59話 小さな変化
シャオとフィーネが仲間に加わった日。――つまり大氷河に行くことが決まった日。
その話をしていた丘に、クライは1匹ぽつんと星を眺めていた。今日は大きな満月が姿を現しており、辺りを月明かりが照らしている。
自然の音しかない、静寂の場に、クライのものではない足音がした。
それはクライの近くまでいくと止まった。
「クライ。隣、いいかしら?」
そこでようやくクライが気づいた。
バッとクライは顔をあげ、声をかえた人物を見る。そして目を瞠った。
「シ、シリュアさん……!? あ、あわわわっ……」
クライは赤面して、そして慌て始める。
そこにいたのはクライの想い人であるシリュア。そんな人物が此処に来るなどと予想できただろうか。
シリュアはにこりと微笑んだ。
「驚かせてごめんなさい。一緒しちゃお邪魔かしら?」
「そっ、そそそそんなことないです! どうぞ!!」
慌てながらも、何とかクライは言った。
静かにシリュアが隣に座る。クライは好きな人物が隣に座っていることにドキドキしていた。頭の中では「何を言えばいいんだろう」と懸命にサーチしていた。
するとシリュアの方が先に発言した。
「仲間なんだから、別に敬語も敬称もつけなくていいのよ。レトや御月の時みたいに接してくれて構わないわ」
「えっ、……ええ、ええぇっと、……シ、シリュア……は、どうして此処に……?」
躊躇いながらも、クライは砕けた言葉で話しかけた。
それにシリュアは満足そうに微笑んでから、星空を見ながら「気分転換に散歩してたの。そしたら貴方を見つけたから」と答えた。
「クライこそどうしたの? 夜こんなところに1匹で佇んだりして……」
その言葉に、シリュアをずっと見つめていたクライは空に視線をうつした。
「ま、前にここから見た蜃気楼を、大氷河の蜃気楼を思い出したくて……。此処にこれば思い出せるかなって思って」
「…………行ってみたいのね。大氷河に」
静かにそうシリュアが言うと、クライはおずおずとした話し方が消えた。
「……うん。僕、一流の冒険家になりたいんだ」
クライは真剣な声音で、しっかりと一語一語紡いでいく。シリュアは空を見ながら、その言葉をきちんと聞いていた。
「そして世界中の困っているポケモンを助けたい! 苦しんでいるポケモンに勇気や希望を与えたい! ……それが僕の夢なんだ」
最後の方は笑みを交えて、クライは言い切った。
クライが言い終わると同時に、場に沈黙がおりた。
そしてクライがはっとなり、少し顔を赤くしてから、シリュアを見た。
「あっ、ああっ……へ……へ、変ですか!?」
「ううん。変じゃないわ。…………あの時は、ごめんね」
「は……はい…………」
シリュアが謝るときに少し視線をよこしたことによって、クライは真っ赤になった。
風がさぁっと吹く。それが鮮明に聞こえるくらい、とてもとても静かな夜で、閑静とした場だった。
その2匹とはまた別に、丘に向かっているポケモンが1匹いた。
レトだ。丘に続く階段をゆっくり上りながら、「うーん」と小さく唸った。
(何か眠れなくて散歩してたらここまで来ちゃったな……。どうしよ……)
どうなるわけでもないのに此処まで何故きたのか。
悶々と考えながらレトが階段を上り終わると、彼は見覚えのある姿をとらえた。
「あれ? あそこにいるの……シリュアかな?」
何をしているんだろうか。そう思いながらレトはシリュアの方へと近づく。
そして、もう1つの姿をとらえてバッと木の影に隠れた。
(ク、クライもいる……! うわぁぁぁぁ、コレ俺かんっぺき邪魔モンだよな!? くっそ、何か意味不明にドキドキしてきたぞ……!)
