22話 変わりたい
諦めたいんじゃない。変わりたくないんじゃない。
変わりたいんだ。だから、頑張ろうって思ってるんだ。
頑張ろうって、本気でそう思って。それでもできなくて。それでも、心の片隅に住み着いている恐怖が、自分にセーブをかけてしまう。
それでも、諦めたくない。変わりたい。
だから、姉さまにも、誰にも言わないでほしかったんだ。
〈お主はきっと、これからも、ずっと変われない〉
変われない、だなんて。
「スティアッ……! え、ちょ、凛音」
「ふぎゃっ!!」
懸命にスティアを追っていた凛音とメフィ。しかしなかなか追いつかないのに痺れをきらしたのか、凛音が蔓のムチでスティアの足を引っ掛け転ばした。
そのため追いつけたメフィだが、思わず凛音に「何やってんの!?」とツッコミを入れた。
「距離がなかなか縮まらなかったので」
「いや、駄目でしょ! それでもやったら駄目でしょ!?」
すると「いてて……」と言いながらスティアが起き上がる。それに気付いたメフィは「大丈夫?」とスティアに声をかけた。
「だ、大丈夫なのですよ……」
「さて、弁解を聞かせていただいても?」
その言葉に、スティアが凛音を見た。凛音は相変わらず何を考えているのか分からない無表情だ。
するとスティアは同じような無表情をつくり、聞いた。
「何の、ですか。……意味が、分からないのですよ」
「リアテさんの言葉を聞いて逃げたことの、です。あれは言い当てられて逃げたものですか?」
スティアは口を噤んだ。そして小さく何か呟く。
しかし凛音は聞いていないのか、それとも聞こえていないのか。そのまま言葉を続けた。
「あれが貴女の本心ですか。今回も、8合目にいる医者に口裏でもあわせて山を下りるつもりでしたか」
「…………ちがう」
「それでしたらもういいです。山を下りてください。リアテさんの言うとおり、元から諦めている方を連れて行っても、」
「ちがうッ!!」
何も言わなかった、言ったとしてもとても小さな声だったスティアが、いきなり大声をあげた。
メフィは目を丸くし、凛音は驚いた様子もなくただスティアを見るだけ。ようやく顔をあげたスティアの目には、うっすら涙が溜まっている。
そしてスティアは凛音を睨んだ。
「貴女だってっ、リアテ様だって……何の関係もないくせに、勝手なことを言わないでほしいのですよ! 何も、何も知らないくせに!!」
自分の素直な思いをスティアが吐露する。怒り。それがスティアの胸中を占めていた。
凛音は分かっているのか分かっていないのか。全くよめない凛音だが、「だから?」と冷たい声で言った。
「確かにリアテさんから聞いたことしか知りません。もちろん私は貴女ではないので貴女の心中など知っている訳がありません。寧ろ全て察していたのなら恐ろしいです」
り、凛音がポケ絡み時並に饒舌だ……! とメフィが感激しているのも露知らず、凛音は「しかし」と続けた。
「進んでいないのは、事実。恐れているのは確か。前の惨状を恐れて、何もできてないのが現実。それは、何も知らない私でも、赤の他人でも分かる事実ですが?
だから「変われない」といわれても仕方ない。私はそう思います」
「っ…………」
何もいえず、スティアは俯く。メフィがおどおどしているが、止めることはできない。
凛音はスティアを見てから、「はぁ」とため息をついた。スティアは俯いたままだが、メフィは思わず凛音の方を見た。
「私にだって、ありました」
「は…………?」
いきなり凛音がいった言葉に、スティアが顔をあげて首を傾げる。
凛音の顔はいつも通りの無表情。ただふざけているわけではないのは分かった。
「初めて恐怖と思える体験をして、動けず、進めないときがありました」
その言葉に、スティアとメフィが目を丸くする。メフィでさえ目を丸くするということは、凛音が未だ喋ったことがないということだ。
凛音はよめない表情でそのまま続けた。
「けれど私は貴女とは、違う。自分で考えて、自分で行動しました。変えるために。
貴女は何かしようとしましたか? 少しは何かしようと、変えようと、何か行動しましたか? その体験をしてから、一歩でも前に進みましたか?」
凛音の問いかけに、スティアは答えない。けれど、凛音は答えを必要とはせず、答える前に次の言葉を投げかけた。
「だからこそ、変えるために、今回 登るのではないですか? 今登って、変わればいい話ですよね。
「変われない」。リアテさんはそう言いました。それは何もしなければ、です。貴女は今、変われるところにいる。今一歩踏み出せば、貴女が「変わりたい」と思うのであれば、変われるはずです」
「そ、れは……」
スティアの瞳が、ゆらゆらと揺れた。何かが、揺れた。
それを見て、凛音は静かに目を伏せた。
「私からはもう何も言いません。登れとも言いません。この依頼は受けれそうにもないので、クラウアさんには別の礼をだします。
後は貴女がどうすればいいのか、自分で考えてください」
するとスティアの横を通って、凛音はスタスタと歩いていった。スティアは呆然と、それを見る。
そんなスティアをぽん、と軽くメフィが叩いた。
「スティア、凛音はさ、ああやってキツイことをたまーに言うけど、あれでもスティアのことすっごい心配してるんだよ」
困ったような笑顔で、メフィはスティアに話しかける。
「凛音はね、あの性格だから利己主義者みたいに思われることが多いんだ。けどね、みんなが思ってるよりずっと人のこと心配してるの。
ああやって叱ってくれるときが、凛音のいちばん優しいときなんだ。凛音は甘やかすのが苦手だから。……凛音はね、叱って、正しいところに導いてくれるの。あとね、自分の気持ちに素直にさせてくれる」
メフィの言葉を、静かに聞く。
不器用かもしれない、凛音の優しさ。すとん、と自分の心にはまる何かが、確かにあった。
「スティアが、凛音の言葉を聞いて何か感じたのなら、きっと、それがスティアの本心だと思うの。
だから、今のスティアの気持ちに従えば、大丈夫だと思うよ。きっと、正しい方向へいける。後悔しないで、済むと思う」
私の言いことはこれだけ、とメフィが笑った。凛音への強い信頼を表しているような、そんな笑顔。
スティアには、眩しいくらいの、笑顔だった。
(自分の、きもち)
〈頂上は花が咲き乱れていてとても綺麗な風景が見える、頂上とは思えない豊かな自然に囲まれている……まさに楽園のような場所だ〉
生前、父が自分に言っていた言葉。
そのときに、強くおもったこと。いきたい、みたいと気持ち。まだ、忘れていない。まだ、その気持ちは、残っている。
無意識に、スティアの口からこぼれた。
「頂上に、いきたい」
父上がいっていた景色を、自分も、見たい。
スティアの本心がこぼれた瞬間、ぽろりとスティアの目から涙が流れた。そして、止まらない涙を拭いながら、ぽつりぽつりとこぼれる、どこか奥深くにしまっていた本心。
するとメフィがよしよしとスティアの頭を撫でた。
「よしっ、じゃあ登ろう。一緒に、頂上へ」
「ひっぐ……は、い……」
未だ泣いているスティアを見て、メフィが困ったように笑った。
そして、前を見る。けっこう遠くに、凛音が見える。
(いつか、絶対に追いつくんだ)
あの背中に。追いついて、並んでやる。
メフィはスティアを宥めながら、凛音の後を追った。スティアも、涙を流しながらも、しっかりと進んだ。
凛音が「ふーっ」と息をはき、小さく笑っていたのは、誰も知らない。