55話 ユメ
気づいたら、そこに立っていた。周りの風景はぼんやりとしていて、はっきりしない。そのせいで何処なのか検討がつかない。
スウィートは、首を傾げた。
(ここは……どこなんだろう。夢、かな……?)
意識はあるのに、まだ視界はぼんやりと滲んでいる。ぼんやりとスウィートは宙を見ていた。
すると、白くぼやけていた部分に、いきなりピンク色と黄色が現れた。
姿は確認できないが、ポケモンだということは認識できた。
「……誰?」
《……私、は……私は、クレセリアのルーナ・ユエリアと申します》
聞き覚えのない種族名が聞こえてきた。そして、名前。高い、ソプラノの大人らしい声だった。おそらく♀だろう。
これは私の記憶の夢なのかな、スウィートはそんなことを考える。
しかし、ルーナの聞き捨てならない次の言葉によって、それはすぐ追いやられた。
《あなたの……あなたの存在が、世界を破滅の道へと追い込んでいます》
《世界を……破滅の、道へ……。わ、私が……?》
半ばパニックになりながら、ようやく姿の輪郭が見えてきたルーナに問いかける。
反対に、ルーナは冷静だ。
《あなたがこの世界にいるために……あなたが……ここに存在するために……。このままだと……》
いきなりルーナの姿が点滅し始める。驚いていると、周りのぼんやりとした景色もぐにゃりと歪み始めていた。
どうなってるんだ、そう焦っても何も変わらない。
自分の姿が点滅したり、歪んだりしているというのに、ルーナはどこまでも冷静だった。そして、衝撃の事実を告げた。
《世界は滅んでしまうのです》
勢いよく目を開けた。見慣れた景色が瞬時に飛び込んでくる。辺りはまだ暗い。
体を起こし、少しあがっている息を整えた。じんわりと滲んでいる汗を拭えば、あまりに生温かくてほんの少しだけぞっとした。周りを見れば、シアオたちが静かに眠っている。
それを見ていると、何だか安心して、スウィートはほっと息をついた。
「……ゆめ……夢、か……。……夢、だったのかな…………?」
あれが、夢だったというのだろうか。
そしてすぐ、ルーナが言っていた言葉を思い出した。
自分の存在が、世界を破滅の道へ追い込んでいる。自分がいるから、世界が滅んでしまう。自分が、この世界に、いるから。
どっと冷や汗がでた。
そこではっと我に返り、スウィートは首を横にふった。
(夢、だよ。あれは、悪い夢。……誰かがそう言ってるだけで信じちゃいけない)
息を大きく吸って、ゆっくりと吐く。それだけで気持ちが落ち着いた。
ふと外を見れば、眩いくらいの光を放った太陽が、ゆっくりと水平線から顔をのぞかせていた。朝か、そんなことを考えながらぼんやりと外を眺める。
最近よく夢を見る。しかしこんな夢は初めてだった。
(……セフィンさん達から聞いた話を深く考えすぎたからかな…………)
かなり的を射た夢だった。今世界におこっている異変、そして世界の破滅を予知する夢。もしかしたら意識しすぎて、あんな夢を見たのかもしれない。
その時のスウィートの認識はそんなものだった。
そんなものだと、心の中で唱えて、考えないようにした。
「ん……っ、邪魔だシアオ」
「あ、おはようアル」
「おはよう、スウィート。コイツら寝相どうなってんだ……」
だからこそ、すぐに忘れるのだ。
楽しい日常が、そんな不穏なことを忘れさせてくれるから。
夢を見ても、それはしょせん夢であって、現実ではない。
どれだけ叫ぼうが、手を伸ばそうが、それが届くことはない。どれだけ、名を呼んで、会いたいとわめこうが、相手に届くことは、ない。
それでも、縋ってしまう。その夢に。
〈ねぇ、君の名前は何ていうの? 私はね――……〉
何度も繰り返される過去。夢だと自分で認識している。
笑っているソイツを見て、「コイツは此処に存在している」と、そう思って、また突き落とされる。もう、アイツは存在していない。
ふわりと笑うその笑顔は、もう見ることのないモノだ。
夢というのは、自分にとって都合のいいものを見せる。それを吉夢という。時に、自分にとって苦いものを見せる。それを悪夢という。
吉夢には縋って、悪夢を拒絶する。みんな、そんなものだ。
かくいう俺も、きっと、それに当てはまってしまうのだろう。
だからこそ、いつまでもいつまでも、俺にとっての吉夢≠見るのだ。
