13話 諦めたくない
ヴィゴはただただ大きな満月を見つめていた。
不意に、涙ながらに自分に訴えかけてきた弟分の言葉がよみがえる。
〈お願いだ、兄貴。もう一度……もう一度、昔みたいな仕事ができないかな? みんなで楽しく……仕事を、〉
「……チッ…………」
いくら封じ込もうとしても、頭のがんがんと響く声。ヴィゴは忌々しいといったような舌打ちをした。
不意に月に片手をかざす。そしてそれを力強く握り締めた。
「っ……」
しかし、しっかりと拳が握れない。
自分の体である。ヴィゴは原因が何なのか、よく分かっていた。
(やっぱり、力が入らねぇ、か……)
現実が突きつけられる。ヴィゴにとっては何かがぐさりぐさりと刺さっているようで、口を噛んだ。
「――ヴィゴ!!」
いきなり後ろから自分の名が呼ばれる。驚いてヴィゴが後ろを振り返ると、見覚えのある2匹。
その2匹はヴィゴに駆け寄り、そして止まった。
「探したよ、ヴィゴ」
フールとクレディア。自分が騙した者。
そういえばこいつらの問題は何も解決してなかったな、とヴィゴが頭の中で思い出す。そして2匹に向き直った。
「まだ怒りがおさまらねぇのか。……まあいい」
「え? え、いや、ちょっ」
ヴィゴの言葉にきょとん、としたフールが慌てて弁解しようと口を開こうとする。
しかし、ヴィゴは話を聞いていなかった。何故か戦闘の態勢に入っている。フールは顔を青くさせ、クレディアは首を傾げた。
「俺はもう大工はできねぇ。だが……暴れる力は、ロクデナシの力は残っている!! 全ての怒りをお前らにぶつけてやるよ!!」
「え、あの、ちょ――!!」
「きゃっ!?」
いきなりヴィゴが突進してきて、フールは避けるがクレディアが諸に食らう。そのままフールが「ちょいちょい!!」と声をあげた。
クレディアは訳が分かっていないのか、目を瞬かせている。
「話を聞いてよ! 別に私たちは怒ってるわけじゃないんだってば!!」
「今さら話すことなんざねぇだろうが!! けたぐり!!」
「話を聞け!! 電気ショック!」
攻撃してくるヴィゴに対抗し、フールも応戦する。
フールと攻防を続けながら、ヴィゴは怒鳴るように自身の気持ちを吐き散らした。
「おめぇらがいくら怒ろうと、この世は変わらねぇ! 騙し騙され回っている! 正直者が痛い目を見る世界なんだよ!!」
「っ、そうかもしれないけど、それで納得する方もおかしいのよ!! 何で皆その考えを肯定するの!? ねこだまし!」
「今の世の中、騙された奴の方が悪い。つまり、オメェらが悪いといったようなもんなんだよ!! かわらわり!」
2匹が激しい攻防をする。フールは話題が逸れているのにも気付いていない。
しかし、フールにとっては聞き捨てならないことだったのだ。世の中の、そんな考えに。そしてその考えを肯定しているヴィゴに。
「どうして騙す方を皆して味方するのよ!? それこそおかしいと思わないの!?」
「世の中がこんなんじゃ、そう思わざるをえねぇんだよ! 呪うならこの世を呪え!!」
「き、君ねぇ……! 君たちみたいな考えをしてる奴らがいるから、世の中は変わらないって分からないわけ!? そんな考え方をしているから、そんな身勝手な奴が増えてるのよ!」
「じゃあ馬鹿正直に生きろってか!? それこそ利用されるだけ利用されて、最後はいいように使われるだけだ! オメェらみたいにな!」
ふつふつとフールは怒りのメーターが上がっていた。頭に血が上ってしまい、「家を建ててもらう」という大事な目的が見失われている。
ヴィゴもヴィゴで、全ての怒りを本気でぶつけていた。
岩陰で見ていた御月と弟分2匹は、その様子に絶句していた。
そして何とかポデルが御月に話しかける。
「みっ、御月さん……何か、戦闘になってるんですけど……!?」
