第1章 
第11話 おかえり!アヤメさん
「よし、行くか」

 ボルドはその場で立ち上がり、カバンの中身をざっと確認した。そして、テーブルの上に置かれたおにぎりに目をやり、右翼を伸ばす。このおにぎりは、ハルタが余ったカレーとご飯を混ぜて作ったものである。ダンジョン調査中の小腹を満たすのに丁度良い大きさだ。

「わりぃな、わざわざ作ってくれてよ」
「ううん、話を聞いてくれたお礼だよ」
「んじゃ、貰ってくぜ」

 そう言いながらボルドは、おにぎりをカバンの空いたスペースに2つほど入れた。そして、そのままドアの所までへ歩を進める。

「それにしても、もう行くんだ。早いね」

 ハルタはやや寂しそうにボルドを見つめている。ボルドはドアの前で立ち止まり、ハルタの表情を見て苦笑し、短い溜め息をついた。

「もうって言われてもよぉ、大分話し込んだと思うぞ? 俺ぁいつかのおめぇみてぇに、依頼サボって先生にバレて叱られんのは嫌だからな」
「アハハしょーがないなぁ……気をつけてね」
「おうよ! じゃあな!」

 ボルドは元気にそう言って出ていった。

「よぉーしアルファちゃん! とりあえずは次の手掛かりを探しに行こうか!」

 ハルタは雰囲気を元に戻した……が

「……ーって言っても、何処に行けばいいんだろうね? 真夜中の森に行けたら良いんだけど、ボクとアルファちゃんだけじゃ危険だと思うんだ」

 それを聞いてアルファは、何となくではあるが真夜中の森を想像してみた。目覚めて以来、彼女は森へ行ったことが無い。それでも、真夜中の森がどんな所かはアヤメから聞いている範囲ではあるものの知ってはいるのだ。

「(確か…………たとえ昼間でも光のさすことの無い、まるで真夜中のような暗さがずっと続くダンジョンだって……)」

 初めて訪れた迷いの草原でさえ1匹で突破することは出来なかった。そんな自分を守りながら、ただでさえ見通しの悪すぎるダンジョンへ挑むハルタのことを考えたら……

「うん、確かに危険そうだね……」
「だから、別の方法でさぁさんを探そう! アルファちゃん、何か良い案ある?」
「え、えーと…………」

 アルファは考えてみる。

「(良い案、良い案……ーって言っても私は、この辺りの仕組みに詳しくないからなぁ……。ここは、ハルタくんに色々訪ねてみた方がいいかな?)」

 アルファはそこまで考え、静かに顔を上げた。若干自信ありげな様子にハルタはすぐ気が付いた。

「ん? 何か思い付いたの?」
「ううん、私にはわからないことが多いから……」
「あーそうだよね」
「だ、だから! は、ハルタくんから聞きたいなって」
「え、ボク?」

 つい、途中で口を挟みがちなハルタの返事を無理矢理止めた。ハルタは今までに無いアルファの様子に思わず目を丸くする。

「うん! ほ、ほら! 折角、真夜中の森の幽霊と同じ個体かもしれないって分かったんだし!」
「まぁね。でも、ボクらはあの幽霊は一瞬しか見てないんだ」
「えーと、じゃ、じゃあその幽霊に会ったポケモンは他にいないのかな?」
「他? えーと、ボクとボルドくん以外だったら、ボクら以上に強い探検家の……誰かになると思うんだけど……」

 ハルタはそこで言い淀んでしまう。自分以上に強い探検家で、尚且つ真夜中の森に奥地まで行ったことがあり、そこで例の幽霊に出会っている……。これらの条件に全て当てはまる知り合いのポケモンなど、簡単に特定出来ないからだろう。この事はアルファにも容易に察することが出来た。

「うーん……じゃあ、幽霊の目撃情報を聞いたことは無いんだね」
「うん……あ、でも! 幽霊がいるっていう噂を聞いたことならあるよ! そもそもボクは真夜中の森に関する情報は全部、スティックくんーっていう、ボクらと同じ見習いの探検家から聞い……ーって」

 ハルタは何かを思い出したように、頭のトゲを勢いよくピンと立てた。そして、一瞬の間を置いて

「そうだよ!! スティックくんに聞けばいいじゃないか!!」

 ーっと先程とは比較出来ない程の大きな声で叫んだ。同時に勢いよく立ち上がり、明後日の方向へガッツポーズを決めたと思いきや、テーブルの周りをうろちょろと行き来し始めた。

