ!この
怪物を討ち果たすぞ!』