85話 すれ違いの果てに
「ーネ……フィーネ!!」
シャオがずっと呼びかけていた甲斐があってか、フィーネはゆっくりと目を開けた。それを見てシャオは頬を少しだけ緩める。
フィーネは状況がよく分かっていないのか、何も言わなかった。だが、少ししてから納得したように呟いた。
「……そう。私、負け、たんだ」
するとスウィートがフィーネの視界に入るよう、覗き込んだ。そして静かに声をかける。
「フィーネさん……」
何も返事はしなかった。ただフィーネは空を見るだけ。
戦闘が終わった後、シャオはすぐにフィーネの元に駆けつけた。スウィートは凛音に治療してもらい、2匹の様子を見ているだけだった。
シアオは手荒いフォルテの治療、そして時々ドジをするメフィの治療を痛みに耐えながらうけていた。アルは近くの岩にもたれかかって、凛音はその少し近くで、スウィートと同じように2匹を見ていた。
するとフィーネがポツリ、と誰かにあてた訳でもなく言った。
「何が、何がいけなかったの……?」
その声は悲鳴をあげているようで、戸惑いや悲しみが含まれていた。シャオは心配そうにフィーネを見やる。
「フィーネ……」
「どうして……? 守りたいって、そう思うのが、何がいけなかったの……?」
震える声でそう言う。どうやらシャオの言葉も耳に届いていないようだった。
「家族を、大切なものを守ろうとして、それが、どうして駄目なの……? 何がいけないの……!? 何で……!? どうして……!?」
誰に問うているのかは分からない。ただフィーネはそうやって自分の心の中にある疑問を言うだけだった。
シャオは答えられず心配そうにフィーネを見る。アルはというと目を閉じて静かにそれを聞いていて、凛音はその姿をただ見ていた。治療されてたシアオは俯き、フォルテとメフィは淡々と治療を続ける。
そんな中、スウィートはフィーネに声をかけた。
「フィーネさん。守ろうとしていたことが、いけないことだという風には私は思いません。ただ……」
それでスウィートは口を閉じた。そして意を決したように、目を閉じてフィーネに言った。
「…………貴女と、話がしたいというポケモンがいます」
「…………。」
フィーネは返事をしなかった。聞こえていないからかもしれない。今のフィーネには何も届いていないように見えた。
スウィートはゆっくりと息を吸ってはき、目をあける。その目の色は変わっていた。その者はフィーネの方を見て静かに言った。
「《……名前、アンタの名前、フィネスト・イレクレスっていうのは、偽名だろ》」
「…………!」
その言葉に反応したのは言われたポケモンではなく、シャオだった。驚いたように目を瞠っている。どうやら当たりらしい。
その者は静かに続けた。
「《本名はフェノ・フィネレス。違うか?》」
するとようやくフィーネが体を僅かに揺らすという反応を見せた。
シャオはその者を見ながら「どうして」といったような視線を向けている。だがその者の視線はフィーネから逸らされなかった。
そしてフィーネは自嘲するように笑いながら、その問いに答えた。
「フフッ……そんな名前も、あったわね。すっかり忘れていたのに」
そう言ってから、フィーネは体を起き上がらせた。まだ痛むのか、顔を顰めながら。そんなフィーネにシャオは座るように促す。
フィーネはいい、と言って立とうとするが、生憎たてなかった。そしてシャオによって強引に、だがやんわりと座らせられる。
そしてフィーネはその者の方に目を向けた。
「聞いてるわ。サファイアの中に、不思議な力が宿っていると。貴方はその中のポケモンなのかしら?
まぁ、いいわ。それで、どうして貴方が私の本名を知っているのかしら? シャオと、ゼクト、ゼクトの手下……それ以外、私の本名なんて知らないはずなのに」
「《いいや。まだいる。知らないとおかしい奴が》」
その者は即答でフィーネの答えを否定した。フィーネは怪訝そうな顔をする。
そしてその者は黄色の瞳を細め、微笑を浮かべて言った。
「《なぁ、姉さん》」
その者――レンスは不謹慎ながらも「呼ぶのは久々だな」と思った。
頭の片隅、サファイアの中からは驚きの声が複数きこえる。おそらく、シクルに至っては固まっているだろう。スウィートも驚いているようだった。
フィーネは大きく目を見開き、シャオも同じような反応をしてスウィート、否、レンスを見ている。
それはシアオ、フォルテ、アル、メフィや凛音も同じだった。
レンスは静かに、その沈黙を破った。
「《俺の名前はレンス・ヴァーミリオン。本名は、レンス・フィネレス。アンタの実の弟だよ》」
固まっているフィーネに向かってそう告げる。フィーネは身動き1つしない。それをいいことに、レンスは喋り続ける。
「《戦闘中に気付いた。偽名で分からなかったが、戦闘中のアンタの言動から気付いた。
両親はゼクトに殺された、ゼクトに追われていた、闇のディアルガ≠フ刺客、弟と妹がいる、その者たちを守るため。これだけ分かりやすいキーワードが揃ってるんだ。分からない方がおかしい》」
