58話 諦めない
クレセリアのルーナ・ユエリアによれば、サフィアの悪夢は空間の歪みからきている。
その歪みは徐々に大きくなっており、それがこのまま続けば、サフィアだけでなく、すべてのポケモンが眠ったままになってしまう。
「……なるほど。ルーナというポケモンはそう言ってたんだな?」
「はい」
サフィアの夢の中で会ったことを簡潔に話せば、ディラは深く深く息をついた。そしていきなり羽をばたつかせた。
「わわっ、それが本当なら! 大変なことですよこれは!! 早く何とかしなくては!!」
ディラや他の弟子たちが焦るのを見ながら『シリウス』は、ただ黙っていた。
ルーナから聞いた話を簡潔に話したのはアルだが、あえて「自分たちが原因だ」という内容は伏せた。どういう意図であったかは、スウィートには検討がつかない。
ただ、いま言うべきではないというのは、スウィートも分かった。
『シリウス』は余計なことを言わないようにか、ルーナの言ったことを考えているか、それとも両方か、あまり喋らなかった。
シアオは暗い表情のまま、慌てているディラに、静かに問いかけた。
「ね、ねぇディラ。……ディラは、さ……ルーナのこと、知ってるの?」
「あぁ。これも噂だけだがな。何でもクレセリアという種族は三日月の夜に現れ、体から放つ柔らかい光で相手の心を癒すそうだ」
「……そんな優しそうには見えなかったケド」
ディラからルーナの、クレセリアの情報を聞いて、フォルテはぼそりと呟いた。幸い、聞こえたのは『シリウス』3匹だけだったようだ。
シアオは心の中で、フォルテの意見に同意した。それはスウィートも、アルも同じだろう。
するとディラは「あぁ、」と思い出したように声をあげた。
「あと……闇を振り払う不思議な力があるとも言われている」
「闇を振り払う、力……」
〈空間の歪みが大きくなると、闇の力も増幅される〉
ルーナは確かにそう言った。しかし、ディラは闇を振り払う力があるという。
闇はルーナでは振り払えないほどに増幅しているということなのか。だから彼女は強硬手段に出て、自分たちを排除しようとしているのだろうか。
それだけ考えて、スウィートは小さくため息をついた。
これだけは考えても分からない。誰かの考えを察することほど難しいことはないからだ。
重い空気になりつつあるなか、イトロが挙手をした。
「ヘイヘイ! とにかくその空間の歪みっつーやつを何とかしないと、みんな眠っちまうことになるんだよな!? だったら空間の歪みを解消する方法を探さねぇと!」
「なぁ、『シリウス』。そのルーナってポケモンは、空間の歪みを解決する方法について何か言ってなかったのか?」
〈――貴方たちが、消えることです〉
ウェーズの問いに、ルーナの言葉がよみがえった。スウィートとアルが息をのんだ。シアオとフォルテが呼吸を止めた。
変な間をあけてはならないと、シアオは慌てて口を開こうとする。しかし口から洩れるのは、ただの息だけ。声にはならなかった。
するとアルが3匹に目配せし、小さく首を横にふった。そしてウェーズの方へ体をむけた。
「……とくに何も言ってなかった。言う前に、俺らの前から消えちゃったから」
「ううむ、そうか……。残念だな……」
嘘をついた。ウェーズに、ギルドの弟子たちに、仲間に、嘘をついた。
その事実は、『シリウス』の胸に鋭く突き刺さった。それでも、「自分たちが消えること」とは、とてもじゃないが言えなかった。
重い空気になるなか、今まで静かに見守っていたロードが少し前に出た。
「まあ、とにかく。空間の歪みについて皆で調べよう♪ そうしないと、悪夢を広がるのを止めることもできないしね♪ ディラ」
「は、はい! 親方様!!
