第3話 何故?ポケモンになった人間
ここは、アヤメの住む小屋。
アヤメは、ハルタとボルドが帰ったあと、運ばれてきたロコンの傷の手当てをしていた。
全身の手当てが終わり、毛並みを軽く整えた丁度その時、アヤメは目の前のロコンが小さく震えたのを感じた。ようやく意識を取り戻したか。
「……ん……んん……?」
ロコンはまぶたを重たそうにゆっくりと上げた。そして、一瞬の間を空けた後、顔を一気に上げた。
「気がついた?」
「……ーっ!」
アヤメの優しい声に反応したロコン。素早くアヤメの方へ振り向いた。ロコンはそのまま上半身を起こし、周囲を見渡す。
「ここは、アタシの家だよ。アンタが倒れていた、真夜中の森の近く……かどうかは正直怪しいけど」
アヤメはなるべく分かりやすい説明をしたつもりであったが、ロコンはさらに不思議そうな表情になった。
「あーホラ、キャンバスのー、パレットのー、サウスエリア! 分かる?」
アヤメはさらに説明を付け足してみた。そこまで言うと、ようやくロコンが口を開く。
「あ、えっと……それは、分からないん、です、が」
小さな口から発された声は細く、震えを帯びたたどたどしい口調で、弱々しく響く。初対面だし無理もないか……と、アヤメは考えた。
「まー急に言われても分かんないか。いいよ。ゆっくり思い出してもらえれば大丈夫」
「えっ、と……」
「ん? どうしたの?」
「……あ、あの……テレパシーじゃ、ない、ですよね……?」
「へ? …………うん。テレパシーは今は使ってないよ?? なんで?」
突然予想外の質問を返され、アヤメはすっとんきょうな声をあげる。
「あ、の、ポケモンが喋るの、珍しいなぁって」
「え? 何言ってんの……? 別に珍しく無いよ? 第一、アンタもポケモンじゃない」
「……え゛?」
ロコンは大変びっくりして自身の身体を見る。ミルクココアのような若干ピンクがかった茶色の胴体、先端が濃い茶色に染まった手……と言うか前足。
「え、 ええっ?!!!」
そのまま後ろを振り向いてみる。目の前に大きなオレンジ色の物体が現れた。尻尾だ。6つに分かれたそれらは大人しく横たわっており、先端がくるんと丸まっている。
「(そんなっ……まさか……!)」
ロコンはぐるっと周囲を見渡し、後ろの方に立て掛けてあった鏡を覗き込んだ。斜め上には三角状の耳があり、尻尾と同じオレンジ色の毛は目までかかっていた。
「え、な、なんで……私、ロコンになってるん、ですか……?」
ロコンは再度アヤメの方に向き直り、震えた声で質問した。
「アタシは、わからないけど……じゃあ、ロコンじゃないならアンタ、元々は何だったの?」
アヤメに聞かれて、少しだけ落ち着く。それでもまだ震えた声で、小さなロコンは答える。
「私……本当は、人間なんです」
「………………え……えええええええっ?!」
目の前のロコンが人間宣言をしている……この時点でアヤメは驚かざるを得なかった。しかし、問題はこれだけではない。
「待って! ……少なくともここら辺で人間なんて見たこと無いよ? ロコンもそうだけど……アンタ、ロコンになる前は何処で何をしていたの?」
「え……と…………」
それを聞いてロコンは考え始める。
私は、何処で、何をしていた?
