57話 夢の中
“修行の山”の頂上につけば、黄色い背中が見えた。かつては許せないと追った背中が、今は頼るために追っているのは、何だか不思議だ。
しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。
こちらに気づかないウェーズにむかって、シアオが大きな声をだした。
「ウェーズ!!」
名前を呼ばれるのは予想外だったのだろう。
ウェーズは大げさなほどに体を揺らし、勢いよくこちらへ振り向いた。そして『シリウス』を見た瞬間に、驚きと、そして焦りの色を見せる。
「おお、お、お前ら、な、何でこんなところに!? はっ、おお俺はもう悪いことしてないぞ!?」
「え、ち、違います! 私たち、お願いしたいことがあって……!」
完全に勘違いしているウェーズに、慌ててスウィートが弁解しようとする。
フォルテがいらだった様子を見せたので、アルは静かに牽制した。そして何故かウェーズとともに一緒にパニックになっているスウィートの前に出た。
「サフィアのこと、覚えてるよな。そのサフィアが眠ったまま起きないんだ。うなされてる様子を見るからに、たぶん悪夢を見てるんだと思う」
「それで、スリープって種族なら夢の中に入れるって聞いて。僕たち、サフィアが起きない原因を知るために、サフィアの悪夢がどんなものか見たいんだ。……手伝ってもらえないかな?」
そう言えば、ウェーズは俯いて黙ってしまった。沈黙の中、『シリウス』は静かに返事を待っていた。
すると、数秒してウェーズが俯きながらも口を開いた。
「お、俺は……サフィアに、酷いことをした。……罪滅ぼしに何て、ならないかもしれないけど……けど、少しでも力になれるなら、」
ウェーズが、顔をあげた。
「――手伝わせてくれ」
しっかりとした目で、ウェーズはそう言った。
スウィートは思わず微笑んだ。本当にこのポケモンは反省して、誰かの役にたちたいと願っている。そのことが、とても嬉しかった。
返事をきくと、アルはすぐさま身を翻した。
「よし、じゃあ早くギルドに帰るぞ。サフィアの容態も心配だしな」
「おう!」
そうして、『シリウス』とウェーズは駆け足でギルドへ戻って行った。
サフィアがいる部屋に戻るまでに、何匹かのポケモン、もとい弟子たちとすれ違った。急いでいたので声はかけられなかったが、心配そうな目は見て取れた。サフィアのことか、ウェーズのことか、それとも両方か、それは分からない。
部屋に入れば、アイオとサフィアに付き添っている『アズリー』がいた。
すぐさま寝ているウェーズにサフィアを診てもらう。
その間に、小さな声で凛音が話しかけてきた。
「……あのポケモン、大丈夫なんですか。先輩たちがかなり警戒してましたけど」
「大丈夫だよ。本当に反省してるみたいだったから」
「はぁ……」
少し腑に落ちないといった顔をしているが、凛音はそれ以上は何も言わなかった。
メフィは、少しでもアイオが落ち着くように手を握っている。スティアは何でかアイオ以上に涙目になっていた。
サフィアを診てから数分後、待ちきれなくなったフォルテが尋ねた。
「どうなわけ?」
「……お前たち、これから冒険にいく支度をしてきてくれ。準備ができたら……お前らをサフィアの夢の中に送る」
「え、ゆ、夢の中に!?」
ウェーズの言葉に、シアオが目を丸くする。
顔をあげたウェーズは真剣な表情をしていた。堅い声で、「あぁ」とシアオの言葉に返した。
「俺1匹で何とかなったらよかったんだけどな……。これは、俺じゃ手に負えない」
「……どういうこと?」
「……サフィアの夢の中に、ものすごく邪悪なものを感じる。何か、禍々しいものがいるような、よく分からないが……とにかく、危険なものを感じるんだ。
十分な準備をしてくれ。いざとなったら夢の中から出せるようには努力するが……」
「わかりました。夢の中に入れるだけでも、十分です。……とりあえず、早く準備をしよう。早く、サフィアちゃんの悪夢をどうにかしないと」