じゃあ皆!! 今日のところは解散するが、明日から空間の歪みについて各自で調べてくれ。頼んだぞ。それじゃあ解散!!」
ディラのその言葉で、弟子たちは部屋を去ったり、サフィアの様子を見に行ったり、様々な動きをみせた。
しかしそんなことを気にしている余裕は『シリウス』にはなかった。
ただ黙って、部屋から、ギルドから出た。
サメハダ岩に戻る頃には、もう外は暗くなっていた。
夕食を食べる気にはなれず、『シリウス』は静かに自分のベッドに座っていた。
誰も、口を開かない。何と切り出したらいいか分からない。
そんな感じで作り出された沈黙を破ったのは、シアオだった。
「……僕ら……これから、どうすればいいんだろう」
その問いかけに、返せるものはいなかった。だって誰も分からないのだから。
シアオは俯きながら、ぽつりぽつりと呟く。
「僕らが消えれば……世界は、救われるのかな……。だったら、」
「そんなのダメ!!」
立ち上がって声を張り上げたのは、スウィートだった。シアオも、フォルテも、アルも、目を丸くしていた。そして本人さえも、驚いていた。
ぽすんとベッドに座りなおして、スウィートは「……急にごめん」と謝った。
するとフォルテが言いにくそうに、「あー」と声をあげてから、ごろんとベッドに寝転がった。
「とりあえずもう寝ない? 悩み過ぎて疲れたわ。考えるのは、明日でいいでしょ」
「……そうだな。今日のところはもう休もう」
「…………うん、」
それっきり、会話はなくなった。
静かに、それぞれが背を向けてベッドに寝転がる。
スウィートは寝転がりながら、目は閉じていなかった。ぼんやりと宙を見ながら、今日の出来事をリピートさせる。
無意識に眉がよる。思わず、口を噛んだ。
(空間の歪みの原因が私たちにあるのは分かってたけど、それがこの世界を壊すことにつながるなんて……。
……どうして、)
どうしてこんな残酷な選択肢しか、いつも残されていないの?
本当はそういって、叫び散らしたかった。何で、どうして。そう言いたかった。
いつもいつも、誰かの未来のために何かをしようとすれば、何かを犠牲にしなくてはならなくて。誰かが悲しむ選択肢しか、そこにはなくて。
誰もが幸せな未来を望んでいるのに、誰かが泣いてしまうような結末しかなくて。
一筋、静かに、スウィートの目から涙が流れた。
ふと意識が戻った。
寝ていたのか、とスウィートがぼんやりする頭で考えながら体を起き上がらせた。少し頭が痛むのは寝起きだからだろう、そう言い聞かせれば幾分楽になった気がした。
ようやく意識がはっきりしたところで、周りを見渡す。そこでスウィートは首を傾げた。
(シアオ……いない。どこ行ったんだろう)
サメハダ岩のどこにもいないということは、外。
シアオを探すため、スウィートは少し体を伸ばしてから、サメハダ岩を出た。
外に出て辺りを見渡せば、シアオはすぐに見つかった。サメハダ岩の突き出ている部分に立って、海を眺めていた。
「シアオ、」
声をかければ、くるりとシアオは振り向いた。微かに目を丸くしたのはわかった。
シアオはスウィートを見るなり、すぐにへらりと笑顔を作った。その笑顔はいつものような元気な明るいモノではなく、どこか陰を含んでいる。
「……ちょっと、眠れなくてさ。海でも見てたら、眠くなるかなぁって思って」
眠れない。その理由はきっと、ルーナに言われたことを気にしてだろう。
気まずい沈黙の中、シアオは笑顔をひっこめて、視線を海に戻した。そしてスウィートを見ないまま、静かにぽつりぽつりと話し始めた。
「……ねえ、スウィート。僕ら、さ、…………この世界に、いちゃ、いけない……の、かな……」
「…………。」
「スウィートはさ、星の停止≠止めるとき、自分が消える覚悟をしてたんだよね。シルドも、レヴィも、サファイアの皆も。……たとえ自分が消えても、世界が救われるなら、って……。
……だったら今度も、そうする、べき…………なのかな……」
その問いに、スウィートはすぐに言葉を返すことはできなかった。
確かに、あのときはスウィートは自分が消える覚悟で臨んだ。あの未来がなくなって、明るい未来がくるなら自分は消えても構わない。
そう思った。覚悟もした。そうしなければいけないと思った。
大事な人たちの未来を、笑顔を、守れるのなら。
今回だって、原因が違うだけで、ほとんど同じ。
自分が、『シリウス』が消えればいいだけ。そう、それだけ。それ、だけ。
(……?)
