78話 年長者の余裕
「何があったの」
「何もない」
「顔がそう言ってないんだよ」
あの後に御月が向かったのは宿場町の食堂、つまりレアのところだった。
カウンター席に座る御月は、明らかに不機嫌ですといったような顔である。さらに言うと雰囲気も怒っていますといったものだ。
やれやれとレアは肩をすくめた。
「黙ってるんじゃあ伝わんないよ」
「……俺は別にレアさんに聞いてほしいから来たわけじゃ、」
「はいはい。で、何でこんな朝っぱらから食堂なんか来てるの。バイトってわけでもなさそうだし」
「…………。」
バツが悪そうに眼を逸らした御月は、ぽつりと呟いた。
「……喧嘩」
「喧嘩? 誰と」
「……フール」
「あぁ、いつものとは違う、大きな喧嘩したってことね。まあいつかやると思ったけど」
その言葉にばっと御月が顔をあげる。「何で」とでも言いたげな目に、レアは呆れた調子で「いつもあんだけ言い合いするんだったらやるでしょ」と返した。
それにしても喧嘩。相手はフール。いつもの小さい口論は、どっちかが自然に止めるか、クレディアがふわふわと入ってきて中断させられるかだ。それが今回はうまくいかなかったんだろう。そうレアは予測した。
ただ御月の様子を見ると、反省をしているというわけではなさそうだ。
「で? 何で喧嘩したの」
「…………。」
「別に言いたくないんだったら言わなくてもいいんだけどさ」
どうやら事情を深くは聞いてほしくないらしい。
となるとここに来たのは仲直りの仕方とかそこらへんだろうか。そうはいっても何が原因か分からないのではアドバイスのしようがない。
ふむ、とレアが悩んでいるとおもむろに御月が口を開いた。
「俺、さ」
「うん」
「家族、もういないって言ったじゃん。いや、いるけど……いるけど、もういないっていうか」
「言ってたねぇ」
まだ10にも満たない子供が、「働かせてください」と言いに来たのはレアにとって色濃い思い出である。事情を聞けば、子供の口から出たとは思えない内容がでてくるものだからレアは苦い顔をした覚えがある。
それから御月をバイトとして雇った。働かせたのも、面倒を見たのも、同情からではない。辛い体験をしてきたはずなのに、あまりに真っ直ぐだから、気になったのである。
それから面倒を見続けて、口は悪いが優しい世話焼きに成長してくれたわけだが。
「……俺は、いたくなかったから逃げたけど、そうじゃなくて、温かく迎えてくれる家族がいるなら、帰った方がいいと思う」
一体何の話なんだと思ったが、レアは聞かなかった。
ただ深い事情は聞かず、何となくで察してほしい御月の気持ちを汲み取った。
「フールにそう言ったの?」
「……いや、まあ、そうだけど……話題はクレディアで」
クレディア。そこであの子の名前が出て来るのかとレアは苦笑した。
予想はしていたのだ。大体よく分かってないクレディアが喧嘩を止めてしまうのだが、今回はそうじゃなかった。となると、クレディアが喧嘩の内容を把握していた可能性が高い。
現にクレディアは自分のせいで喧嘩になっていることを理解し、どうしていいか分からなかった。そうしてこうなったのである。
かといってクレディアのせいではないのだが、このままにしておくとクレディアが居づらいだろうと、レアは御月に話しかけた。
「なに、クレディアは故郷に帰ることになってんのかい」
「別に、今すぐって訳じゃねぇけど……いつかは、って話」
「ふーん。で、フールは帰ってほしくないって言ったわけ?」
「……簡単に言えばそういうこと」
詳しいことは分からないが、「いつかクレディアが家族の元に帰るか帰らないか」で大いに揉めたことだけは分かった。
それはクレディアは止めづらいだろうなとレアはため息を吐いた。
恐らくフールは「クレディアと一緒にいたいから帰らないでほしい」と、御月は「クレディアには優しい家族がいるんだから帰るべきだ」と。これで意見が分かれたらしい。
どちらもクレディアが大切だからこその発言。
そう思うとおかしくて、レアが笑うと、御月から非難めいた目をむけられた。
「……んだよ」
「いや、まあどっちもクレディアが大好きなんだなぁと思ってね」
「別にそういうわけじゃ、」
「はいはい。で? 肝心のクレディアは何て?」
すると、御月は顔を背けた。「知らない」と言った。
「は?」
「……いやだって、クレディアが口を挟む隙なかったし」
その言葉を聞いて、レアは「はぁぁぁぁぁぁ」とわざとらしく長い溜息を吐いた。内心本気で呆れているのだが。
聞く限り、口論の際にクレディアはいたのだろう。しかし2匹の口論が凄まじくて、止めるどころか自分の意見も言うことも許されなかった。何も口を挟めなかったクレディアは何を思ったのか。