ウェーズの話が本当ならば。サフィアの容態は、本当によくないものだ。
未だ、サフィアは苦しそうに顔を歪めている。このまま放っておいて、どうなるのかは誰にも分からない。だからこそ、早めに解決しなくては。
『シリウス』は急いで支度をすました部屋に戻った。ギルドの弟子たち、トレジャータウンのポケモンたちから激励をもらいながら。
準備ができた、とウェーズに伝えると、サフィアの近くに立たされた。
「これからお前たちをサフィアの夢の中に送る。いくぞ!!」
「せ、先輩、がんばってください!!」
「ごごごごごご無事でぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「……煩いです」
慌てたようなメフィの声と、涙声のスティアの声と、鬱陶しそうに呟く凛音の声を聞きながら、『シリウス』は自分の意識がどんどんぼやけていくのを感じた。
目を開けば、ギルドとは全く違う場所に立っていた。
周りを見れば、紫色や黒が多い、それで不気味さを強調している場所にいた。雰囲気というか、空気というか、確かに何か突き刺さるようなものを感じた。
「ここが、夢の中、なのかな……?」
《『シリウス』! 聞こえるか!? 俺だ、ウェーズだ》
「う、うん! 聞こえるよ」
周りを見ても、ウェーズの様子はうかがえない。空間に、頭に響くような感じから、おそらく夢の外部から話しかけているのだろう。
そう推測して、ウェーズの声に耳をすました。
《前にも言ったが、この夢の中には邪悪な何かを感じる。分かっているとは思うが、十分注意して行ってきてくれ》
すると、声は止んだ。忠告は、どうやらこれだけらしい。
ふぅと息を吸い込むと、何だか少し肺が痛んだ。この夢の、悪夢の空気はあまりよくないみたいだった。
スウィートは振り返り、3匹に微笑んだ。
「それじゃあ、奥に進もうか」
「そうだね。……夢、かぁ」
シアオがそう呟いたのにスウィートは疑問を抱いたが、はじめて夢の中に入ったのだからそう呟いたのだと思い、そんなに気にしなかった。
『シリウス』が夢の中を進み始める。
しばらく進んでも、黒と紫の禍々しい空間が続くだけ。
ときに悪夢だからなのか、マトマの実が転がっていたり、怖そうなポケモンがいたりする。ただ、『シリウス』にあまり実害はない。
「……サフィアちゃんが嫌なものがいっぱいあるって感じなのかな」
「だろうな。これがシアオの悪夢だったら大量のアリアドス、フォルテの悪夢だったら大量のゴーストタイプがいたりするんだろうけど」
「ひぃぃぃぃぃぃっ!!」
「ちょちょちょっと! 気持ちが悪いこと言わないでくれる!? 考えるだけで寒気がするわ……」
想像だけでこの反応とはいかがなものなのか。スウィートは苦笑した。
そこでふと気になった質問をアルにぶつけてみた。
「アルの悪夢だったらどんなのだと思うの?」
「俺? ……馬鹿ばっかりで収拾がつけられなくなって俺が巻き込まれる夢、かな」
「そ、そう……」
思わずどう返事しようか迷ったが、頷く以外に反応できなかった。どれだけ迷惑をかけ、どれだけアルに苦労をかけているのかが分かった気がする。
いつか恩返しできるようにしよう。
スウィートは心の中で決意するが、迷惑をかけている人物が自分でないことを知らないため、その決意が無駄であることに気づかなかった。
ちょこちょこ話をしながら、先へ進む。しかし、進んで進んでも同じような道しか続いておらず、悪夢の原因になりそうなものはない。
「ずいぶん奥まできたよね……。サフィアの悪夢の原因は、わっ!?」
そうシアオが言いかけたときだった。いきなり周りが暗くなり、見えなくなった。
スウィートは思わず小さく悲鳴をあげる。腕を掴んできたのはおそらく隣にいたフォルテだろう。証拠に「何!? ゴーストタイプ!?」という声が聞こえる。
騒いでいるシアオとフォルテに、アルが「落ち着け」と言おうとした瞬間だった。