「何やってんだアイツら……! つーか目的を見失ってんじゃねぇかよアホが……!」
「あ、兄貴も本気だ……!」
御月の口から出るのは悪態の言葉ばかり。何故こんなことになっている。そんな気持ちがほぼ胸のうちを占めていた。
マハトとポデルも戸惑うばかりだ。そして、ヴィゴの言葉を聞いては胸が痛む。やはりあの出来事をまだ気にしている、引きずっている。……やはり、変わらないんじゃないか。そんな気持ちが出てきた。
そんななか、クレディアは激しい攻防を続ける2匹を見ながら、ぎゅっと薄い桃色のリボンを握った。そして、キッと2匹の方を見た。
「だいじょうぶ、だいじょーぶ……」
いつもの口癖を呟いて、クレディアは2匹の方へ向かっていく。
そして無謀にも、2匹の間に飛び込んでいった。フールは驚いて電気ショックをしようとしていた手を止める。ヴィゴも目を丸くしたが、しかしけたぐりを構わずクレディアに喰らわせた。
「うっ、ぐ……!」
「ク、クレディア!」
慌ててフールがクレディアの方に駆け寄る。しかし、そんなことをヴィゴが許すはずもなかった。
「かわらわり!」
「っ、しまっ――きゃあ!!」
何とか体を捻って避けようとしたフールだが、咄嗟のことで避けられず技を喰らってしまう。しかし、何とかヴィゴから距離をとった。
そのまま攻撃を続けようとしたヴィゴだが、クレディアに目を向けた瞬間、止まった。
「……何のつもりだ?」
クレディアは、ヴィゴに頭を下げていた。
降参というわけではないだろう。しかし、ヴィゴにはこの行為はそれのためとしか思えなかった。
その疑問は、クレディアの言葉によってとかれることになる。
「家を、私たちの家を、建ててください」
ヴィゴも、フールも、そして岩陰にいる3匹も目を丸くした。
こんな戦闘中に、丁寧にお辞儀をして頼む奴がどこにいるというのか。技まで喰らって、頭を下げるだなんて、ありえないことだ。
全員が絶句していることをいいことに、クレディアは繰り返した。
「お願いします。家を、建ててください」
敬語で、お辞儀をして、そう頼んだ。クレディアなりの、精一杯の誠意を払ったお願いだった。
それを見て、ヴィゴは「ドゥワ……」と小さく声をあげ、そして肩を震わせ
「ドゥワ……ドゥワッハッハッハ!!」
大きな声で笑った。それにクレディアが顔をあげる。
ヴィゴはクレディアを見て、心底おかしそうに、そして自嘲するように言った。
「まだ騙されてたことに気付いてねぇのか!? 本当にめでてぇ奴だ!」
そしておもむろにクレディアに背を向けた。そこには、おびただしい背中の傷。クレディアはついその傷を見て顔をしかめた。
それに気付かず、ヴィゴは続けた。
「見ろ! この傷のせいで体もろくに動かせねぇ! 家を建てようにも下手くそな家しかできなくなっちまったんだよ!!」
「っ、ぐぅっ……!」
ヴィゴが一振りした角材を避けられず、クレディアはそれによって体を壁に打ち付ける。そして小さくむせた。
そのままヴィゴが止めをさそうとしているのか、前に立つ。フールが目を見開き、そして何とか加勢しようとした矢先、クレディアの様子が伺えた。そしてクレディアの口の動きを見て、体をぴたりと止めた。
「(わ、た、し、に、ま、か、せ、て)」
しっかりと、フールはそう言っているのを確信した。クレディアはふわりと笑うと、ヴィゴに視線を戻した。
そして角材を振り下ろそうとしているヴィゴを見た。冷たく、恐ろしい目だ。
「馬鹿正直すぎなんだよ。――お前は早かれ遅かれ、痛い目を見る目になっただろうよ」
そう言って、クレディアに角材を振り下ろそうとした。しかし次のクレディアの言葉を聞いて、それは寸のところで止まることになる。
「傷のことは、マー君と、デル君から聞いてたよ。過去のことも、ぜんぶ聞いた」