「あのねぇ……どんな事情でそうなったかは知らないけど、本人の目の前でそんな大喧嘩して、挙句放りっぱなしはないでしょ」
「……今となっては反省してる」
「今どんな状態なの」
「……なんていうか、最後の方はもう、クレディア関係なかったな」
「自分勝手だねぇ、アンタ達」
容赦ないレアの言葉に、「……返す言葉もありません」と御月がため息をついた。頭が冷えてきたのか、ずいぶんと素直な返事だ。
おそらく言ったことを間違いと思ってないが、言い過ぎたという反省はあるようだ。
本当は少し叱ろうと思っていたレアだが、本人が反省しているのだったら少し助言だけしとこうと口を開いた。
「フールの気持ちも分かってやりなよ。大事だからこそ、一緒にいたいって思っちゃうのも仕方ないことだしね。それにフールはちゃんと相手のことを考えれる子だから、最終的には押し付けたりしないだろうさ」
「……はい」
「最後にクレディアがどういう選択しようが、アンタたちはそれを尊重してあげなさい。友達なんだから」
「…………はい。すんません」
本気で反省しているらしい御月の様子を見て、レアはからからと笑った。
「ほら、他に謝るべき相手がいるでしょ」
レアに指さされて食堂の入り口を見る。
そこには気まずそうに、複雑そうに微笑むクレディアの姿があった。
そして場所は移って丘の上。そこには3匹のポケモンがいた。
「少し落ち着いた?」
「うん……」
「フィーネ、はい」
「あぁ、ありがとう。はい、これ目元に押し付けて。腫れちゃうわ」
そう言われて、真っ赤になった目元に渡された布をあてるフール。そして傍らにはフィーネとシャオがいた。
御月と衝突した後、フールがぼろぼろと涙をこぼしているところ、偶然フィーネとシャオに見つかったのだ。
フィーネは何を聞くわけでもなく、人気がないと思ったのか、丘の上までフールの手を引いて座らせ、ずっと背中をさすった。シャオは先ほどまでいなかったのだが、おそらく布を水につけにいっていたんだろう。
ひんやりとした布の感触に、先ほどまでぐちゃぐちゃだった頭も冷えていくようだった。
「それで、事情を聞いてもいいかしら? それとも聞かない方がいい?」
「……いや、あの、大したことじゃないんだけど」
「誰かと喧嘩でもした?」
シャオの言葉に、びしりとフールの体が固まる。これでは図星といっているようなものだ。
それを証拠に、フィーネとシャオが「それっぽいね」と苦笑した。泣いている姿といい、今の丸見えの態度といい、情けなくてフールはどこかに隠れたくなった。
「……その、御月、と」
フールがそう言うと、2匹が目を丸くした。
「御月くん? 泣かせるようなこと言う子だっけ」
「うーん、節度を守る子だとは思うのだけれど……」
2匹の言葉に、そりゃそうだとフールは頷きたくなった。
どこまで言っていいか、どこまで踏み込んでいいか、御月は1番わきまえている。何だかんだ言って、世話焼きの名は伊達ではなく、人のことをよく見ているのだ。
それに、泣いているのは自分のせいであって、御月のせいではない。
「……確かに御月と喧嘩したのは確かなんだけど、その……御月に酷いこと言われたとか、そんなんじゃなくて……」
「じゃなくて?」
「……むしろ、私が、酷いこと言って怒らせた…………」
《――言いたいことはそれだけか》
いっそこっ酷く罵られた方がよかった。フールの目にまたじわりと涙が浮かぶ。
御月の逆鱗に触れたのは目に見えて分かった。怒りで目を吊り上げたり、諦めに似た呆れみの表情を見ることは今までだってあった。
御月が浮かべていたのは、無=B一切の関心が自分から消えたように思えた。
《そりゃあ君みたいに家族や友達に囲まれて幸せに生きてきた奴に、私の気持ちなんて分からないでしょうけど!!》
何を悲劇ぶっているんだと、今更ながら後悔が襲う。
自分が物心ついた時から1匹だなんて、あの夜クレディア達に言っただけでそれ以外の場面で言ったことなんて一度もなかったのに。同情されたくなくて、ナメられたくなくて、ずっと隠していたのに。
それなのに、わざわざ今回は全面に出すようなことなんて言って、何が同情されたくないだ。
(……でも、御月が怒ってるのって、私が決めつけて言ったからだよね…………)
「あぁぁぁぁぁさいっっあく……」
フールは頭を抱えながら長く重いため息を吐いた。どう謝ればいいのか見当もつかないためだ。
悪いのは自分だと分かっている。確かにクレディアに「ここにいてほしい」と伝えるのはよくても、あそこで返事を求めたのは間違っている。御月の言う通り、クレディアがよく分からず頷こうとしていたのは見えた。
「助けて」という夢のことを考えていて、あんなことを思いついて、焦ったのだ。彼女がいなくなったら。そう考えるとどうしようもなく怖かった。
