74話 氷城を守りし者
ひゅっと冷たい風がフロアに吹き、クレディアが体をぶるっと震わせる。それはクレディアだけでなく、フールや御月もだった。
風は全員が感じたようで、訝しげにシャオが首を傾げた。
「風……? いや、でも、ここは氷で覆われたドームの中……屋内だよ?」
「でもドームもこれだけ大きかったら空気が動くこともあるんじゃないかしら?」
「そよ風みたいな弱い風だったしね」
フールが肩をすくめる。
屋内であっても、ここは十分に広い。ダンジョンがあるほどなのだから、風が吹くことも十分あり得るだろう。
「この先に向かって流れっていったよね?」
自分たちが元来た道とは真逆、フロアから続く一本道をクライが指さす。その道は緩やかに傾斜があり、上へと上る道のようだった。
「この先に何かあるのかも。行きましょ」
「おー」
フールの言葉に頷き、『プロキオン』は一本道に入った。
それはだんだん道が広くなり、ついには全員が一列に並んでも余裕ができるくらいの道の幅となった。道の端々には高い氷の柱がそびえたっている。
『プロキオン』は二列になりながら、ただ何もない氷の道を歩き続ける。
「はぁ、はぁ……はっ……」
「クーくん、大丈夫?」
クレディアが息をきらしたクライに声をかける。クライは声こそ発さなかったが、大丈夫と言わんばかりに笑った。
ふとクレディアがメンバーを見る。見ればクライほどではないが息をきらしていたり、顔色が悪かったりと、あまり体調がいいとはいえない状態だ。ただ1匹、クレディアだけが平気だった。
どうして一番体力がない自分だけが平気なのだろう、そう考えた時だった。
「うっ……」
「! シーちゃん!?」
シリュアが苦しそうな声をあげ、足から崩れて地面に伏せてしまった。慌ててクレディアが駆け寄るが、シリュアは苦しそうな声があげるだけだった。
「息、ぐ、るし……」
「何、これ……」
「みっくん! フーちゃん! な、なんで……」
まるで倒れたシリュアを皮切りに、次々とメンバーが倒れる。
クレディアはどうしようもなく、倒れるメンバーを見ることしかできない。全員が苦しそうに息をきらしているのに、クレディアは平気だった。
「クレ、ディア、は……へーき、なの?」
「う、うん」
「そ……よかっ、たぁ……」
息をきらしながら自分を気遣うフールに、クレディアはどうしようと戸惑うことしかできない。
すぐさま頭の中で思い当たる病気を探すが、何も当てはまらない。医者になるためにクレディアが調べた知識の中に、思い当たる病気は何一つなかった。
「せ、かく……ここまで、きた、に……」
「でも……いき、が……」
「……シャオさん? フィーさん?」
2匹に駆け寄っても、返事がない。見れば、瞼は閉じられている。
「クーくん、シーちゃん…………みっくん、フーちゃん」
クレディアが1匹ずつ体を揺する。けれど返事はない。
無音。何も聞こえない、ただクレディアの呼吸の音が響くだけ。それにクレディアは底知れぬ恐怖を覚えた。
「い、やだ……やだ、どうしよう、どうしよう……!」
どうすればいいのか分からないクレディアがうわ言のように「どうしよう」と呟く。
そうしていると、何故だかいきなり辺りが暗くなった。暗くなったと言っても薄暗いだけで辺りが見えないわけではない。
「な、何……!?」
辺りをきょろきょろとクレディアが戸惑いながら見渡す。しかし何もない。
すると耳に音が入ってきた。風をきるような、そんな音。それは、どこから聞こえる? ――上から。
それを理解した瞬間に上を見上げた、瞬間に絶句した。
「……!?」
何か大きな物体が上から落ちてきている。それを理解したと同時。
ズドォォォォン! とけたたましい音をたてて、それが地面に着地した。
「っ……!」
思わずクレディアが息をのむ。
それは本当に大きいポケモン。そこらの家よりも一回り大きい、冷気をまとった、とんでもない威圧感をはなつポケモンだった。
どうしようもなく、クレディアが息をすることも忘れて固まる。
体が震えて、冷や汗が止まらない。目をそれから逸らすことができない。言葉を発しようとしても、口がカラカラで何も出てこなかった。
「は――」
敵、ならどうしたらいいのか。皆は倒れているというのに。
クレディアでも分かった。1匹で戦っても勝てないと。それでも、クレディアは何とか体を動かそうとした。
(私が、皆を、守らないと。私が――!!)
