37話 一歩を踏み出せ
フールが起きていない早朝。御月は隣にいるクレディアに気付かれないよう、小さくため息をついた。
「それでね、何とかせんせーに名前で呼んでもらうことに成功したよ! リィちゃんも一緒に! それにしてもせんせーって苗字……っていうか、ファミリーネームで呼ぶんだね。びっくりしちゃった」
「あぁそう」
「それでお薬についていっぱい教えてもらったよ! リィちゃんもそのための道具作り手伝ってくれるって!」
「あぁそう」
「あとねー、ライちゃんとシャウくんに会ったよ! 相変わらずライちゃんは元気でね、シャウくんはよく笑ってた! もう1回みんなでお話できるといいねー」
「あぁそう」
「あっ、とっても綺麗な花があって――」
繰り広げられるマシンガントーク。
昨日の留守番組はクレディアと御月だった。御月はバイトに行き、クレディアは1匹だった。そのため昨日のクレディアの行動は『プロキオン』のメンバー全員知らない。
その報告が、コレだ。
どの時間に、かは全く分からない。クレディアは思いついたことを次々と口に出しているため、話がいきなり飛ぶ。クレディアは気にしていないようだが。
報告を聞く限りリゲルとともにユノの元に行って薬について学び、その帰りに『陽炎』の2匹に出会ったようだ。あと花がどうとかこうとか言っているが、それは何時の話か全く分からない。
最初こそきちんと聞いていた御月だが、今は面倒くさくなったのか適当に返事をしていた。
「薬っていっぱいあるんだねー。私、独学で少しはやってたけど、それでもまだまだって分かっちゃった」
「……なぁ、クレディア」
「なぁに?」
こてん、とクレディアが首を傾げる。
ダメだコイツ何も分かってない。少しは理解しろ。
一瞬のうちに様々なことを頭に過ぎらせた御月だが、深いため息をついてから呆れたような顔をしてクレディアを見た。
「マシンガントークをするな」
「ましんがんとーく?」
話が通じない。どうすればいいんだこれは。
何とか言葉を探して御月が発言しようとすると、先にクレディアが純粋な笑顔で口を開いた。
「でも私の傍にいた人はいつも自分からワーッて喋ってくれたよ? これがフツウじゃないの? それでその後に私が質問するんだよね?」
「…………お前の常識はどうなってんだ」
「フツウだよ?」
「お前のフツウは普通じゃない」
あれ? と首を傾げるクレディアに、御月は再びため息をついた。理解しないことを悟ったのか、それともただ単に諦めたのか、両方か。
すると「ふあ、」と間の抜けた声が聞こえた。
「あっ、フーちゃんおはよう! 今日は早起きさんなんだね」
「んー……はよー……」
「……相変わらず朝に弱ぇよな、お前」
いつもなら御月の一言につっかかるフールであるが、言われたとおり朝には弱いらしく何も言わず大きな欠伸を1つかく。
それを見てクレディアは「可愛いなぁ」と呑気に呟き、御月は呆れた表情をした。
「……クレディア、何かを切るときに余所見をするな。手を切るぞ」
「だいじょぶ! えぇっと……皆それぞれ心の目を持ってるって聞いたことあるから!」
「それ完全にガセだろ」
「え。じゃ、じゃあ黒い雲を見て少し先の天気を当ててたのは何だったの……?」
「いや雲見りゃ天気ぐらい分かるだろ! つうか心の目関係なくね!?」
「うぅぅ……」と本気で残念そうにするクレディアに御月は何度目か分からないため息をついた。それはもう深く。
するとようやく頭が覚醒してきたのか、フールが寄ってきた。
「わぁお、今日も今日とて美味しそうだね。あっ、これテーブルに持ってけばいい?」
「ん、それは出来てるやつ、だよね?」
「あぁそうだよ。慎重に運べよ」
「言われなくても分かってますー」
先ほどとは打って変わっていつもの調子に戻っているフール。
料理を全て作り終えてテーブルに運び、3匹はテーブルを囲んでから「いただきます」と言って食べ始めた。
そしてフールが1番に開口する。
「今日はクライ達、みんな用事があるらしいから私たちはヴィゴの所にいって施設を建てに行く。それから依頼に行くからね」
「はぁーい」
「……施設って何の」
