64話 留守番役
御月との会話の後、クレディアはあまり知られていない、人気のない静かな草原に来ていた。そこで手頃な岩に腰かける。
いつもと似つかぬような様子で、小さくため息をついて頭を抱えた。
「……ダメだ。これじゃダメだ。こんなんじゃ、強くなれない」
首を横に振り、またため息をつく。
もし傍らでクレディアを知っている者が今のクレディアを見たら、きっと目を疑うだろう。ある誰かは「誰だ」と言うかもしれない。
それほど様子と雰囲気がいつもと違うのだ。
クレディアは俯きがちだった顔をあげ、手で頬をペチペチと叩いた。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
口癖を言ってから、ゆっくりと深呼吸をする。目を伏せ、静かに呼吸をし、一点に強く集中する。
何かの魔法にでもかかったかのように、"いつもの"クレディアに戻った。
クレディアは「んーっ」と言いながら大きく体を伸ばす。
「それにしても……話はきちんと聞かなきゃいけなかったなぁ。大氷河の件、どうやって決まるんだろう」
何も聞いてなかったクレディアはそんなことを口にする。
そしてメンバーの沈んだ顔、重々しい空気、それを思い出してクレディアは大氷河のことを真剣に考えた。
堂々巡りもしながら、色んな事を思慮し、ある所に到着した。
「…………私が残ればいいんだ」
そうすれば全て丸く収まるじゃないか。クレディアは素直にそう思った。
まず自分は皆の行きたい理由に対して、見合う理由を見いだせるか。自分が大氷河に行かなくてはならない理由、それは"絶対"であるのか。
どう考えても、それは無理で、当てはまらない。
それに実力に関してもあるのかと言われればない。となれば残って今後の為に修行でもしてた方がいいのではないか。
一度そう考えると、それは頭の中から離れない。
クレディアも大氷河には行きたいとは思っていたが、そう考えるとだんだん自分が行く必要などないという考えが頭を占める。
そしてある決意をした。
「どうやって決めるか分からないけど…………明日、言ってみようかなぁ。私が残る、って。フーちゃん納得してくれるかなぁ」
彼女のことだ。理由、事情がどうであれ、彼女は全員を平等に扱う。少しでも「行きたい」という気持ちを垣間見せれば、彼女は承諾してくれない。
隠すのは無理だと分かっているクレディアは、説得について考える。が、
「…………私、フーちゃん説得できるかなぁ……」
すぐに挫折しそうになるのだった。
翌朝。フールたちの家の前には、『プロキオン』のメンバーが集まっていた。ルフトは暇そうに欠伸をしているが、他は神妙な面持ちだ。
そしてその空気を断ち切るかのようにパンッとレトが手を叩いた。
「じゃあ今から留守番役をくじで決めるぞ!!」
そう言うと、シリュアが目を丸くした。
「わ、私が残るって言ったでしょ!? それで留守番役は決まったわ!!」
「シリュア」
たしなめるように、フールが言葉を発した。ため息をついてから、しっかりとシリュアを見据えた。
「クライにも昨日言ったんだけど、自分の気持ちに嘘をつくのはよくない。
……私はこのくじでも納得してないんだけど、でも今思いつく公平な決め方はこれしかないから、これで公平に決める。これはもう決定事項」
すると納得いかなさそうに、シリュアは渋々さがった。
レトがついっと前に出て6枚の折りたたまれた紙切れをだした。
「じゃ、皆ひいてくれ。俺は最後でいいから」
レトが持っている紙を、1匹1匹ひいていく。
そして全員がひいたのを確認して、レトが「よし」と言った。
「じゃ、俺が「せーの」って言ったら紙を開いてくれ。1つだけ、赤い印がある。その赤い印の紙をひいたやつが留守番役だ」
「クレディアー、俺は暇だから見せろー」
「いいよー」
のんびりと、クレディアがルフトにも紙が見えるように体を傾ける。それを見て、少しばかり緊張していた者たちの力が抜ける。
レトも苦笑しながら、「んじゃ準備はいいか?」と問いかけた。全員が頷く。
「いくぞ、せーのっ!!」
6匹が一斉に、紙を開いた。
「あ、」