クレディアの片手がぴくりと動いたと同時、
「グォォォォォォォォッ!!」
そのポケモンが叫んだと同時、強い冷たい風が吹いた。
飛ばされまいとクレディアが足を踏ん張る。しかしその風はすぐ止み、クレディアは恐る恐る目を開けた。
「え、……」
目を開けば、先ほどのポケモン。しかし先ほどの威圧感はもうない。
戸惑いながらクレディアがゆっくりとした動作で辺りを見渡す。それは見覚えのあるフロア、先ほどまでゴルーグたちと戦ったフロアだった。周りを見ると、ぐったりと『プロキオン』のメンバーが倒れている。
「あ、の……」
クレディアが目の前のポケモンに声をかけようとしたと同時、「う……」とうめき声が聞こえる。そちらを見ると、ゆっくりとフールが体を起こしていた。
「フーちゃん……!」
「っ……あ、れ……ど、したの、クレディア」
泣きそうな声でフールの名前を呼ぶクレディアに、フールは心配そうに首を傾げた。
するとそれを合図のように次々とメンバーが起きだした。それを見てクレディアは心底安心したといったように情けない顔になった。
「よかったぁ……」
「ちょちょっ、大丈夫!?」
へたりと力なく座り込んだクレディアをフールが慌てて気遣う。
皆がクレディアを心配している中、御月だけが違う方向――大きな氷のポケモンを見た。
「それで……アンタは誰だ?」
物怖じすることなく、警戒心むき出しで御月が尋ねる。
「我が名はグレス・ガーディン。種族はキュレム。ここ“グレッシャーパレス”を司るものだ」
氷のポケモンーーグレスは淡々と述べる。
そう言われても何も思いつかないクレディア達であったが、フィーネとシャオは別だったらしく目を丸くしている。
「キュ、キュレムって……古のポケモンの!?」
「えっ」
その言葉にクレディアたちがグレスをまじまじと見る。なるほどと頷く者と恐れおののく者とわかれた。
クレディアは前者の方で、すとんと胸の中にその事実がはまった。
(だから……あんな怖く感じたのかな)
全く動けなくて、まともに考えることもできなくて、体が凄い震えて、口の中がカラカラになって。
“怖い”、そう思った瞬間の状態。クレディアはそれをよく知っていた。
そんなことを考えているクレディアを放り、会話は勝手に進んでいた。
「お前たちが行こうとしたところは禁断の場所。決して近づいてはならない」
「禁断の場所……?」
シャオが訝しげに首を傾げると、グレスは1つ頷いて続けた。
「あそこの先には巨大なパワーが渦巻いている。我にも近づけないほどのパワーがな。お前たちが此処に来ることは予知していた。あそこに入ったら最後……二度と帰ることはできなかっただろう」
「に、二度と……」
「おっかねぇ……」
クレイが身震いし、御月が嫌そうな表情を浮かべる。ようやく話を聞きだしたクレディアも、「えーっ!」と残念そうな声をあげた。
しかし、一番残念がりそうなフールは違うことで声をあげた。
「ちょ、ちょっと待って! さっき予知って言ったけど……予知ができるの!?」
そんな馬鹿な、とでも言いたげなフールは目を丸くしながら尋ねる。しかしグレスはどこまでも冷静で、静かにその質問に頷いた。
「そうだ。我には未来の行く末が分かる。各地で何が起こるのか、この後世界がどうなっていくのかも。その全てを我は知っている。そして此処……“グレッシャーパレス”ではるか昔からその未来をじっと見守り続けてきた」
ふと目を瞑ったグレスだったが、おもむろに開いて『プロキオン』のメンバーを見渡した。
「この先に行くことは許されない。これ以上の冒険は無理だ。引き返すがいい」
そうきっぱりと言われてしまい、『プロキオン』の面子は残念そうな顔を隠しもしなかった。「せっかくここまで来たのに」、その気持ちは顔から簡単に見抜ける。
だが「無事では済まない」と言われ、さらにあんな目にあった手前、誰も押し切る気にはならなかった。
「……わかりました。この先にちょっと行っただけで倒れるとは僕も思ってなかったし……約束しましょう、この先にはいきません」
はっきり、微笑みながらシャオがチームを代表して言う。
しかしその微笑みを消して、至極真面目な表情と声音で、問いかけた。
「ただ、代わりに教えていただけませんか? この先に……大結晶はあるのか否か。それだけ聞けたら、僕は満足なんです」
そう言うと、グレスは少し考える素振りを見せたが、口を開いた。
「……ある。グレッシャーパレス℃辺の物体を浮遊させているのも大結晶の力だからな」
「そう、なんだ……わかりました。ありがとうございます」
シャオがお辞儀をして、後ろにいるメンバーの方に振り返り、「帰ろうか」と提案しようとしたその時。
すっとシリュアが前に出た。
「私からもひとつ聞かせて。此処に……此処にリッター・ルツァーリというケルディオが来たと思うんだけど、何か知らないかしら?」