そこまで考えて、スウィートは何か違和感をおぼえた。そして疑問をおぼえた。
今まで冷静になっていなかったためか、全く考えもしなかった。
フィーネとシャオ。彼女らも、スウィートと同じ条件にあてはまるポケモン。しかしルーナは最後までそれについて触れなかった。それは言う必要がなかったためなのか、それとももっと別の理由か。
それに本当に今回のは、前の星の停止≠フときの事例と同じなのか。
「……本当に、同じ……?」
「え?」
どうしても、違和感を拭えない。疑問が解けない。
けれど、スウィートはどこかあのときと今回は違うと感じていた。
少し考え込んだ後、スウィートはちいさく息を吐いて、シアオの方をしっかりと見た。
「何か、違う気がするの。それが何なのか、まだ私にはわからないけれど……。でも、ルーナさんが言っていることが本当なのか、私はにわかに信じられない」
「けど、でもさ、“光の泉”でも、僕らが空間のゆがみをひきおこしってるって……。それに、スウィートが"未来の人間"で、僕らが"未来へ行ったポケモン"。そして歴史を変えたっていうのは……事実、だよね。」
「それは…………そう、だけど」
それについては言いかえしようがなかった。
シアオが述べたことはすべて事実。ルーナはその事実をもとに"消える選択"をいってきたのだ。
どうしても、ルーナの言っていることを完璧に覆せなかった。
「……でも、私は、誰かただ1人に言われたことを鵜呑みにはしたくない。私はまだ、納得してない。
あの時は人間だった頃の私やシルドやレヴィちゃんやミングたちがしっかりと調べてた。あの未来の変え方も全部、自分たちで調べて、見て、考えて、納得した。そうして消えるって決めたんだ。
私はきちんと自分の消えなきゃいけない理由に納得したい。……そうじゃなきゃ消えたくないよ」
それが、スウィートの今の思いだった。
たとえルーナが言っていることが本当でも、自分が納得していないというのに消えるだなんてことは嫌だった。
しっかりとそう言い放ったスウィートをシアオは見てから、顔を俯かせた。ゆらゆらと揺れている瞳は、感情をそのまま表している。
夜の暗さと俯いたことが相まって見えずらくなったシアオの顔が、徐々に見えてきた。
それに気づいて、2匹が同じ方向を見る。
朝日だ。
まばゆい光をはなった太陽が、ゆっくりと姿を現し、地上を照らし始めていた。
無意識に2匹が感嘆して小さく息を吐く。
しばらく太陽を見てから、シアオが不意に口をひらいた。
「……僕さ、ここで朝日を見るの、初めてじゃないんだ。シルドと一緒に、この場所で朝日を見たんだ」
「シルドと?」
「うん。未来の世界から帰ってきてすぐの早朝に。
そのときにね、シルドに聞かれたんだ。「闇のディアルガがいて、ゼクトたちに囲まれた、あの絶体絶命のとき。どうして諦めずあそこまで強く気持ちをもてたんだ?」って」
――懐かしいな。スウィートが一番に思ったことはそれだった。
確かにあの時は自分の正体を知らされてパニックになり、そのうえゼクトに囲まれ屋のみのディアルガがいて、もうどうしようもなかった。その時にとっさのシアオの機転で助かった、あの出来事。
あの時シアオは最後まで諦めなかった。諦めず、絶体絶命の運命に抗おうとした。
自分はそれどころではなかったのであまり気に留めていなかったが、今になってスウィートもシルドが聞いた質問の答えが気になった。
「……シアオはなんて答えたの?」
シルドに話した時のことを思い出しているのか、懐かしむようにシアオは応えた。
「『シリウス』の皆がいたからって答えたよ。皆がいるから勇気をもらえて、困難なことでも乗り越えられる。皆がそろったら何でもできる。
言い過ぎかもしれないけど、僕はそう、思ったんだ」
「……そっか。うん、そうなのかもね」
シアオが言うことは、スウィートも理解できた。
根拠は何もないけれど、『シリウス』4匹が揃えばどんなことでも乗り越えられる。そんな自信が胸のどこかにあるのは事実だった。
太陽が辺りを照らしていく。光が差し込み始める。
不意にシアオが呟いた。
「ダメだなぁ……」
「え?」
「シルドにそんな風に言ったのに。シルドと別れるとき、色んな思いを託されたのに……。……僕は、自分が恥ずかしいよ」
するとシアオは太陽から目線をはずし、スウィートの方をしっかりと見据えて笑った。
「僕だって、こんな訳のわからないまま消えたくない。だから……僕も諦めず、頑張るよ。僕らが消えなくていい方法が、どこかにあるはずだしね!!」
「……うん。それでこそ、シアオだ。頑張ろうね」
「うん!!」
そう言って、スウィートもシアオも笑った。
太陽はどこまでも、明るく2匹を照らし続けていた。