「スティックくんなら絶対何か知ってるよ! あーなんで今まで気づかなかったんだろうね? まぁいっか! ありがとうアルファちゃん! 今度こそ究極に解決出来るよ!!」

 アルファが、ハルタの発した“究極に解決出来る”という台詞に少々の疑問を抱いたその時だった。2匹の背後のドアが唐突に開き、何やら聞き慣れた声が響いてきた。

「ただいまー!! 2匹ともお留守番ありがとー! お疲れ様っ!」
「え、あ……あ、アヤメさん?」
「なんだアヤメさんかぁ! おかえりなさい!」

 そこには、大きめの紙袋を抱えた1匹のキルリアがいた。

「遅くなってほんとごめんねー! アタシがいない間、大丈夫だった?」
「はい!」
「そうー? なら良かった!」

 アヤメの突然の帰宅にアルファが驚いている間にハルタが無事を報告する。

「(そ、そうだ! アヤメさんにも説明しないと……!)」

 アルファは未だ荷物を片付けていないアヤメに対し、もう3度目になる事の説明を行った。





「……で、その親友だったっていうのは、あくまでも幽霊(?)が言ってたってだけなんだけど……」
「そ、そうでしょ? アンタ、その幽霊のこととか覚えていないんでしょ?」
「う、うん」
「という訳なんだけどアヤメさん、今言ったみたいな幽霊のことで何か知ってる?」

 ハルタが然り気無く割り込んで質問する。アヤメは首を傾げ、しばらく自身の記憶と格闘した後、ハルタの方へ顔を戻し答えた。

「……夢の中に出てくるような幽霊は、アタシは知らないかなー」

 予想通りの答えだった。ハルタは勿論、アルファも苦笑い。

「まーでも、真夜中の森に幽霊が出るって噂なら聞いたことはあるかなー?」 
「えぇ?! 本当に?」
「うん……ーって言っても、大分小さい頃の事だし、さっきハルタが言ってた内容以上の事はアタシは知らないからね?」
「そっかぁ……じゃあ、他に幽霊について何か噂とか聞いたことある??」
「えぇー? そうねー、うーん他に心霊スポットがここら辺にあるわけでもないしー。こっから1番近いところだとウエストの外れにある墓場かなー?」
「ウエストの外れにある墓場……って、ノースに近いところじゃないか! すごい遠いところからきたんだなぁ」
「まーまー! あくまでもこれはアタシの想像での話だからね? 兎に角、アタシはアルファの親友の幽霊については心当たりは無いよ。ごめんねアルファ」
「う、ううん! むしろ聞いてくれてありがとう!」

 アルファがお礼を言ったところで謎解きタイムは一旦終了。窓から見える空が若干茜色に染まっていることに気づいたアヤメは、ハルタに家に戻るよう諭した。ハルタはこれからスティックの元へ聞きに行くつもりでいたためか名残惜しそうであったが、アヤメに「また明日にしよう?」と言われ、仕方なく帰っていった。





 そして……夜。アルファは寝る準備を終えると、いつも通り屋根裏部屋へ行き、干し草のベッドへとダイブした。

「ウエストかぁ……」

 すぐには眠れず、昼間の謎解きの結末について再び考え始めた。
 アルファ自身、この1ヶ月半の間にウエストエリアまで行ったことは1度も無い。それどころか、これまでに訪れた範囲は恐らく、サウスエリアの半分にも満たないと思われる。知らないこと(忘れたことというべきか)だらけの世界に少しは慣れたつもりでいたが、まだまだのようだ……。

「どうしたのー? 考え事?」

 突然呼び掛けられて驚き振り返ると、階段のところにアヤメが水差しを持って立っていた。
 アルファはアヤメに昨日から今朝にかけての出来事を話した。ハルタがいた頃は夢に出てきた幽霊の話しかしなかったため、それよりも前……初めて挑んだ不思議のダンジョンやスティックやティアラとの出会い、ストライクとの戦い等を一生懸命話した。
 半日にも満たない間に起こった出来事だったとは思えないアルファの濃厚な体験談を聞いて、アヤメは若干驚きを混じえた笑みを浮かべる。

「へぇー! それはすごい大冒険だったね!」
「うん、でもちょっと怖かった……かな」
「そうだよねー……でも、どこも怪我してなくて、本当に良かった」

 アヤメはそう切なげに言いながら、アルファの額の毛___ストライクに刈られた部分を優しく撫でる。そして、刈られていない部分にも目を向けると、何の前触れも無しにこう言った。