出ていくべきか、それともこのまま隠れ続けるか。
レトが悩んでいると、静かにクライの声が聞こえてきた。
「……僕にはそんな夢があるんだけど、理想と現実の差は激しくて……何をやってもダメで。でも『プロキオン』に入って、皆と出会って、今はそれが少しずつ変わってる気がするんだ。
いや、相変わらずダメなところもあるんだけど……それでも……自信ってほどじゃないんだけど、なんか明るい気持ちで頑張れるようになってきたんだ。そう思ってたところに今日大氷河に行く話がでてきて……」
どうやら『プロキオン』に入ってからの自分の変化についての話をしているらしい。
意識せず、レトは聞き耳をたてていた。
そんなレトに、クライとシリュアは全く気付かず、話は続いた。
「あの時ボク思ったんだ。大氷河に行きたいッ!……って。
きっといろんな経験ができそうな気がする。自分の殻を破れそうな気がする。だから僕、大氷河に絶対に行きたい」
クライがそう告げると、シリュアはふと微笑んだ。
「そっか。クライは今すごく成長しているのかもしれないわね。新しいものをどんどん吸収しているときなのかも。大氷河で何か見つかるといいわね。私も応援するわ」
その言葉に、クライが少し顔を赤くしながらシリュアを見た。
「ほ、本当!?」
「えぇ。頑張ってね!」
にこりと満面の笑みを見せれれば、もうアウト。
ぼふんっと真っ赤になり、クライは頭の中のキャパシティーが超えそうになりながら、誤魔化すために息を大きく吸った。
「よ、よぉぉぉぉうし! ボク頑張るっ! ぐぁぁぁんばるぞぉぉぉぉぉぉぉぉうっ!」
それにシリュアが楽しそうに笑い、クライは真っ赤になった。
木の影からすべてを見ていたレトは、気まずそうに頬をかいた。
そして苦笑をこぼす。
(うぅっ……出ていくタイミングを完全に逃しちゃったな……)
するとふと先ほどのクライの言葉が思い浮かんだ。
レトは思い出しながら、ぼけーっと宙を見た。
(……でも……最近クライが明るいなと思ってたけど……なるほどな。少しずつ自信がついてきてるんだな。
そういうことだったら……)
大きな丸い月と、キラキラと光る無数の星々を見た。まるでそれは自分たちの可能性を、希望を表しているようで。
レトはにっと笑って
(もちろん俺も応援するぜ!頑張って一緒に大氷河を冒険しような! クライ!!)
親友に、心からのエールを送った。
同じ夜。
フールたちの家の前に、1匹のポケモンが立っていた。
「……叶わない願掛けみたいなこと、しちゃったな」
ぽつりと寂しそうな声音で呟いたのは、クレディアだった。
右手首についている桃色のリボンを見ながら――否、リボンについている黄色のヘアピンを見ながら。
「馬鹿だなぁ、私……」
家にもたれかかりながら、ズルズルとクレディアは地面にぺたんと座った。
「…………分かってるのに。……自分で、認めてるくせに」
それでも拒むの。嫌だって。絶対に認めたくないって。
すーっと頬に温かいモノが流れた。それは重力に従って、下に落ちていく。
「貴方の言う通りだったね……。やっぱり、馬鹿で、泣き虫だ」
変わりたかったんだ。ううん、何か変わってるはずだよ。本当に? 彼女たちの近くにいるおかげで、変わったはず。私≠ヘあれから何か変わった?
わ、たしは――……。
ねえ、私≠ヘどう変わりたいの?
まるであの時のクレディア≠ェ自分の中にいて、自分に話しかけているようだった。
クレディアはそっと目を伏せ、頬に伝う涙を拭った。目一杯に広がる星空を見上げた。キラキラしていて、少し眩しい。
それをクレディアはしっかりと見据えた。
「…………変わるの。変わらなくちゃ。じゃないと、私はいつになっても、前に進めない」
そう、しっかりと、言い聞かせるように、呟いた。
静かに、どこかの花が揺れた。