その言葉を聞いて、ヴィゴの力が弱まる。
クレディアは1つ1つ丁寧に、必死に伝えようと自分の思いを口についていく。
「家がうまくできないのは、辛いと思う。他人に頑張って建てた家をボロクソに言われるのも、辛いと思う。
……でも、ヴィゴさん、今の方が辛いんじゃないかな」
「なに……?」
「ヴィゴさんはさ、なんだかんだ言って、大工の仕事、好きなんだよね。大好き、なんだよね」
ゆらゆらと、ぐらりとヴィゴの中にある何かが動く。
クレディアはヴィゴの様子を気にせず、そのまま続けた。
「好きなことをできないことって、辛いと思う。誇りをもった仕事をできないって、苦しいと思う」
「………………。」
「だからって、大工を辞めても、それは辛いまんまだよ。ううん、心の中でどこかで諦めきれてないから、ずっとずっと、辛いまんまなんだ。解放されることなんて、絶対にない。このままじゃ、ずっと苦しいまんま。
それに、デル君とマー君はどうするの? 貴方の腕に惚れこんで、貴方に憧れて、貴方に弟子入りしたのに……幻滅させて、どうするの?」
「………………。」
「ヴィゴさんは、今のままで、納得してるの? 大工の仕事なんて、どうでもいいの?」
するとヴィゴがいきなり大きく角材を持っている手をあげた。そしてクレディアに向かって振り下ろした。
「兄貴ッ!!」
「やめてください、兄貴!!」
岩陰に隠れていたマハトとポデルが慌てて出て行く。しかし、どうやっても間に合わない。フールも御月も反応が遅れてしまった。
そのままドゴンッと角材が振り下ろされた音が響いた。
「クレディア!!」
フールが名を呼ぶ。どうしても最悪の事態しか思いつかない。
しかし見えたのは優しげな笑顔のクレディアだった。角材は、彼女のすぐ真横にあったが、掠りもしていない。
そして黙っているヴィゴに向かって、クレディアはぽつりと呟いた。
「ヴィゴさんは、やさしいね」
クレディアの前には、涙をうかべ、悔しそうにしているヴィゴがいた。
弟分の2匹がヴィゴの方に駆け寄る。するとヴィゴは片手で顔を覆い、言葉をひねり出した。
「納得、してるわけがねぇだろうがっ……! やりてぇんだよ……! でも、続けたくても力が入らねぇのに、どうしろってんだ……」
ぽつりぽつりと、ヴィゴの口から本心が漏れる。目を覆っている手から、涙が伝った。それを見て、マハトとポデルの目にも涙がじわりと浮かぶ。
クレディアが「いたた……」と言いながら、立ち上がる。フールは慌ててクレディアの方に駆け寄った。御月は岩陰から少し体をだし、成り行きを静かに見守る。
「だから……せめて、最後まで、頑張ろうよ。ヘタクソでもいい。気持ちが入ってればいいんだ。これからうまくなればいいんだ。……だから、最後まで、本当にできなくなるまで、頑張ろう?
そこまで頑張れたら……きっと、ヴィゴさんだって、納得できると思うの」
そこまで言って、クレディアはまたしてもヴィゴに頭を下げた。
「もう一度、お願いします。私たちの家を、建ててください」
それを見て、フールも慌てて頭を下げた。
「私からもお願い! 私たちの家を建てて!」
2匹が深く頭を下げ、ヴィゴに頼む。マハトとポデルは自分の兄貴分であるヴィゴを見た。
「……あぁ、いいぜ。建ててやる」
その言葉に、クレディアとフールが下げていた頭をあげ、ヴィゴを見た。
未だヴィゴは目を覆ったままだ。フールは顔を綻ばせながら、ヴィゴに尋ねた。
「ほ、ほんと!?」
「あぁ。魂をこめて、建ててやるよ。……ただ今は……すまねぇ。泣かせてくれ……」
そして、ヴィゴは嗚咽をもらしながら泣き始めた。それにつられるように、マハトとポデルも大泣きしだす。
その様子を、ただクレディア達は静かに、温かく見守った。。