「貴方たちは、貴方たちはどうやってここに……」
「えっ?」
少し近いところから聞こえる声。聞き覚えがあり、スウィートは耳を疑う。
そして周りが明るくなって声の主の姿が明らかになった瞬間、今度は目を疑った。普通なら、見るはずのない姿。
ルーナ・ユエリア。
最近夢にでてきて、スウィートを悩ませているポケモンが、目の前に、いた。
「貴方たちがここにどうやって来たのかは知りませんが……でも丁度よかった。私も貴方たたちにお会いしたいと思っていましたから」
どうして、彼女がここにいるのか。
考える前に、シアオとフォルテが言った言葉に思考が止まった。
「ル、ルーナ……」
「な、何で!? あれは夢のはずでしょ……!?」
「……え?」
シアオは何故か、知るはずのないルーナの名前を呆然と呟いた。フォルテは、「夢のはずだ」と言った。アルを見れば、少し顔色を悪くしてルーナを見ている。
どういうことだ、そう思う前に、アルが問いかけた。
「……夢の中で話したことは、夢じゃなくて本当ってことか」
「はい。以前お話した通り、貴方たちはこの世界にいてはならない存在なのです」
一気に冷や汗が出た気がした。
貴方たち=Bつまりそれはスウィートだけでなく、シアオやフォルテ、アルも消えなければいけない存在だということ。シアオたちも、ルーナに夢で同じことを言われていた、ということ。
しかし、スウィートは疑問を覚えた。それを、ぶつけずにはいられなかった。
「ま、待ってください! 何でシアオたちまで!? だ、だってルーナさん、私が「未来から来た人間で、この時間の者じゃない」から空間の歪みを大きくさせてるって……!」
「……俺は「一度あの未来にいって、この時間に帰ってきたから」らしいぞ」
「ア、アルも同じこと言われてたの!?」
「ちょ、まさかアンタもじゃないでしょうね……」
どうやらスウィート以外は、アルが言ったようなことを理由に「世界を滅ぼす」と言われたらしい。
つまりルーナの言うことによれば、『シリウス』の4匹は世界を滅ぼす存在。ここにいてはならない存在、ということになる。
(嘘でしょう……!?)
もし自分だけならば、あまり迷うことはなかったかもしれない。ただ、他の3匹もだというなら、話は別だ。
世界を救うために、シアオたちまで犠牲にするなど、スウィートは考えたくもなかった。
「俺たちが未来にいったから、未来の者だから、そういった理由で空間の歪みを大きくしてるのはわかった。ただ、何で空間の歪みが世界が壊れてしまうことにつながる?」
確かに、それは聞いてない。アルの質問の答えは、スウィートも気になった。
「…………空間の歪みが大きくなると、闇の力も増幅される。やがて世界は悪夢に包まれてしまうんですよ。現に、最近起きないポケモンが増えているでしょう。
今、私たちはどこにいますか?」
「サフィアの悪夢の、な、か……」
「そう。サフィアさんの悪夢の中。サフィアさんは悪夢を見続け、目を覚まさない。これが世界に広がってしまう。今はまだ少ないですが、空間の歪みが大きくなれば、もっと沢山のポケモンが、すべてのポケモンが、悪夢を見て、目を覚まさなくなるでしょう」
「そ、んな……」
すべてのポケモンが目を覚まさなくなる。――つまり、それが世界の崩壊。
確かに、そうだろう。眠り続ければ、死に至る。いつかは、すべてのポケモンが世界から消えてしまう。
そんなことは、ダメに決まっている。
「ね、ねえ! 空間の歪みをなくすために何か方法はないの!?」
「ありますよ。1つだけ、」
シアオの質問に、ルーナが微笑んだ。
その微笑みに、返答に、ほっとしたのは束の間だった。
「――貴方たちが、消えることです」
底冷えるような声で、冷たい笑みで、ルーナはそう言った。
思わず体を震わせた。自分が消えるしかないというたった1つの世界を救うため≠フ選択。そして、ルーナへの恐怖。
息が、思わず止まりそうになった。