「第1号は畑。施設管理についても色々と考えてたんだけどさ、頼めるポケモンがいないから、とりあえずは私たちが管理できる範囲の施設を作ろうと思うの。そう考えたら畑が1番いいかなーって」
思ってさ、と言ってフールはオレンの実を口に入れた。御月は納得したような声で返す。
するとクレディアが口を開いた。
「畑のお仕事、したい! 楽しそう!!」
「うん、きっとクレディアが1番に食いつくと思ってたよ。そして「やりたい」というと思ってた」
「最近やりたいことほとんどやっちゃったからやること無くて! すっごくやりたい!!」
落ち着け。そう言ってテーブルから少し身を乗り出して目を輝かせているクレディアの首根っこを掴み、御月が静止した。
それにフールは苦笑を漏らし、言葉を続けた。
「だから畑の管理は主にクレディアに任せようと思うの。そりゃ私たちも手伝うけどね」
「ホントに!?」
「まあ御月にはバイト、そして家の家事というお仕事があり」
「俺のを仕事にするな」
「私はメンバー編成とか、パラダイスについて色々と考えたいし、そしたらクレディアが適任かなぁと。いい? クレディア」
「うん! 頑張る!!」
よし、と意気込むクレディアにフールは微笑んだ。
クレディアがここまで意気込んでいるのだ。ヴィゴにはそれ相当の畑を作ってもらわねば。
「……おい、フール。無茶な注文はしてやるなよ」
「はっ、あ、あたりまえひゃん!!」
声を潜めてそう言ってきた御月に、動揺して舌を噛んでしまったフールだった。
予定通りヴィゴを呼び、「此処」と言ってフールがこの前開拓した土地の一部を指さす。
ヴィゴはその土地を眺め、その隣で「それでオッケー?」と問いかけているのがフール。ヴィゴの後ろには弟子のマハトとポデル。そして隣にはクレディアと御月が立っていた。
するとヴィゴが声をだす。
「とりあえず畑を作ってもらえる?」
「おっし、まかせろ! 畑だな? どうせならデッカく作ってやろうか?」
角材を大きくふってデカく、というのを表す。ヴィゴが示したのは縦横50メートルくらいの範囲だった。
それを見て、フールがふっと冷めた目で笑った。
「クレディアが管理できる範囲で」
「……………………これくらいが妥当か」
「あれっ? 何かすごく小さくなってない? 気のせいかな? 気のせいかぁ」
示しなおした範囲は、5メートル。先ほどの範囲が10割も削られた。
明らかに小さくなっているのが目に見えているのに、クレディアは「気のせい」という。年下だというのに、ポデルもマハトもクレディアを見る目は冷たくなっていく。
そんな雰囲気を見かねてか、御月がわざとらしく声をあげた。
「あー……とりあえずヴィゴたち頼んだ。で、フール。依頼に行くんじゃなかったのかよ」
「そうそう! というわけでヴィゴ達よろしく! とりあえず依頼を選びに行くよ!!」
「まかせとけ! とびっきりいい畑を作ってやるよ!!」
「はぁーい!」
張り切ったヴィゴの返事と、いつもの元気なクレディアの返事。
それを聞いてフールは満足そうに頷いてから、依頼を選びにいくのだった。
そのおしごと掲示板に、何故かユノ宛の果たし状が大量に貼ってあったのを見て、2匹が顔をひきつらせたものは言うまでも無い。
因みに言うと、クレディアは「お手紙だ!」といつものように天然な反応を見せた。
それから数日後。
ヴィゴ達が作った畑は、大きくはないが、ほどほどの大きさのものに出来上がった。
「はーなー、きれいでおっきなはながー」
変な歌を歌っている人物は、すぐに予想がつく。
クレディアだ。小さな可愛らしいジョウロを持って、畑に水をやっている。ジョウロから水が出て、綺麗な虹を作っていた。
畑にはオレンの実の種が植えられている。植えてばかりなために芽は出ていない。
「はるになったらーきれいにさいてー」
畑ができ、そして種を植えた次の日から、クレディアは大いに張り切って水やりに来ていた。毎日欠かさず、それも楽しそうに。
最近のクレディアの朝はとても忙しいものだった。
いつも御月より遅く起きていたのだが、今は御月よりも早く起きている。そして畑に行って畑に「おはよー!」と元気よく挨拶し、そして歌を歌いながら、または畑に放しかけながら水をやる。それが終わったら家に戻り、朝食作りを御月とともにやるのだ。
