57話 私たちの関係は、
「あっれー、御月だけ? クレディアは?」
御月が夕食の準備をしていると、フールが帰ってきた。
思ったより早い帰宅に御月は少しばかり驚いた。フールのことだからルフトを巻き込んででも遅くまで修行していると思ったのだ。
そんなことを考えながら夕食に目をやり、フールの質問に答えた。
「まだ帰ってきてない」
「ふーん。パラダイスにはいなかったけど……丘の上とか行ってんのかなぁ」
その言葉でぴたりと御月が動きを止めた。
「……パラダイスにいないって、ホントか?」
「え? あぁ、うん。私あの後ちょうどいいからってパラダイスの荒地で修行してたの。いやー、そういう場所パラダイスに作ってもいいかもね。荒地なのはどうかと思うけどさ」
フールの言葉など、最初の方しか聞いてなかった。
パラダイスにいない? 畑に行くと言っていたのに? それともただフールが会わなかっただけか?
考えても、答えはでない。
御月は夕食を作る手を止め、静かに話しかけた。
「なぁ、フール。……お前ってさ、クレディアが人間だった頃、何かあったとか聞いたことあるのか?」
「…………何かって何よ」
「トラウマになってるようなこととか、そんな感じの」
暫し訝しげな目で御月を見ていたフールだが、ふと息をついてテーブルを挟んで御月と向かい合った。
「一度さ、夜に私がクレディアの両親について聞いたことがあったよね」
「あぁ」
「私それ以外でクレディアの人間だった頃のこと、聞いたこと一度もない」
御月が固まった。そしてフールをちらりと見た。
目の前のフールは、困ったように、少し切なそうに笑っていた。
「最初の方はさ、クレディアの方が質問攻めだったから、そういうこと聞く機会も、聞こうとも思わなかったの。そっちに頭が回らなくて。パラダイスやチームのことで頭がいっぱいだったから。
でも後になって、余裕できて、ちょっと気になってきたの。何度も聞こうと思った」
「でもさ、」と吐き捨てるように、でもどこか絞り出すように、声をだした。
「両親のこと聞いたら、何か、聞きにくくなっちゃって。クレディアもいろいろ抱えてるんだなぁって、そう思ってさ。
だから、私はクレディアが自分から話してくれるまで待とうって思って」
だから何も聞いてないです、とフールが言った。
確かに無理強いして聞くようなことはしない方がいいだろ。クレディアだったら言いたくないことも、おそらく「どうしても聞きたい」と言えば口を割る。それも、仲間∞友達≠フ部類の者であれば。
御月は「……そうか」と目を伏せた。
自分より付き合いが長い、自分よりクレディアを理解しているフールにこう言われてしまえば口出しは出来ない。これ以上の詮索も、やめておいた方がいい。
「……ただ一応言っとくぞフール。アイツは何かしらトラウマに近いものを持ってる」
「え?」
意外そうにフールが目を丸くする。御月は真剣な顔つきで続けた。
「この前の夜、お前は俺とクレディアに両親じゃなくて家族について聞いたよな?」
「えっ、あ、うん。何か勝手に両親の流れになってたけど……」
「クレディアは姉がいる。本当の姉なのか、それとも姉のような存在なのか……それは分かんねぇけど。俺はたまたま「お姉ちゃん」ってクレディアが言ったのを聞いただけだが、でもそういう存在がいるのは確かだと思う」
熱を出す前夜、クレディアが零した「お姉ちゃん」という単語。それから縋るような声。
嫌ってない。むしろ逆。その「お姉ちゃん」という存在が大好きで、本気で慕っていたに違いない。でなければ、あんな追い詰められたような声で泣きながらその存在を呼んだりはしない。
でも、フールと自分にはその存在について一切話さない。その、大切な存在のことを。
きっと、それは、
「……多分、なんだけど。言いたくねぇんじゃねぇかな。その「姉」のこと……」
知られたくない。そう思っているからこそ、話さないのだろう。
あの夜、話そうと思えば話せたはずだ。両親のことを話して、その後に話す合間は十分にあった。それでもクレディアは言わなかった。
「隠したがってる、ってこと……?」
「わかんねぇけど。これから言うのはただの推測だ。
その「姉」を忘れたがっている。もしくは忘れたくはないが今は思い出したくないか。あと考えられんのは……誰にも知られたくないか、だな」
「……1番最後はないと思うんだよね。クレディアだし」
「……フール。1ついいことを教えてやる」
びくっとフールが小さく体を揺らした。先ほどの声が、心底冷たい声だったから。御月の顔は、見えない。
「俺たちが見せられてるのは仮の姿≠ゥもしれねぇってのを忘れるな。それが本当の姿≠セなんて確証、どこにもない。
見分けろとは言わねぇ。信じるなとも言わねぇ。前のシリュアのように全て疑ってかかれとも言わねぇが、ほんの少しでいい。少しは疑え。本当に大切なものであっても。……じゃないとその内、他の大切なものまで全部失うことになるぞ」
ふうと御月が息をはいた。どこか、空気が柔らかくなったような気がした。
フールは冷や汗をかきながら、どういうことだと御月に聞こうとした瞬間だった。
「ただいまー! 見て見て!! さっきせんせーに会ってね、すぐに毒がさっぱり消えちゃうお薬もらってきたよー!!