〈君は自分を悪く言うけれど、そんなことはないわ。私は、ちゃんと知ってるよ。君が優しいポケモンだってこと〉
〈行こう! きっと凄い景色があるに違いないもの!!〉
優しい言葉をかけ、俺を引っ張ってくれていた存在はもういない。
声も、表情も、どんどん薄れていく。忘れられていく。誰かの記憶からは、もう消えてしまったかもしれない。忘れることは、仕方ないことだとアイツは言っていた。
忘れる前に。アイツの声を、表情を、姿を、名を。
俺は、壊さなければいけない。アイツのために、仇を討つために。
もう夢から覚めなければいけない。夢ばかりを見ていることはできない。
そんなことを考えれば、夢の中のアイツが、苦しそうな表情をした。過去に、こんな顔は、していなかったはずなのに。
見たことがない、表情のはずなのに。
どうしてお前は、そんな顔をするんだ。
ゆっくりとアイツが口を開いた。
〈――――――。〉
何も聞こえない、きこえない、キコエナイ。
何も分からない俺の前で、苦い表情で笑顔を見せてから、アイツは静かに目を閉じた。ゆらゆら揺れて、幻のように姿を消した。
手を伸ばしたのに、それは見事に空ぶった。
「…………。」
お前が俺の前からいなくなって、どれだけの月日が流れたんだろうか。
「……***」
確かに呼んだはずのアイツの名は、ノイズが混じって、よく聞き取れなかった。
変な夢をみた、翌日だった。
また、だ。スウィートはすぐにそう思った。
宙に浮いたような感覚、ぼやけている風景。昨日みた夢と全く同じ状況のため、スウィートは冷静だった。
昨日とまるで同じようにぼんやりと、黄色とピンクが現れる。
ルーナ・ユエリアだ。それをすぐに認識したスウィートは、少し緊張した面持ちでルーナに問いかけた。
「ルーナさん……でしたよね。……あの、教えてください。貴女は私の存在が世界を滅ぼすって言っていた……。あれは、どういう意味ですか?」
《……貴女は、貴女は未来から来た人間であり、この時間の者ではありません。それが空間の歪み≠生み出しているのです》
その言葉を聞いて、スウィートは思わず絶句した。
空間の歪み=B“光の泉”で指摘された、異変。
それをルーナは未来からきた人間だから、この時間の者ではないから、自分が引き起こしているという。そんな原因は、考えたこともなかった。
《これ以上、空間の歪みが大きくなると、この世界は崩壊してしまう。空間の歪みが、世界を崩壊させる》
「そ、んな……」
《――貴女がいるから》
責めるような口調でそう言われて、スウィートは言葉を詰まらせた。
もしルーナの話が本当なら、「スウィートがいるから空間の歪みが大きくなる」ということだ。つまり「スウィートの存在が邪魔だ」ということ。
どうすれば、スウィートが考えているのを他所に、ルーナは続けた。
《貴女は、この世界にいてはならない存在。絶対に、いては、なら……い》
ノイズ混じりで、ルーナの声が聞き取りにくくなってくる。
これではだめだ。そう思ってスウィートはルーナに手を伸ばす。
「ま、待って! もう少し話を――!!」
勢いよく目を開き、そのまま体を起こせばゴツンと音が響き、頭に鈍い痛みがはしった。思わずスウィートがうめく。
すると聞きなれた声が「大丈夫?」と聞いてきた。
「仕返ししてやりましょうか? 火炎放射で」
「いっだぁぁぁぁ……!!」
「自業自得だな。スウィート、大丈夫か?」
「へ、へいき……ご、ごめんねシアオ……」
どうやら痛みの原因はシアオだったらしい。起こそうとしたのだろうか、いきなり起き上がったため頭突きの形になったようだ。
未だ鈍く痛む頭をおさえながらシアオを見ると、すぐにけろっとしていた。
「おはようスウィート! 今日はよく寝てたね!」
「うん……おはよう。一番遅かったんだなぁ……」
しみじみとそう呟けば、アルが苦笑した姿が見えた。
スウィートが起きたためか、それぞれ動き始める。やることは様々だが、朝当番であるアルとフォルテは料理にとりかかっていた。
それをぼんやりと見ながら、スウィートは起きる前のことをふと思い出した。
(……私と、空間の歪みが関係してるってことは“光の泉”でも言われたことだ。……だと、すれば……)
思わず、眉をひそめた。嫌な可能性に、冷や汗がたれる。
(…………私が、ここで生きていること自体、世界を壊す原因になっている……?)