流石に多忙ではないかと思ってフールが「無理しなくていいよ?」と言ったのだが、クレディアは「だいじょーぶ! 楽しい!」と笑顔で言ってのけた。
フールに気を遣ったわけではなく、心の底からの気持ち。クレディアは本当に楽しそうに過ごしていた。
「木の実がバンッ!!」
「突然変異!?」
いきなり聞こえてきた声にクレディアは大げさに体を揺らしてから、声が聞こえた方を見た。
そちらを見ると、いつもは起きていないフールがいた。
「あっ、フーちゃんおはよう! 今日は早起きさんなんだね!」
「うん、おはよう。ていうかさっきの歌は何なの。結局木の実がどうなったの」
「え? 元気に育って欲しいなーっていう歌だよ?」
「じゃあ何で木も実がバンッってなるわけ」
「んー……? あ、みっくん朝ごはんもう作っちゃってるかな?」
「お願いだから話を聞いて!?」
いきなり話の内容が変わるクレディアに、フールはため息をついた。クレディアはやはり分かっていないのか首を傾げている。
するとフールが畑に近寄ってきた。
「……上手く育つといいけどね」
「だいじょーぶだよ! 植物は愛情と根性と水だよ!!」
「何で最後だけは現実じみてんの!?」
大事でしょ? と笑顔で聞いてくるクレディアに、フールはまたしてもため息をつく。
そんなフールの様子を気にせず、今更ながら抱いた疑問をクレディアはフールにぶつけた。
「そういえばフーちゃん早起きさんどうしたの?」
「まあただ目が覚めただけなんだけど……いい機会だからこの前、私が考えたことを伝えようと思って」
「かんがえたこと?」
そ、と小さく返事をしてフールはクレディアの隣を通る。そのまま開拓さればかりで、雄大な土地のちょうど真ん中に立った。
フールの意図が分からず、クレディアは小首を傾げた。
するとくるりとフールが振り返り、にっこりとクレディアに笑顔を投げかけた。
「クレディアはさ、お医者さんになりたいんだよね?」
いきなりの問いに、さらにクレディアは疑問を抱く。
しかし否定するつもりもなく、首を大きく縦にふって言葉を返した。
「うん! それで病気で苦しんだりしてるポケモンを助けたいって思ってるよ」
それを聞いてフールは笑みを深くし、ビシッと片手を大空の方向にあげた。
「そこで私は考えた!」
「うん?」
「いつかこの土地に、クレディアがお医者さんになったら、ここに病院を建てる!!」
フールの宣言に、クレディアは思わず目を丸くした。
それにフールはにんまり笑って、くるりくるりとその場を回ってみせた。
「クレディアには、いっぱい手伝ってもらってるから。私の夢のお手伝い。だったら私も、クレディアの夢の手伝いをしなきゃね」
「え、あ……」
「もちろん御月にも、いつか何かで返す。まあ御月はなかなか夢とか明かさないから返しようがないけど……。
でも、クレディアにはこれで――って、クレディア?」
何も言わないクレディアを不思議に思ってか、フールが言葉を止めた。そして恐る恐る「えっと……?」と声をあげる。
やはり勝手に決めたのはいけなかったのだろうか、迷惑だっただろうか。
次々とフールの胸を不安が占めていく中、クレディアが動いた。
「へっ!?」
「ありがとフーちゃん!! 私、私がんばるね!!」
ぎゅっと、勢いをつけてクレディアはフールに抱きつく。フールは何とか受け止めるのが、支えるのはかなり際どい。
しかしクレディアの言葉が嬉しく、フールはつい頬が緩む。
「え、えへへ……。喜んでもたえたなら、何より、かな。まだ予定だけど、この土地はちゃんとあけておくから」
「うん! がんばる!!」
フールから離れ、クレディアが無邪気な笑顔を見せる。
ふへへ、と妙な声をあげながら、顔には「嬉しい」とかいてある。クレディアにとってはとても嬉々できる出来事だったようで、頬は緩みっぱなしだ。
フールもそれを見て思わず、いつもより優しく微笑んだ。
「一緒に頑張ろうね、夢を叶えるために」
「うん! 立派なお医者さんになってみせるから!!」
そう言って、2匹は顔を見合わせて笑った。
「………………何やってんだか」
朝食作りが終わって2匹を呼びに来た御月が、呆れたような、それでも優しげな笑みを浮かべていたのを知らずに。