スウィートは何か言おうとするが、口の中がカラカラになってしまって、何も言うことができない。「そんなことはないはずだ」と、言い返すことが、できない。
それをいいことに、ルーナは続けた。
「私はこの時を待っていました。貴方たちを消し去る、この瞬間を」
じりじりと、ルーナが詰め寄ってくる。それにあわせて、『シリウス』も後ずさった。
「ちょ……ちょっと待ちなさいよ! い、いきなり「消えろ」なんて、そんなこと言われて、な、納得するわけないでしょう!?」
「では……全てのポケモンが悪夢に包まれてもいいと?」
噛みつくように言い返したフォルテが、その言葉を聞いて、言葉を詰まらせた。言い返す言葉が、見つからなかった。
すべてのポケモンが悪夢に包まれて、目を覚まさなくなるなど、そんなことはあってはならないことだと分かっている。
それでも、自分たちが消えることを選択するのは難しかった。
誰かがあの時のように、問いかけてくる。――これが最善策? そう、問いかけてくる。
とにかく何か言わなければ。どうにかしないと。それでも口からは何も出てこない。
すると、シアオが後ずさりする足をとめて、しっかりとルーナを見て尋ねた。
「……本当に、本当にそれで、世界は助かるの?」
「助かります。貴方たちが、世界を壊している原因なのだから」
シアオが顔を歪めるのがわかった。泣きそうになるのを、耐えているように見えた。
ルーナがシアオの前に立つ。
ダメだ、そんなの駄目。でも、世界が、ポケモンたちが。
「すみませんが、――消える覚悟を」
ルーナが鋭い刃をシアオに振り上げた。スウィートは咄嗟にシアオの前に出ようとする。フォルテとアルも、遅れながらも動こうとする。
――間に合わない。誰もがそう思ったとき。
「『シリウス』!! どこにいるんだ!?」
ぴたりと、その声で、ルーナの刃がシアオに当たる前に止まった。
その隙にスウィートはシアオをひっぱり、ルーナから遠ざける。引っ張った反動で、スウィートとシアオは少しだけ床を転がってしまった。
起き上がりながら、眉をしかめたルーナを見た。
「あと少しだったのに……。……邪魔が入りましたが、貴方たちにはいずれ消えてもらいます。消える覚悟は、しておいてください。
……もし貴方たちが世界を救いたいと願うなら、自ら消えるべきだと、私は思いますよ」
歪に微笑んで、ルーナは姿を消した。まるで、元からそこにいなかったように。
隣にいるシアオを見れば、恐怖の色こそ浮かんでいるが、外傷はない。スウィートは安堵の息をついた。
「此処にいたのか!」
フォルテとアルは体ごと後ろを振り返り、スウィートとシアオは首だけ後ろに向ける。
見れば、ウェーズがこちらに駆け寄ってきた。
「ウェーズ……どうしてここに」
「お前たちの帰りがあまりに遅いんで心配になってな。……何か暗い表情をしてるけど……どうしたんだ?」
その言葉に、どう答えるべきか、『シリウス』は悩んだ。
「……いや、何でもない」
平静を装って、アルはそう答えた。下手に口にしない方がいいと思ったのだろう。
ウェーズは首を傾げたが、さして気にしたようではなかった。
「とりあえず戻ろう。ここに長居するのはあんまりよくない」
「えっ、で、でもサフィアの悪夢の原因が、まだ……」
本来の目的を果たせていない。シアオは戻ることを渋る。
しかし前を見ても、後ろを見ても、同じような道が続いているだけで、原因があるようには思えない。「長居するのはよくない」と言われてしまえば、探すのはこれ以上は無理だ。
だからなのか、ウェーズは静かに首を横にふった。
「サフィアのことが心配なのはわかるが、戻った方がいい。これ以上いれば、戻れなくなる可能性もある」
「……なら、仕方ないわね。戻りましょ」
フォルテが大きなため息をつきながら、そう言った。ウェーズが頷くと、『シリウス』はふわりと宙にういたような感覚に襲われ、目を瞑った。
後味の悪い何かを、心に残しながら。