「……切っちゃおうか?」
「え? な、何」
「アンタのこの長い毛だよ……あ、嫌ならしないよ? 勿論」
「え、いい……のかな? こんなところ切っても」
「大丈夫大丈夫。神経が通っているわけじゃ無いんだし。ストライクに刈られた時、別に痛くはなかったんでしょ?」
「うん。でもなんでこんな急に??」
「んー、そのままだと見てて少し痛々しいからねー。視界もすっきりするだろうし。ちょっと待ってて」
「そっか、切った方が良いよね。時々目に入るから、正直……ちょっと邪魔だったし」

 そう言いながら前足で刈られていない部分を擦るアルファをよそに、アヤメは軽やかに階段を降りて行った。そして、小さなナイフのようなものを持って来ると、アルファの正面に座った。

「折角だし可愛くしてあげるよ……あ、いい? ほんとに切っても」
「……うん!」

 アヤメのどこか安心感のある問いかけにアルファは何処かワクワクした様子で答えた。
 ___それから少しの間沈黙が続き、半分近く仕上がった辺りで、再びアヤメが静かに口を開く。

「ねえ、アルファはさ……人間だった時の記憶とか、取り戻したいって思ってる?」
「……え?」

 アルファは下を向いたまま目を丸くする。2匹で暮らすようになってから今の今まで、アヤメからここまで突っ込んだ質問をされたことは1度も無かったからだ。

「えー……と、無理に思い出そうとしなくても、案外大丈夫なのかな……ーって思っていた、けど…………」
「……けど?」
「……幽霊の親友、とか出てきたし…………このまま、何も……知らないままじゃ、やっぱり……いけないのかな……ーって」

 アルファは少々かすれた声で、絞り出すように話した。

「あの、サーって幽霊はさ、アンタのこと……知っているんでしょ?」
「え? うん……多分」
「人間の頃の自分のこと、聞けなかったの?」
「き、聞けなかった……というか…………」

 そう、聞けなかったこと自体は間違いではない。しかし_____

   (……本来ならば、お互い状況を共有したいところであった。だが、今はどうも難しいようだな)

「……聞こうとはしたんだけど、今は難しいとか言われて……そのまま帰っていったんだよね」
「……そう。じゃあ、しばらくは教えて貰えないのかもねー」
「……また会っても?」
「うん。親友が何も覚えていないようじゃね……多分、サーは何から伝えたら良いのかすら、分からなかったんだと思うな」
「そっか……そうだよね」
「……ま! これはアタシがサーの立場だったらどう思うかなーって想像してみただけ! 必ずしもそうとは限らないから!」
「あははは……わかった」

 ここで丁度いい具合に切り終えたらしく、 アヤメは腕を下ろし、顔を上げた。

「んー、我ながら結構上出来なんじゃない? アルファ、ちょっと鏡見てみなよー」
「う、うん」

 アルファはアヤメに促されるまま、鏡の方へ移動する。そして、鏡に映った自身の顔を見ると思わず感嘆の声を漏らした。長かった毛は綺麗に切り揃えられており、それも真っ直ぐではなく全体的に丸みを帯びた可愛らしいものに仕上がっていた。

「すごい……あ、ありがとう!」
「いーえ!」

 アヤメは鏡から自分の方へと振り向いたアルファに対して、ニッと笑って見せた。





「ふぁああ……今日はもう寝ようかな……明日、スティックくんのところに行くことになってるし」
「そうねー、おやすみ!」
「おやすみなさい……」

 アルファは再度、小さなあくびを1つして即座に寝入った。よっぽど疲れていたのか、目を瞑ったがすぐにすぅすぅと寝息を立て始める。

「(幽霊の親友かー……全く、何がどうなっているんだか)」

 アヤメは眠るアルファの隣に座り、水差しを再び手に持つ。そして、小さなマグカップに中の水を少々移し、窓の外を切なげに見つめ溜め息をついた。
 それから暫くの間、窓から見える景色を眺めながら物思いに耽る。そこから見える夜空では、細長い月と僅かな星々が弱々しい輝きを放っていた。
 そして……マグカップの水を静かに飲み干したアヤメは、再びアルファの方へと顔を向けた。

「(…………ま、なるようになるか)」

 気持ち良さそうに眠るロコンを見つめ、心の中で再度「おやすみ」を言うと、静かに階段を降りていった。

Itocoo_ ( 2020/05/10(日) 00:42 )