53話 嵐の夜
「死ぬ、怖い、死ぬ、」
「スティア大丈夫だって。ここ地下だよ? 雷があたるはずないじゃん」
ギルドの一室、『アズリー』の部屋。
毛布を頭からかぶってガタガタ震えてブツブツ呟くスティアと、それを宥めるメフィ。凛音は静かに読書に勤しんでいた。
しかしスティアの呟きに集中がそがれるのか、本から目をはなした。
「スティア、少し黙ってください。煩いです」
「無理、死ぬ、終わる」
「ごめん、スティア。終わるって何が」
完全に怯えているスティアは凛音の言葉だろうが関係ないらしい。いつもなら凛音の一言は絶対服従のようになっているというのに、今はそれが効かないらしい。
ため息をついて、凛音は窓の外を見た。
ガラスは風でガタガタと揺れるとともに、雨が叩きつけられて痛々しい音をたてる。雷はまだ遠いようで音はそこまで聞こえないが、スティアはそれさえダメらしい。
メフィはスティアの頭をよしよしと撫でながら、不意に話題を提示した。
「そういえば、今日ディラさんから夕飯のときにお知らせがあったよね。これから大丈夫かなぁ……」
「さぁ……そればかりは私も何とも。誤報の可能性も無きにしも非ずと言われてますし、今のところはどうしようもないんじゃないですか」
メフィがいった「お知らせ」というのは、セフィンと刃がもってきた情報のことである。
「誤報の可能性もあるが、注意して冒険をしてくれ」と言われ、少なからずメフィは不安を抱いていた。スティアもそれを聞いた直後は青ざめていた。
まだそこまで深刻ではないが、これが本当で広がるとしたら、かなり危険だ。
「……まあ何とかなるでしょう」
凛音が再び本に目を落とす。
全く気にしていない風な凛音に、メフィは思わず「怖いもの知らず……」と恨めしげに呟いた。
こんなときに限って嵐か……、スウィートはそんなことを思った。
遠くの方で雷が聞こえてくる。だんだん近くなっているのは気のせいではないのだろう。サメハダ岩に少量の雨が降りこんでくるため、4匹は隅の方にベッドを移動させていた。
すると外の様子を見ながらシアオが呟いた。
「嵐って……何だか久しぶりだね。何か新鮮だなぁ」
「まあここ最近は穏やかな天気だったからな……」
嵐を見ながら、それぞれの感想を零していく。しかしすぐさま会話は途切れた。
フォルテがぽつりと呟いた。
「……何か、星の停止≠止めたこととか、凄い昔のことのように感じるわね」
その言葉を聞いて、スウィートはぼんやりと自分の記憶を引っ張り出した。
1番に思い出すのは人間だった頃の自分のパートナーと、その彼に思いを寄せていた女の子。そして、自分が生まれた暗黒の世界=B
そんな世界を変えようと、必死に戦った。
記憶はもう色褪せている。そこまで昔のことでもないのに。
スウィートがぼんやりしていると、ふとある出来事を思い出した。
(そういえば時が正常になったおかげで“光の泉”で進化できるようになったけど……私たちはできないって……)
〈汝が進化できないのは……おそらく空間の歪みによる影響だと思われる〉
〈何故そうなのかは分からない。とにかく汝の存在が空間の歪みを引き起こしている〉
空間の歪み=B『シリウス』はそれによって進化できないと言われた。
あのときは卒業で盛り上がっていたのですっかり忘れていた。しかし今きちんと考えればこれも「異変」と言うべき出来事だろう。
(……時が戻っても、まだうまくいかないところがあるのかな)
「わわ、雷!」
シアオの言葉より早く、ピカリと雷が鳴り、ゴォォンと大きな音をたてた。先ほどより音が大きくなっているのは気のせいではないだろう。
するとアルがベッドにごろりと寝転がった。
「とりあえず今日は寝よう。このまま起きてたら嵐の音で寝れなさそうだ」
「そうね。……シアオ、アンタもうちょいそっち寄って。邪魔」
「邪魔って……」
狭い空間の中、それぞれが場所を確保する。
雨はひどくなり、どんどん振り込んできて、さらに寝る面積を狭くしていく。
平和だった日々ががらがらと崩れていく、そんな音を、誰かが聞いた気がした。
鬱蒼とした森の中。雨風が酷く、雷が大きな音をたてて鳴っている。
その森の中で1匹のポケモンが佇んでいた。夜のため辺りは暗く、そのポケモンは夜の闇とほぼ同化していた。
「…………いい感じだ」
ぽつり、低い声があたりに響いた。
「この森もだいぶ歪んてきている。空間の歪み……これをもっと膨らませることができれば、」
独り言をつぶやいていたそのポケモンは、急に言葉を止めた。
そしてある方向を見て、「チッ」と舌打ちした。
「……ルーナ・ユエリアか。しつこい奴だ。どうせ俺は止められないというのに」
すると雷が鳴った。そのときに、闇と同化していたポケモンの姿が一瞬だけ露わになる。黒いポケモンだった。
そのポケモンは灰色の空を見上げた。
「……待っていろ、――」
最後の言葉は、雨と雷の音でかき消された。
また雷が鳴ったとき、そのポケモンはもうそこにはいなかった。
数秒遅れて、先ほどのポケモンがいた場所に微かに光を体にともしたポケモンがやってきた。
そのポケモンは辺りを見渡すが、当然もう誰もいない。
「……逃げられた。ここまで接近できたのは始めてだけど、最後は必ず逃げられてしまう。これ以上は難しい、か……」
諦めかけた寸前、そのポケモンは首を横に振った。
「いいえ。何としてでも止めないと。空間の歪みも、奴のたくらみも。じゃないとまた世界は大変なことになる。私が、止めないと」
激しい雨風にも負けない力強い声で、そのポケモンは言った。
「何としてでも……ダークライを……!!」
壊れた歯車は廻る、廻る。
全てを巻き込んで、正常の歯車さえ、何もかもを狂わせるかのように。
壊れた原因は、誰にも分からない。