声を聞いた瞬間、嫌な予感がした。フールも、御月も、レトも、シリュアも。
「ボ、ボクだ……。あ、赤い印、」
――最悪だ。
レトはすぐさまそう思った。
赤い印があるといったのはクライ。顔を真っ青にしながらも、笑顔を作ろうとしている。
それでもレトはこの結果を覆すことはできない。
自分がくじの立案者であり、"公平"なやり方だと一番言ったのは自分だ。
その自分が、この結果をなしにすることなど、できない。
「…………クライ、か。仕方、ねぇけど、」
「ま、待って!」
慌てた様子で「待った」をかけたのはクレディアだった。
「私が残るよ。あのね、私いっぱいいっぱい考えたんだけど、私は行かなくてもいいかなって」
「そんな! それだったら最初に言ったように私が残るわ!」
言い出したシリュアにクレディアは「あれー?」と苦笑い気味で首を傾げた。そんなつもりじゃなかったのに、と。
まあそんな形になれば、フールが黙っていないわけで。
「ちょ、シリュアが残るんだったら私が代わりに残るってば!」
「どうして? 私は別に――」
「あーもう、お前らちょっと黙れ!!」
ずっと続きそうな連鎖に終止符を打ったのは御月だった。大声をあげて、続きそうな言い合いを止める。
ぴたりと止まると、御月はため息をついた。
「いい加減にしろ。何のためにくじやったと思ってんだ。ったく……。
クライ。くじで決まっちまったもんは仕方ない。……悪いが、これでいいか?」
御月がそう聞くと、クライは微笑んだ。
「うん。くじで公平に決めたことだし、ボクは別に……。
……ボクはシリュアに大氷河に行ってほしい。シャオさん達から聞いたんだ。シリュアと大氷河との結びつき。だからこそボクはシリュアは行くべきだと思うんだ」
「クライ……」
複雑そうに、シリュアが顔をしかめる。
それを取り払おうと、クライが精一杯の笑顔を作って、明るい調子で皆に呼びかけた。
「大丈夫だよ! ルフ兄だって、セロさんだっているし! 留守番はまかせて!
お土産と土産話、楽しみにしてるね! 色んなもの沢山みてきて!」
「お、おい、クライ!」
耐え切れなくなったのか、クライは去って行ってしまった。レトの声にも、振り返らなかった。
重たい空気になった中、ルフトが場違いな呑気な声をあげた。
「それよりもしかしたら今日が出発かもしれないんじゃないのか? アンタらそんなボーッとしてないで準備した方がいいだろう」
「簡単に言ってくれるよね、ルフ兄……」
「しょうがないだろう。それともリーダーはクライの好意を無駄にするつもりか?」
するとフールはうっとうめいた。
その通りだ。このまま凹んでいたって、譲ってくれたクライは喜ばないだろう。
振り切るように、フールはぶんぶんと頭を横にふった。
「……っし! クレディア、はちょっとついて来てくれる? シャオ達の様子を聞きに行きたいから。御月たちは大氷河へ行く準備をしておいて。御月、私とクレディアの分よろしく」
「自分でやれよ……」
やれやれというような御月に、フールは笑顔を見せる。
そしてクレディアの片手をとると、「よろしくー!!」と早足でその場から逃げた。クレディアはただされるがままで。
しばらく歩いて、十字路まできてクレディアが問いかけた。
「……フーちゃん?」
クレディアが静かに問いかけると、鼻を啜る音が聞こえた。
前を歩いているフールの顔を何とか見ると、フールは目にいっぱいの涙をためていて。涙か、嗚咽か、どちらか分からないが堪えるかのように口を一文字にしている。
もう一度クレディアが「フーちゃん」と名前を呼ぶと、ようやくフールが応えた。
「ごめん、私、クレディアが思ってるより、泣き虫だから。だから、ちょっとだけ、時間、ちょうだい。ちょっとだけ、弱音に付き合って」
悔しいの。結局こんな決め方になったのが。もっとすっきりした方法があったかもしれないのに。皆を連れて行ってあげたかった。
悔しい、自分に力がないのが。皆に謝りたい。ごめんなさい。
クレディアは静かにフールの言葉を聞いていた。
流れている涙を拭うことも、優しい言葉をかけてあげることも、クレディアはできなかった。