どう考えても冷静じゃなかった。そして御月が全く自分のことを分かってくれなくて、頭に血がのぼってしまった。
非があるのは完全に自分の方だと、フールは認めていた。
「……その感じだと聞かなくて大丈夫そうね。フールちゃんは自分が悪いって分かってるみたいだし」
「いやまあそうなんだけどさぁ……」
自分が悪いとは分かっていても、仲直りの仕方が分からない。謝ればいい話なのだが、どう謝ればいいのかフールにはよく分からなかった。
もうやだ、とフールが呟く。帰る家は一緒なのだから、早めに何とかした方がいいのは明確である。
「御月くんだったら非を理解して謝ったらすぐ許してくれそうだけど」
「……謝りづらくない?」
「喧嘩した時なんて皆そんなものよ」
「フィーネとシャオも?」
「僕たちは喧嘩してる途中にどっちかが冷静になって話し合いになっちゃうからなぁ……」
あはは、と笑うシャオに「さすが大人だ」と思うと同時、自分がいかに子供なのかを見せられた気がして、フールは更に情けなくなった。
「謝りづらい」なんていうのも、それを証明している気がした。
「……御月、」
「うん?」
「……許してくれるかな」
非常に小さくて、不安そうな、情けない声でフールが聞く。
フィーネとシャオは顔を目を丸くしてぱちぱちと瞬きをしてから、にこりと笑って「大丈夫だよ」と返した。
レアに「行ってこい」と言われ、クレディアと御月はポケモンパラダイスと宿場町を結ぶ十字路を歩いていた。誰もいないため、道はとても静かだった。
とりあえず謝ろうと御月が口を開こうとしたとき、クレディアが先に喋った。
「私ね、お父さんのこと大好きだよ」
ぽつりと零した言葉は、クレディアの父親への思い。
クレディアの表情を窺うと、いつもの雰囲気とは違って、静かに微笑んでいた。
「お父さんだけじゃなくて、私の周りにいる人たち……みんなみんな大好きだから、向こうの世界に「帰りたくない」なんて思ったことはないよ」
「すべての役目が終ったときクレディアは帰るか否か」。勝手に口論しあって聞きそびれたクレディアの思いを、今告げられている。
御月は目を丸くした後、黙ってそれを聞いた。
「でもね、おんなじくらいフーちゃんやみっくん……『プロキオン』や宿場町の皆が大好き。私にとって、大切なお友達だから」
そうして、クレディアは御月に向って困ったように微笑んだ。
「だからね、今はどうするか私にはまだ分からないけど、考えるよ、これからちゃんと。それで、役目が終わった後、もし私がどっちかを選ぶことができるのなら、後悔のない方を選びたい」
これが、クレディアの今の答え。
「私が、考えもなしにフーちゃんのお願い聞き入れそうになっちゃったから、みっくん怒ってくれたんだよね。ごめんね」
「いや……うん、俺も悪かった」
意外にも、クレディアはこの事態をよく理解していた。
その事実にちょっと驚きながらも、素直に御月は自分の非を認めた。クレディアが理解しているのだから、言うことは特にないのだ。
「フーちゃんと、仲直り、できる?」
目の前には、不安そうに眉をさげるクレディア。それに対して御月は、笑った。
何を言おう、何て言おう。最初に「ごめんなさい」と謝った方がいのだろうか。それとも何かしら言ってから謝る?
フールは家の中でひたすら考えていた。
喧嘩をしたことはあれど、謝るという行為はほぼやった記憶がない。おそらく喧嘩がうやむやになって終わっているのだろう。
(ていうかフィーネとシャオはああ言ってたけど、ほんとに御月が許してくれるかどうか……許してくれなかったら私どうすればいいのさ……)
そんなこんなでフールがあーとかうーとか唸っている間に、クレディアと御月は家の前にいた。
「私は家の外で待ってた方がいい?」
「あー……そうしてくれ。すぐ終わるから」
わかったと言ってクレディアがちょこんと座る。
御月はひとつ息をつくと、家に入った。フールはテーブルに突っ伏してあーだこーだ言っているため御月が来たことに気づいていない。
「おい、フール」
「ひぃっ!!」
俺は不審者かよと御月はため息をついた。フールは御月だと分かった瞬間、視線を彷徨わせる。
そして、別に合わせもしていないのに
「悪かった」「ゴメンナサイ」
同時に謝った。
「……これでおあいこな」
「……うん」
反省は十分したのだからこれ以上話すのは無用。考えていることは2匹とも同じようだった。
よし、と言って御月がドアから少し顔を出す。それからもういいぞ、と御月がいうと、恐る恐るといった感じでクレディアが家に入って来た。
「迷惑かけたな」
「……クレディア、ごめんね」
「ううん、だいじょーぶだよ。ね、晩御飯つくろう」
へらりとクレディアが笑ってみせると、フールはほっと息をついた。