……あれ? フーちゃんもみっくんもどうかした?」
元気よく帰ってきたのは、話題のその人物、クレディアだった。
先ほどの緊迫した状況と、そのクレディアの様子に、思わずフールと御月はテーブルにがんっと頭を打ち付けた。
フールは涙目でおでこをさすりながら、クレディアを見た。
「お、おかえり……。楽しかった……?」
「うん? すっごい楽しかったよ! 薬の調合の仕方とか色々あってね、せんせーは物知りだねぇ」
いつもの天然なクレディアだ。それにフールはほっと息をついた。
じっとクレディアを見つめていると、目がちょうどあった。へらり、いつもの気の抜ける笑顔を見せられて、ついフールも笑った。
そこで、思った。
(ごめん、御月。私やっぱり疑うのは無理だわ)
心の中でそう呟いてから、「あのね」とクレディアと御月に話しかけた。
「この前シャオにマグナゲート見せてもらったでしょ? 不完全だっていう、あの! 私さ、あれの完成版が見たいんだよね。
だから『プロキオン』総出であの2匹の研究の手伝いをしない?」
御月からしたら不審だろう。いきなり話題が変わったのだから。
ただ今さっき帰ってきたばかりのクレディアはそう思わない。それを聞いて、ぱぁっと表情を明るくさせて頷いた。
「したい! 楽しそう!!」
「マジか……」
クレディアは予想通りの反応をしてくれた。御月も、さっきの空気とはまるで違う、いつも通りに返事を返した。
そのことに安堵し、フールはバレないように息をついた。
「じゃあ明日はシャオたちにその話をしにいこっか。……てか夕食まだ?」
「できてるように見えてんなら目ぇ腐ってんぞ」
「あっ、私手伝う!!」
いつも通りのやりとりが繰り広げられる。
安心と不安、なんとも言えない気持ちがフールを襲った。これで、いいはずなのだ。
(……上辺だけの付き合いは嫌だけど、でも無理やり聞くのは間違ってる。誰だって、話したくないことはあるんだから。
もう少し、関わっていけば、きっと、だから、)
願いながら、フールは夕飯を作る2匹の声を聞きながら目を閉じた。
料理をしながら、目の前のクレディアを盗み見る。
呑気に笑い、ぐるぐると汁物を混ぜている。いつもの、能天気で放っておけないクレディアだ。
「…………。」
フールにはああ言ったが、信用したくないわけではない。疑いたいわけでもない。
ただ、後になってから後悔しても遅い。それだけは、もう、勘弁だ。もう何も失いたくないのだ。
そこでフールに話した内容、クレディアの姉≠フ存在を思い出した。
姉≠ネのか、姉のような存在≠ネのかは分からない。クレディアが呼んだ。縋るように、悲しそうに。人間の頃に相当信頼していたに違いない。じゃないと、あんな弱っている状態で呼びはしないだろう。
おそらく、その存在はクレディアの中ではとても大きいはずだ。
その姉≠ノついて、少しだけ、嫌な予感がしていた。
〈相手の安否も居所も全く分からずにずっと心配するのって、怖いよね〉
クレディアが言った、あの言葉。
もしかしたら、クレディアはフィーネの姿を自分に重ねたのではないか、と。
その相手がクレディアの姉≠ナ、その姉≠フ所在も安否も分からずずっと心配したことがあったのではないかと。
それだけなら嫌な予感はしない。
姉≠ェ、無事にクレディアの元に帰ってきているのならば。
(………………。)
もし、帰ってきていなければ。まだ行方知れずかもしれない。最悪の場合は、もう、いないのかも、しれない。
だからこそ、クレディアがその姉≠ノついて話したがらないのではないか。
そんな仮定が思いついてしまう。嫌な、本当に嫌な仮定だ。
(聞けるわけねぇよな……)
聞いて、どんな返事をくるかが一番怖い。
その嫌な予感があたったら。クレディアはどんな表情をするだろうか。自分は、どう反応して、どんな表情をして、どんな言葉をかけたらいいのだろうか。
ただ傷つけるだけならば、絶対に聞かない方がいい。傷つけることしかできないのであれば。
もし、それを聞いて、その嫌な予感があたっても、クレディアを傷つけないのであれば――
「みっくん、この木の実はどうするの?」
「 、あぁそれはな――」
(それに、その役目は俺じゃない)
それはきっと、
ぐちゃぐちゃに絡まった思考を振り払い、目の前の作業に目を向けた。