ロコンは神妙な面をしたまま黙りこくっている。
「……もしかして、言いにくい? なら無理して言わなくても……」
「あ、違っ、そうじゃなくて……その、思い出せないんです……」
「え? ……それって、記憶喪失ってやつ?」
アヤメは頭の角に意識を集中させる。キルリアと呼ばれるポケモンは、自身の頭にある角で、感情を感じ取れる能力を持っている。アヤメはその能力を使い、何か手がかりが無いか探ろうとしていた……。
「(うーーーーーーーーーん……兎に角パニックになってるだけとしか……)」
アヤメはため息をつき、意識を元に戻した。相手の感情を感じ取れても、相手の心が読めるわけではない……。とりあえず、嘘をついている感じでは無さそうってことが分かっただけでも収穫か。アヤメは再びロコンに質問してみることにした。
「ねぇ、人間だったーっていうのは確かなんでしょ?」
「え? あー…………はい」
もし、最初からポケモンだったら「ポケモンが喋るなんて珍しい」とはならない、はず……
ロコンもアヤメも、心の中でそう確信した。
「分かった。……ねぇ、他に何か覚えてることはない? あーホラ、名前とか!」
「名前……? ……あ、アルファ、です。」
「え……? アル、ファ?」
「ハイ……私の、名前は、アルファ」
「そ、そっかー……名前は覚えていたんだねー……良かったよ」
“アルファ”という名前、元々は人間だったということ……、手当てをしていたときの感覚と名前及び声の雰囲気からして恐らくメス……。アヤメはそこまで整理した。他に情報は無いのか……?
「(どうしようか……でも、これ以上聞くのは、今はやめておいた方がよさそう……)」
この時点でアルファはもう疲れたといった顔をしていた。アヤメはその様子を確認し、改めてアルファに向き直る。
「えーと、アルファ? とりあえず、今日はウチで休んでいきなよ」
「え? そんな……」
「いいのいいの、もう夜遅いし。それに、一晩寝たら他に何か思い出せるかもしれないじゃん」
アルファは窓のある方向を見た。外はもう既に暗く、月とその周辺の叢雲だけはっきりと見えた。
「じゃ、何かあったらすぐ呼んでね! アタシは下にいるからさ!」
気づけばアヤメは階段を降り始めていた。
「あ、はい……ありがとうございます……キルリアさん」
「え…………ーっあ゛っ!!」
何かを硬いモノにぶつけたような音がした。直後、ぎこちない動きでアヤメが戻ってきた。
「そういえば、自己紹介がまだだったわアハハ……アタシはアヤメ! ここで農業しながら暮らしてんの。呼び方は……まぁテキトーに、アヤメでいいよ!」
アヤメは、「おやすみー」と言いながら再度階段を降りていった。その後、微かに「いったぁ……」と彼女の声が聞こえた気がした。
「(アヤメ、さん……っていうんだ)」
ポケモンにもちゃんと名前がついているんだ。アルファはその事をなんとなく悟った。
アヤメが下へ降りていってから、アルファは改めて自分の姿を確認する。 ……やっぱりロコンにしか見えない。次に、ほっぺをつねってみる。痛い。……夢じゃ無さそう。
「(でも、どうしてポケモンになっていたんだろう……? そもそも私は……誰だっけ……?)」
もう一度考え直してみる。
私は人間で、名前はアルファ。うん、これは間違い無い。でも、年齢とか、何をしていた人なのかは…………………………思い出せない。
「これ、よくできた着ぐるみとかじゃないのかなぁ……?」
全身をまんべんなく触ってみる。しかし、もれなく全身に感触があった。特に、尻尾に触れた時の感触が最も強かったように思う。ほぼ同時に覚えたどうしようもない違和感……それは恐らく、自身が元々、尻尾のない人間だったからこその違和感だったのだろう。
今度は、尻尾の方に意識を向けてみる。うまくコントロール出来ないものの、とりあえず前足や後ろ足を使わなくても6本の尻尾はひゅるんと動いた。
「ひぃ……(なんか変……気持ち悪……)」
アルファは思わず軽い吐き気を催した。自分の身体にここまで酷い違和感を覚える日がくるなんて………………
「……大丈夫?」
「………………ぇ?」
声のした方を振り向く。そこには心配そうな顔をしたアヤメが座っていた。
「……ロコンってさ、確か火を吹くんだよね? なんかあった時用のお水、あった方がいいかなって思って」
気づけば寝床の側に、小さなマグカップと水差しが置かれてあった。さらには厚手の布に、バケツのようなものまで……。
「……なんか、申し訳ない、です」
「いいのいいの……今日はもう寝よう? 考え過ぎて頭痛いでしょ?」
アヤメは、そう言いながら再びゆっくりと階段を降りていった。
「(…………確かに、頭痛い……)」
アヤメさんの言う通り、今日はもう寝よう……。そう考えながら、アルファは静かに眠りについた_____。