〈今の、この時間の皆の笑顔が私は大好き。凄く輝いていて、とても綺麗で、眩しくて。そんな笑顔を、私は奪いたくない〉
かつて、自分が言った言葉。
大好きな人たちの笑顔を、奪いたくない。それは今も変わらない。今も、皆の笑顔が大好きだ。この言葉に嘘偽りはない。
ない、けれど。
(……もし、私がいることで、皆の笑顔を奪ってしまうなら、)
――私は、消えなければならないのだろうか。
表情が強張ったのは、スウィート自身もわかった。
嫌な仮定であり、嫌な想像だ。それでも、その可能性は捨てきれない。最悪の場合は、そうするしかなくなる。
別段、そうであれば自分の命を投げ出す覚悟は、スウィートの中にあった。星の停止≠食い止めるといったときのような、覚悟が。同じような覚悟は、今もスウィートの中にある。
けれど、その覚悟を揺るがすものがあった。
自分が消えたときに、泣いて泣いて、戻ってきてほしいと願ってくれた大切な仲間。
そして、もう1つは、
〈胸の片隅に、私の願いを置いておいてほしいの〉
真っ暗な場所で、シアオたちの泣いている声を聞いていたとき、自分がどうしたいかを尋ねてくれた声が、自分に託した願い。
まだ果たせてもいない。それに、ディアルガが戻してくれた命を大切にするように、そう約束したのだ。
まだ、死ねない。
世界の崩壊と、その2つの心残りが、スウィートの心をぐらぐらと揺さぶる。
するとぽん、と頭を軽く叩かれた。
「スウィートなにぼーっとしてるの? 元気だしていこうよ!!」
「お前が頭ぶつけたからだろ」
「アンタが頭ぶつけたからでしょ」
「何で2匹とも僕を総攻撃するかなぁ!?」
いつも通りの喧騒に、思わず笑みがこぼれた。
重かった気持ちが、軽くなっていくのを感じた。
(シアオ……いつにましても元気だなぁ。でも、そうだよね。元気だしていかないと。
私が世界を壊す原因なのか、まだ本当かどうか分からないし……。今ここで考えたって仕方ないし)
少し俯きかけていた顔をあげれば、何だか元気がでた。
そうしていつものように、『シリウス』のメンバーと会話を始めるのだった。
朝やることを全て終え、いつものように外へ出ようとした『シリウス』。しかし、いつもとは違うことがおきた。
「おーい!」という聞きなれた声が、トレジャータウンの方からしたのだ。
「あれ、レニウム先輩……?」
「何か大急ぎの様子?」
「た、大変ゲス〜〜〜ッ!!」
『シリウス』の近くまできて、レニウムは足をとめて息を整える。
アルが「大丈夫ですか」と声をかけるまえに、勢いよくレニウムは顔をあげた。
「た、大変、なんで、ゲス……。サ、サフィア、ちゃんが……今、ギルドに、運ばれて……!」
「サフィア?」
予想外の名前に、フォルテが目を丸くする。
何故いきなりサフィアの名前がでてきたのか。そして大変というのはどういう意味なのか。
色々と気になったが、ギルドに運ばれたというのなら行ってしまった方が早いだろう。そう『シリウス』のメンバーは思った。
「えっと……レニウム先輩、走れますか?」
「だ、大丈夫ゲス……! これくらい……!」
「よっし、行こう! ギルドに!!」
先輩への気遣いは皆無。そんな感じで駆けだしていくシアオとフォルテの後ろ姿を見ながら、スウィートとアルはレニウムにあわせてギルドへむかって駆けるのであった。
途中「遅い!」と文句をいってきた2匹に拳骨くらわせてやろうかと思ったアルは悪くないはず。