そう言っている中で、頭に声が響いた。
「嘘だ」「そんなこと聞いていない」と。誰かなんて分かっているため、レンスは返事をしない。
するとようやくフィーネが声を発した。
「レンス……? 本当に、本当にレンスなの……? どうして、何でこんなところに――」
「《俺がサファイアの中にいる理由は後で話す。まぁ、レンス・フィネレス本人だということは肯定しておくよ。あと、サファイアの中にはシクルもいる》」
淡々とレンスは続ける。
フィーネは呆然とスウィートの体で話すレンスを見ている。まだきちんと理解できていないのだろう。
レンスは懐かしむかのように、話す。
「《俺は……姉さんがゼクトに連れてかれてから、ずっと後悔した。「何で止められなかったんだ」って。
それから姉さんが言ったとおり、信じられると思ったポケモンに助けを求めた。そしてそのポケモンを一緒に行動した。ここまでは姉さんが思ってた通りに動いてたんだろうな》」
けど、とレンスは続けた。
「《姉さんが予想していなかったのは……俺らが助けを求めたポケモンが、刺客となった姉さんの敵だった、ってことだ》」
「……まさか」
「《そのまさか。そのポケモンは時を動かそうと未来を変えようとしていたポケモンだったんだよ》」
するとフィーネは苦々しい顔をする。
そんなことを予想などしていなかったのだ。ただ2匹が普通に暮らしていたポケモンに助けを求めるとばかり思っていた。自分の敵となるポケモンに助けを求めたなど、考えるはずもない。
だがレンスたちは未来を変えようとしてたポケモン――アトラに助けを求めたのだ。そのときのレンスは幼かったので、姉と敵対するなど思っていなかった。シクルに至っては興味を持って、積極的に協力したのだ。
レンスも成長してくにつれてようやく気付いた。だがその時にはもう未来を変えるという目的しか見えていなかったのだ。
気付いたレンスは暫く悩んだが、姉と、フィーネとの思い出を封じ込めたのだ。目的が、目標がブレないように。
「《姉さんが大切なものを守りたい、っていう大切なもの……それは俺らも、そこのポケモンも含まれてるんだろ?》」
そこのポケモン、といってレンスはシャオを見る。シャオもフィーネと同じく困惑しているようで、何も言えずじまいだった。
驚愕している他の者に構わず、レンスは続ける。
「《……姉さんの思いを踏みにじりたい訳じゃない。けど……俺は、こんなことをしてまで守ってもらいたいなんて思ってない》」
その一言で、レンスは今までフィーネがやってきたことを全て否定した。
「《他のポケモンを狂わせたり、ゼクトの命令で未来を変えようとするポケモンを消そうとしたり……そんなことをしてまで、守ってもらいたいなんて、俺は思ってない!》」
レンスの声は、どこか悲鳴じみていた。
さっきまでの淡々とした口調は嘘のように、辛そうに、悲しそうに、言葉を紡いでいる。
「レンス……」
「《無力だった俺だからこそ、姉さんをここまで苦しめたのも分かってる……! ここまで追い詰めたのも誰だか分かってる……! だから、こんなのはただの俺の勝手な我儘だ……!
けど、姉さんが誰かを傷つけるのを、望んだわけじゃないんだ……!!》」
黄色の瞳からボロボロと涙が零れ出す。顔は辛そうに歪んでいる。
フィーネはそれを見て、自分のやっていたことを思い出した。それは、両親を殺した敵と、自分たち家族が恨まなければならない敵と全く同じことをしていたことを。
つまり、フィーネは自分と同じような思いをしなければならないポケモンを、何匹もつくってしまったのだ。
そしてようやくフィーネは気付いた。
守りたい≠サういって「自分はどうでもいい」と言った。しかしそれは、自分を守るための理由に過ぎないことを。本当はその言葉は自分を守るためだったことを。
そして自分が犯してしまった罪に、本当の罪にようやく気付いた。
自分は、自分のために一体どれだけのポケモンを傷つけた、と。
「私、は……」
何をやっていたのか。何を思って、何をしたのだろうか。
そんな思いがフィーネの中でグルグルと廻る。そんな中、頼み込むように、悲痛の声をあげながら、レンスは言った。
「《俺も、シクルも、母さんだって、父さんだって……誰も、姉さんが手を汚すことは望んでない……望んでないんだ。
だから、もう、もういいから。もうこんなことしなくていいから。本当に、本気で、俺たちを思ってるって言うなら……もう、やめれくれ。こんなこと、やめてくれ》」
夢の中でいつもいつも手を伸ばした。それでも姉はいってしまうのだ。
待って、そう言ったらこちらを見て悲しそうに、辛そうに顔を歪ませる姉。それでも手は届かなかった。
それでも懸命に手を伸ばした。それでもやはり届かなくて。
「《頼むから、もうやめてくれ……!!》」
そういって、また手を伸ばす。届きそうで、届かなくて。でも
「ごめん、なさい……。ごめっ……なさいっ……ぅ……ごめん、ごめんっ……ごめんね……!」
ようやく、その伸ばしていた手が、姉の手を掴んだ。